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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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 3月となり、今月末、翌月にいただいた案内をご紹介いたします。


~特定非営利活動法人交通文化連盟設立十周年記念~
走将C623機復活25周年記念講演

日時 平成24年3月31日 18:30~20:30
会場 千葉県松戸市
    松戸市勤労会館二階 和室
弁士 特定非営利活動法人交通文化連盟理事長 吉野義将
主催 特定非営利活動法人交通文化連盟文化局
    特定非営利活動法人交通文化連盟鉄道輸送警備隊
後援 未定
募集 二十名(三月三十日期限、定員に達した時点で締切となります)
    どなたでも御参加頂けますが防災上お断りする場合もございます

 一時期、北海道で復活を果たしたC62-3号機についてのお話です。偶然ですが、私も小樽駅を移動中、この機関車がバック走しているのを見たことがあります。とにかく大きい!ほかの蒸気機関車がオモチャに見えます。詳しくはコチラへ。

三十一人会 春の歴史散歩~江戸の切絵図を歩く

日 時 平成24年4月8日(日)12:30
集合地 墨田区役所勝海舟銅像前
コース 

 墨田区役所~墨田公園~牛島神社~すみだ郷土文化資料館~三囲神社~弘福寺~長命寺~白鬚神社~向島百花園~岩瀬忠震の屋敷跡~隅田川神社~木母寺~梅若公園

解散地 東武鉄道鐘ヶ淵駅17:00(予定)
会 費 500円

申し込み方法
ハガキ、
〒195-0064町田市小野路町950三十一人会宛
電話(留守電)
042-736-8777
FAX
042-735-0104

 毎年催されております三十一会主催の史跡めぐりです(年2回)。幕末開国のために第一線で活躍しながら不遇の死を遂げた、幕臣岩瀬忠震を中心に向島を歴史散歩で歩きます。

 また、余談ですが三囲神社は彰義隊に参加した傍系隊士の末裔でもあり、その近辺には沖田総司の兄、沖田林太郎が住んだ地、そして弘福寺には永倉新八、野口健司等の新選組同志が学んだ剣の師匠、百合元昇三の墓所があります。解説付きで巡れますのでどうかご参加ください。

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31日
9:30、起床。後遺症からか、肺から来る背中の痛みがあります。

11:30、ブログ記事の整理。けっこう時間がかかっています。

13:30、家を出ます。友人たちがコミケ出品されて以来行くようになりました。

 ただ、基本的にこみけの趣旨はあまり理解していません。私の中では魑魅魍魎の集いという感覚しかありません。なのでどこのブースに行くこともないのでこの時間の出発になります。その魑魅魍魎に集う方々も

①、デブ
②、メガネ
③、不潔

の三拍子が揃っている方をよく見かけます。いけない、私もこのうち2つ該当する!来年病気をよくして痩せないと仲間に入ってしまう……(汗)


 新橋駅でゆりかもめに乗換え、着きました。ビッグサイトです。入口に入れば魑魅魍魎たちが蠢いています。きっと彼らは「波平さん」を待っているのでしょう。曰く、

「お前ら、なんてバカな格好をしてるんだ!すぐに辞めなさい!!」

とか…(爆)

 で、西館ブースに行くとようやく魑魅魍魎が薄まりまして、日本史探偵団さまと幕末ヤ撃団のブースに挨拶。頂き物をしてしまいまして感謝です。

15:40、ブースを離れ、帰宅へ。やはりこの時間に脱出するのが正解と解りました。まだ混みあいません。ゆりかもめで帰れます。ぐるぐる回ってウザいゆりかもめも帰路は退屈しませんので。


 そういえば、車窓から船の科学館が見えていますが、まだ中の青函連絡船は撤去されておりませんでした。このまま残れば良いのに…と思うのは私だけでしょうか?

で、17:00ころ、田端に到着。これより各種のお買い物。明日の試衛館稲荷での着火墨と紙コップも購入完了。

18:00、帰宅。

19:00、明日発売用の御神籤を作りました。私の販売物はこれだけです。冊子については日本史探偵団、幕末ヤ撃団、市谷柳町試衛館に一任します。ちなみに御神籤の1割を稲荷維持費に、9割は経費と運営資金にします。と言っても百円単位の話でして…。基本的にボランティアです。

20:00、作成終了。御神籤の形に仕上げて出来上がり。

21:00、CD-Rにデータの一部を移す。これで500MBは軽くなったと思います。

 なんだかんだと作業して0:00。親にお年玉をあげてもう仕度して、でも1:00ころ就寝。

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30日(つづき)
 なんとかパレードを抜けて一行は小伝馬町方面へ。

 最初に小伝馬町の碑を見学します。牢獄跡より少し離れています。

 ここから信号を渡って少し行くと十思公園があります。つまりここが小伝馬町囚獄跡になります。公園に向かい合うお寺が処刑場の跡で、幕末には吉田松陰や新選組隊士だった大石鍬次郎も処刑されたと思われます。大石については文書の読み違いで代官屋敷で「斬首梟首」と書いてあるのを同場所と誤解したことによります。梟首は代官屋敷でやるかもしれませんが処刑施設のない代官屋敷で行う理由がありません。どのみちここで多く処刑されたことは間違いありません。

 ちなみに怖い話を……


 この十思公園には新設された地下鉄日比谷線小伝馬町駅のエレベーター出口があります。初めてここを訪れる方がいの一番に目に入るのは……。


 これになります(汗)昔「処刑台のエレベーター」という映画がありましたが、ここは処刑場行きのエレベーターですね(汗)

 なお、ここには吉田松陰の供養碑があります。ほかにもいくつか石碑の類があります。

 ここから更に歩きお玉ケ池周辺の史跡を巡ります。弁慶橋跡あたりで雨がポツポツと…。知らなかったのですが、ここの廃材が赤坂の弁慶堀に架かる弁慶橋の材料に使われたそうです。さすがにもう腐ってないでしょうが…。ソンな話で少し盛り上がりました(笑)

 そして千葉周作道場跡へ参ります。実際には神田駅寄りだということを説明いたしました。

 それから一行は神田川の手前の柳森神社へ。私はというと…。


 このコにやられました。にゃ~と呼ばれるモンだからまたたび攻撃してあげたら「触れ」という合図。当然なでなでしてあげました。周囲を眺めるとタイムカプセルが。開ける日は2011年5月ですが開いた形跡はありません。過去に私の母校でもタイムカプセルを作りましたが一切連絡はありません。どうなったことやら…。

 この後、歩きづめなので、橋を渡った先にあった、今ではめずらしきルノアールで休憩。ここでまったりしてから再度出発。コスプレしたオッサンを見つつ(雨が降ったせいで少なかったようです)、講武所稲荷を見学。そして神田明神へ。すると…。


 こんなのがありました。今年は震災の影響で神田祭りは中止しましたが、代替の祭りなのでしょうか?京都の地震を意識して鬼の首と要石を頭に置いた鯰が本殿に並べてありました。鬼の髪の毛が三陸のコンブのように見えますがボア生地の布でした(笑)ここで地震祈願がありました。

 こんな形で歩いているうちに私と友達以外、一行とはぐれる結果に!とりあえず遅れてはいけないと湯島聖堂へ。16:00を過ぎてましたのでお堂は閉まってましたが本堂前には行くことが出来ました。ここと下の門外で一行と合流。追いつこうと目の前の階段を降りて下へ行く。一行はその階段ではない脇の階段で昇るという超ニアミス!!!

 結局追いつけないままにここが解散場所ということでお友達と解散。レジュメにあった懇親会場へ足を運び、なんとか合流。ここで新選組談義で華が咲きました(笑)特に近藤勇の書が実はアレ(内緒)と同一だったとは驚きでした。「幽霊の正体見たり枯お花」ということです。

19:30、駅で解散して20:00帰宅。とにかく今回歩けたのは杖のおかげです。なにしろ階段を昇り降りするのにどれだけ役に立ったか……。老骨に鞭打つのはいやはや勘弁です(汗)

 こんな感じで21:00から「南極大陸」を鑑賞。面白いですね。役者が演技派を揃えています。下手な映画も叶いません。次回も楽しみです。

 さすがに明日、さらに体調を崩してはいけない事情があったので久々に睡眠薬を服用しました。その効果もあり23:30には就寝できていました。

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30日
 なかなか眠れず…。気付いたら5:30(汗)仕方ないから明日(正確にいえば今日)の準備をして6:00、なんとなくクラっと来たのでチャンスとばかり床に入り就寝!

10:47、起床。アラームは9:30にセットされてるのに起きませんでした(汗)うん、しっかり体調は最悪。ジャンキーしまくりなのは言うまでもありません。

 寝る前に準備をして正解でした。さっさと支度して家を出て、図書館へ寄った後に田端駅へ。東京へ着いたのは11:48。運良く快速に乗れたのが助かりました。また今日は体調のことを考えて杖を持参しました。この杖がこの史跡めぐりでは大活躍でした。

 ここで2人ばかり迷い人を拾って12:00ジャストに集合場所に到着。とりあえず他に迷い人がいないかを確認して12:10に出発。


 最初に寄ったのが千葉定吉道場跡(狩野屋敷)です。ここには案内板が設置されています。
 嘉永6年(1853)11月時点にはここに道場がありました。道が拡幅されてますので道路から歩道くらいまでが境界線でしょう。

 とある本にはここを桶町と書いた本がありますが、それはその著者がインチキ(知識不足ではない)しただけです。桶町はここから3町も離れています。ブームになると平気でインチキを書く方がおりますので困ります。インチキの流布では高知県立坂本龍馬記念館の女性の学芸員某さんも同様ですが、それに騙された関係で中央区は誤った文章が当初掲示板に掲示されてしまい、私の指摘でシール貼りされるに至りました。

 ここから少し歩いて本当の桶町道場跡へ参りました。現在は区画が合併してひとつのビルになってしまいましたが、駅と逆側が道場跡と説明しました。千葉十太郎は明治5年(1872)までこの地にいましたが開拓使に出仕したため、養子の東一郎にこの地を譲り、深川富川町へ引越します。

 ここから中央通りを歩きます。するとトンでもないことに!


 そうなんです。きょうは日本橋百年祭だったのです。最初はクラシックカーの行進から始まり、バンド隊、武者隊、八木節隊、相馬野馬追隊等、さまざまな集団がパレードを開始したのです。いやはや…これに釣られて史跡めぐりの一団の足が遅くなること……。なにせ日本橋三越前を抜けるまでに1時間はかかったと思います。面白いことは面白いのですが、本来の趣旨とはずれてしまうので主催側はあせります。

 こんな感じで最初はサプライズがありました。

(続く)
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16日

7:08、定刻通り東京に到着いたしました。最近続く体調不良もありましたが、神戸以降は揺れが少ないことから寝ることが出来ました。やはりサンライズが一番です。

8:00、帰宅。荷物をほどいて一段落いたしました。帰宅すると準備会の方々からメールが届き、昨日の講演の模様が新聞に掲載されたことを教えていただきました。詳細は別途掲載されるそうです。

11:40、支度して北千住へ。

12:00、千葉家一族の方々と無事落ち合うことが出来まして食事場所へ移動します。

12:10、食事場所へ到着。さっそく食事会が始まりました。


 画像から見て左側手前が千葉栄次郎と千葉定吉の子孫で、奥が千葉周作の兄、塚越又右衛門のご子孫。右側手前が千葉重太郎の養子、千葉東一郎のご子孫で、奥が千葉周作の総本家のご子孫となります。

 みなさん席についたらもす自然と全員一気に話で盛り上がりまして留まることろを知りません。相継ぐお話で全員が話題豊富に語り遭いました。やはり皆さん一族の方々というのが肌で解るのでしょう。そうでなければぎこちないところが出てくるものです。

 なにせこちらの明治期のご子孫は千葉さなをキーワードとして交流があったわけで、千葉さな没後は共通の交流がなくなっていました。そういう意味で100ぶりの再会といえると思います。

15:00、話題が尽きないままに閉会。帰りにひので屋へ寄り、さなカステラがひっきりなしに売れまして売切御礼。この後、他の方々と別れ、塚越さんのご子孫とのみ千住の地を案内いたしました。千葉さなの灸治院2ケ所と塚越さんの祖母の実家等、看板がほとんどないので口頭の説明が多くなります。

16:30に町屋駅で別れ、17:30に帰宅。

 さすがに疲労の極地でしたので、身体を休め、起きては寝ての繰り返しで就寝いたしました。

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