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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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2日
 具合悪し、軽い食中毒もあり!1日中横臥!

以上。たぶん書いても面白くないので割愛します(汗)

閑話休題、

 きょうは個人的に恐れていることを申し上げます。

 まず、最近知ったのですが、「坂本龍馬検定」なるものがあるとか。坂本龍馬検定の内容はコチラですが、コレっておかしくないですか?幕末史で判明していることもありますが判明してないこともある。で、参考書の多くが新人物往来社???

 この本には

山村竜也

も関わっているのですよ。なにせNHK大河ドラマ「龍馬伝」では島津久光を薩摩藩主にした男です。

 一番有名なのが会津藩糞尿降伏説ですね。戊辰戦争で会津藩が降伏した理由は城内に糞尿が溜まったからだと…。扱いはTBSとされてますが、コチラの文書で関与、正解是認者ということが確認できます。

 最近ようやく歴史ファンが増えてこの男の低脳ぶりが暴露されてますが、こうした古文書はおろか、変体かなも読めない男が検定に関わっているということは回答も誤ったものが多いという結論になる。
 
 ただ、これは坂本龍馬なので、まだ検定担当には良心回路を持った御仁も含まれますが、来年は

新選組検定

も作られるとか。噂ではメインは新人物往来社で怪しげな論説(傍証確認できないことしか書かない説)をアジる有名なあの方らしい。古文書読めない(読めるフリはするが)、独断と偏見で勝手に話を作ってしまう有名な御仁です。これが関わるということは結果的な捏造が生まれ、それが定着する可能性がある訳です。

 過去に試衛館の場所が市谷甲良町に定着させた実績を持った御仁ということは述べておきます。近藤周助が勇を養子に貰う際に交わした文書に「市谷甲良屋敷地面内」とあり、牛込区史等、行政刊行物や公文書で現在の市谷甲良町≠市谷甲良屋敷であり、定法通りに調査すれば常識的にありえないことが速攻で判明するのですが、修正するのに5年かかりました。

 今年、私は木古内町づくりサミットに招聘され、「正しい史実でなく町起こしをすれば歴史事実の修正は困難になる」と述べましたが、こうした恐ろしい策謀がめぐらされていることに驚愕しています。

 日本人は何しろ権威好き、資格大好きですから、それが役に立たないものであっても受験者はけっこういたりします。こういうのって所謂受験勉強みたいなもので、実際の史学にはまったく役に立たないのはご存知の通りです。実際に江戸歴史検定1級と呼ばれる御仁が幕府役職集成や江戸切絵図が理解できないのと一緒です。

 怖いのは誤った回答が定着することです。史学を学んでいれば100%ありえないことが一般に定着することで、修正が困難になるということです。

 あと、時代考証学会というのが存在します。まだ立ち上がったばかりですが、すでに新選組糞尿録でありえない史実(司馬史観でもない)を黙認した大石学氏であることは述べて置きます。

 まだ立ち上がって間もないのでどのように進むかが微妙ですが、少なくとも善意の学会になって欲しいものです。下手をすれば責任転嫁の温床ともなります。誤っていても権威で押しつぶすことが可能となる訳です。

 例えば昨年2月、「千葉さなの錦絵発見記事」というのがありました。これは記事を拝見して別人だと判明してましたので発表者の宮川禎一氏にこれを提示しました。宮川氏は権威で私を塵芥の類として黙殺することはせず、誤報だったことを「歴史読本」で発表しました。こういう事例は稀な方で、大抵は押しつぶそうとします。それから長い闘いが始まるということはママあるのですが、決して悪意の学会にならないことを切に祈ります。

 こうして暗黒星雲の彼方に史実発見の芽を潰す、明らかな誤りを史実と押し通す、こういうことが出来るような仕組みが生まれかけていることに警鐘を促します。平成の悪事とならないことを切に願う今日です。
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4日
 どうもなかなか眠れません。というか、感染症と頭痛から来る歯痛がかなりキツく眠れる訳がありません(汗)

 こんな感じで結局7:00まで眠れずにいました(汗)

13:00、電話で起きる。

17:00ころにやってたニュースでアライグマが自然繁殖しているとのニュースが報道されていました。このアライグマの糞尿で人間が感染症を起こすそうです。どうも糞尿というと糞尿男を思い出します。確かにインチキな文章を散らばめて人間の知識に勘違いに感染させるのでしょう。ギャラで歴史を変える男、NHKとズブズブに癒着していることをこの糞尿男のブログで知りました。不幸中の幸い、24年度大河「八重の桜」の試験モードだと思われる山本なつみ脚本のBS時代劇「塚原ト伝」には時代考証に採用されなかったようです。

 でも、大石学も最近「時代考証学会」みたいなことをしでかしており、インチキを平気で流布することが進みそうで怖いです。簡単に言うと、「間違ったことをしても文句を言わせない態勢」を作ろうとしているものと考えます。最近は民意が勝つことも増えています。インチキにはNO!と言えるようになりたいものです。

18:00、台東区立中央図書館へ。郵便報知新聞のバックナンバーを閲覧。恥ずかしいのですが、空腹のめまいが…。なんとか閲覧の目的は果たせました(汗)

20:00、書店に寄ったあと帰宅。我が家近くにある書店は幕末が嫌いなのでようやく糞尿男の書籍がなくなりました。誤った情報が伝播することはいけません。糞尿男+PHPのセットの場合は要注意です。縁故で書いているのでやりたい放題です。良識ある読者なら「歴史人」の最低レベルの文章でその実力が解るでしょう。

 でも思うのですが高校レベルの知識もないのに時代考証が出来るという現状に怖いものを感じています。

「僕は調べない主義」
「ネットから適当に取って繋げて書けばソレでいいのだ」

 こういう御仁が権威を持とうと画策しているのが現状です。良識あるプロデューサーが出ることを祈るのみです。

23:00、撮り貯めた「ぼんやり~ぬTV」を鑑賞。腹を抱えて笑うことに。9月14日放送分ですが富澤と伊達に子供が分かれる際、全員が伊達に付いてひとり富澤がカレーを作る。そして目を離した隙に子供が富澤の鍋にちくわ、キムチ、納豆、バナナを入れていく…。涙まで出てきました(笑)

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30日
10:00、起床。けっきょく前夜は1:30まで眠れませんでした。

 少しして金沢の近世史料館へ電話。史料の閲覧について問い合わせます。スムースに話は通り、問題はなし。

 千葉家関連のメールをいただく。思うのですが、千葉家関連のものは平尾道雄氏の作品が基本として、その後は一切研究をされた形跡もなく、想像と妄想で形成された千葉さな像になっています。平尾氏が悪いのではなく、平尾氏は素材を提供していただいた第一人者であり、氏の研究努力があってこそ、坂本龍馬の研究に資することもできると言えましょう。しかし、尾佐竹猛氏のような人物が生まれることもなく、史料がないから作り放題、ひどいのに至っては司馬遼太郎氏以下の作家のフィクションさえも史実のように掲載される始末という状態です。

 なので、千葉家の論文について、「千葉佐那」表記があるものについては一切の信用を置いておりません。皆様も参考になればと思います。

 その後、福井県立文書館への問い合わせ。ちょうどこんな企画展示が行われています。御用日記に興味がありますが、全体的な俯瞰は次回以降になりそうです。対応にも好感が持てました。

14:00、野田さんが首相指名を受けてから出発尾久駅から浦和駅に参ります。ここからバスひとつ分乗車して県立浦和図書館へ。実はこのとき風邪をぶり返してヒィヒィしてたので、あの階段は堪えました(汗)

 この図書館にある埼玉資料室に赴き、市史等を閲覧。川口市の文書が気になり、市役所へ電話。違う部署へ電話するように指示。まぁ、いいでしょうと文化財センターに連絡。するとここではない電話番号を指示されます。まぁ、いいか、とかけます。すると…

文書非公開

との由。せめて目録はというと、これも非公開という。

 さすがに風邪も手伝い瞬間湯沸かし器が発動し、理由を聞くとこんな感じでした。

「剣術関係の文書の数が知りたい」
「そんな文書はない」
「嘘つけ、市史に剣術関係の翻刻文書が載ってるでしょ!」
「………」

 こんな感じです。それもこの御仁は「資料整理中」という理由を根拠にしてました。だったら目録は関係ないでしょう。そしたら上の指示だから見せられないという。理由を聞いても知らないという。

 で、またたらい回しにされて違う部署に電話を掛けます。すると

個人情報だからダメ

という。ちょっと待て、今回の目的は近世文書で、かつ対象文書は個人(故人)情報?に触れることのない文書である。そしてそれは一部が写真掲載されているものである。しかも今回問題にしたのは目録である。おかしいだろう!!

 こんな感じでさきほどと違う理由を述べられたりして、言質がバラバラでいい加減なことをしている川口市に怒り心頭。とりあえず折り返し電話ということで鉾を収めました。というより3~4年前まで一般の閲覧に供していた訳ですから、変な圧力がかかっていることは間違いありません。

 こんなくだらないことで時間を潰し、図書館である程度の書籍の確認も出来たので、県立文書館へ。登録証の期限が切れたので更新しました。

17:00、同館を辞去し、バスで浦和駅へ。この浦和駅もずいぶん様相が変わりました。尾久駅に着いたあたりから身体が少し楽になりました。悪い汗をずいぶん掻きましたので。

18:00、帰宅。「足立史談」の校正が届く。明日用事もあるので博物館に直接持って行くことに決める。

21:00、なんでも鑑定団を観る。今田耕司に代わってました。よく間に合わせたものと感心します。先週まで普通に島田紳助が出てたのですから凄いものです。

22:00、風邪気味だったのでずっと横臥。0:30ころ、睡魔がやって来て就寝。

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30日
11:00、起床。

11:30、東京都より連絡あり。ある一定の結論。これで話は纏まりました。少し「千葉の名灸」に反映できると思います。

 基本的に役所というのは前例を作らない、特に自身の在任中は!ということが強く出ています。特に独裁的知事、区長なんかで顕著に出ます。あとで独裁者によって詰問されることが怖いのです。間違ったことはしていなくても、叱責されれば自身の出世に影響します。

 これが役所感覚なのですが、学究的な見地からは大変です。

 ともあれ、一定の結論が出たことでようやくストレスの一部が解消されました。

 こうして日程を見ると、このストレスもあり、時間的にかなりぎゅうぎゅう詰めになってることが解りました。3日は講演&水戸で調査。4日は大腸検査のため、1日活動は難しそうです。5日はKさんと八柱霊園に。6日はJICCの講演を聴講。9日は食事会。10~12日には出版社に校正原稿を持参+嵐山町への調査と激しいです。

 この日はなんとなくダルくて動きが緩慢でした。

17:00、意を決して台東区立中央図書館へ。維新日乗纂集と鈴木大雑集、藤岡屋日記を閲覧。ギリギリになって退出。その際、リサイクルブックに、精神学論集を発見。ちょうど本居国学と平田国学が入っているものでしたのでいただきました。まともに買ったらけっこうな値段がしますので助かります。

 帰路の途中でハナマサに立ち寄ります。ここでしか鴨肉を見かけないので購入。けっこうな値段です(汗)まぁ、1ヶ月持ちますが…(汗)

18:30、帰りがけに荒川区立南千住図書館に立ち寄る。いくつかコピーをして北千住方面に走ると雨…。

 緊急避難でコンビニに待機。20分くらいしても止みそうもないので今度はスーパーまで。濡れた身体にス-パーの生鮮品売り場は堪えます。

20:00、帰宅。雨で疲労が重なりダウン。快復しようとTVを見るもダメ。鉾田の資料作りが出来ません(汗)

23:30、就寝。


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27日
11:00、起床。睡眠薬が効きすぎました(汗)

 そんなものだから頭の回転も遅く、それでも既存のファイルから必要な部分を抜きます。大まかに予習できてきました。

 なにせ3日に講演も迫りましたので大体の話の形は決めております。裏取りでいくつも資料があるのでややこしいのが難点です。180度違うものがあったりと、また浪士組名簿でも同様です。

 浪士組名簿はその性質上、自身で作ったものより作ったものを写したものが多いので、芹澤鴨の年齢が32歳説が多くなるのはそういうことでしょう。

 長岡勢も小金屯集から始まりいくつか変遷がありますが、おおまかな首謀者はわかりますが、誰が首謀者として相応しいのか決めたのか、悩むところです。ややこしいところでは神官組はほとんど名前が出てきません。玉造勢については安政5年に中野仲が小石川藩邸に訪れたり、同6年には野口哲太郎が切腹未遂を起こしたりと、チラホラしています。

 玉造勢自体も幹部と行動を一にしない部分が万延2年の献金活動だったり、それが東禅寺事件の資金に使用されたりと、幹部の構想と必ずしも一致しないことも多くあります。当然扱いはこの日を契機に過酷になります。

 普通なら死んでる方も多かったようです。たくさん幽囚中に死亡しています。そのなかで生き残ったのが芹澤鴨や新見錦だったのでしょう。

 でも、この玉造勢に参加した人間で後世まで生存した方は少なかったですね。唯一私の手持ち史料に本間栄七のものがあります。不思議な縁で、慶応4年には山岡鉄太郎の手下となります。

 もちろん2時間の講演ですが、どこまでお話するかは自身の能力になるでしょう。

 で、連絡を寄越さない東京都へ連絡。担当が替わったとかで16:55に返信があり。…というか、25日に決まったことを覆したり、八柱霊園事務所に責任転嫁したり、怒ること暫し!たぶん個人感情だけで対応されているのでしょう。この報復もあることを前提に対象も必要なのかと夜、布石を打つ。発動したくはありませんが……。ただ徹底的に抗戦します。これは宣言します。

 そんなことをしてたら時間は過ぎて、気がついたら18:30!急いでリフォーム屋へ行くと業務時間短縮で閉店…。仕方ないので図書館で本を借りました。今回の茨城の史料として使います。

 それにしても改めて現在の鉾田市を見ると旗本の相給地が多いですね。大洗に近いところには守山藩(松川藩)があり、石岡藩の飛び地もあります。水戸藩領はかなり少ないですね。このあたりが天狗党の発生の起因と関係ができるのではないかと思います。

 この表が22:30に完成。

 しかし、この後、なかなか眠れず、探し物も見つからないままにあきらめて3:00就寝。


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