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うん、まぁ
あさくらゆう ろじねこ@出羽守さま、コメントありがとうございます。
実際ひと懐っこいコでしたよ。やはり鳴いてくれるコに悪いコはいません。
無題
ろじねこ@出羽守 にゃ~、と呼ばれると、確かにやばいですね^^;
画面だと機嫌悪そうな表情なのは「ニャンで無視すんのだにゃ?」って意味合いなんですかね。
あさくらゆう ろじねこ@出羽守さま、コメントありがとうございます。
実際ひと懐っこいコでしたよ。やはり鳴いてくれるコに悪いコはいません。
無題
ろじねこ@出羽守 にゃ~、と呼ばれると、確かにやばいですね^^;
画面だと機嫌悪そうな表情なのは「ニャンで無視すんのだにゃ?」って意味合いなんですかね。
30日(つづき)
なんとかパレードを抜けて一行は小伝馬町方面へ。
最初に小伝馬町の碑を見学します。牢獄跡より少し離れています。
ここから信号を渡って少し行くと十思公園があります。つまりここが小伝馬町囚獄跡になります。公園に向かい合うお寺が処刑場の跡で、幕末には吉田松陰や新選組隊士だった大石鍬次郎も処刑されたと思われます。大石については文書の読み違いで代官屋敷で「斬首梟首」と書いてあるのを同場所と誤解したことによります。梟首は代官屋敷でやるかもしれませんが処刑施設のない代官屋敷で行う理由がありません。どのみちここで多く処刑されたことは間違いありません。
ちなみに怖い話を……
この十思公園には新設された地下鉄日比谷線小伝馬町駅のエレベーター出口があります。初めてここを訪れる方がいの一番に目に入るのは……。
これになります(汗)昔「処刑台のエレベーター」という映画がありましたが、ここは処刑場行きのエレベーターですね(汗)
なお、ここには吉田松陰の供養碑があります。ほかにもいくつか石碑の類があります。
ここから更に歩きお玉ケ池周辺の史跡を巡ります。弁慶橋跡あたりで雨がポツポツと…。知らなかったのですが、ここの廃材が赤坂の弁慶堀に架かる弁慶橋の材料に使われたそうです。さすがにもう腐ってないでしょうが…。ソンな話で少し盛り上がりました(笑)
そして千葉周作道場跡へ参ります。実際には神田駅寄りだということを説明いたしました。
それから一行は神田川の手前の柳森神社へ。私はというと…。
このコにやられました。にゃ~と呼ばれるモンだからまたたび攻撃してあげたら「触れ」という合図。当然なでなでしてあげました。周囲を眺めるとタイムカプセルが。開ける日は2011年5月ですが開いた形跡はありません。過去に私の母校でもタイムカプセルを作りましたが一切連絡はありません。どうなったことやら…。
この後、歩きづめなので、橋を渡った先にあった、今ではめずらしきルノアールで休憩。ここでまったりしてから再度出発。コスプレしたオッサンを見つつ(雨が降ったせいで少なかったようです)、講武所稲荷を見学。そして神田明神へ。すると…。
こんなのがありました。今年は震災の影響で神田祭りは中止しましたが、代替の祭りなのでしょうか?京都の地震を意識して鬼の首と要石を頭に置いた鯰が本殿に並べてありました。鬼の髪の毛が三陸のコンブのように見えますがボア生地の布でした(笑)ここで地震祈願がありました。
こんな形で歩いているうちに私と友達以外、一行とはぐれる結果に!とりあえず遅れてはいけないと湯島聖堂へ。16:00を過ぎてましたのでお堂は閉まってましたが本堂前には行くことが出来ました。ここと下の門外で一行と合流。追いつこうと目の前の階段を降りて下へ行く。一行はその階段ではない脇の階段で昇るという超ニアミス!!!
結局追いつけないままにここが解散場所ということでお友達と解散。レジュメにあった懇親会場へ足を運び、なんとか合流。ここで新選組談義で華が咲きました(笑)特に近藤勇の書が実はアレ(内緒)と同一だったとは驚きでした。「幽霊の正体見たり枯お花」ということです。
19:30、駅で解散して20:00帰宅。とにかく今回歩けたのは杖のおかげです。なにしろ階段を昇り降りするのにどれだけ役に立ったか……。老骨に鞭打つのはいやはや勘弁です(汗)
こんな感じで21:00から「南極大陸」を鑑賞。面白いですね。役者が演技派を揃えています。下手な映画も叶いません。次回も楽しみです。
さすがに明日、さらに体調を崩してはいけない事情があったので久々に睡眠薬を服用しました。その効果もあり23:30には就寝できていました。
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なんとかパレードを抜けて一行は小伝馬町方面へ。
最初に小伝馬町の碑を見学します。牢獄跡より少し離れています。
ここから信号を渡って少し行くと十思公園があります。つまりここが小伝馬町囚獄跡になります。公園に向かい合うお寺が処刑場の跡で、幕末には吉田松陰や新選組隊士だった大石鍬次郎も処刑されたと思われます。大石については文書の読み違いで代官屋敷で「斬首梟首」と書いてあるのを同場所と誤解したことによります。梟首は代官屋敷でやるかもしれませんが処刑施設のない代官屋敷で行う理由がありません。どのみちここで多く処刑されたことは間違いありません。
ちなみに怖い話を……
この十思公園には新設された地下鉄日比谷線小伝馬町駅のエレベーター出口があります。初めてここを訪れる方がいの一番に目に入るのは……。
これになります(汗)昔「処刑台のエレベーター」という映画がありましたが、ここは処刑場行きのエレベーターですね(汗)
なお、ここには吉田松陰の供養碑があります。ほかにもいくつか石碑の類があります。
ここから更に歩きお玉ケ池周辺の史跡を巡ります。弁慶橋跡あたりで雨がポツポツと…。知らなかったのですが、ここの廃材が赤坂の弁慶堀に架かる弁慶橋の材料に使われたそうです。さすがにもう腐ってないでしょうが…。ソンな話で少し盛り上がりました(笑)
そして千葉周作道場跡へ参ります。実際には神田駅寄りだということを説明いたしました。
それから一行は神田川の手前の柳森神社へ。私はというと…。
このコにやられました。にゃ~と呼ばれるモンだからまたたび攻撃してあげたら「触れ」という合図。当然なでなでしてあげました。周囲を眺めるとタイムカプセルが。開ける日は2011年5月ですが開いた形跡はありません。過去に私の母校でもタイムカプセルを作りましたが一切連絡はありません。どうなったことやら…。
この後、歩きづめなので、橋を渡った先にあった、今ではめずらしきルノアールで休憩。ここでまったりしてから再度出発。コスプレしたオッサンを見つつ(雨が降ったせいで少なかったようです)、講武所稲荷を見学。そして神田明神へ。すると…。
こんなのがありました。今年は震災の影響で神田祭りは中止しましたが、代替の祭りなのでしょうか?京都の地震を意識して鬼の首と要石を頭に置いた鯰が本殿に並べてありました。鬼の髪の毛が三陸のコンブのように見えますがボア生地の布でした(笑)ここで地震祈願がありました。
こんな形で歩いているうちに私と友達以外、一行とはぐれる結果に!とりあえず遅れてはいけないと湯島聖堂へ。16:00を過ぎてましたのでお堂は閉まってましたが本堂前には行くことが出来ました。ここと下の門外で一行と合流。追いつこうと目の前の階段を降りて下へ行く。一行はその階段ではない脇の階段で昇るという超ニアミス!!!
結局追いつけないままにここが解散場所ということでお友達と解散。レジュメにあった懇親会場へ足を運び、なんとか合流。ここで新選組談義で華が咲きました(笑)特に近藤勇の書が実はアレ(内緒)と同一だったとは驚きでした。「幽霊の正体見たり枯お花」ということです。
19:30、駅で解散して20:00帰宅。とにかく今回歩けたのは杖のおかげです。なにしろ階段を昇り降りするのにどれだけ役に立ったか……。老骨に鞭打つのはいやはや勘弁です(汗)
こんな感じで21:00から「南極大陸」を鑑賞。面白いですね。役者が演技派を揃えています。下手な映画も叶いません。次回も楽しみです。
さすがに明日、さらに体調を崩してはいけない事情があったので久々に睡眠薬を服用しました。その効果もあり23:30には就寝できていました。
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ろじねこ@出羽守さま、コメントありがとうございます。
実際ひと懐っこいコでしたよ。やはり鳴いてくれるコに悪いコはいません。
実際ひと懐っこいコでしたよ。やはり鳴いてくれるコに悪いコはいません。
にゃ~、と呼ばれると、確かにやばいですね^^;
画面だと機嫌悪そうな表情なのは「ニャンで無視すんのだにゃ?」って意味合いなんですかね。
画面だと機嫌悪そうな表情なのは「ニャンで無視すんのだにゃ?」って意味合いなんですかね。
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