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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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22日
8:30起床。最近2時間おきに起きていたのですが、5時間はノン・ストップで寝れたので少し嬉しい。

なんとなくダラダラ史料整理。細かいものはけっこうあります。ここでファイルがなくなる。ファイルだけで1000冊を超えているのではないだろうか?標題を背ラベルに付けているからある程度まとまりはありますが、標題に困るものもあり、悩むところです。

13:00、東大史料編纂所のDBから史料探し。ここではキーワード検索で原文に近いものが入手可能です。我がISDNの苦労はここにあって、読み込みに時間がかかります(汗)

15:00、せっかくなので2月の講演チラシを作成。主催者は基本的に作らないと思うので独自に作成。このチラシに使う地図を読み込むのに30分以上かかるのですから、我がパソコンのスペックも悲しい限りです。いらないデータはなるたけ棄てて、基本的にユーチューブのような動画サイトにも侵入せず、アプリもサイト内のを2つのみ。なのでMYミュージックというところにはひとつもファイルがありません(汗)

18:00、いったん休憩してDVDを返すためにTSUTAYAへ。バイクの駐輪場もあるのですが自転車の無法地帯に(土日だから係員がいるはずなのですが…)。違法な自転車を適当な場所に放り、駐輪して目をやります。そういえば、久々にコミックコーナーに参り、知人に貰ったラブやんという漫画がどのくらい人気があるのか見ると、なんと最新刊が14巻まであるのですね。準主人公が無職25歳でしたが、30歳に至るまで無職ということになりますから、この方は一生無職という設定になるのではないでしょうか?

 実は私の祖父が生涯無職でした。少し正確ではありませんが、曾祖父が財を成した時点で50歳で急逝したものですから、父の職を継いだのですが、血も涙もない金融業なもので、いわゆる若旦那、ということで曾祖母が切り盛りして本人は遊んでいたそうな。

 昭和9年に函館大火があり、隣は焼けなかったのに当家はしっかり焼けて、おかげで箱館戦争の遺品(質草)を含む財産を失い、唯一残ったのは有価証券(紙なので持ち出しやすかった)のみでした。ここで祖父は湯の川へ移り、その有価証券の配当で暮らしていましたが(このあたりで函館に遠征した巨人軍の沢村栄治やスタルヒンを見たとか…)、祖母が結核を患い、なおかつ持っていた有価証券が運送業だったものですから昭和18年の戦時統合でパーになり、終戦を迎え、終戦後は息子を奉公に出してそれで糊口を凌いだとか…。

 話はズレましたが、我が近所のTSUTAYAにはその最新刊しかありませんでしたから、人気は爆発的ではないのでしょう。やはり10年後には前頭部がハゲるのかな?そうすると似た顔の人間をひとり知っているのですが…(爆)

19:00、帰宅。帰宅後、またもや東大史料編纂所のDBに。1枚読み込むのに数分かかるかなり非効率な作業ですが、ある意味キー・ワード検索が出来るので楽といえば楽です。

 今回の重要なテーマは西村兼文の「新選組始末記」を一切使わない、というところにあります。大まかにいえば、調査能力の欠如とイデオロギーが入っているため、誤りが多い。ちなみに平成に入って新選組関係を執筆しているのはこの本を底本にした子母沢寛の「新選組始末記」を利用しているところです。これに加えて出典を明記しないという悪弊が出ており、私が利用する書籍はかなり限定されています(写真が挿入されている写真のみとか)。

 という作業で実に23:00までかかり、ついでに尊敬する女優、名取裕子が演じるドラマがあったので、パソコンの脇に鏡を置いてTVをそこから覗きながら鑑賞。まぁまぁの作品。

23:30、睡魔に負けて就寝。

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21日
8:00起床。少しお腹のせいか、少しもたれる。

9:00、風邪気味なので麻黄湯をいただく。これは岡山のMさんからいただいたもので、いつも恐縮いたしております。ありがとうございます。またなにかのときに御礼申し上げます。

10:00、ネットサーフィンでコチラを発見。今年も催されるのですね。山南忌です。

 残念ながら私は、この催しに会津糞尿教の布教者が毎年お越しになられますので、通年は欠席させていただいております。

 この方は印税と講演収入で公給の半分以上はいただいているのに地方公務員に在籍が許されている貴重な存在です(日本経済新聞2005年11月の号に掲載)のは驚きです。阿久根市が給料を減らせ、と言っていた意味を違う意味で感じることしきりです。

閑話休題。

 なお、これはあくまでも個人的なことですので、盛会になることをいつもお祈り申し上げます。

11:00、ある文書の翻訳…けっこう難航…なんてものじゃない、なんか頭がおかしい?えっ、オーバーヒート!!すぐさまベッドに就寝。しばらくは左足に軽い痙攣が。

14:30、少し楽に。右目が見えずらい。左目も視力が少し低下しています。とりあえず食事を。食後、多少悪寒がありましたので就寝。

16:30、郵便を取りにいくついでに起きる。目のおかしさはまだ治らず、右目にバンダナで眼帯して頭痛を抑える。

19:00、目については戻ったようなので違う文書の翻訳を開始。縮尺の問題で少し難航。それでも90%は訳せました。

21:00、「悪党」を鑑賞。題と内容に乖離があるような…。異常性を強調したいのかハードバイオレンスを強調したいのかいまいち不明。そういえば、久々に拳銃を携帯している刑事を見ました。ただし違法なのでしょうね。基本的にオート拳銃はあまり警官は持ちませんから。

22:30、食事。こんな体調なので無理は禁物と、睡眠薬の力を借りて23:00には就寝。


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20日
7:00起床。寝覚めは悪いですが、身体の負担は次第に減っているような気がしています。

9:00、伊東甲子太郎関係の資料を検討。諸説紛々ですが、基本的に単純化したスタイルで統一したいのが私の見解。レジュメ作りは22日になりそうです。

11:00、病院で薬を。ゴネ系の方のせいで時間がズレるとムカつきます。

12:00、「千葉の名灸」の翻刻、病気や伊東の講演史料の収集、調査で遅れ気味ですが、ようやく50回に到達!坂本龍馬もお亡くなりになって千葉さなもお経を読んでいるところまでを翻刻。もう少し翻刻してから国会図書館で判読不可能なものをマイクロで複写して復活させる作業に入ります。

 ちなみに復刻版を使用した紙面と国会図書館の所蔵する毎日新聞は版が違うようなのでできる技です。それにしても「字潰れ」や普段絶対使わない漢字(大体30画以上のもの)が出てくる度に脅威を感じます。

 そんなこんなで、時間も夕方になり、仕度をして外出。17:30ジャスト、日比谷公会堂へ赴き、東京新聞Uさんに紹介され、参加している梁山泊の会合に今夜も。

 話は古代の海流、交易、人民の移動に始まり、途中から阿波踊りやねぷたに脱線し、最後に「伊藤博文が孝明天皇を暗殺するときに使用した忍者刀」なんてものが飛び出して、兵の方々の議論紛々、たいへんな喧騒が飛び出し、おおむね20:00ころ、なんとなく終了の流れ。その後、みなさまと懇親会という形でお話が進みます。

 やはり別分野の話が多いため、下手に会話も出来ませんが、得意分野に関しましてはなんとか収拾をつけ、でも、話で少し誤りもあったから、これは次回修正しないといけません。アチラコチラに手をつけて、忘却の彼方から引っ張り出す知識というのはつい誤りが出るものだと汗顔の至りです。

 こんなそんなで22:00に同所を辞去。交通便が良いのでそのまま地下鉄で町屋駅へ。ツタヤへ入り、DVDコーナーを見ると、半年以上かかってようやくレンタルできるドリフ最終盤を発見。さっそく借りて帰宅。

 今回は最終盤1で、荒井注と志村けんが混ざった「6人ドリフ」というものですが…。なんかアレッと思うのは、一切誰からも「志村」と呼びかけるセリフがなく、全部「お前」でした。これでは覚えてもらうのも大変です。ただ、今回収録されている回ではクレーンで吊り上げられ、強制的に壁に何度も叩きつけられるシーンがありました。かなり痛そうでした(汗)最終盤2でも仲本工事と投げられ合いしています(コチラはゲスト感覚)。新人で使えないという扱いだとココまで過酷なことをされているんだと、そしてそれらが教訓として今の志村けんがあるのだと、つくづく思わせてしまう内容でした。

 でも、個人的には荒井注の作品がもう少し見たいですね。ドリフとクレージーキャッツの違いでいえば、クレージーだと、石橋エータローと桜井センリのキャラがけっこう被っていましたが、荒井注と志村けんは一切キャラが被っていません。だから見たくなるのかも知れません。スケベオヤジというキャラは子供には強烈で、特に「キチガイ」という言葉が多用されていることもDVD化になりづらいのかも知れませんが切に希望します(荒井注のみの盤が販売専用だったら買います)。

 というような感想を抱きながら、外出で少し無理したこともあり、0:10には即効で就寝していました。



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19日
7:00起床。少し楽。動ける。やはり汗を掻いていることが良いのでしょう。

8:00、「千葉の名灸」の中途部分の翻訳。

9:00、史料の整理。ラベルの新規で作成。その作業に追われる。

10:00、合間にかすみがうら市郷土資料館へ連絡。迎車の手配。あと簡単な報告。来週までにレジュメを作成しなければ。

12:00、新聞社へFAX。 

13:30、新聞社と打ち合わせ。

15:30、新聞社と打ち合わせ。

17:00、家を出る。荒川郵便局着。偶然走行ルートが警察の護送車を追尾する破目になり(警察署は郵便局の隣)、約15分間尾行状態に。互いにバツ悪し。

 郵便局でコピー。5円コピーは本当に便利です。知られていないおかげで大体空いています。コピーしてみればけっこうな量でした。

18:30、図書館に本を返し、久々に「うな万」へ。外食は久々ですが、美味しくいただきましたが、腹が膨れており、それが少々不快感でした。話も面白く、時間は過ぎていきます。釣さんの手紙も見せました。

20:00、同店を辞去。寒い。コンビニで休憩。ここから寄らずに帰宅。

21:00、「相棒」を鑑賞。内容が読める話でした。う~ん…こういう店に泊まれる身分になりたいものです。そういえば、日光で地元のステーキだと言って、どう味わってもアメリカ産だったような…(解凍感がね)。こういうことのない店に泊まりたいものです。

22:00、すでに軽い悪寒が走ったのでそのまま就寝。


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 小学生のころ、先生がこけて苦しそうになった際、みんなで合唱したのを思い出しました(笑)
16日
1:00トイレで起床。危険水域はカバーできたようで、悪寒は止まりました。ただ眠れない。

3:00、そろそろ講演のためのレジュメと、伊東甲子太郎の年表を作成しました。これが色々な意味で難航しました。なおかつ、過去に玉造町観光協会で発行していただいた冊子も行方不明で、参考に出来ない。もう一度、イチから作り直し。これがけっこう時間がかかります。でも、逆に言えば、もう一度作り直していることから見ても、いわば通説化されている「最初から裏切り者」説には?ばかりになります。逆に「新選組」という過去をいかに払拭しようかという努力と、それに対する他者の冷評、そして唯一信憑性を持たれたのが「坂本龍馬&中岡慎太郎暗殺犯は新選組」という証言のみだったことです。偶発的だったのか、意図的だったのかはいまとなっては解りませんが、伊東はテロルの犠牲にはなっても自らはテロを否定し、彼なりに努力してネットワークの構築を模索していたようです。

 ただ、暗殺された原因については異論を述べるつもりです。なんでもそうですが、坂本龍馬暗殺説を例に採れば、
「勝手に話を作って押し通した結果、様々な説を作られてしまった」

ということです。もっと単純化するべきではないかと思います。

 結局、この作業自体で7:00までかかりました。とにかく西村兼文の「新選組始末記」を極力排除し、その他、信用がおける同時代に近い史資料から引用することを明示しましたので、これだけかかりました。でも、完成までにはもう少しかかりそうです。

9:30、かすみがうら市郷土資料館へ中間報告。文書の一部のアリバイに疑惑が発生し、相談。簡単にいうと、

1.改元の記載があり、時日が確定されている書簡であること。
2.書簡は連名でありながら、ひとりは江戸に、ひとりは京都にいる可能性が強いこと(同時代史料で代表者が江戸に到着から出立までの記載が確認できる)。なので勝手に連名の書簡にしたのかが疑問。
3.ただ、この書簡が捏造だったら作る必要性があったかが疑問。

 こんなことや、細かく判明した話をして杉山東七郎のことを話し、系図のコピーをFAXでいただきました。

10:30、病院へ。病院の入口で警察2~3名が交通取締を行っている。困ります。帰りは5~6名態勢になってました。

 一応病院では点滴を勧められましたが、今回は遠慮し、抗生剤を多めに出していただきました。日曜で混んでいる割にはスムースで助かりました。

 帰りがけに近所の図書館へ。切絵図で見ると、慶応年間の方には「杉山稽古場」という記載が。杉山東七郎、こんなに活躍してるとは…と少し驚き帰宅。

14:00、食後、睡魔もきたので就寝。

23:30、トイレで起きる。


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