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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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14日
5:45起床。夕方に食して以来、食事をしていなかったので、みかん1個を食して投薬。なんか嫌な感じ。

8:00、食後、悪寒激しく就寝。

11:00、少し起きるもダメダメ。すぐに就寝。

 この間、高熱と格闘。なぜか夢を見るたび、近江屋事件の夢ばかりを見ました。刺客は天然理心流ではないとか、示現流や居合なら一撃必殺なので三の太刀がない等、なぜ刺客は突き技でなく斬ることを念頭に置いたのか?抜刀してる際、開けた人間と斬った人間は別か?横薙ぎで龍馬は斬られているが、何故頭を狙ったのか?座している人間を斬る場合横薙ぎは居合いに通ずる部分はあるが、二の太刀は難しいか?特に一番硬い頭蓋部を狙うメリットは?唐竹割りに出来なかったのはどうなのか?近江屋とされる場所は明治期には向いにあった等、夢なのに何故か濃いテーマの内容でした。というより何故近江屋事件?講演のテーマである伊東甲子太郎や千葉さなを差し置いて?

16:30、熱を測ると38.3℃。パブロンを飲んでまた就寝。

18:00、パブロンの効果が出たようで、起きてパソコンが打てるようになる。せっかくなので「千葉の名灸」の翻訳。ようやく半分を超えて坂本龍馬の話になっています。

 ちなみにこの頃の癖なのでしょうか?この時代、「坂本」ではなく「阪本」と標記する記述が多いような気がします。久坂玄瑞まで「久阪」ですから。

 このあたりからお腹の調子が悪くなり、トイレとお友達に。潰瘍性大腸炎の認定を受けているため、最悪の対処はできますが、昨年でしたら地獄でしたね(汗)

22:00、パソコンでの作業。

15日
0:30、就寝の準備も整い、パソコンのデータの一部をプリントアウトしようとしたときの出来事。

 基本的にもったいない精神のためか、汚損したり、試し印刷したりした用紙は再利用することにしています。今回は法務局で取得した土地台帳の用紙。これがいけませんでした。

 なんと……。

 本来なら排出口へ出すためのローラーに貼りついてしまい、ついにはへばりついてしまったのです(泣)ちなみにメーカーもそういうケースは考えていなかったようでメンテナンスノーフリーな場所です。
 
 仕方ないので蓋を取り、上蓋を分解してローラーの直近まで。しかし防護金具のために全部が取り切れない。なにしろ貼り付いて巻かれてますからコレが頑丈のなんのって……。本当に泣きが入ります。

3:30、半分以上をローラーから取り出し、元通りにすると、今度はなにかが引ッかッかっていたり、ランプが正常に作動しなかったりとトラブルの連続。またもや泣きが入りましたが、カバー部分は意外にメンテナンスフリーだったことから側面からも攻めてみて、ようやく何度か排出を。そして貼りついた紙が出っ張る毎にカッターで切れ目を入れて、ようやく4:00には復旧。本当に疲れました。悪寒も走り、なんか違う意味で疲れました。

4:30、就寝…しかしなぜか眠れません。

6:00、眠れないので起床してデータの整理。ついでに足立史談に使用する画像データを送る。今回は坂本龍馬と千葉さなの恋愛を目撃した男の話です。一応4月号にいままでのまとめを書いて終了となります。

7:30、簡単に食事後、就寝。

16:00、悪寒、再度就寝。

20:30、トイレで起床。眼が覚めました。

21:00、ひさびさにお風呂。峠は越したような気でいます。

22:00、「千葉の名灸」の翻刻。

 …が、トイレで下血。途中で中断して投薬。明日の病院行きが確定しました(汗)とにかくも、腸内の出血のためか、体に悪寒が走り、速攻で就寝しました。

 約2名の呪いも入っているかもしれませんね(汗)今度はドコの神社でフィギア打たれたのだろう?


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10日
 深夜、なんだかんだと作業があり、少し体調が回復もしてませんので、溜まっていたTV番組を鑑賞しました。

 朝、本当は水戸方面へ行くことも考えたのですが、7:00くらいに腹が膨らむ。仕方なくあきらめる。

 大事を取って8:00に就寝。

18:00、起床。資料の整理。月単位の送受信データを年単位にファイリングをしたり。一応拙宅には古いので2002年ころよりデータを保存しております。特に2003年からはほぼ保存されています。一応10年保存して、それから考えます。置き場所に限界がありますので(汗)

 こうしていくつかファイリングも出来て、いままで使用していたファイルもリサイクルで使用しています。貧乏になるとこうしたことを大事にしています。裁縫なんかももともと嫌いではなかったので数が増えています。

21:00、明日は胃カメラの予約を入れておりますので、ここで飲食はストップ。

23:00、ひさびさに「千葉の名灸」の翻刻。

0:00、就寝。

11日
8:00起床。よく眠れるものだと感心します(汗)

9:00、病院へ。きょうは胃カメラの予約を入れておりました。はじめて鼻から挿入しましたが、痛いのは一瞬で、ほかは楽ですね。なにしろコードが細いのは、臓器にやさしいようです。

 おかげさまで、炎症は多方面にありましたが潰瘍や腫瘍はなかったとの由。これで治療への一歩が踏み出せます。

11:00、病院を辞去。台東区立中央図書館へ。日本史籍協会の書籍をなで斬りました(笑)意外に千葉十太郎(千葉重太郎)の記録はあるもんだと感心し、伊東の記録を予測していた場所で発見。伊東と薩摩の繋がりを示す薩摩側の資料は皆無でした。本来なら慶応3年の時点で新選組から分離した際、宇都宮藩の支配下に置かれるのですが(宇都宮藩は山稜支配)、宇都宮藩自体は慶応4年4月19日の旧幕府軍の攻撃によって文書類は焼失して現存していません。藩士たちの資料であたることになります。ただ、宇都宮藩が支配下にありながら関与しなかった可能性も否めません。

15:30、早めの帰宅。本当はもう1箇所寄ることも検討したのですが、どうも検査当日で、まだ固形物もお腹に入れてませんでしたから身体に遠慮しました。そういえば、最近野鳥で雀を見ません。きょう見たのはメジロでした。野鳥の環境も拙宅付近は変な意味で環境破壊されています。

16:00、警視庁(本庁)へ連絡。アポの確認。

17:00、悪寒が走り就寝。

18:30、食事。最近は鴨を中心とした食事です。冬の時期の水鳥ですから脂がのっていますがむせません。やはり日本人が古来から食している動物だからでしょう。これが先日いただいたマックのパイでは1時間ムセて大変でした(汗)

21:00、本日取得した資料から伊東の既存の資料と照合する。なんとなく姿が見えてきました。

23:00、「千葉の名灸」の翻刻。

2:00、就寝。

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7日
14:00就寝。ハンパなく疲れています。昨日からの旅行疲れからダラダラと…。

 どこか出かけるような体力はなかったので、年賀状の返信を作成。投函。

 夕方に病院で薬を貰う。そのままスーパーで買物の後、帰宅。

 夜はデータ整理。なんかいろいろ整理してました。500Mぐらいは整理できたようです。
 
23:00就寝。
8日
11:00起床。

 昼はデータ整理。それと水府系纂の活字化。千葉家の関連なので確認は要です。

 夕方、矢立茶屋へお土産と用事一件。その後、足立区立中央図書館で新聞目録の閲覧。そのなかで気になった項目があって見たら千葉道三郎の記事でした。少し言葉が足らないようですが、追善供養を行ったという記事で連投されてました。

 その後、うな万へ年始の挨拶も兼ねて食事を。

21:30、帰宅。「味いちもんめ」。懐かしいですね。中居正広の演技の凄さに感動しました。15年前の自分の演技をよく勉強したのでしょう。当時の映像が出ても遜色のない演技は凄いものです。役者というのは年齢を重ねるとかなり味が変わるものですが、こうして出来ることに役者としての成長を期待してしまいます。

 まぁ、その演技に集中するがためにスタッフにあたるため、スマップのなかでは一番評判は悪いのですが…(爆)

0:30就寝


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2日
0:00、少し眼が覚める。画像データ等を整理。ファイルの整理等、動ける程度に動きます。

4:00、急に悪寒が。就寝。

12:00、よく眠りました。

15:00、年始の挨拶で矢立茶屋へ。雰囲気は賑やか。

17:00、矢立茶屋でお雑煮を振舞われました。いつもお世話になりありがとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

18:00、同所を辞去。薬局へ寄ると18:00で閉店。間に合わず。ついでに2Fのコジマに寄ったら、なんと

閉店

という。10日まで。31日に買った電話が500円値引きされてます(泣)

18:30、ほかのスーパーに寄って帰宅。どうも連日の疲れが溜まっていたようで、そのまま横臥。その間に知人が作成した冊子を読破。よく読みこまれていて好感が持てます。

21:00、ネット等で返礼等。

3日
0:00、文書の翻訳に集中。伊東甲子太郎の父についての記述。意外にあるものだと眼からうろこになっています。6日は横浜を予定しておりましたが、変更して水戸にする予定です。

4:00、力尽きて就寝。

13:00、熱や風邪と格闘して、乗り超えた感を感じながら起床。

13:30、食事。いつもの鴨焼き。薬を飲んで通常状態を維持。


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30日
11:00。睡眠薬のおかげで少し快方に。それでも普通に風邪の状態。

14:00、ようやく身体が楽になり、用事もあって矢立茶屋へ。埼玉で発見した「千葉灸治院」の広告チラシを渡す。

16:00、ひので屋へ。試衛館稲荷で販売する菓子を仕入。

 試衛館稲荷がある市谷柳町25番地は明治以前は市谷甲良屋敷という名称でした。これは正徳4年(1714)に甲良家が拝領したためです。しかし、すでにこの地には山田屋権兵衛ほか、しっかり町家が形成されていたこともあり、当時の甲良豊前は北千住~つまり現在の足立区千住旭町に住んだのです。その土地の水を使って製造している和菓子屋「ひので屋」に協力いただいて、この試衛館稲荷で販売することにしたのです。

17:00、買い物後に帰宅。ギリギリの体調でしたので現状維持はキープ。

 この後、各種初詣関係の問い合わせ。で、根性で「千葉の名灸」の翻刻の再開。

 しかし、22:00にはしっかり撃沈。

31日
8:30、起床。ギリギリの体調。悪化しないで済んで助かります。

10:00、「千葉の名灸」の翻刻。その後、体調不良により床に。

15:30、ようやく身体も動くようになったので買い物。最近、至近のスーパーで鴨肉が購入できるのは嬉しいです。16:30、昨日、停電により壊れた電話(スピーカーがポン!いいました)を買い替え。SDカードで録音できるのは便利です。また普通紙でFAXも送れますので感熱紙のように保存が利かないもののように再コピーの面倒も省けそうです。

17:00、帰宅。食事して「8時だよ!全員集合」を観る。少し古めのもあり、それがお気に入り。荒井注がほとんどいなかったのが寂しい。

21:00、紅白。どうしてもいきものがかりの「ありがとう」が聴きたかったので頑張る。レコ大より声がかすれていて、NHKバージョンでの放送。オリジナルが一度も「ゲゲゲの女房」で流れなかったのも特徴的だったこの歌ですが、聴けてよかったです。

0:00、年越しそば。


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