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6日
0:00、第1章完成。少し休憩。
2:00、買い物。歯にやさしいパン。
3:00、ブログ記事を執筆。
5:00、執筆再開。大久保大和隊が流山に来た件。永岡儀兵衛については内容が濃くなっているので修正。で、これがまた大変!!いやはや執筆スピードが鈍行過ぎます(汗)
7:55、中断。
8:00、「純と愛」鑑賞。そういえば私も窓際+晒し者部署に飛ばされた経験があるから解るな。上司の責任連座でしたので同情はしていただけましたが……。ちなみにそのときの上司は本編にあったような部屋に本当に異動になってましたが。
9:00、歯医者探し。なんと木曜日のみ午後から!勘弁して欲しいわ。近所の歯医者の休みが木曜日に集中するのはいかがなものか。これ以上探したくないので帰りに寄る病院で薬を貰って帰宅。
10:00、疲労困憊のため、就寝。
20:30、起床。
21:00、「ドクターX」鑑賞。なんか気持ちがわかり過ぎます。脚本と役者の妙ですね。特に岸部一徳が良い味を出しています。
22:00、ブログ記事を執筆。
それと気になったことがひとつ。コチラのブログに触発され、2日に小島資料館へ参りましたので小島政孝さんに近藤勇の孫?石阪清のことを聞きました。すると小島さんは元の資料に記載があったから掲載したとの由。
なぜ疑問に思うかというと、この清という人物は近藤勇五郎の除籍謄本に記載がないからです。極論すれば近藤久太郎が認知すれば一度は近藤家の戸籍に登載されます。つまり母親の私生子扱いということになります。しかし、認知していないので、下手をすれば言ったもの勝ち、という可能性も否めません。母親が「この子は近藤久太郎の子」と言ったところでそれを確認しようにも本人は客死しています。確認しようがありません。個人的にはまずその清の生年月日が知りたいところです。ちなみに調布市は存じていないデータです。
それと、これは調布市の悩みどころなのですが、近藤勇の生家、あるいは近藤家は現在の野水に家があるのですが、殆ど飛び地に近い場所にあり、現在の調布市の住民とは疎遠の場所にありました。なので史料が出てくるのは圧倒的に三鷹市に集中してません。しかし、それを調布市が調べるには三鷹市へ調査することになり、行政の壁で難しいようです。
yahoo知恵袋等でささやかれる「近藤勇書簡集」ですが、個人的には「近藤家史料集」も欲しい昨今です。難しそうですが。
よろしければクリックご御力お願いします
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7:55、中断。
8:00、「純と愛」鑑賞。そういえば私も窓際+晒し者部署に飛ばされた経験があるから解るな。上司の責任連座でしたので同情はしていただけましたが……。ちなみにそのときの上司は本編にあったような部屋に本当に異動になってましたが。
9:00、歯医者探し。なんと木曜日のみ午後から!勘弁して欲しいわ。近所の歯医者の休みが木曜日に集中するのはいかがなものか。これ以上探したくないので帰りに寄る病院で薬を貰って帰宅。
10:00、疲労困憊のため、就寝。
20:30、起床。
21:00、「ドクターX」鑑賞。なんか気持ちがわかり過ぎます。脚本と役者の妙ですね。特に岸部一徳が良い味を出しています。
22:00、ブログ記事を執筆。
それと気になったことがひとつ。コチラのブログに触発され、2日に小島資料館へ参りましたので小島政孝さんに近藤勇の孫?石阪清のことを聞きました。すると小島さんは元の資料に記載があったから掲載したとの由。
なぜ疑問に思うかというと、この清という人物は近藤勇五郎の除籍謄本に記載がないからです。極論すれば近藤久太郎が認知すれば一度は近藤家の戸籍に登載されます。つまり母親の私生子扱いということになります。しかし、認知していないので、下手をすれば言ったもの勝ち、という可能性も否めません。母親が「この子は近藤久太郎の子」と言ったところでそれを確認しようにも本人は客死しています。確認しようがありません。個人的にはまずその清の生年月日が知りたいところです。ちなみに調布市は存じていないデータです。
それと、これは調布市の悩みどころなのですが、近藤勇の生家、あるいは近藤家は現在の野水に家があるのですが、殆ど飛び地に近い場所にあり、現在の調布市の住民とは疎遠の場所にありました。なので史料が出てくるのは圧倒的に三鷹市に集中してません。しかし、それを調布市が調べるには三鷹市へ調査することになり、行政の壁で難しいようです。
yahoo知恵袋等でささやかれる「近藤勇書簡集」ですが、個人的には「近藤家史料集」も欲しい昨今です。難しそうですが。
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八柱霊園にある谷中霊園分無縁墓地
最近、聞かなくなりましたが、一時期「墓マイラー」という言葉が飛び交いました。お墓参りを趣味として巡るというものです。お墓にはその方々の人生が刻まれており、その方々の生き様を墓誌から読み取るのもひとつの勉強だと思います。
しかし、最近ではマナーの悪化も叫ばれています。ゴミの不法投棄や、酒等、甘味を持つものを墓石に捲いて、そのまま放置していかれるということです。一説にはとある墓所にアニメかなにかでマヨネーズ好きとされ、それが原因で墓石にマヨネーズがかけられたとか(汗)
ここらへんになると、もう常識を超越して、来る自体迷惑意外なにものでもないと言わざるを得ないでしょう。こういうクネクネした人物は天罰で頭に黴が生えます。
もちろん本格的に掃苔するほど難題はない訳で、私の経験から本格的に掃苔するのであれば1区画が限度です。神式なら榊、仏式では線香等も用意するべきです。
歴史調査をする者でも迷惑な方はいます。その典型例が拓本取りです。これは絶対所有者と寺院墓地なら住職の立会いが欲しいものです。なぜなら、知識がない者が行なえば、墓石の痛む原因になるからです。実際に無断で拓本を取ったのが如実に墓石に残ります。墓石の墓誌にシミのようなものが出来ているケースがありますが、それらは大体がこの無知の拓本取りが原因です。理由は直積墓石に墨汁を塗っていることが原因です。
こういう無法者が増えたため、一部の寺院では寺院墓地について、無断の立入りを禁止しています。あくまでも施錠されていることが前提ですが、立入り禁止は無法者のせいでこうなっています。もちろん墓石泥棒もいますが、これは稀有なケースですがあります。茨城の芹澤家墓所でも被害を聞いています(なお、沖田家墓所は都市伝説なので違いますが)。
ただ、立入り禁止なのは寺院墓地と、区画内に施錠がされている墓所に限定されます。施錠のない東京都霊園は例外となります。見る分には問題はありません(その代わり、自力で探すという努力は必要です)。
そのなかで、東京都霊園墓地を個人の権限で墓参禁止とか訳のわからないことをいう者のブログを目にしました。最近、IPS細胞のオッサンが言い訳につぐ言い訳で恥の上塗りをしているのをよく報道しています。今回の人間もその類に該当する者(仮にダイアーとしておきましょう)で、なにしろ昭和62年に死んだ人間から聞いたと拙ブログに書いたら「2人いるんだモン」と言い訳していました。2人いるなら生年月日と続柄を明かして欲しいものですが、基本的にIPSの方と頭髪も一緒なので、「それは言えない」と言うだけでしょう。だって嘘ですから。
まず都霊園は誰の立入りも制限していませんので「無断」というのがありません。当然墓所に到達するまで自力で探して撮影した訳で問題はありません。当然、そこに至るまでに私有地を通行した訳ではありません。なので墓参禁止にすることが出来ない訳です(区画内立入り禁止は施錠をすれば出来ます)撮影も風景の一環なので、問題は生じません。文句があるなら東京都霊園に文句を言うべきでしょう。あくまでもダイアーが本当に霊界から依頼を受けたのならですが。
基本的に嘘ツキは自分の嘘により、いままでの研究が全否定されます。今回のダイアーもそのひとつで、その研究者(同志社含む)の多くはダイアーを信用しておりません。
なお、ダイアーの作文は会費を払って投稿したものを載せてもらえる(もちろん日本語になっていないので出版社が直しているそうですが)機関誌がその中心となっておりますが、査読がありません。なので嘘だろうが何だろうが「何でもあり」で載せられます。ちなみに「嘘つき」だということはネット、手紙等が証拠となり、かなり浸透してきております。
なお、私が初対面なら絶対信用できませんね。実際に「ダイアーに絡まれている」という相談が年2件以上あります。
このダイアーが過去や現在に至るまで、MIXIや個人の運営している掲示板、WIKIPEDIAで私に対する「いわれもない嘘」で大暴れいたしまして、WIKIでは追放処分となっております。また、あるウェブを運営する方数人から「ダイアーから変な書き込みがあった」とIPアドレス付きで報告がされています。IPアドレスは判明してますので、ダイアーについて、中立的に情報を提供しています。
閑話休題、
話を墓参に戻しますが、墓所の所有者から直接申し出があった場合は多少の考慮はしますが(現在でも区画等は公表していない)、ダイアーの公言であれば100%ウソであると認識します。根拠はこのIPSの方同様の妄言しか言えないでしょう。
前者の迷惑な方やダイアーのような虚言癖のように、墓参に迷惑をかける方は往々にいますが、節度あるマナーで墓参されることを想う今日この頃です。
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26日
7:30、なんか起床。再度眠れないので仕方ありません。
「梅ちゃん先生」鑑賞。どうも世良公則がクランクアップしてから寂しさが沸いています。今月いっぱいはいて欲しかったのですが……。
この後、具合が悪く横臥するも、1分もたたずにふとんが熱くなる…。どうやら熱があることが発覚!薬で対処します。
10:00、「加山雄三のゆぅゆぅ散歩」鑑賞。やはり岡本信人の方が良いです。それと気付いたのは加山さん、手ブラなんですよね。通販目的もあって地井さんはバッグを持ってましたが、地井さん以上に高齢者の加山さんなので手ブラなのか、それともスターだったので手ブラなのか、なんかわかりません。それと、どうも高い位置からの口調に感じられるところですか……。主役ばかりをやり過ぎたせいでしょうね。これで栗塚旭さんも島田順司さんも苦しんだようです。
15:00、病院へ。3人待ちなので薬だけを。1人10~20分かかります。このうち病状報告は1分以内に終わりますが(爆)
16:00、友人に「歴史読本」9月号の当該コピーを添付メールでいただく。最近友人が嵌っている大和屋事件です。私が調査していた時期は5年以上前になります。実際に大和屋の子孫ともお会いしています。ひとつだけ解っているのは大和屋は維新後、別の称号を名乗り、明治42年に火災により建物を焼失しているそうです。ですので2度火災に見舞われておりますので史料はありません。過去帖が唯一になると思います。
なお、菊地明氏が述べている壬生浪士(当時は新選組ではない)関与の根拠は薄弱と言わなければなりません。根拠にしている公用羽織ですが、逆に着ていること自体が根拠の希薄に繋がることを気付いていないのでしょう。
まず、公用に用いる羽織を着ていた場合、少なくとも他藩の御用留にその事実が記されねばなりません。しかし、いずれも「御用留」数件(例えば出石藩、鳥取藩、会津藩庁記録等)を拝見しましたが、すべてに大和屋事件の顛末は記されておりますが、すべて「浪士」としか記載しておりません。つまり壬生浪士(当時は新選組という名前はなかった)とするには薄弱な根拠と言わなければなりません。御用留ですから清書しない限り、当時のものですから誤魔化しようがありません。これは元東京大学史料編纂所長宮地正人氏が最初に提起したものですが、全くその通りで、逆に菊地氏が論じている根拠とする文献は所在を明記せず、不明瞭と言わざるを得ません。
過去の拙ブログ記事でも述べましたが、根拠が曖昧なものは曖昧にする理由があり、今回の事例が好事例と言えるでしょう。
なお、このうち根拠とするなかの1点、「八条隆祐卿手録」は東京大学史料編纂所データベースのうち、所蔵史料DBにデジタルアーカイヴで閲覧することが可能です(リンク貼りができないので東京大学史料編纂所HPからお入りください)。これで見ると、怪しさ満点な記録だということが解ります。№0095に当該記録があるのですが、「聞く」というのは「風聞」を現しているものであり、八条卿が現地確認したものではありません。ひどいものでは、その前文に「二十人計被召取~」とあります。八条卿の記録が正確なら、この召捕られたという記録も正確でなければなりません。この記録を菊地氏が掲出しなかったことに何か意図的なものを感じてしまいます。菊地氏が日記の日付も入れず、部分掲出した理由も、そうした使用してはいけないものにも関わらず、根拠としたのが問題と言えるでしょう。
実は菊地氏が典拠としているものは類似性があります。もしかしたら同時代の同一人の口述の可能性があるからです。その者の虚言に踊らされた可能性が十分にあります。いずれも根拠となるかどうか、史料批判を受ける必要がありますが、どのみち、私の論として、うち1点は間違いなく使用するべきではない史料と言わざるを得ません。
まぁ、この虚言の主が水口藩の公用人だったら面白いのですが、残念ながら水口藩の藩政史料は確認しておりません。一応甲賀市にあることはあるようですが未見なのでいつか確認したいと思います。出典は子母沢寛「新選組始末記」ですが、仲裁に入ったとされる剣術家は実在の人物で、二条城勤番に指導している関係で幕府方に顔が効きます。ちなみに菩提寺は黒谷の金戒光明寺です。
閑話休題、
東大DBで時間を費やしたため、あまり時間もなくなりました。 明日、立川へ参りますのでその準備を終え、メールの返信等を行ったら22:30を過ぎてました。
0:00、就寝。
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「梅ちゃん先生」鑑賞。どうも世良公則がクランクアップしてから寂しさが沸いています。今月いっぱいはいて欲しかったのですが……。
この後、具合が悪く横臥するも、1分もたたずにふとんが熱くなる…。どうやら熱があることが発覚!薬で対処します。
10:00、「加山雄三のゆぅゆぅ散歩」鑑賞。やはり岡本信人の方が良いです。それと気付いたのは加山さん、手ブラなんですよね。通販目的もあって地井さんはバッグを持ってましたが、地井さん以上に高齢者の加山さんなので手ブラなのか、それともスターだったので手ブラなのか、なんかわかりません。それと、どうも高い位置からの口調に感じられるところですか……。主役ばかりをやり過ぎたせいでしょうね。これで栗塚旭さんも島田順司さんも苦しんだようです。
15:00、病院へ。3人待ちなので薬だけを。1人10~20分かかります。このうち病状報告は1分以内に終わりますが(爆)
16:00、友人に「歴史読本」9月号の当該コピーを添付メールでいただく。最近友人が嵌っている大和屋事件です。私が調査していた時期は5年以上前になります。実際に大和屋の子孫ともお会いしています。ひとつだけ解っているのは大和屋は維新後、別の称号を名乗り、明治42年に火災により建物を焼失しているそうです。ですので2度火災に見舞われておりますので史料はありません。過去帖が唯一になると思います。
なお、菊地明氏が述べている壬生浪士(当時は新選組ではない)関与の根拠は薄弱と言わなければなりません。根拠にしている公用羽織ですが、逆に着ていること自体が根拠の希薄に繋がることを気付いていないのでしょう。
まず、公用に用いる羽織を着ていた場合、少なくとも他藩の御用留にその事実が記されねばなりません。しかし、いずれも「御用留」数件(例えば出石藩、鳥取藩、会津藩庁記録等)を拝見しましたが、すべてに大和屋事件の顛末は記されておりますが、すべて「浪士」としか記載しておりません。つまり壬生浪士(当時は新選組という名前はなかった)とするには薄弱な根拠と言わなければなりません。御用留ですから清書しない限り、当時のものですから誤魔化しようがありません。これは元東京大学史料編纂所長宮地正人氏が最初に提起したものですが、全くその通りで、逆に菊地氏が論じている根拠とする文献は所在を明記せず、不明瞭と言わざるを得ません。
過去の拙ブログ記事でも述べましたが、根拠が曖昧なものは曖昧にする理由があり、今回の事例が好事例と言えるでしょう。
なお、このうち根拠とするなかの1点、「八条隆祐卿手録」は東京大学史料編纂所データベースのうち、所蔵史料DBにデジタルアーカイヴで閲覧することが可能です(リンク貼りができないので東京大学史料編纂所HPからお入りください)。これで見ると、怪しさ満点な記録だということが解ります。№0095に当該記録があるのですが、「聞く」というのは「風聞」を現しているものであり、八条卿が現地確認したものではありません。ひどいものでは、その前文に「二十人計被召取~」とあります。八条卿の記録が正確なら、この召捕られたという記録も正確でなければなりません。この記録を菊地氏が掲出しなかったことに何か意図的なものを感じてしまいます。菊地氏が日記の日付も入れず、部分掲出した理由も、そうした使用してはいけないものにも関わらず、根拠としたのが問題と言えるでしょう。
実は菊地氏が典拠としているものは類似性があります。もしかしたら同時代の同一人の口述の可能性があるからです。その者の虚言に踊らされた可能性が十分にあります。いずれも根拠となるかどうか、史料批判を受ける必要がありますが、どのみち、私の論として、うち1点は間違いなく使用するべきではない史料と言わざるを得ません。
まぁ、この虚言の主が水口藩の公用人だったら面白いのですが、残念ながら水口藩の藩政史料は確認しておりません。一応甲賀市にあることはあるようですが未見なのでいつか確認したいと思います。出典は子母沢寛「新選組始末記」ですが、仲裁に入ったとされる剣術家は実在の人物で、二条城勤番に指導している関係で幕府方に顔が効きます。ちなみに菩提寺は黒谷の金戒光明寺です。
閑話休題、
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17日
13:30起床(汗)大丈夫か私!
当然のことながら出来ることは限定されます。なので2ケ所に電話。まぁ、なんとか。
17:00、少し出かけます。実は法務局の申請用紙を切らしてしまい、唯一の原本(旧式)をコピーすることに。とりあえず6枚刷ってみました。
ツタヤへ寄った後に帰宅。さりげなく龍馬本が出ますね。私の書いた足立史談が引用されてました。やはりデータは出しておくものです。足立区に感謝です。その代わり、「歴恥人」の来月号は新選組だとか。またインチキの羅列。ネットのコピペの乱発。出典不明のキナ臭い新発見でしょう。ちょうど「歴史読本」と戦いますね。しかし著者は過去の経緯から考えて同一でしょう。ロンダリングの連発が許されるのが新選組なのでしょう。地下の新選組の方々の感想を聞いてみたいところです。
ところで、友人のブログでも取り沙汰されている「資料」と「史料」の違いってナニ?と思うでしょう。Yahoo辞書で検索してみました。
資料→研究・調査の基礎となる材料。
史料→歴史研究の材料となる文献や遺物などの総称。
わかりにくいかもしれませんが、「史料」は素材、「資料」は素材を加工したもの。例えば、牡蠣(カキ)を例に採りましょう。海で採り立ての牡蠣を「史料」としましょう。しかし、牡蠣は知ってる方、つまり研究者にとっては、食べられるかどうかわからないもの、つまり虫が付き過ぎて食べられないものも含まれています。研究でいえば、憶測や虚言が入っているとわかるものを指します。
そこで必要なのが史料批判です。
史料批判→史料の価値を調べ検討すること。史料自体の真偽や由来などをさぐる外的批判と、内容の信頼性などをはかる内的批判に大別される。
選別する訳ですね。それを選別して卸売りできる状態にしたもの、研究でいえば清書したもの、あるいは活字化したものを「資料」と考えてください。
もちろんアカデミズムの論文、研究紀要にはそれが必要となってきます。当然出典も明かされて、俎上に上げられて他者に確認することを前提に掲載します。各学会ではそれが普通です。
しかし、それがある地方の学会誌と称するものにはない。そして「新選組」などは完全にそれが無視されている。そんななかに「新史料発見!」とか、「私だけ許された史料だ!けど写真は載せないよ♪」みたいのに溢れています。
当初は商業誌で誌面のスペースの都合で割愛されたというのが始まりなのでしょうが、それの発展型がいわゆる「史料隠し」につながります。
「史料隠し」はさすがに辞書にはないので、
史料隠し→公表しているが他者に確認できない状況とすること。あるいは、存在しない、信憑性のないもの、をあると称して、出典を載せないことにより都合よく隠蔽すること。
ということですか。もう新選組に至っては、新たな史料など大して発見できないでしょう。第一、古文書が読めなければ当時史料など発見できるものでもない。せいぜい、
土方(どかた)→土木従事者、土木作業者
を「土方の新史料発見!」とか騒ぐのがオチでしょう。古文書だけではなく、歴史の基本がわかってないから、ありえないことも平気で書きます。「幕府役職集成」等、江戸時代の歴史でありえないことが平気で載るのが新選組です。
ちなみに、新選組ブームの発火源となった司馬遼太郎は「知っていて書いてない」だけです。知識がない訳ではありません。司馬氏は作家であっても歴史家ではありません。ですので江戸時代の常識を破ってもアリなのです。読者を騙せれば成功なのです。千葉さなの例が良いことです。千葉さなが学習院にいたと書いているのは司馬遼太郎だけです。それも誰かから聞いたような感じで書いてますが、誰から聞いたかなんて書いていません。司馬氏に騙されただけです。
まぁ、いずれ、研究家を名乗る「新選組マニア」は「しりょう」は「しりょう」でも
死霊→死者の霊魂。また、死者の怨霊(おんりょう)。しれい。
に縁が出来そうですね。たまに土方歳三が憑依した、なんて方もネットで見ますし。
閑話休題、
21:00、竹内さんから電話。同志社タイムスの原稿を書き上げた由。
22:30、江川名簿でお世話になった方から電話。御礼を述べる。
2:00、就寝。
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当然のことながら出来ることは限定されます。なので2ケ所に電話。まぁ、なんとか。
17:00、少し出かけます。実は法務局の申請用紙を切らしてしまい、唯一の原本(旧式)をコピーすることに。とりあえず6枚刷ってみました。
ツタヤへ寄った後に帰宅。さりげなく龍馬本が出ますね。私の書いた足立史談が引用されてました。やはりデータは出しておくものです。足立区に感謝です。その代わり、「歴恥人」の来月号は新選組だとか。またインチキの羅列。ネットのコピペの乱発。出典不明のキナ臭い新発見でしょう。ちょうど「歴史読本」と戦いますね。しかし著者は過去の経緯から考えて同一でしょう。ロンダリングの連発が許されるのが新選組なのでしょう。地下の新選組の方々の感想を聞いてみたいところです。
ところで、友人のブログでも取り沙汰されている「資料」と「史料」の違いってナニ?と思うでしょう。Yahoo辞書で検索してみました。
資料→研究・調査の基礎となる材料。
史料→歴史研究の材料となる文献や遺物などの総称。
わかりにくいかもしれませんが、「史料」は素材、「資料」は素材を加工したもの。例えば、牡蠣(カキ)を例に採りましょう。海で採り立ての牡蠣を「史料」としましょう。しかし、牡蠣は知ってる方、つまり研究者にとっては、食べられるかどうかわからないもの、つまり虫が付き過ぎて食べられないものも含まれています。研究でいえば、憶測や虚言が入っているとわかるものを指します。
そこで必要なのが史料批判です。
史料批判→史料の価値を調べ検討すること。史料自体の真偽や由来などをさぐる外的批判と、内容の信頼性などをはかる内的批判に大別される。
選別する訳ですね。それを選別して卸売りできる状態にしたもの、研究でいえば清書したもの、あるいは活字化したものを「資料」と考えてください。
もちろんアカデミズムの論文、研究紀要にはそれが必要となってきます。当然出典も明かされて、俎上に上げられて他者に確認することを前提に掲載します。各学会ではそれが普通です。
しかし、それがある地方の学会誌と称するものにはない。そして「新選組」などは完全にそれが無視されている。そんななかに「新史料発見!」とか、「私だけ許された史料だ!けど写真は載せないよ♪」みたいのに溢れています。
当初は商業誌で誌面のスペースの都合で割愛されたというのが始まりなのでしょうが、それの発展型がいわゆる「史料隠し」につながります。
「史料隠し」はさすがに辞書にはないので、
史料隠し→公表しているが他者に確認できない状況とすること。あるいは、存在しない、信憑性のないもの、をあると称して、出典を載せないことにより都合よく隠蔽すること。
ということですか。もう新選組に至っては、新たな史料など大して発見できないでしょう。第一、古文書が読めなければ当時史料など発見できるものでもない。せいぜい、
土方(どかた)→土木従事者、土木作業者
を「土方の新史料発見!」とか騒ぐのがオチでしょう。古文書だけではなく、歴史の基本がわかってないから、ありえないことも平気で書きます。「幕府役職集成」等、江戸時代の歴史でありえないことが平気で載るのが新選組です。
ちなみに、新選組ブームの発火源となった司馬遼太郎は「知っていて書いてない」だけです。知識がない訳ではありません。司馬氏は作家であっても歴史家ではありません。ですので江戸時代の常識を破ってもアリなのです。読者を騙せれば成功なのです。千葉さなの例が良いことです。千葉さなが学習院にいたと書いているのは司馬遼太郎だけです。それも誰かから聞いたような感じで書いてますが、誰から聞いたかなんて書いていません。司馬氏に騙されただけです。
まぁ、いずれ、研究家を名乗る「新選組マニア」は「しりょう」は「しりょう」でも
死霊→死者の霊魂。また、死者の怨霊(おんりょう)。しれい。
に縁が出来そうですね。たまに土方歳三が憑依した、なんて方もネットで見ますし。
閑話休題、
21:00、竹内さんから電話。同志社タイムスの原稿を書き上げた由。
22:30、江川名簿でお世話になった方から電話。御礼を述べる。
2:00、就寝。
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13日
8:40、起床。「梅ちゃん先生」の録画を鑑賞。
9:00、国会中継を聴く。たぶん今回の民主党に不安を持っていると思います。ただ、防衛大臣をプライドを持っているためか、さすがに役人からレジュメを持たずに答弁しています。
14:00、「近時新聞」の原稿を考える。ずいぶん考えた結果、調査の経緯を綴ることを決めました。いままでしたことのない事例ですけど史料の所在を明かすので参考になるかと思います。
17:00、ある程度原稿が出来て、出かけようと思ったら身体がどうもフラつきます。それと寒気も。ついでに女学雑誌の所在が国会図書館以外にないかも探ります。そしたら板橋と豊島にあるらしい。しかし豊島はタイムオーバーでOUT。板橋は常盤台ですので遠距離。本日はあきらめました。
19:00、足立区立中央図書館着。予定の書籍がココにないため、ほかにお願いしていた新聞を。予定していたものとまったく別モノとして有馬藤太の記事を発見する。よくあることです。こうした積み重ねが大事だと思っています。
また「洋学史辞典」でも出典があることは非常に助かります。次回のステップとなります。
21:00、帰宅。同志社のTさんから電話。
かけ直して談話。件の小説について。
まぁ、Tさん曰く「知識がない」と言われるのはいかがなものかと思いますが、あの小説には不可思議なキーワードがいくつも散りばめられている。つまり北海道立文書館の公文書を読んだのならこの間違いはないと。下手をすると会津の観光史学家の史料である可能性があります。その文書が誤っており、それを利用したと。つまり、ちゃんとしたものを見ていれば間違えようのない語句が誤っているのです。
まぁ、小説ですのでTさんも使用は控えるようにと述べてましたが、その通りですね。
Tさんの追求は激しく、過去には吉村康さんが書いた小説「心眼の人、山本覚馬」において、八重と川崎尚之助が東京で会ったという吉村さんが考案したフィクションを確認しています。たぶんTさん以外に吉村さんへ確認した方はどのくらいいるでしょう。ひどい話では、吉村さんの小説をそのまま引用し(このとき吉村氏の作品を引用していないことが多いです)、東京での八重&尚之助ストーリーを史実のように記述している方を見受けます。
Tさんは鈴木由紀子さんにも同様の追求をしましたが、鈴木さんは頑として「根拠はある!」としながらソースは明かさなかったようです。吉村さんオリジナルのフィクションなのですから史実でありようがないのに…。
このあたりからどうも頭が…。クラクラするのが取れておりません。電話が終ったあとに「アンサー」を観ましたが、頭に残らず。
23:30より床に入り、なかなか寝付けず。1:00ころには眠れたか?
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8:40、起床。「梅ちゃん先生」の録画を鑑賞。
9:00、国会中継を聴く。たぶん今回の民主党に不安を持っていると思います。ただ、防衛大臣をプライドを持っているためか、さすがに役人からレジュメを持たずに答弁しています。
14:00、「近時新聞」の原稿を考える。ずいぶん考えた結果、調査の経緯を綴ることを決めました。いままでしたことのない事例ですけど史料の所在を明かすので参考になるかと思います。
17:00、ある程度原稿が出来て、出かけようと思ったら身体がどうもフラつきます。それと寒気も。ついでに女学雑誌の所在が国会図書館以外にないかも探ります。そしたら板橋と豊島にあるらしい。しかし豊島はタイムオーバーでOUT。板橋は常盤台ですので遠距離。本日はあきらめました。
19:00、足立区立中央図書館着。予定の書籍がココにないため、ほかにお願いしていた新聞を。予定していたものとまったく別モノとして有馬藤太の記事を発見する。よくあることです。こうした積み重ねが大事だと思っています。
また「洋学史辞典」でも出典があることは非常に助かります。次回のステップとなります。
21:00、帰宅。同志社のTさんから電話。
かけ直して談話。件の小説について。
まぁ、Tさん曰く「知識がない」と言われるのはいかがなものかと思いますが、あの小説には不可思議なキーワードがいくつも散りばめられている。つまり北海道立文書館の公文書を読んだのならこの間違いはないと。下手をすると会津の観光史学家の史料である可能性があります。その文書が誤っており、それを利用したと。つまり、ちゃんとしたものを見ていれば間違えようのない語句が誤っているのです。
まぁ、小説ですのでTさんも使用は控えるようにと述べてましたが、その通りですね。
Tさんの追求は激しく、過去には吉村康さんが書いた小説「心眼の人、山本覚馬」において、八重と川崎尚之助が東京で会ったという吉村さんが考案したフィクションを確認しています。たぶんTさん以外に吉村さんへ確認した方はどのくらいいるでしょう。ひどい話では、吉村さんの小説をそのまま引用し(このとき吉村氏の作品を引用していないことが多いです)、東京での八重&尚之助ストーリーを史実のように記述している方を見受けます。
Tさんは鈴木由紀子さんにも同様の追求をしましたが、鈴木さんは頑として「根拠はある!」としながらソースは明かさなかったようです。吉村さんオリジナルのフィクションなのですから史実でありようがないのに…。
このあたりからどうも頭が…。クラクラするのが取れておりません。電話が終ったあとに「アンサー」を観ましたが、頭に残らず。
23:30より床に入り、なかなか寝付けず。1:00ころには眠れたか?
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