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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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22日
 帰宅後、作業を。せっかく折り曲げ作業が終っているのでパンチしてファイルに綴じます。こんな作業をせっせとしながら、今回判明したこともあり、法務局に謄本請求も。

 それと気になっている調査未了の案件を少し。もう調査は7年を経過している上羽(かみは)のことを。
 
 上羽家は真砂町23番地の山口家の土地を取得した方で、その後、再度山口家が買い戻しています。

 職業柄調べますと、どうも不動産業者ではなさそうで、最近東京府士族だということがわかりました。

 なお、この当主のうち、上羽貞幸氏については考古学の史料収集家として名前が出てきます。しかし、ルーツ的なところは全く未知になっています。当方の調査で、上羽貞幸氏は慶応2年2月10日に生まれ、一説に田安家家来の谷幸矩氏の次男に生まれ、上羽家に養子縁組し、三女のはる氏と結婚して明治21年に家督相続しています。

 その後、故あって、家督を養父の上羽政房氏が再家督し、貞幸氏は谷家に復籍しますが、養父政房氏の逝去に伴い、再度明治37年に再家督しております。

 この後の事蹟は割愛するとして、貞幸は娘の歌子さんが迎えた婿養子、平八郎氏(実業家富倉林蔵家より)に家督を譲り、自らは谷家に再度復籍し、昭和12年2月24日に逝去しています。

 この後、平八郎氏がどうなったか?その妻の歌子さんが中野区に昭和51年までは存命だった記録は見えておりますが、その後行方は杳として知れません。確認できるところでは勲、アユミさんと、2人の子供がいたようです。

 個人的には上羽家の家系と元身分、山口家との関連に興味があります。確認できるところで、

 上羽松次郎→上羽政房→上羽貞幸→上羽平八郎

までです。現在は墓所も分かりません。貞幸氏の実家、谷家は現在多磨霊園にあるようです。

閑話休題、

6:30、就寝。

14:00、起床。食後、作業を再開。

15:30、出版社に電話。アポを取ります。

18:00、郵便物の投函と買い物。

19:00、昨日寄った始町の方よりお電話。大変勉強になります。おかげで意味合いが繋がってきます。もう一度来訪を約束。

20:30、昨日借りた3本のうちの1本「ワイルドセブン」を観覧。ウチのぼろテレビのせいか、音量不良(泣)それと宣伝長過ぎ!!内容は佳作か。なので続編がない雰囲気が感じられます。

23:00、食事の後、ブログの更新。

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