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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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 小学生のころ、先生がこけて苦しそうになった際、みんなで合唱したのを思い出しました(笑)
16日
1:00トイレで起床。危険水域はカバーできたようで、悪寒は止まりました。ただ眠れない。

3:00、そろそろ講演のためのレジュメと、伊東甲子太郎の年表を作成しました。これが色々な意味で難航しました。なおかつ、過去に玉造町観光協会で発行していただいた冊子も行方不明で、参考に出来ない。もう一度、イチから作り直し。これがけっこう時間がかかります。でも、逆に言えば、もう一度作り直していることから見ても、いわば通説化されている「最初から裏切り者」説には?ばかりになります。逆に「新選組」という過去をいかに払拭しようかという努力と、それに対する他者の冷評、そして唯一信憑性を持たれたのが「坂本龍馬&中岡慎太郎暗殺犯は新選組」という証言のみだったことです。偶発的だったのか、意図的だったのかはいまとなっては解りませんが、伊東はテロルの犠牲にはなっても自らはテロを否定し、彼なりに努力してネットワークの構築を模索していたようです。

 ただ、暗殺された原因については異論を述べるつもりです。なんでもそうですが、坂本龍馬暗殺説を例に採れば、
「勝手に話を作って押し通した結果、様々な説を作られてしまった」

ということです。もっと単純化するべきではないかと思います。

 結局、この作業自体で7:00までかかりました。とにかく西村兼文の「新選組始末記」を極力排除し、その他、信用がおける同時代に近い史資料から引用することを明示しましたので、これだけかかりました。でも、完成までにはもう少しかかりそうです。

9:30、かすみがうら市郷土資料館へ中間報告。文書の一部のアリバイに疑惑が発生し、相談。簡単にいうと、

1.改元の記載があり、時日が確定されている書簡であること。
2.書簡は連名でありながら、ひとりは江戸に、ひとりは京都にいる可能性が強いこと(同時代史料で代表者が江戸に到着から出立までの記載が確認できる)。なので勝手に連名の書簡にしたのかが疑問。
3.ただ、この書簡が捏造だったら作る必要性があったかが疑問。

 こんなことや、細かく判明した話をして杉山東七郎のことを話し、系図のコピーをFAXでいただきました。

10:30、病院へ。病院の入口で警察2~3名が交通取締を行っている。困ります。帰りは5~6名態勢になってました。

 一応病院では点滴を勧められましたが、今回は遠慮し、抗生剤を多めに出していただきました。日曜で混んでいる割にはスムースで助かりました。

 帰りがけに近所の図書館へ。切絵図で見ると、慶応年間の方には「杉山稽古場」という記載が。杉山東七郎、こんなに活躍してるとは…と少し驚き帰宅。

14:00、食後、睡魔もきたので就寝。

23:30、トイレで起きる。


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