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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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19日
 基本的に本日は宣伝です。

 体調不良は続いたままに1:30には就寝。

 結果的に16:00起床。ダメージ大です。ついでに肩痛もけっこうな感じで…。

 なので、17:20には内科病院へ。18:20には整形外科へ。

 本当は17:30から始まっております「梁山泊」の会合ですが、着いたのは20:00ころでしょうか?まだお話は過熱しておりました。

 お題は「津波と地名」についてです。「津」→「港」や「田」→「所」というのが印象的でした。

 で、このメンバーが中心となって上記画像の展示会が催されます。主催はこの梁山泊メンバーの幹部、長沼節夫氏で、「3.11大震災被災地新聞を支援する会」です。

 とにかく凄いのは、東京では滅多にお目にかかれない、米国にも寄贈された「石巻日日新聞」のアノ「壁新聞」の現物や、3.11の津波に呑まれても日本プレスセンターに届いた泥だ付いた新聞等、当時の地域新聞が、あのままで見ることが出来るそうです。聞いた話によると、津波情報が入ってゐの一番に逃げたのが大手新聞社の方々だそうです(避難指示に従ったようです)。オフレコ過ぎて言えないことも多いですが、その現地を掻い潜って、必死で取材して報道し続けた地域新聞の記者魂がこの展示会で見れるのではないでしょうか?

 ちなみに無料です。

場所:千代田区内幸町2-2-1
    日本プレスセンタービル1F玄関フロア

時間:9:00~18:00

期日:5月24日~5月30日

 土日も観れますので、どうか足をお運びください。


 これは関係ありませんが、宮古市の被災現場の一部です


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 ついに流山駅前でガンダムとガラモンとの格闘開始です!ピグモンと誤解されないよう、ガラモンは衣装を纏っています




 ……ではありません。本当はコチラ。


 流鉄流山線で唯一の3輌連結の列車、若葉号引退の日でした。2輌でもガラガラな電車しか乗ったことのない私としては、3輌の意味が解っておりませんでしたが、やはり運用面にいろいろあり、引退されたようです。この日は交通文化連盟の方々は任務に当っており、北総新選組より花束贈呈が贈られました。地域密着の団体だからこそと言えるでしょう。

 ここになんと、


 マジンガー大久保さんの登場です(ぽっ♪)。なんと流山駅に颯爽と登場(入場券をしっかりご購入して)!!!一気に流山駅周辺は魑魅魍魎も怖れる修羅場と化しました!

 しかしご安心をマジンガーさんのブレストファイヤーを使わずに流鉄さんと警備の方、そして交通文化連盟の方々のご協力によって悪は退治されました……ちゃんちゃん♪


 マジンガーさんがなんと新選組のハッピを着るとネコも喜び庭駆け回ります。

 こんな感じで最後には大砲で止めを!と思ったら、威力半減となってしまい、今回の戦いはおしまい。

 この後は皆様方と和気藹々に団欒なお話タイムとなり、今度はマジンガー氏VSガラモン、あるいはガンダムVSガラモンも面白い、なんて話しも。

 こんな話に夜も更けて、23:10に流山駅に。ジリジリジリッ!と鐘が鳴るなか、一緒だったAさんが切符購入中だったので、「ちょっと待ってー!」と言ったら、「大丈夫ですよ~♪」と駅員さん。なんか嬉しくなりますね。大好きになりました流鉄。

 なんやかんやで0:30、帰宅。夜も更けました。


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5日
7:00、起床。少々身体が不自由。昨日の後遺症か?

8:00、朝食。少々軽めに。値段が安い割りには牛乳もあり満足です。ここはバイキング形式でした。

8:56、部屋を出る。8:57、チェックアウト。駅の近くなのですが少し急ぎ足で駅へ。

9:02、酒田駅発。本当にギリギリ、10秒もなかったような…(汗)これを逃すと大変なことになります。やれやれ。途中の余目で知人の編集長と遭遇。清川駅をともに降ります。今年は寒波が引かず、いつも満開か散り気味のホーム上にある桜が蕾です。今年の豪雪でけっこう柵なんかが各所で被害を受けています。地震の影響でなかったことに安堵いたしました。

 少し駅を歩きますと、例大祭参加の方々が。お言葉に甘えて神社まで搭乗させていただきました。


 車で3分、神社に到着です。久々の方々に挨拶の後、荷物を記念館に預け、神社内へと入ります。


10:00、定刻通り、式典が催されました。疲労でしょう。玉串奉納を間違えました(汗)

11:00ころ、直会となり、さまざまな方とお話いたしました。ただ、体調が思わしくなかったので大したことも出来ず、注力はスピーチに捧げました。今回の震災と安政地震と掛けて清河八郎の不屈の信念をお話したと思います。

13:00ころ、今回、大川周明のご子孫、大川賢明さんと多く話すことが出来ました。けっこう無礼なお話をいたしましたがお許しください。実は東京裁判の一件について私見を述べました。もちろん調査した訳ではなく、私の想いです。東京裁判で大川を狂人にする必要があったのではないか、ということです。狂人にすることにより亜細亜政策、過去の欧米による植民地化の過酷な弾圧、日本によるインドとの共闘関係、奴隷解放といった日本側に有利となる材料を大川は情報を持ちえていました。それを封殺することによって支配者である連合国のシナリオ通りに進めたのではないかというものです。第一「脳梅毒」という梅毒という病名に不信感を持っています。発狂した原因が他に起因するのなら解りますが、サルバルサンを用いずに治した、そしてのちの治療を行ったかも不明なのに驚きを覚えています。

14:00、今回は大川周明顕彰会の方々の好意に甘えて酒田の町の案内をしていただきました。まず、土門拳記念館では写真展が開かれており、有名人写真がいくつも展示されておりました。驚いたのはザ・ドリフターズの写真も土門さんの作品だということです。昭和43年とありましたから、ブレイク寸前のもので、一生懸命売り出す直前ということでしょう。イメージとして芸術作品の撮影というイメージでしたから意外でした。でも、こういうことを言うとドリフに失礼ですね(汗)失礼いたしました。

 次に茶室の案内と、最後に日和山公園を案内いただきました。この公園から見える日本海の景色で心が洗われました。直近に見た海は被災した宮古でしたから、穏やかな海に精神的に気分が良くなりました。


 ただ、体調的には左肩の激痛から来る頭痛が取れなかったのが最悪でしたが、なんとかジャンキーとなって防禦。その後、お店でご馳走になり、わざわざ酒田駅で寝台列車の時間までお世話いただくことに。本当に感謝の念に堪えません。心より感謝申し上げます。

 で、22:55には酒田駅に入り、顕彰会のOさんとお別れし、ホームで寝台列車「あけぼの」を待ちます。同列車は定刻通り入線。実はこの時まで予約した切符が上段ということを知らなかったのです(汗)で、指定の場所へ行きますと、下段で鼾の音が(汗)列車の振動に負けていないものですから、車掌さんに場所替えをお願いしたところ、しばらくして案内いただけました。その車掌さん、多くの荷物を持っていることを知ってわざわざ荷物の一部をお持ちいただきとても助かりました。とても爽やかな方で、この列車はこういう乗務員の方々に支えられているのだと思いました。そういえば秋に乗車したときの車掌さんも良い方でした。それがこの列車の乗車率を上げている要因なのかも知れません。本来なら廃止対象列車ですから。

 で、案内していただいたのは車端の方で、鼾関係は問題なし。扉の向こうには更衣室もあり、扉3枚隔てたトイレでは清潔感を保つために洋式でビニールカバーがあり、芳香剤までありました。こういうソフト面の改良は助かります。

 こうして村上以降ですぐに睡眠に入り、一路上野へと列車は走って参りました。


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23日
2:40、起床。

3:00、「千葉の名灸」の句読点付与を開始。

4:00、終了…。長かった…。

5:00、人物リストの推敲完了。

7:00、冒頭文完成!!さぁ、最後はついに解説文です。50枚を予定していますが100枚近くなりそうです(汗)それだけ補足が必要になります。

13:00、家を出発。北千住より永田町へ参ります。間引き運転のせいで車内は混みあっています。

13:50、国会図書館に到着。各種資料の請求をしましたが、書籍はついに利用中のまま見ることが出来ず。個人的には余禄的に取った「伝記」が面白く、16:40までかかってしまいました。新聞では京都叛獄事件の記事を入手。これでなんとか落ち着きました。

16:50、同所を辞去。雨が断続的に降っています。

17:30、四谷の春廼舎へ。河内貞芳さんの講演です。自身が実際に行った墓参りの苦闘記です。こうしたフィールドワークは聞いてて共感できるものです。高知県の違法建築マンションや、三宅島のガスマスク墓参については、最初からガスマスクを持参していたことに、ガスマスクって普通に購入できるのね♪と思ってしまいました(笑)


 写真撮影したら逆光でした(汗)

 講師の河内さんです。

で、18:30ころより懇親会となり、様々な方とお話ししました。こちらも様々な方々とお話できて楽しいひとときを過すことができました。これも河内さんの人望の賜物でしょう。

 ひとつだけ怒りを覚えたのは糞尿男に阿りたい方の件です。「糞尿さまに逆らうな!糞尿さまは素晴らしいのだ、糞尿さまをうやまえ!」みたいな感じのことを言われました。史学にとって害毒意外の何者でもない御仁をうやまうことはありえませんのでしっかり固辞いたしました。こういう言葉を聴くだけで不快になります。「糞尿さま、あさくらを屈服させました♪」とでも言いたかったのでしょうか?
 そもそも考えればこうなるのも糞尿男の卑劣な手段とも言えるでしょう。これも糞尿列伝のなかで忘れられないひとつとなるでしょう。圧力には屈しません!!

閑話休題、

23:50、終電の危険を感じて同店を辞去。0:02の曙橋の終電にギリギリ間に合い、同じく0:18の千代田線の終電にギリギリ間に合い、0:50ころに帰宅。1:30までには就寝。



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3日
6:00、時刻通りバスは名古屋駅へ到着。

6:12、大垣行きの電車に乗車。大垣から乗り換え。ここで接続待ちのため電車が遅れる。ちなみに米原で接続予定だった姫路行きは列車故障のため運休。最近こういうことがよく起ります、JR西日本(一部運行地域にJR東海が入りますが、基本的に運行、車輌はJR西日本)。

7:45、食事も出来ず新快速に乗車。朝開いているとおもった駅そばはお休みでした(汗)

8:40ころ、京都駅着。身体が寒い、寝不足からでしょう。駅うどんでしぐれ肉うどんを賞味。こういうときは汁ものが一番温まります。

9:00、地下鉄に乗車。9:20、北山へ到着。駅からすぐの京都府立総合史料館に入ります。ちなみにこの建物は木曜20:00のテレビ朝日系の刑事ドラマでロケされています。

 中に入り、見たい史料の目録を閲覧します。井口家文書と柳原家文書です。井口家は個人的に満足いくものはなく、ただ、近江屋は坂本龍馬暗殺前よりももっと前、2月から海援隊と付き合いがることが文書で解ります。陸奥陽之助(宗光)の借用証文等がります。ちなみに閲覧のみで複写不可です。原本は京都国立博物館に所蔵されています。
 
 次に柳原家文書ですが、ここは公家伝奏の関係で多くの方が参内します。伊東甲子太郎が建白したのもココです。もちろん記述は確認できました。面白いのは6月に土方以下4名がここへ押しかけ、のちに近藤が訪れていることです。たぶん謝罪でしょう。身分が「壬生浪」にも感慨深いものがあります。

 ほかに近代文書では「千葉の名灸」の裏づけとなる人物調査です。明治14年の叛獄事件関連は確認できましたが、京都与力の確認は出来ませんでした。

 こんな調査をしてるうちに会計を済ませ、時間は12:10。予定通りです。13:00発の新快速に乗車するため地下鉄で京都駅へ戻り、少し買い物する余裕もありました。さすがに食事の余裕はありません。

13:00、無事新快速に乗車し、13:33に近江八幡駅に到着。思ったのがJR西日本ですね。震災に被災していないし、電力に問題はないのでエスカレーターが普通に動いています。売店の陳列棚は震災前の普通の光景です。こういうことを思うところが私も被災者だと感じるところです。


13:40、近江鉄道で八日市駅へ。電車が当りです。大河ドラマ「江」の影響でヘッドマーク付きです。個人的に何が当りかと言うと、この車輌だけクロスシートで乗り心地が良いのです。あとはすべてロングシートの古い車輌。ラッキーです。寝不足には助かります。

14:00、八日市駅に到着。14:05、永源寺経由バスに乗車。川合寺まで乗車します。降りると吹きっ晒し。四方を遮るものがないため、日差しより風の冷気で凍えます。少し歩いて民家が密集する場所になると風の影響を受けないため、元の暖かさになります。


 目的地はココです。西蓮寺と言います。ここで織田瑟瑟の桜画展示が催されております。そう、


 織田です。織田一族のひとり、800石の旗本織田家の知行地の菩提寺となります。織田瑟瑟はその家の分家にあたります。このハス向かいに一時、明治維新期には旗本織田家もここに居住します。本当は織田家は高家なのでこの地に留まりたかったのですが、新政府より東京への帰還を命じられて戻ります。その際、元家来が士官しますが断ります。その逆恨みで一家虐殺されてしまいます。

 偶然、ひとり川合寺に残った信吉は災禍を逃れ、一家の仇を討つため東京へ参ります。すると犯人は捕らえられ、死刑が確定しました。仇討ちはもう禁止されておりましたが、斬首刑の際、信吉がその執行人となりました。明治初期のファジーな感覚ですね。叔父の織田主膳に扶けられ、のちに信吉は主膳が出家した真宗の寺院にともに出家します。明治23年ころに信吉は浅草法恩寺の住職としてこの世の一生を終えました。

 ちなみにこの叔父、織田主膳は彰義隊の幹部では有名で、箱館戦争まで津田主計と改名して従軍した強者です。

 ひさびさに住職と邂逅して帰りはJR能登川駅まで送っていただきました。ありがとうございます。人と人との縁は嬉しいものです。

 この後、そのままJRで北上して、米原、岐阜と乗り継ぎます。17:00には岐阜へ到着。さっそくホテルへチェックインし、寛ぎます。寝不足ですが、変に目が冴えています。

 そして食事を名鉄岐阜近くの「ふくべ」で味噌カツを。いつも馴染みなので安心していただけます。TVでは宮古市の映像が。客の女性が被災地よりも被災地にいるおばちゃんを見て「99歳すげ~!」とか言ってました。東日本と中日本の感覚なのでしょう。この地域では震災の影響はほとんどありませんから夢物語に見えるのでしょう。

19:00、ホテルへ戻り、何気にTVを観ると時代劇が。そう、家ではBS解除して観ない決心をした「新選組血風録」が放送されておりました。1話は当然虎徹の話なのですが、変です。時代の流れを作るために芹沢鴨を挿入しています。私にはこの役者がどうしてもジャイアンのヅラバージョンにしか見えなかった…。それに貫禄もないし、ただのダダっ子にしか見えないからもし私だったらコンな魅力のない奴にはついていかない。絶対に斬り合いのシーンとか逃げそうな雰囲気出してるし…。ちなみに近藤勇役のみは当りです。だからなおさら芹沢役の役者がスネ夫のような性格に見えます。
 ちなみに一番輝いていたのは近藤正臣演じる鴻池善左衛門ですね。京都出身だけあって、間の採り方や話し方に違和感がまったくない。威圧感が凄いですね。今回は役者は極端です。斉藤一役はなんかハタ坊なみに見えます。

 もちろん時代考証は糞尿男。次回からは観る機会もないし惜しくもないからちょうど良いですね。ブログ記事で類推できそうです。

 こんな感じでしたが、寝不足が祟り悪寒が走り、毛布をいただきました。こうして22:00には就寝できました。


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