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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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30日
13:00、起床。薬の関係で事前予防が出来ています。

14:00、ある関係箇所へ送る報告書を作成。事前に眼を通していただきたい方にメール送信。問題なければ翌日発送の予定。

 夕方、NHKのサイトによるとキャストが正式に発表されました。

 ひとつ気になることが。

 川崎八重は京都に行くまで川崎八重です。書類上は離婚してません。明治5年4月には山本姓に復籍していますので、明治4年10月以降に川崎家を廃家しています。これは戸籍法による手続きであり、特に劇的なものはありません。米沢に寄留した「出稼戸籍簿」がある限り、文書上では離婚は認められません。

 ちなみに八重と川崎尚之助が別れたのは24日と解ります。一緒に猪苗代に連行されるところ、女ということが解り、ここで正式な別れが訪れるだけです。ほかは24日に猪苗代に連行される時点で離れ離れとなります。

 まぁ、フィクション要素が強いですからムチャクチャになる可能性の方が高いですよね。やはり時代考証はかの方ですかね?まぁ、悪くならないことを祈ります。あ、山村竜也氏は「会津糞尿降伏事件」を起こしてますから起用したらマスコミが叩くことになりますからお気を付けを。


で、この後、日暮里に用事。日暮里の元締にご挨拶も。

 その後、足を伸ばして台東区立中央図書館に。新聞記事を中心に調査しました。その後、フト書棚を見ると「瓜生岩子」がありました。明治44年刊行の書籍が普通に置いてあります(汗)まぁ、コピーできるから良いか、とコピー。これには唯一「川崎八重」とあります。瓜生さんは当時の生き証人ですから、当時の呼び名にしたのでしょう。

 その後、大島貞薫の書籍があることを思い出し、手に取ってみます。あ、これは書簡集の翻刻版だと気付き、焦ります。ちなみに閉館3分前。仕方なく出直しが必要になりました(汗)

20:30、帰宅。

21:00、「アンサー」鑑賞。感想なし。

1:00、どうも急激に睡魔が襲い、耐えられなくなり、就寝。

 それと就寝前、気になったことを一題。

 この日は沖田総司の命日(5月30日)です。各ブログでも追悼記事が出ておりました。故人を祭祀することはどのような形であれ、故人の顕彰に繋がるので良いことだと思います。

 ここで、

「沖田総司の命日は亡くなった年は旧暦なので新暦に直すと7月19日になりますよ」

と書く方がいる。これはこれで正しいです。しかし、

「祭祀は7月19日でなければおかしい!」

とするのは間違いです。

 ココでも書きましたが、もしタイムマシンがあったとして、明治2~5年に祭祀している方に「あなたたちはおかしい!」と文句が言えるのでしょうか?明治2~5年は旧暦基準ですので、新暦7月19日には絶対祭祀しておりません。もっといえば、明治6年以降もしばらくは旧暦で祭祀しています。なので当時の新聞も新旧双方の暦が掲載されていた訳です。

 なので、蛇足には注意する必要があるということです。実際、サラリーマンが公休とされているお盆休みだって、正確にお盆を計算に入れて休暇は決められていませんよね。いまは新暦8月15日を基準として祭祀している訳です。

 要は祭祀することが大事な訳で、日付ではありません。聞きかじったことは意味を理解してから語らないと恥をかきます。ということで、5月30日の新暦に祭祀するのも良し、旧暦に合わせた日付でもよし。新旧暦の日付が一致しない7月19日でもよし。ともあれ、祭祀してあげることが故人の供養となります。泉下の沖田さんも幸せですよね。

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 最近、贋金事件について研究しています。そのなかに「ちゃら金」という言葉が出てきます。この言葉は関東で使われた言葉と思うのですが、佐藤俊宣の「今昔備忘記」にも登場します。市村鉄之助が持参した金の半分以上がこの「ちゃら金」だというのです。弐分金と記述されていることから、作り話としては精巧過ぎます。私はこの項目を真実と考えています。若松県の贋金問題を知った際、いの一番で浮かんだのがこの「ちゃら金」です。

 それでは何故「チャラ金」か?40代後半以上の方々ならご存知ですが、昔は50円と100円の金属が違ってました。特に100円硬貨は昭和41年まで銀貨でした。これをいまの100円硬貨と比較して、落としてみると、その形状を見なくとも音でドチラかが判別つくのです。

 つまり、旧100円なら

チャリーンッ♪

と鳴り、いまの100円なら

ゴトッ!

とします。材質が違うから音も違うのです。それと金属の比率で重さも変わりますから、昔の人は秤やら音で贋金を見分けていたのでしょう。

 なので貨幣学でこの時期の論文は面白い代わりに、地域の特性を理解していないと落とし穴に嵌ります。考えてみれば廃藩置県は明治4年なのですから、それまでは各地独自の通貨もありますので要注意です。

閑話休題、


「ドラえもん」より
 それと一部、虚偽を記述したブログを発見。誤認であれば無視ですが、意図的に虚偽を行っており、またそれが私のせいと思い込んでいる。笑えますが、その話題をひとつ。

 採りあげていたのは「山崎丞日記」です。2004年に公表され、新聞発表され、同年12月より日野市ふるさと博物館(場所は現新選組のふるさと歴史館ですが、機構は現日野市郷土資料館)で展示されました。

 実は新聞発表した際、コメントしたのが私であり、もちろん内容も博物館サイドより教示いただいております。

 で、「なにかクネクネしたのが纏わりついてウザい」と聞いたのが3月頃、電話でクネクネしてくるという話でした。それが続・新選組史料集に反映されたようです。

 確か、私が異常を唱えたのは1点のみだったと記憶しています。それは同志の記述の上に「○(まる)に/(線)」が記入された記号です。これを「続・新選組資料集」では

α?

としていたことです。当然そんな記号は原本に存在しません。いくらなんでも異常だと述べた記憶がありますが、その御仁は批判すべてを「私のせい」と思い込んでいるようです。

 確か拙ブログで過去に指摘した記憶がありますが、これが私の「虚偽」なら虚偽=正確という意味になりますね。この御仁はこういうところに「抜け」があります。書籍として残っているのだから、本の該当部分を見ればドチラが正しいか一目瞭然だというのがわからないらしい。

 まぁ、この御仁がさらにクネクネし出して私の個人情報を流出していただければ即刑事事件に出来るので期待しているところです。いままでの証拠はすべて蓄積されています(笑)というか、ネットで証拠がいくつも拾えるのが笑えることです。

 正当な批判なら好敵手として楽しめますが、意図的に虚偽を行い煽動する行為はネットの閲覧者に迷惑をかけます。こんなことをしないでYahoo知恵袋に自分の「あられもない夜の生活」の続編でも書いていれば良いのです。

 まぁ、調査することにより、変なパラノイアが発生するのは良くあることですが、特に新選組関連がウザいので、最近は新選組研究は行っていません。まぁ、このクネクネした感覚の御仁にまず一番の申上げたいのは、日本語を理解するということでしょうね。タイピングミス以外で文章がおかしければ、その人の精神状態もおかしいと捉えられますからね。一般に翻訳が必要です。


 なので、この商品がお勧めです。よくお似合いかと思います(笑)

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 18日、TBSの「運命の人」を観ました。沖縄返還の密約問題を山崎豊子が小説化したものです。登場する人物はほぼ実在する者で、山部記者は渡辺恒雄をモデルにしたことで本人からクレームがつくというエピソードも生まれました。

 私の一家の墓所の向かいには石川啄木一族の墓所があります。あの「一握の砂」で有名になった啄木です。私は自分のことを「一握の砂」と思っています。

 私はある方から「あさくらさんは歴史研究家というよりジャーナリストだ」と言われたことがあります。真実が闇に隠蔽されたことを暴いたこともあり、2010年の「千葉さな結婚報道」は正に衝撃を与えたと思います。

 それも今頃、揺り返しが起きているのも事実です。あったとしても入手不可能の戸籍がないことが良いことに、「証拠がない」と騒ぐ輩もおります。こうして真実を捻じ曲げる人物は往々にして現れることがあります。ましてやこれが官庁、組織であればなおさら隠蔽に走ることがあります。

 昨年、東京都情報公開条例の9条を楯に公開請求を行ったところ、御用学者で固められたチームに加え、都庁側からは暗に「認めてはならない」と因果を含めた議事資料を配布して、理論上通るものを通らなくされたことがあります。結論的には意表を尽く別の作戦により閲覧が可能とはなりましたが、あくまでも公明な路線での公開ではありません。

 ただ、閲覧が困難な史料や困難な調査を乗り超えたことが幾つもあるということは私の誇りでもあり、これからも変わらないポリシーです。

 いま、私が取り組んでいるのは「新島八重を歩く」ですが、これもすでにすべて原稿は入稿されておりあとはゲラ待ちという段階まで来ております。なのでココに書くべきものはすべて終了しております。

 実は、いま、単著で山本八重と覚馬、川崎尚之助のことを書こうと史料を収集しております。これは話しを進めているところがあり、原稿を書く前段階、つまり史料不足と感じているところから、鋭意史料の入手を行っているところです。

 この作品でいま、そのなかで苦悩を抱えているのが「会津の戦後」です。過去に友人が同人誌で指弾しておりましたが、どうも疑問点がありました。

 先に会津の歴史を例えるなら、「まぶしいばかりの光を放つ歴史」が主流となっています。しかし、それを「否」と例える一群もいるのも事実です。光が足りないからより多くの光りを放てるようにデコレーションしたのが、レジスタンサーが唱える「会津観光史学」な訳です。

 ただ、ここで考えていただきたいのですが、Aという人が文章を書く。気に入らないのでBがAを批判する。しかし、CもBが気に入らないとして批判する。

 ここに現れているのは批判だけであり、真実の追究もマクロで留まり、全体を俯瞰する歴史が構成されていない。当然Aも批判されているのであるからデコレーションによって批判を浴びている訳でこれも真実ではない。

 戦争というものは外戦でも内戦でも実際に人が傷つき、加害者もいれば被害者もいます。直接加害者の正義は勝者にある場合が多い。被害者は勝者には文句は言えません。しかし、これを観光というポジティヴな御旗を用いることで勝者への抵抗を行う。つまり、こうした内容のものは直接の関係者が述べるのは、その部分だけを証言するに留め、それを構成する者に委ねなければいつまでも正しいものは構成されません。「観光」という名目を使用した批判に過ぎません。

 今回、会津の戦後を考えたとき、隠してはならない「贋金問題」を隠蔽しました。実は贋金を作ったものにも「レジスタンスの正義」である者もおり、しかし、それは正に正邪を兼ね備える「諸刃の剣」であり、当然、便乗する悪人も現れます。しかし、その悪人と正義の者が同一視されるのは当然のことで、一方を隠すならもう一方を隠さなければいけない、ジレンマを抱え、結論的に隠蔽したのは隠しようがない真実です。

 もちろん、ここにいう「正義」とは敗者による正義であり、勝者にとっての正義ではありません。勝者はその正義を認めざるを得なく、一部を処刑しながらも、懐柔策に出ます。しかし、すでに奔流された川の流れは震災で発生した津波の如く抑えようがない勢いであり、そこに対抗措置が生まれ、結果的に数十人規模の虐殺と呼べるほどの処刑が行わる訳です。これは若松民政局内部で行われ、国事犯とは分離されたため、「見せしめ」を確実に実行することにより、強制的に罰則を印象付けることに成功します。

 しかし、なかには本当に処刑にたる人物もいたか、という疑問も発生します。贋金といっても、「製造」、「幇助」、「使用」と3つの罪が存在します。「使用」しなくとも、家にあった金がたまたま贋札だということで咎められる人物もおり、命を奪われなくとも拘禁された無辜の人たちを生んだ部分もあったと思われます。

 こうしたレジスタンスたちの正義から始まり、便乗により悪化し、その征圧による殺戮で結末を見るという会津の戦後は丁寧に扱わなければどの側からも誤解を受ける可能性があります。

 なので、そうした歴史を丁寧に少ない脳みそに叩き込み、噛み砕くように説明して歴史を伝える必要があると考えます。

 それが山本八重が見た会津の戦後でもあり、八重一家が会津を離れる結果にも結びつくからと考えるからです。

 当然、私が運良く単著を出せたとしても、たぶん世の歴史のなかからは亜流扱いされることでしょう。しかし、読んだ読者の1%でも共感していただけたなら、それはそれで「一握の砂」の私が伝えることに成功したことになるでしょう。

 一握の砂……。この砂粒が維新史の歴史に僅かながらでも波紋を呼べればと考えながら、白髪を増やして頑張りたいと思います。

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2日
朝、何度も起きます。凄い激硬な夢ばかり、文書論議。夢で疲れそうな内容ばかり。身体も昨日のイベントで衰弱してるので抗生物質で対処。

10:30、強制的に起床。

 と言っても…身体が衰弱してるため外出も出来ず、1日中家におりました。以上。


 で、今回は別のテーマでお話ししたいと思います。

 どうやら以前問題を提起した、かの新選組検定が具現化したようです。

 はっきり言います。この検定に私は

反対

の立場を表明します。理由は、

①、監修は記述の通り、問題のある監修、菊地明氏であること
②、参考書とされているものに信憑性のあるものが一切ない
③、参考書は学術書ではなく学芸書であること
④、これら参考書には根拠史料の明示がないものが多く存在すること
⑤、後援共催に学術関係機関がないこと
⑥、監修が学術関係者ではないこと
⑦、菊地氏の論文が学術対象となった実績を聞いたことがないこと
⑧、宮地正人氏等、学術関係者を筆頭に菊地氏等の著作に苦言を呈していること
⑨、この検定に関する趣旨説明がないこと
⑩、公式ページに「異議申し立てを認めない」と謳っていること

 細目はいくつもありますが、要は誤った、あるいはどちらとも採れる回答の固定化の危惧です。

 試しに3級の問題を見ましたが、回答に「石田散薬」というのがあります。この名称が付いたのは実は明治からで、それ以前は「石田薬」と称してました。現に土方歳三資料館にそれを明示する史料が展示されています。ですので「土方家が販売した家伝薬」なら辛うじてOKですが、「土方歳三が販売した家伝薬」ではNGな訳です。

 新選組に関しては怪しげな論説がいくつもあり、例えば「本庄事件」や「大和屋事件」、「坂本龍馬暗殺関与」等があります。これらを根拠史料を明示しないことでアマゾンではすでに有名となっている菊地氏が回答を決める訳です。回答の決定権者はそれなりの権威が必要となります。当然それは1名単独ではなく、複数人置くのが通常です。大学の入試問題にひとりの先生がいくつもの教科のテストを作らないのと同様、本来なら複数の検閲をするべきです。

 尚、だからと言って、「辞めろ」と申しているのではありません。従来ある検定のように学術論文として新選組を採りあげた宮地正人氏等、学術関係者は複数人いるのです。そうした人間、書籍が排除され、読み物的な書籍が参考文献に挙がっていることは学術の冒涜に当たり、本来なら学術関係者たちの検閲を経て検定を行うべきだと申しています。

 少なくとも現状、「この検定の回答については必ずしも正解でない場合があります」と付記するべきです。

 この検定が更に具現化したことを懸念するため、あえて一石を投じたく思います。

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 ちょっと、とあるブログ記事(あえて紹介しません)で子孫だということを強調して報じる方の話題がありました。自身の戸籍謄本と先祖の除籍謄本を持って証明する方です。私もそんな方に会ったことがあります。

 しかし、ここで掟破りの者もいることを今回の記事とします。それが

なんちゃって子孫です。

 まず、

①、当該人物と自身を証明する記録がない
②、郷土史家等に言われたから間違いはない
③、そう思ってるんだもん!と逆ギレする

 こんなパターンがあります。昨年もなんちゃって子孫に直接は関わらなかったのですが千葉家のご子孫がそれで辟易したという話を聞きました。

 実は私はウン年前に茨城の新選組同志の子孫とされている方が遠縁ではあっても子孫でないことを戸籍と過去帖から確認しました。のちに系図からこの方の先祖と新選組同志の先祖とは元禄時代で繋がることが判明しました。

 これも当初、その方は知らなかった訳です。そりゃ違うのですから伝わりようがありません。そこへ新選組研究家なる方が現れて

あなたは○○の子孫です

と言われたものですから…。言った相手が研究家というなら間違いないだろう、と信じてアチコチに喧伝する。そうした子孫とかの会に出席する。そうなれば確証ある史料がなけれなならないのですが、「研究家の○○さんに聞いてください!」と言われて困ったことがあります。

 実はある誤解から私もそう信じさせてしまった経験があります。「そういう可能性もある」と言った語彙が子孫に化けてしまい、碑を建立されたこともあります。これは誤解させた私にも一因があります。これは私の一生の反省材料となるところです。言葉ひとつ間違うだけでトンデモないことになるという一例でした。

 昨今、個人情報保護法によって、そうした個人情報が隠されているために子孫と誤解する方も増えているのも実情です。なので傷口を拡げる前に徹底した鑑定を受けてから子孫と名乗る方が懸命です。

 たとえば私の先祖、仙台藩細谷十太夫の家来(農兵)だというのは居住地域(本籍)でわかります。所謂開拓地域の居住なので、開拓以前に住むことが出来ない土地だったからです。ただ、私も先祖の名前は解っても、それ以前は単なる農民だったと推測するしかありません。これでも唯一の確認資料な訳です。個人情報保護法が出来る前でしたので学籍簿(つまり壬申戸籍時代の本籍地が確認できる)で調査が可能でした。

 つまり、人の言葉のみを信用して「なんちゃって子孫」が誕生する機会があると言うことは認識していただきたいのです。それも原因はその人じゃない場合があるということです。

 ちなみに「なんちゃって子孫」と認定されると、今までチヤホヤしてた方々は速攻でいなくなります。自分には関わりがない!と、いままで散々持ち上げてた方々が消えていきます。サポーターの如く貼りついていた方々はなかったかのように消えていくのも「なんちゃって子孫」の宿命です。

 なので、いかに「子孫です」とそそのかされても確証が持てない場合は名乗らないことが懸命です。そういうパチ情報を流す研究家?ほど子孫をコレクションのごとく扱いますから。

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