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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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6日
 毎年恒例の咸臨丸子孫の会の年1回催される総会に出席いたしました。

 私のイメージでは霞ヶ関ビルなのですが、本年は地元ではう○こビルという名前で有名なアサヒタワービルの22Fでした。

 実はこんなに話題沸騰なのに一度も近づいたことのないスカイツリーを間近で見ることが出来ました。さすがに地デジ化もありますのでアンテナは完成していました。

 さて、総会は会計報告と活動報告ですが、恥ずかしながら昨年の私は体調不良が重なり、横須賀と浦賀のみ参加いたしました。報告では驚いたのが、交通費を会で用意していたにも関わらず、講師のひとり、ブルック氏は渡航費用を自費で来られたということです。

「呼んでいただいたのだから…」

という気持ちに新たな感動を覚えました。原稿はあったとしても前座と対照的で、原稿が頭のなかに入っていたのでとまどうことなく訥々とお話しいただいていたのが印象的です(なお、ブルック氏は英語のため、逆に英語圏、耳の不自由な方のために同時通訳と手話が一緒についていました)。

 こうして会計報告も終り、9月の木古内行きが強制的に決まり(汗)、少し書籍を置いていただいたものもすべて完売させていただきました。ここに御礼申し上げます。共通の知人がいることから仲良くさせていただいているMご夫妻に「うさん臭い人物」についての人物照会あり。その通りと回答しました。なお、このご主人は昭和49年(1974)に起きた三菱重工ビル爆破事件の目撃者でもあり、これを主題として小説「爆風」(ペンネーム・沖島信一郎)を出版されました。読むのが楽しみです。ちなみに先日訪れた警視庁参考室にもこの事件のコーナーがありましたことが印象的です。


 なお、今回のお店はイタリアンだったのですが、霞ヶ関ビルのように先手必勝のビュッフェスタイルではありませんので十分にお腹も満足いたしました。

14:00にいったん解散となり、2次会に。ずいぶん話も盛り上がり、16:00に解散。

 ちょうどこの後、寄りたいところがあり、浅草のSという寺院に。墓参ですが、該当氏名を見つけることが出来ませんでした。というか、5基あり、判断できなかったのが実情です。

 で、久々に我が故郷の近所に参ったのですが、この側に流れているのが山谷堀でして、昭和50年代までに吉野橋まで、昭和60年代までに完全消滅しています。しかし、一部隙間が開いて開渠の部分が存在します。意外と気づかないと思います。暗渠ブームのなか、子供のころからドブ川をよく知っていたので判ります。でもここ数年で埋め立てられているのも多いかも知れません。

17:30帰宅。笑点鑑賞後、悪寒が、そのまま19:30まで就寝。これで逆に目が冴えてしまい、「千葉の名灸」を2本翻刻しました。さなの項目は終り、千葉束の項目に入ります。

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