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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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5日
9:00、起床。体調不良と疲労と睡眠薬効果で汗だくに。

10:30、警察署へ。講習受講の手続きを行いました。昨日にアポを取って正解でした。さすがに3年毎の更新ですので必要書類を忘れています。写真を近所の機械で撮って午前中で終了。

12:30、コンビニに寄った後、帰宅。そろそろ仕度しなければいけません。

 で、各種連絡。知人より福島は福島民友、福島民報、双方に掲載されたことを確認しました。ほか、出石のアクセス調査や、その後の米沢関連も連絡。

16:00、体調に異変が起こり、就寝。身体が衰弱してますので抗生物質を投与。

19:00、復活。

20:00、蕎麦で食事。くわいの天ぷらがサツマイモ見たく甘めになりました。

22:35、出発。本当は予定がズレてしまい困惑しました。なにせ不摂生からファイルが見つからず、いやはや焦りました(汗)

22:49、西日暮里から山手線に乗車。なんと御徒町駅で飛び込み!!やめてくれ~!…と思ったら御徒町駅の駅員のおかげで事故は未然に防げたようです。偉いぞ御徒町駅員!ということで東京駅到着は23:06。


 見ての通り満席です。数少ない夜行列車は旅雑誌が煽っていることもあり盛況です。

23:10、大垣行きのムーンライトながらに乗車。本日は1号車です。昨年寒い思いのしたので凍えないことを祈ります(汗)

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14日
7:00、起床。昨年は朝食がありましたが今年は辞めてしまったので隣のコンビニで弁当を購入。鳥めしで小さなのがありまして良かったです。関西なので兵庫産の鶏です。関東だと群馬産になります。

9:10、マッサージチェアを堪能後、チェックアウト。すると目の前で電車に行かれてしまいました(汗)まぁ、6分後に来ますのでそれを待ち、浜大津で乗換え。時刻表を見ると、乗り過した電車でもいま乗った電車でも乗り換えは変わらないことに気付きました。で、ようやく来たと思ったら四宮停まり。面倒なので四宮でまた待たされて、ようやく来たら京都市役所前行きでした。どのみち問題はないのでこれに乗車。終点に着いたら凄いことに停車30秒後に車内の照明を消しちゃうんです(汗)そしたらまだ降りきれてない客がいたようで一瞬灯りがついて、また消灯。で、ドアが閉まったら車内照明を点灯して回送されて行きました。非情な掟が京都にはあります。


 下車後、山本邸跡を撮影しました。意外にわかりやすい場所です。ちなみに山本覚馬が居住する前に住んでいたのが新門辰五郎です。徳川慶喜に従い上洛し、居住した場所です。維新後は京都府知事となった槙村さんの地所になっておりました。

 ここからバスに乗り法務局へ。地所を確認すると、山本邸は途中で場所を移っていることが判明。ただし、住居跡は御池通りの拡幅のために消滅しています。

 驚いたのは、閲覧コーナーが半分以上縮小されてたことです。もう閲覧というシステムが終焉しかけています。ちなみに現物で見れた紙公図も現在はデジタルデータのカラーコピーとなりました。まぁ、今回取得した場所はそれでも良かったのでそれを受け取りました。

 その後、法務局で土地台帳の写しの取得で30分弱待たされて、少々私に不安がよぎります。なにせ12:25のトワイライトエクスプレスに乗車するからです。サンダーバードで追いかけるのは勘弁していただきたいです(汗)

11:50、ようやく出来上がって法務局を辞去。早足でバス停に行き、11:55にバスへ乗車。で、京都駅に12:22に到着。当然走って京都駅の改札を潜ったのが12:24!!運の良いことにトワイライトエクスプレスが到着するホームは改札前のの0番線ホーム。ホームに着いた途端、目の前を機関車が通り過ぎました(汗)

 本当にギリギリ、車内に乗り込んで指定してある号車の個室に入ります。乗車印象ですが、少しリニューアルされてました。床なんかが綺麗になっています。嬉しいことです。着席してからも乗り心地は悪くありませんでした。

 で、今回乗車した客の7~8割がツアー客でした。なので服にワッペンの着いた乗客を多く目にしました。車掌が来るまでドアを開けておいたのですが、車掌も説明が大変なのか来るまでに時間がかかり、添乗員なんかもお話されているので、聞こえてくるだけでは誰が車掌かわかりません(汗)

12:55、ようやく車掌が到着。車掌が来ないと部屋の鍵が受け取れません。これでひと安心。ようやく部屋を閉めて食堂車へ向かいます。


 このトワイライトエクスプレスの最大の売りは「昼行列車の食堂車営業」です。いまはこの列車しかありません。それもスタッフもキビキビしていているだけで気分が良くなります。


 夜にディナーがあるのでご飯系を抜いてみました。ビーフシチューは少し味が変わったかもしれませんが肉を含めて具が増えたような気がします。感動したのがポタージュです。往年の「白山」でいただいた味になっています。前回は違う味だったのですが、研究されているそうです。少し感動しました。

 また食事中にグッズの販売もあり、売り切れる前にここで購入。ツアー客が多いためか(基本的にツアー客はディナーが高額になるためランチに集中してます)、グッズ販売が回ってくるのが遅いこと…。ちなみにココでシャワーの予約やディナーの確認、朝食の予約も行いました。

 …と、いうことで14:00ころに部屋に戻ることができました。ここで上段のベッドメイキングをしてたら睡魔が…

15:30を過ぎたあたりからおやつとコーヒーの車内販売があります。これで眼が覚めました。ありがたいことです。サロンカーの芋洗い状態が嫌だったので助かります。

17:00ころより本来は日本海が見えるのでしょうが、すでに漆黒の闇です。せっかくなので、あしたの札幌での提出書類を作成していました。意外に暇を感じませんでした。

18:40、長岡駅の自販機でコーラを購入。車内の自販機は伊藤園で、炭酸はペットタイプではないので枕元に置けません。

19:30、ディナータイムです。はじめての秋メニューです。
 (あとで知ったのですが、大阪発では最後の秋メニューでした)


カニとアボガドのガトー仕立て柑橘ソース

根セロリのスープ秋栗とトリュフ添え

イトヨリのサフランソース

仔牛のクレピネットと胸線肉のトルテュ仕立て

あんずのコンポートを詰めたプロフィトロールとバジルのアイスクリーム

 今回感じたのはこの秋メニュー、「ダイナープレヤデスの挑戦」という感じに受け取れました。特に前菜やデザートは複合的に味わってこそ美味であり、単品だとクセが強すぎます。クルーに聞いたところ、肉料理を煮物で出したのは初めての試みだそうで、スパイシーな味わいでした。途中で抜けるからさっぱりするのですが、良いメニューに出会えました。

20:30、部屋に戻り、明日の準備をいたします。ベッドメイキングは各停車中に行いましたのでもうあとは寝るだけです。ただベッドの狭いこと!高さは583系で、幅は往年の20系というところですか。ただ、シングルツインのメリットとして毛布が2枚ありますので、少し寒気がありましたが21:00にはしっかり睡眠に入りました。

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13日
7:30、起床。昨日の体調が影響しています。ただ後遺症がないので助かります。

10:00、ホテルを辞去し、二条からそのまま1時間かけて本日泊まる宿泊施設へ荷物を置きます。駅前なので楽です。ただ、帰りが接続が悪くて1時間を超えました。

 それでも京都市役所前で降りて山本覚馬邸跡の写真を撮ろうと思ったら丸太町方面のバスが来ました。これ幸いと乗車して丸太町で降ります。御所方面へ少し歩くと新島旧邸です。


 ここは京都にあってなんと無料で見学できます。曜日は限定されますが、とても良い状態で保存されています。中にあるオルガンはなんと新島八重が弾いていたと聞いて驚きました。

 ここでけっこうガイドさんとお話いたしました。今回情報としてためになる話が聞けたのでとてもよい収穫でした。その後、別館の新島襄の遺品コーナーを見てたら12:40になってる……(汗)急いで同所を辞去し、丸太町のバス停に着いたらちょうど祇園四条駅方面行きのバスが来る。それに乗って祇園四条駅に。で、休日なものですからけっこう混みまして、京阪に乗って目的地に着いたのは13:20。実は京都龍馬会のパレード見学をしようと思ってたのですが時間的にOUT、追っかけたらすでに帰りの状態でお会いして、休憩室でまったり。


 こんなほのぼのとした感じでした。ちなみにパレードは20分で終了したとか…。もう少しやりましょうよ(汗)


 で、この休憩場所にあるのが竜馬通り商店街です。この日はお祭りですので活気がありました。この付近はいくつも商店街が拡がり頑張っています。ちなみに画像左手のオッサンは何故か写真を撮るまで動こうとはしませんでした。私の撮る写真に写るメリットはこのブログに期待したのか……(爆)

 せっかくなので、この後、伏見散策を行いました。すると知らない間に石碑がチラホラ。


 このような石碑が出来たのは当然知りません。当時お金があったのですね。ちなみに奥左手の建物が「復元寺田屋」です。


 昼間だけあって賑やかでした。


 その対岸に今年できたのが龍馬&お龍の銅像です。寺田屋を見ています。

 それを見てたらそばに三十石舟乗り場が。最近ミーハーになったのか、つい川下りをしてみたくなりまして、これに乗船。14:40、舟は出発。


 こんな感じで天気はあまりよくなく、水も清流ではありませんが、魚が多いようで、岸辺には多くの釣人がおりました。途中で豪川に合流して、いまは使用したら大惨事になるであろう閘門でいったん下船。資料館やらを見学しました。


 この付近で戯れてるネコです。ネコがこの付近に多い理由は釣人から釣った魚を分けてもらえるからのようです。

15:10、舟を下船して、商店街を抜け、間に合うかどうかわからないままに五条の新選組記念館に行ってみました。案の定閉館してました(汗)で、時刻は16:40。さすがに見るには暗すぎます。なので山本邸跡をマーキングして「ほりいけ」で食事しようと三条へ。すると「ほりいけ」は既になく、代わりにスープカレーのお店になってました(汗)アララと思いながら山本邸跡を確認。その後どうしよう…と思ったときに、

「そうだ、水炊きをいただこう!」と意を決し、近所のお店に行くも、一人客はお断りだとか。こうなると意地になって、昨年いただいた八坂神社周辺の店にしようとバスに乗り、祇園四条駅へ。でも八坂神社まで歩くのが面倒になり、携帯で検索したら、宮川町に軍鶏すき焼鍋を得意とする店がある。ならココに行こうと予約をする。18:00開店で、現在が17:40。まぁちょうど良いかと宮川町まで歩きます。途中の公園で溜まったメールの返信をしてたらちょうど良い時間となり、日曜の寂しい宮川町を少し歩くと右手にありました。「水源亭」です。

 さっそく通されカウンターに座ります。オプションをどうかと薦められるも、見た目と違い満腹注意報の腹を抱えた私ですので、ヒラタケなら大丈夫と、それをオプションで頼みました。高価な国産マツタケもありましたが、あまりいただけないヒラタケの方が魅力的です。きのこ狩りすると失敗して毒きのこを掴みやすいのもヒラタケだったりします。


 さて、準備も整いまして、従業員の方に作っていただきます。途中よりご主人が担当され、壬生の方もお越しと聞きました。けっこう話上手なご主人で、食事だけでなく楽しいひとときも過せました。料金も夜のコースではリーズナブルな方と思います。

 で、気がついたら19:30を過ぎてました。ここから木屋町通りを歩いて「龍馬」へ。何度もお会いしてますが、これはお約束。しばらくするとお客さまも増えてきて、気がついたら22:00、電車の関係もあり、ここで辞去。帰りにお土産までいただき感謝しきりです。ありがとうございました。

 で、歩いて京都市役所前から電車に乗り、今回は乗り継ぎもよく、38分で粟津下車。駅前のコンビニで買い物後、チェックイン。唯一お気に入りのマッサージチェアを堪能してから部屋に入り、明日の準備をして0:30、就寝。

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12日
7:00起床。この日のために体調を整えてきたので少し楽です。

8:40、家を出発。なんかタクシーが捕まらず焦る。急いだりしてたので腹痛が…。なんとかタクシーに乗れて西日暮里駅から東京駅へ。

9:40、プレミアムドリーム号に間に合い、一路京都へ。2F席ですがプレミアムなだけに各席にコンセントがあります。

 少しして東名入口付近で渋滞…。そして何度も停留所に停まり、しっかりと満席状態に。

 足柄SAで休憩後、1:20遅れという情報を聞く。

 そしてここからは順調に進みます。浜名湖PAで1:10遅れに。

 で、三ケ日で乗務員が交代、道路は順調です。遅れていた関係で名古屋港の景色が印象に残りました。雲が飛行機の影響でいくつも切れ目が付いています。

 最後に甲南PAが最後の休憩。ここで50分遅れに縮まりました。

 しかし…草津ICで事故渋滞。追突事故だったようです。

 結局、当初の遅れとほぼ同じ18:23に京都駅に到着。降りると祇園方面行きのバスがいました。これ幸いとそのバスに乗り込みます。このあたりからようやく腹痛も収まりました。

 さすがに混雑シーズンです。バスが進まないこと…。祇園バス停に到着したのが18:56です。会場に向かう際、混雑シーズンですのでなかなか歩道も前に進まない…というか、観光客に言いたい。4列で歩くな!完全に歩道を遮断しています。こういうのに限ってアチコチ店の陳列を見てるから速度が鈍い!ちょっとムカつきました。


19:03、京都龍馬会の懇親会場に到着。本来はその前に提灯行列があったのですが、さすがにバスなので間に合わず…というより坂本龍馬の葬送コースは上り坂なのでいまの私には無理です(汗)ちなみに食事は豪華でした。洋食店ですので美味しいことこの上ないです。

 ここではじめて竹本知行氏とお話ししました。幕末の軍事史と大村益次郎の研究家です。近時新聞で一緒してます。見かけとのギャップが面白い方でした。勉強になることもしきり。で、竹本さんの紹介で霊明神社の宮司、村上さんをご紹介いただきました。村上さんも千葉一胤が勤めていた体育場に先祖が生徒として入場していたことを聞きました。本当に勉強になる懇親会でした。

 懇親会は21:00に終了。さすがに身体が持たないので電車を乗り継ぎ二条のホテルにチェックイン。きょうは腹痛もあったので念を入れてマッサージを頼みます。そうすると混雑が激しく23:55に来ました(汗)さすがにマッサージ師さんも延長の話は一切せずに終了しました。

 終了後、明日の支度をして1:00就寝。

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4日
7:30、起床。昨日の疲れを引きずっています。

9:10、ホテルを出ます。徒歩で近世史料館へ。

 ここでヘマを。なんと近世史料館の開館は10:00!まだ40分あります。仕方ないので歩いて繁華街に出て、スタバを見つけましたのでここで休息。目の前がバス停なので時間を合わせます。

10:00ジャスト、近世史料館に入ります。すでに昨日申請していたのでスムースに文書を見ることが出来ました。

 しかし…一番注目した稽古帳が軽く見積もっても100丁以上ある…。全部撮影は無理と判断(それでも200枚以上は撮影している)。11~1月までは全部撮影して、あとは必要部分のみとしました。山岡のバックアップもありますから千葉之胤の名前もチラホラ。村上俊五郎は養子の三郎とともに出席率は高く、清河八郎の実弟、斎藤熊三郎の名もありました。
 意外だったのは小田井蔵太です。彰義隊頭取ですが上野戦争直前に脱出したことで有名です。晩年は福島で亡くなりますが明治17年に東京にいたのですね。

12:20、この撮影が長引いてようやく辞去。外は雨。運良くタクシーが通りかかり、それに乗ってホテル→駅と入りました。

12:53、もったいないですが、時間を取り戻すためにサンダーバードに乗車。ついでに携帯電話の充電もします。本日は長旅ですので携帯の充電は必須です。

13:40、福井駅着。バスは14:03(アオッサ前、福井駅前は少し歩くそうです)なのでもう土産物の買い物を。



 ちなみに江戸城と同じく、福井駅も福井城の外郭に入り、停留所となるアオッサも桜木御門があった場所だそうです。

14:03、バスに乗車。このバスは目的が限定されるため無料のバスだそうです。

14:27、図書館に到着。ずいぶん田舎のようですが、位置関係はまったくわかりません。放置されたら大変な場所だということだけはわかります。

 さっそく図書館内にある文書館へ。事前アポを取っていた関係で話はスムースに進み、さっそく御用日記を閲覧。残念ながら千葉重太郎の記録が出るかと期待するも該当なし。正確には元治~慶応2年末までは未見に終わったのでそこにあるかはわかりません。何故か斎藤弥九郎とは接点がありました。坂本龍馬が絡んだ部分は3点、怪しいところが1点あります。また、会津藩の公用方が頻繁に接点を持つのは面白いです。慶応3年12月15日に最後の挨拶があります。伏見大坂への撤退する日です。こうした部分に感慨を覚えます。

 ちなみにここでは研究紀要もいただき、やさしく接していただき感謝このうえありません。ここに御礼を申し上げます。

17:32、終バスに乗車。17:57にアオッサに到着。


 次の電車までに時間があったので食事を。駅内の喫茶店で出しているハヤシライスです。卵入りをいただいたのは初めてですが、オムライスを思い出す味になることが判明。カレーよりも自然に味わえました。

18:16、福井駅を発車。ここからは新しい電車になりまして乗り心地も良いです。

19:07、敦賀着。ここで新聞社よりTElが。出張中なので役に立たず。

19:11、敦賀から米原まで特急を。大雨の影響で5分遅れで発車。ちなみにここでも充電タイム。ちなみに暇つぶしにつかった冊子がコレです。


 先月いただきましたヤ撃団の冊子です。明治維新会津戦争Ⅴ編です。一応これが最終作ということで、降伏後の会津が中心に編纂されています。最初の梅原さんの作品は読んでいたので大山格(いたる)さんの編から。会津藩については心情史観というのか、どうも贔屓が目立ち過ぎて本当の会津事情をつかめないところがあります。各人の切り口を面白く読ませていただきました。ただ斗南藩の件については民衆史観に立つか、藩政史観に立つかによって善悪が分離すると思います。また、明治3年に斗南移住をする際に実は東京移住組がすでに斗南へ行く前から脱走していたりします。こうした人物は会津藩の庇護を受けないために「平民」ちなって東京で過します。それらの方々が明治20年代になって士族復帰を行ったりします。

 面白い作品でしたが読み込まなければならないので、しっかり福井→大垣にいたるまで時間がかかりました。

 ちなみに米原到着は19:55。しかし大垣行き19:58はまだ来ず、けっきょく20:13に発車。また垂井までは速度制限規制によりスローで進み、大垣到着は21:10になりました。

 知人の店に行くことも視野に入れたのですが、もうタイムアウトなので、国道に面してよく利用するネットカフェへタクシーで。ちなみに大垣駅北口の開発はロータリーが3者の所有権に跨るため、一向に工事が進まず、おかげで出口からタクシー乗り場まで行く際に少し濡れました。

21:24、ネットカフェへ入店。濡れたのでシャワーを浴び、その後、マッサージチェアで身体をほぐし、ここのメインフードの金沢カレーを。金沢でカレーをいただかずに大垣でいただく妙な現象ですが、コンビニの弁当がカロリー過多なのを知ってるのでここで食事を。

22:30、迎車タクシーで大垣駅に戻ります。やはり接続の電車が来ていません。

 
 ただ、「ながら」は定時に到着しましたのでさっそく乗車。誤って車端の席を取ってしまい足が窮屈に。仕方ないです。ちなみに本日は満席で、なおかつ最終電車です。JR東海が拒否すればこの日をもって終わってしまう夜行列車です。

23:17、ようやく大垣を発車。岐阜で雨漏り発覚で車掌が慌てています。なんか大丈夫なのか……。こうして東京へと列車は進んでいきます。

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