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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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10日
4:51、ムーンライトは定刻通り到着。そのまま快速に乗って坂町に行っても寂しく待合室にいるだけですので、札幌で登録したネットカフェが新潟駅前にあることを知り、そこで1時間過します。意外に新潟駅自体はあまり雪を見ませんでした。

5:50、ネットカフェを出て、新発田行きの電車に乗るため、まずはコンビニに行こうとしたところで財布を拾う。仕方ないので交番へ。駅前ですから普通に警官がいると思ったら不在!!!!県庁所在地の駅前交番に人がいなけりゃダメでしょ。とりあえず連絡電話で話して所定の場所へ置きました。待ってたら間に合いません。次を逃すと2時間待ちです(汗)

6:08、キオスクで買ったおにぎり1個を持って新発田行きに乗車。ロングシートでした。もう通学の学生もチラホラ。電車はさっそく雪原を走っていきます。

6:49、酒田行きに乗換え。これがけっこう混んでまして辛うじて座れました。外は雪。


7:17、米坂線に乗車。汽車はその雪を跳ね飛ばしながら進んでいきます。なにせ区間によっては1日5往復しかない場所もありますから線路といっても積雪があります。


 で、小国、羽前椿、今泉で長い停車時間があります。本当はおにぎり1個しかいただいていないのでなにか食材が欲しいところですが、停車したホームは皆、跨線橋を渡らなければいけないものと、待合室にいってもなにもなさそうなオーラが出てましたので車中で飲み物を買って我慢します。念のため、山科で購入したお土産の「蕎麦板」ひとつをバッグに入れてましたのでそれを食しました。なんかゴマもあって超薄の乾パンをいただいた感じになり、すこし安堵。

 ただ、突然車内のジィさまが「太陽野郎」を唄い出したのには驚きました。というよりなんで太陽野郎?知ってる人はどのくらいいるだろう?ちなみに私はドラマは観たことがありません。歌は知ってます。メンバーのひとりは「三年目の浮気」を唄った男の方だたりしますが。替え唄で「糞尿野郎」というのもありますが…(爆)


9:46、西米沢駅に到着。昔は有人だったというだけで、少し廃墟の匂いがしそうな駅です。でも1日10本以上の列車が発着します。

 ここから道なりに歩くと15分以内で旧番正町に到着します。この番正町には明治4年に山本家&川崎八重の面倒を見た内藤家が住んでいた場所です。残念ながら明治4年から住んでいたかは確証が取れませんが、明治20年からは間違いなくここにいました。推定地がわかっていますので写真撮影を。雰囲気は少し寂れた田舎の商店街という感じです。ここから少し歩くと幕末の米沢藩には切っても切れない関係の宮島誠一郎生家があります。


10:50、20分ほど遅れてバス到着。このバスで市役所前まで行き、法務局で確認調査。12:30、バスに乗車して米沢駅に戻ります。12:40、到着。しかし30分では駅そばしかいただけないので結局食べないままに移動することに。


13:10、きょうは動いている奥羽本線で福島へ移動。途中の峠駅では知る人ぞ知るホームで立ち売りする方がいました。間に合わず購入できませんでしたが「峠の力餅」を販売しているそうです。ザ・マニアが大人買いしているのでその存在に気付きました。この列車は1日4往復しかない場所があり、貴重といえば貴重です。だからといって新幹線と同じ線路を使用しているので乗り心地は良好です。

13:56、福島駅に到着。ももりんバスで文化センター前に行きます。昔は文化センターの直近にバス停があった気がしたのですが、いまは徒歩5~10分くらい歩くところにあります。

14:30、福島県立歴史資料館に到着。平成17年に規制がかかって以降、訪れていなかったのですが、斗南藩関係の公文書を確認したく、参りました。面白かったのが西南戦争で警視局に入隊した福島県士族の警視隊の記録がほぼあることでした。戦闘履歴も各人ありまして、読み込んだら数冊の書類ですが1日かかるでしょう。そういう意味で西南戦争関係では勉強になります。

17:15、遅れたバスの乗車。17:30、福島駅に到着。土産物を購入し、新幹線ホームへ。17:24の電車には乗りたかったので新幹線でスキップします。運良くコンコースに駅弁が残っており購入。


 これです。紐を引くと暖かくなる弁当です。米沢にはなかったので買いませんでした。やはり暖かいものをいただきたいものですから(汗)


 中身はこんな感じです。私的には正解でした。薄切りですがちゃんとした牛肉がはいっています。量と野菜が少ないですが、これでも十分です。本日一番まともな食事でした(笑)

18:00、郡山駅に到着。コンコースの待合室で携帯電話の充電をし、18:12に到着する電車に乗ります。まるでゾンビが乗り込むような勢いで皆が皆乗車しまして、結構な混みようです。

18:21、郡山駅を発車。ちょうどこの時間に水郡線もありましたが、到着時間が1時間遅れるので東北本線を選択。19:23に黒磯に着。この乗り継ぎが同じホームではないため、これまた乗換えのために逃げ惑う群集のようにも見えるが如く跨線橋を渡った向う側のホームの宇都宮行きに乗車。階段を昇りたくなかったのでエレベーターを使用しましたが普通に乗車できました(笑)連結している車輌の数が倍ですから座れますよね(笑)

19:31、黒磯を発車。20:24に宇都宮着。ここからは運良くホームの反対側に停車している上野行きに乗車。あらかじめグリーン券を購入するのですが、コートの端が画面に触れたせいか、上野を押した筈が宝積寺になってる(汗)事前に車掌に言って変えてもらったので無事を得ました。

 ここから眠りに堕ちて、気付いたら赤羽に向かってる状態。そしたらいつの間にかアテンダントが男性に代わってまして、コーヒーを注文する際、少し話しました。前から疑問に思ってたのですが、アテンダント強姦事件が発生して以来、夜間に警備員同伴で仕事しているのを見て、「いっそ男性にすれば警備員いらないじゃん!」と思ってたのですが、深夜帯には男性でも警備員が付くとの由。たぶん警備会社の契約なのでしょう。JR東日本の経費節減のため、夜間は全員男性にして警備員の経費を減らすことをお薦めします。高崎線と湘南新宿ライン以外は赤字のような気がしてなりません。

22:00、上野駅に到着。すぐに常磐線に乗換え北千住に。駐輪場からスクーターを出し、牛乳を買ってから22:50に帰宅。

 本当に疲れる旅でしたがそれなりに収穫もあり、未練の残らない取材が出来て嬉しく思います。しかし、当面旅は遠慮します(笑)

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27日
7:00、起床。早く寝ていたのでよく眠れました。

8:00、朝食。ここは駅前と違い、和食オンリーです。どうしても残す食材があるのがイヤで洋食なのですが仕方ありません。

9:00、チェックアウト。少し遅れました。起床後にマッサージした分遅れました。まぁ仕方のないことでしょう。

9:05、会津図書館到着。晴れていたので移動が楽でした。さっそく2Fの図書館へ。昨日の残し分と追加分とを加えて格闘。ある一定の成果はありました。

10:45、同所を辞去。10:53の福島行きバスに乗るため移動します。

10:58、少し遅れてバス到着。一路福島へ!面白いのが郡山→福島の高速には雪が一切ありませんでした。これから予測する米沢のイメージに楽観が生まれています(汗)

12:20、福島駅到着。見ると米沢は大変なことになってました。つまり福島~米沢間の鈍行はすべて運休!新幹線も間引き運転でした。聞くところによると同区間は鈍行の乗車券でも新幹線に乗れることになりました。行きたいのは米沢ですので問題はありませんが、発車が13:48!!約40分のロスでした。ただうろうろしてたら時間はあっという間に過ぎ、気付いたら発車時間でした。

 で、新幹線ですが、もうラッシュもラッシュ!ドアもなかなか閉まりません。ムカつくのがバッグを列に置いて飲み物を買っていたらバッグがズラされて列からハミ出ている。で、そういうことをするのに限って18きっぷの乗車客。安い旅行をするものは安いレベルになるのか…自分だけはこうありたくない。こう考えました。ちなみになかなか乗車できないものですから、その18キッパーはほかの車輌のドアへ駆け込んでました。おかげでいなくなったらすぐに車輌に乗り込めました(毒笑)


14:24、少し遅れて山形新幹線は米沢駅に到着。駅前はこんな感じでした。で、バスが遅れに遅れて14:50ころに到着。でもこれは序章でした。このバスで移動中、対向車線に帰りのバスが見えました。この時点で30分遅れがわかってました。このときは少し遅れてバス停に行けばいいくらいの感覚です。


 そういえば、車窓から例の近藤勇の首埋蔵伝説のあるお寺の幟が見えました。意外に駅から近いことを知りました。

 で、15:00を過ぎたあたりで文化センター南バス停に到着。ちなみに車道と歩道は除雪車の影響で1.5mの雪壁ができてますが、降りた側ではまだ影響がありませんでした。それでも10㎝くらいは連絡道も積もってました。ここで図書館に挨拶をし、担当の青木さんのいる4Fへ参りました。

 ここで懇談を。つまり福島民友で発表された米沢の内藤新一郎と会津会々報に出てくる小森沢長政の事歴を知りたかった訳です。知らなければ書けない訳で、こういうのは地元で確認するのが一番です。青木さんは懇切丁寧にご教示していただきました。ありがとうございます。

16:00、青木さんと別れ、フト考えました。そうだ、法務局は近いのだろうか?調べると雪道でも徒歩15分圏内と分かりました。この時点で雪中行軍確定です(汗)

16:15、法務局到着。残念ながら役人ル-ルに沿うやり方が出来なかったため、手間取りましたが、最終的にHIT!やはり地元に行かなければダメです。

17:00、図書館に到着。住宅地図をコピーしようとしたら偶然青木さんがいましたので事情を説明。おかげである人物との接点のヒントをいただきました。

17:15、青木さんと別れ、いざバス停へ。


うわぁ!

 完全に車道と歩道が隔絶されております。こんな状態でも一度はバスの時刻が確認したかったので身体中雪まみれになりながらもバスの時刻の部分を掘りおこして確認しました。20分後、実は米沢駅到着後、この市民バスの時刻表を観光案内にいただいておりましたので、連絡先が分かります。電話で確認したところ、バスは来るという。気付いたら頭の帽子やコートの肩に5㎝~10㎝の積雪が!零下なので濡れることはありませんが、凄いことになっています(汗)

17:55、ようやくバス到着。車内は満員御礼。

 そうして遅れに遅れてバスが到着したのは18:20。除雪車と雪道でデコボコしてるので走行してても速度メーターの針が動かないほどのスピードで移動することもしばしば。豪雪恐るべし!

 ここから一瞬、さきほどの混雑の恐怖から新潟経由で行くことも考えましたが、新潟も豪雪の可能性があり、少し考えて郡山まで延長して乗車することに決定。


 ちなみに米沢駅のホームはこんな感じです。米沢から山形方面は鈍行が動いているとはいえ、雪で車輌が埋もれています(汗)

18:50、無事に新幹線が到着。通路側ですが無事に着席。山形新幹線はコンセントもありますのでしっかり充電を。


 米沢駅弁で有名な「牛肉どまん中」の塩バージョンです。駅の売店で温めていますのですこし身体にエコです。

 ただ、感想は、疲労していない身体には美味しく感じるでしょうが、全身疲労している私には味が薄く感じました。弁当にタレが多いのはそういう意味なのでしょうね。でも不味くはありません。普通にいただけます。

19:35、郡山到着。ここで鈍行に乗り換えます。

19:41、鈍行に乗車。これで黒磯まで行きます。史料整理してた関係で一切退屈はしませんでした。

20:44、黒磯に到着。20:50の宇都宮行きに乗り換えます。こちらの電車もともにクロスシートでしたので助かりましたが、なにか宇都宮行きの方が寒い。これはこれでつらいものがあります。ちなみに宇都宮行きでは携帯で「なんでも鑑定団」を観ていたのでやはり退屈はしませんでした。

21:41、宇都宮に到着。ここで上野行きに乗車します。グリーン車に乗車しますので酷寒地獄からは開放されます。一番暖かい車端の席に鎮座します。ちなみにこの日は山手線等で事故があった影響で本数が間引きされていたようで、一般車輌は地獄のラッシュ状態でした(汗)950円の差は大きいです。

21:48、出発。ここでもTVの続きと、終ったら終ったで睡魔が来て、気付いたら赤羽を過ぎてました。ここでアテンダントにホットコーヒーを注文して起床後の寒気を防ぎます。

23:38、上野駅に到着。隣の常磐線のホームへ向かい、23:42に乗車。車輌緒は最後の土浦行きということで満員御礼。しばらくして北千住到着。駐輪場からスクーターを出して、0:10ころ到着。

 いやはや、さすがにこの年齢ではしたくない旅行でした(汗)

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26日
7:00、起床。いろいろと確認事項をして8:30、出発。

9:30、市谷柳町到着。鍵を受け取り試衛館稲荷の下見へ。


 隣に老人介護施設が出来た関係で風変わりしましたが、稲荷は建物が新たに補強されて大丈夫です。補強の甲斐あり、震災も無事でした。この稲荷にはなにかしらのパワーがあります。

10:28、新宿駅より湘南新宿ラインで宇都宮へ。12:00、宇都宮着。ここから新白河まで新幹線を使います。

12:17、新幹線に乗車。宇都宮駅名物「汽車弁当」を昼食に、12:49、新白河到着。12:57、新白河から鈍行で郡山へ向かいます。途中通り過ぎた白河城の石垣の崩壊が車窓からもわかります。


13:36、郡山着。久々に磐越西線の普通の快速に乗車します。この車輌は2輌編成なのでけっこう混みあいます。やはりあいづライナーがお得なようです。

14:55、会津若松に到着。せっかくなので乗り換えて七日町まで行くことにしました。


 もう来年の大河ドラマの如く会津では「八重の桜」に一直線です。凄いですね。会津の力の入れようがわかります。


15:03、七日町到着。ここでバスを待ちます。外は雪が降っています。

15:15、バスが到着。発進するも前回よりも雪が凄いため、かなりの揺れです。そして乗降客がけっこういるのです。

15:30、三の丸バス停到着。博物館が休みのため、歩道は雪で埋まっています。仕方ないので車道を歩き交差点まで戻り、右に折れると旧会津図書館の方へ進めます。やはり図書館が移転した関係で歩道も踏み鳴らされている感じが薄まっています。

15:40、旧会津図書館到着。ここにある史料を閲覧するために参りました。さっそく挨拶をしてから閲覧開始。この文書は活字化になってたようですが、やはり影写本を見て正解でした。活字化された方は文字間違えしています。ちょうど確認したかった人物なのでやはり確認は必要ですね。

17:15、同所を辞去。外は吹雪です(汗)道を思い出しながら行軍を続けます。ちなみにバスはもうありません(汗)

17:40、会津図書館着。なんかいつもレファレンスの方が違いますが、あらかじめ連絡してありましたので予約の書籍は用意されておりました。この閲覧にけっこう時間がかかり、やはり閉館の19:00までお世話になりました。


 その後、市役所脇にある「吉し多」で夜食を。今回はソースかつを止める予定でしたがここのお肉は桜肉(馬肉)です。とても興味が沸いてしまいました。


 さっそくいただきます。器が冷えていた関係で少しぬるめでしたが、桜肉がやわらかく加工されています。基本的にそのままいただくと靴の底の如く固いものですが、さすがです。噛み締める毎に味わいがあり、美味しくいただきました。ちなみにおつゆは小づゆです。本当の郷土料理にも触れることができました。

 で、20:00には中町のホテルにチェックイン。今回は徒歩圏内を選びましたが正解でした。交通手段がおかしいときは徒歩圏内が一番です。

 とりあえず2Fのマッサージルームで身体をほぐし、すでに前回の旅の疲労もありますのでそのまま就寝。ずいぶん早めに寝ることとなりました。

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22日
5:42、定刻より2分遅れて「はまなす」到着。駅の外に出てみるとファミマがあったのでそこで朝食を購入。

6:34、青い森鉄道の快速で野辺地へ。車内はけっこう混んでいます。ちなみに景色は黒一色で外の景色は見えません。

7:12、野辺地到着。まだ大湊線は到着しておりませんが晴れてきました。少し安堵です。


 ちなみにここは少し捻れておりまして、JR線が分断され、大湊線がJRのままになっています。ですので普通に乗ると双方の鉄道の切符が必要になります。


7:28、大湊行きの列車が到着。雪国らしい雰囲気に装飾されています。この車内でまったりしながら発車を待ちます。

7:58、大湊線が発車します。のんびりとしたローカル線の車窓の左手にはむつ湾が拡がります。

8:55、下北着。なにもない単線の駅ですが、ここの乗降は多いと思います。さっそく雪の路面で荷物に難渋しながらレンタカーの手続きを。はっきりいってこの季節に斗南の史跡を巡るには100%車でないと無理です。凍死覚悟の行軍は絶対避けるべきです。

9:20、法務局着。斗南岡の土地台帳を閲覧します。明治20年代でもう5戸しか斗南藩士がいないのは絶句とも言えます。かなりの入植だったはずなのですが……。


 その後、図書館に寄るも休みなので、柴五郎の仮宅跡地へ。なにが凄いというと、その看板に到るまで、足跡はおろか動物の足跡さえもありませんでした。何故か自転車の轍のみあったのがなおさら不気味でした。


 この後、斗南藩史跡地へ。ここでトラブルが!車が雪溜まりに入り身動き不能に!!そのためJAFを呼んだのですが、車内では電波が届かず、約30mを電波を気にしながら連絡する破目に!

11:30、思ったより早くJAF到着。すぐに脱出。御礼とともに史跡地の近くに会社がるということで場所を教えていただきました。

11:50、再度JAFから電話。道を間違って教えたとかで心配して連絡いただけました。むつの方々はやさしい方が多いと実感したその2でした。実はJAFが来る前に通りがかりの方が助けの手を差し伸べていただいておりました。JAFを呼んでいたので丁重にお断りいたしましたが、こうした心遣いは感動します。


 ちなみに行きにチラ見して寄ろうと思ってた「まさかりプラザ」で休憩と昼食をいただきました。9月にいただいた貝焼き定食ですが、ここの方が中身にバリエーションがあります。ここで椀物をひっくり返してしまい、ご迷惑をかけてしまうことに!笑顔で作業していただき感謝と思ったら、椀物を新しく出していただきました。さりげない心遣いがこのむつ市にはあります。外は寒くても心を暖めてくれます。


 ここから教えていただいた円通寺へ。そこに隣接している玄徳寺も斗南藩史跡地です。


 知らなかったのですが、ここは映画監督川島雄三の菩提寺だったのですね。今村昌平の師匠でもあり、コメディ映画ではキテレツな作品で記憶に残る方です。代表作は「幕末太陽傳」ですが、私は「特急にっぽん」が好きです。絶対にTVでは放映できませんが(汗)

 ここから斗南藩上陸の地へ向かいます。本当に車でないとダメですね。場所は大湊駅の近くです。ここでプチなトラブルが。すぐそばに自販機があり、カフェオレを飲もうとボタンを押しても出てこない、何度か押したら衝撃なのか、隣のコーンスープが出てきました(汗)斗南藩史跡地と言い、なにか斗南藩の鈍呪いがあるようです。

 で、時間になったので車を返し、下北駅へ。乗車数が圧倒的に多く、本数の少なさの比例になっています。おかげで14:07の快速は100%以上の乗車率でした。野辺地で人が入れ替わりましたが100%未満になった程度で、三沢で更に乗客は増えて再度100%超えの乗車率となりました。

15:53、八戸着。時間短縮のため、ここで新幹線に乗車します…がJRの乗車券がみどりの窓口でしか買えません。この日は日本海回りの列車が運休したのでみどりの窓口はパニック状態でした。改札で事情を話したら後精算でOKとなり、新幹線に乗車。この区間は全車指定ですが、盛岡までなら特例として立席特急券が発券されます。つまり空いている席に座れる訳です。なので一番前の席が空いていたのでついでに充電を。

16:33、盛岡到着。すでに一ノ関行きの電車が到着しているので乗車。ロングシートです(汗)これってけっこう疲労が蓄積するのです。この車内でまったりしてたらラッシュの時間帯ということもあって、満員状態に。車内で待っていて正解でした(汗)

17:00、電車は出発。すでに暗闇ですので車窓は楽しめず。18:34、一ノ関着。19:00発の電車が到着してますのでそのまま乗車。車内には自由奔放なじぃさまが寝ておりました。ちなみにこの列車もロングシートでしたので、女学生はそのじぃさまを汚物を見るような目で通り過ぎます。ちなみにホームレスではないのでフレーバーはありません。

20:20、少し遅れて松島到着。迷わずタクシーに乗車してホテル着。ホテルの説明では徒歩15分ですが絶対に到達できない距離でしたのでタクシーで正解でした。

 ここは温泉もあるのでまったりしながらマッサージもして疲れを取り、23:00、ようやく就寝。昨日の疲れもあり、これまた気絶状態でした。

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4日
6:00、起床。まだ疲労が残っているのと、昨夜寝たのが1:00だったのが堪えました(汗)

6:40、家を出発。少ししてタクシーを見つけて乗車。6:52、JR三河島駅到着。6:56、常磐線で上野駅へ。7:02着。

 ここから新幹線ホームに入りますが、地下深いため、ホームに到達するのが大変です。ようやくホームに到達できたのが7:09!!、12号車まで行き着くことが出来ず、7:10、5号車に乗車して大宮で乗換え。MAXでしたので売店でかつサンドを購入。食堂車の味を復刻だとか…。

 少しして大宮駅に到着。走ることは出来ません。それでもなんとか11号車に乗車し、なんとかセーフ。12号車の指定席へと移ります。

 今回は震災の影響なのでしょうか?指定席は約50%の乗車率でした。朝食もいただいていないのでかつサンドにしようかと思ったら、名物駅弁があるとか…。届くのは米沢らしいですが、睡魔もあって、それまで待つことに。


 米沢手前で目が覚め、駅弁が届きます。


 味はまぁまぁといったところですが、本来は白玉に桜餡がかかっているはずがありませんでした。手を抜いたことはここにしっかり書かせていただきます。

 そんなこんなで、新幹線は10:58、新庄駅に到着。11:13発の陸羽西線に乗車します。やはり震災の影響で乗車率は若干減っています。

 ちなみにこれはJRでの状況です。実は山形新幹線のGWにおける切符予約は4月26日からでしたので、JRをあきらめて自動車の方が増えたのでしょう。民主党は今回のGWは通しで休日1000円にしましたから道路はどこも大渋滞です。

 で、11:13、陸羽西線で清川へ。


 記念館に寄る前に歓喜寺の斎藤家墓所を詣でました。清河八郎とその女お蓮の墓所もございます。


 そして斎藤家墓所の右手に入ると庄内戦争で戦死した清川村の農兵の墓所があります。こちらにもお参りを。

 で、12:30ころ、清河八郎記念館へ。館長と会計の方へ久々に旧交を温め、今回お願いして千葉家の免許関係を閲覧させていただきました。

 やはり「千葉の名灸」を書くうえで、千葉周作、および栄次郎の免状を見たかったのですが、栄次郎のはやはり道三郎との連名でした。これは貴重です。周作没後の玄武館の事情が汲み取れます。

 で、そんなこんなしてましたら、13:40の汽車を逃してしまいました(汗)そしたらなんと記念館の方が鶴岡まで送迎していただきました。もう感謝の念に堪えません。本当に心を込めて感謝を述べて、鶴岡市郷土資料館まで送っていただきました。

 資料館に着いたのは15:20くらいです。ここで新徴組関連の史料を調査です。ここでいつも秋保さまにお世話になっております。各種史料を出していただき、それを撮影。

 そしてら新徴組隊士のひとりが鈴木万次郎の筆頭公用人梅沢儀兵衛の親戚でした!斎藤一と関連します。こういうことってあるのですね。

 で、気づけば17:00、閉館です。そそくさと同館を辞去し、17:26発の鶴岡駅行きのバスに乗車します。鶴岡には17:40ころ到着。

 ここで以前、酒田で食事バトルロワイアルを経験していましたので今回は鶴岡で食事。10年ぶりに麦切りをいただきました。山菜の天ぷらも添えました。やはり美味しいですね。少し冷えたので蕎麦湯を貰い温まりました。

 そして1Fの清川屋で買い物。1100円の牛肉カレーなんかを買ってしまいました(汗)美味しくなかったら社長に文句言ってやる(笑・知り合いです)それと2Fでいただいた麦切りやらを購入。意外に時間がかかり、18:40くらいに鶴岡駅へ。

18:55、鶴岡を出発。古い汽車はロングシートで新しい汽車はクロスシートでした。普通は逆なのですが、クロスシートの方を選択。4日ですが学生が多かったです。

19:38、酒田到着。そのままホテルにチェックインし、マッサージを呼んで身体をほぐし、23:00には就寝。


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