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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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24日
6:30、起床。温泉にゆったりと浸かりながらゆとりを持って朝食。

11:00、迎えの車が来たので乗車。泉沢駅隣の公民館で食事(汗)です。
それから10分ほどして函館からの本隊も到着。友人のKさんもこの車に便乗して到着。皆さんと食事タイムとなりました。さすがに早めの昼食なのでと思いましたがこの弁当が美味この上ない。ほとんど食してしまいました(汗)

 そこで幹事の小杉さんからアドバイスを受けます。

「もしかして北斗星運休じゃない?」

「えっ」

ということでネット検索。見事に当たり!東北本線に不通区間が出来てカシオペアは羽越線経由で動かすも北斗星は動かず!!

どうしよう…

 ちなみにこのイベントではパネラーとして参加しているので終了後、東京へ向かっても当日中に到着は不可能です。なので函館に泊まる破目に!そうだ、22日に貰ったタダ券がある、ソレを使おう!ということでまさか例の不手際のおかげで助けられることに!人生とは解らないものです……。

 
 こんな感じで式典会場へ。12:40ころ到着して関係各所へ挨拶。ここで共同通信の知人の部下も来ていたので挨拶を。こんな感じで退屈する暇もなく13:00の式典となりました。

 この式典はかなり豪華です。オランダ大使館からも人が来ており、行政では宮城県白石市長もお越しでした。楽団の演奏もあり、おごそかに執り行われました。

14:40、式典会場から講演会場へ移動。木古内駅前なのですが、新幹線工事に町が対応できるための工事が行われており、結果的に遠方です。とにかく明日の切符の手配が重要なのでお願いしましたが接続が全然ダメです。朝の切符も考えましたが、疲労を抱えていて危険ということで次の11時台はまったくダメ。で、新幹線も接続が悪い。各駅に帰るのも疲れるので寝台列車はどうかと聞くと個室が空いているという。ではソレということで「あけぼの号」を予約。ここで時間がありますので会場へ戻ります。

 すると講演前に打ち合わせがあったとか。知らなかったので町づくりサミットではぶっつけ本番に。まぁこういうのは得意ですから…。

 その前に合田一道氏と高山みな子さんの講話。特に合田さんの咸臨丸の沈没は19日か20日か?には面白く拝聴できました。

 そして休憩では間髪いれずタダ券のホテルへ電話。3コール目でやっとつながり宿ゲット!これで安心です(ホッ)


16:10、サミット会議が始まりました。恥ずかしいのですが1時間くらいで終ると思い込んでいたら17:50までかかりました、白石市長が面白い方で私との掛け合いもあり、終盤は盛り上がりました。ほかの参加者として、咸臨丸子孫の会、木古内サラキ岬に夢見る会、塩飽諸島(瀬戸内海)、神奈川県横須賀市有志、札幌市白石区がおりました。最後に共同宣言が採択されました。

18:00、サミット終了。この後懇親会場の石川屋へ。さっそく同席していた龍馬会に囲まれて千葉談義。

 こうして会場は盛り上がり20:10にお開き。函館組はこのままバスに乗車。Kさんと各種談義で盛り上がり、21:30には函館駅到着。ここで切符のやり取りがあり、21:40にKさんと別れます。21:55にホテルにチェックイン。ランドリーの手間もあり、0:30就寝。

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14日
 一応反故紙がなくなるまで印刷を続けます。さすがに多く印刷したらプリンターがスネまして、またもや分解作業をするハメに。前回からそう遠くなかったので、前回覚えた方法を開始し、いったん終了するも、中の配線が外れていたらしく、もう一度開けて嵌め直し。1:00には復旧いたしました。

6:00、朝食。

7:00、就寝。

11:00、起床。きょうは友人がコミケに同人誌を出店されているということで、昨年末のリベンジで参りました。

13:04、バスに見事に行かれてしまい、13:16のバスを待つも、来たのは13:31。それも並んでいたバス停が浜松町駅前で、別に浜松町駅というバス停があるという。なんだそりゃ?おかげで20分以上立席の状態に。このなかでコミケに行きそうな顔ぶれは速攻で解る。バスの車内でジャムパンやアンパンは普通いただきません。


14:20、終点で下車。どうも主催者はコミケに来る人間を人間とは考えていないらしく、エスカレーターやエレベーターを封鎖しておりました。仕方なくこの猛暑に階段で移動ですが、すでに広場では行軍の後の疲労というのか、至る所にオタクさまが地面に座っていました。

 この後、ずんずん進んでいきます。するとチラホラ魑魅魍魎が現れます。

 この魑魅魍魎は3タイプあります。

1.女キャラに化けたオッサン
2.女キャラに化けたねぇさん(おばさんは少なかった)
3.男キャラに化けたねぇさん

 前回より少なめですが、ここにひとつの特徴があります。3のキャラは意外に通気性の良い生地を使っています。2のキャラは馴れている方はやはり原色系でも通気性を確保してたりします。1にいたっては絶対に通気性が悪く原色ラメ系でムレムレしており、ヅラも安物だろうから熱帯地獄でしょう。新陳代謝するからヒゲもポツポツ見えています。頬もこの熱暑でコケた方が多かったようです。

 ブースに向かう途次、車椅子で搬出される魑魅魍魎を何匹も見ました。運んでいるのもスタッフでありながら魑魅魍魎がかっています。なにせエアコンというものがないのと、昨年と違い、会場内もエスカレーターやエレベーターを完全封鎖するという、体力がない奴は来るな!と言わんばかりの対応です。

 その魑魅魍魎のいない西館ブースに入り、「ぺ」と「ぽ」を探します。おかしいな?と思ったら「む」でした。なんで間違えたのだろう?ちなみにエアコンという4文字は存在しません。


 でも、今回はようやく机だけではなく、お会いすることが出来ました。でもかなり窮屈に屈強な方が3人、人いきれの満員電車状態で待機されておいででした。さっそく新刊を、と思ったらプレゼントされてしまいました。なんかタカりみたいで申し訳ありません(汗)

 その後、サクラの意味も兼ねて少々雑談。ついでに隣のブースでお買い物。

 思ったのですが、確かに思考的には同人誌ということもあって尖鋭的ですが、一般に書籍を刊行している研究家、作家は見習うべき点を読んでいるうちにいくつも感じました。同人誌ですから一般流通は難しいですが、それでも内容は感心することが多かったと言えます。そして2者とも参考文献はしっかり明記しています。新選組研究家と呼ばれる、特に伊東某には声を挙げて言いたいですね。

15:30、そろそろ撤退ということで私も辞去。するとさきほど申したようにエスカレーター等は封鎖状態。ゆりかもめで帰ろうと思い、フェリーのエスカレーターから2Fに上がり、見てみると、直射日光が当たる通路で入場規制が!!仕方ないので下に降りてタクシーを捕まえます。意外とタクシーは簡単に捕まりました。そこで隣の駅まで乗車して、そこからゆりかもめに乗車します。作戦は成功で魑魅魍魎モドキたちが溢れておりませんでした。

 当初は船の科学館も考えていたのですが、この猛暑でバテてしまい、明日の調査もあるので17:00、帰宅。18:00には就寝しました。

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12日
 きょうもなかなか眠れません。やることもないのでデータ整理等を。

 ベッドに入っても眠れないので何度か起きます。

7:00過ぎ。就寝。

15:00、起床。

 さすがにこの時間ではやれることもないので、データベースの閲覧等で済まします。とにかく暑いです。

18:30、図書館で借りた本を返却し、ツタヤに寄って「歴史通」を立ち読み。知人の森重さんの作品はあっさりしてました。読み込んだのは中村彰彦氏の新島八重の項ですが、中村氏も脳梗塞かなにかで倒られたと聞きますが、復活したのでしょうか?主に参考文献としたのは「婦人世界」の記事でした。糞尿の件も書かれており、「山本八重、糞尿の匂いで降伏す」とされなければ良いですが…。もちろん糞尿男にです。このPと糞尿男とは関わりがありますので懸念しております。

 帰りがけ、オイルがなくなるランプがついたのでDSまで出張し、オイルを購入してその場で入れる。帰りにスーパーに寄った際、毎日新聞記者から連絡が。

 実は、この記事の件で問い合わせたのです。私の八柱霊園の交渉過程が役に立たないものか教示したかったからです。一応私がわかる範囲で助言を。よい方向に向かうことを祈念申し上げます。

20:00、帰宅。ほどなくして「硫黄島の手紙」を鑑賞。何度も見ているのですが、自虐史観が入らない作品なので好感を持っています。なんでもかんでも日本が悪いとするのは、日本のために戦った兵隊さんたちの苦労、無念が救われません。戦争映画はほとんど観ないのですが、偶然ということもあります。この時期、戦争ドラマ一色となりますが、「日本の兵隊さんは悪い」という作品は基本的に観ません。

 こんな感じで夜は更けて参ります。



 ついでですが宣伝です。


 8月20日の流山花火大会で北総新選組さんが流山本陣跡碑周辺でろうそく回廊を行うとのことです。

 優美なろうそくの火を眺めるも良し、そこにいる北総メンバーとお話しされることも良し、写真を収めるもよし、この蝋燭を身体に垂らされるもよし、色々な楽しみ方があると思います。もし流山へお越しの際は楽しまれることを祈念いたします。なお、訂正線のような楽しみ方は堪能できませんのでご理解お願い申し上げます(笑)。北総さんは清々しいメンバーが揃っておりますのでどうか楽しんでください。


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29日
8:00起床。いつものパン食。

 朝から昼にかけてはこの雨も手伝いなんかお腹の調子が悪し。

13:00、家を出発。15:00の朝涼忌に参加するためです。14:20前後に池袋駅からのバスで間に合うと踏んだのですがコレが大間違い。

 まず、先に寄る予定の薬局で想像より15分程度のロス。その後、ホームセンターはスムース。しかし、なんだかんだで図書館に着いたのが14:00、やばし!ここで問題が!

 雨に打たれた手は乾燥すると異常に水分を奪われるらしく、コピー機のタッチパネルがうまく機能しません。そのためミスプリが2枚発生。返金を求めたらお客様のせいだと言い張り、返金しない。この時点でおかしい。ほかの図書館なら普通に返金されるケースだ。第一20円だし…。

 そして上司に相談すると待たされること10分、係長とそれに順じた係員も出てきて、なんと私が無断で事務スペースへ侵入していることになっている!

 ちょっと待て!コピーの返金求めてるだけで何故そんなことに!というか、まず防犯カメラが設置されているであろうから見てみろ!と言いたい。まず私はカッパを着用のままで乾燥しているから歩くたびにガサガサして内部に侵入すればすぐにほかの事務員が気づく。別に10分待たされたからといって遅いと文句も言っていない。

 けっきょくその疑いが晴れることなく笑顔ですみませんとせせら笑う係長。この態度にキレる。そして20円のコピー代を「返してやるからありがたく思え♪」の態度にキレる。

 これでけっきょく40分以上のロスに!!

 怒りはそのままに北千住の駐輪場へ急ぎ、駅からJRで日暮里乗換えで池袋に。

 ここでバスの停留所探しですが、江古田2丁目行きだけ特殊な場所にあることが判明!これでもまた15分以上のロスに。

 で、16:20、無事に貞源寺へ到着。今年から案内の看板が増えて解りやすくなりました。ちなみにバス停から本当に近くて助かります。豪雨でも耐えられる距離です。

 もちろんこんな時間ですから法要や演武は終了しておりました(汗)懇親会場へ入る前に伊庭家墓所と寺本堂を拝んだ後に会場の寺務所へ。すると知人の方に遭遇。昨年の連絡一件があり、一瞬目を疑いましたが本人でした。懐かしく挨拶を交し、その方がいたおかげで流れが吸スムースに進み、ずぅずぅしくも懇親会のみ参加へ。


 懇親会といえば2000円しか払っていないのですからつまみ少々と飲み物と思っていたらトンデモない!キャビアはあるわ、ローストビーフ、カレーピラフもしっかりしたものを用いている!なんか格安の食事会に紛れ込んだように恐縮しいりです。でも、この時点で足立区で起きたモヤモヤは吹っ飛びました(あとで余韻はきましたが)。

 なぜかモーゼの話も出ました。まぁ、それはさておき、今回は心形刀流の文久2年の序目録が展示されておりました。目録でもしっかり書かれているところが古流なんですよね。北辰一刀流なんかはさらっとしたものです。


 で、懇親会中、主催に関係する永野さんとお話を。ご自身で刊行されている冊子にまず驚きます。これはかなり費用と足を使わなければ揃わない内容のものばかりです。その結晶があの冊子に盛り込まれています。これは感動ものです。個人的には文久元年佐原騒動で幕府代官として当事者だった佐々木道太郎が心形刀流の免許者だったらしいことです。甲斐代官時代に学問だけでなく剣術も教えていたのには驚きました。坪内主馬も似たようなことをしていたので同様事例なのかと考えさせられてしまいました。勉強になりましたことを御礼申し上げます。

18:40ころ、散会となり、バス停へ行くと1~2分で帰りのバスが。これで終点の池袋駅へ。なお、もし来年の朝涼忌で次回このバスを使うなら、行きは目白駅から乗車することをお勧めします。乗り口が簡便です。これを知っていたら15分短縮できました(笑)

20:30、帰宅。途中、体調不良で杖が必須なこともあり、21:00のJINを観ながら休養。

22:00、「千葉の名灸」に出てくる「維新土佐歴史」の話について国会図書館近代デジタルライブラリーで検証。これは土佐側では周布一件とあり、長州側では大森事件として扱っています。しかし、「維新土佐歴史」にある坂本龍馬が絡むのは納得できません。なにしろ公式に絡めば脱藩者ですので捕縛対象となります。なのでほかの部分で傍証を取るしかありません。なんか武市半平太が山内容堂を説得した件もなんか違和感があり、たぶん土佐藩の重役間で解決したのでしょう。これがため、周布政之助は一時麻田公輔と変名することになります。

 こんな調査を終え、1:00就寝。中途半端に寒くて寝つきが悪かったようです。


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26日
3:00、少し目覚める。眠れなくなったのですが、どうも頭の回転がしません。

8:00、疲労で就寝。

12:00、再度起床。整形で注射を打っていただきました。

17:00、違う病院で処方箋を。その後、町屋駅から千代田線で霞ヶ関駅へ。綾瀬寄りの出口から約3~5分で日本プレスセンターに到着します。

 ここで先日紹介いたしました東日本大震災~「その時、地方新聞は」の展示会が催されております。



 そのなかで目を惹くのがコレです。


 かのアメリカの新聞博物館に一部が寄贈された石巻日日新聞です。ライフラインはおろか、記者さえも津波に巻き込まれたなか、江戸の昔でもない、1本のマジックペンで手書きした貴重なものです。それが間近で見ることが出来ます。さきほど津波で巻き込まれた記者の腕章や、津波の被害を受けながらも日本地域紙新聞社に届いた泥かぶりの岩手東海新聞等、とにかく現物を吐息がかかる距離で見れる展示はココだけでしょう。ほかには出来ない内容です。

 なお、スタッフがいれば気軽に声をかけると説明していただけます。28日と30日までの展示となっておりますので、どうかご覧ください。

 その後、解説メンバーと一緒に座談会をし、原稿を渡して気づけば21:00、霞ヶ関から千代田線に乗って帰宅。このときは元気でしたが帰宅後は体力の消耗が著しく、このまま就寝いたしました。


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