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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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28日
7:00、起床。どうも夢が昨日の国会図書館で請求した米沢が印象に残ったのでしょう。途中2回ほど目覚めましたが、夢は全部「米沢」ばかり…(汗)福島と張り合うのが笑えますがシツコイです。夢ではプロ野球の誘致までしちゃいましたが、なんか私の米沢感の深層心理がこうなのでしょう。

7:30、この前録画していたブラタモリを鑑賞。私が記憶した頃はこの鉄道総研の引き込み線が国立から出てた記憶があります。いまは知られることはないですが、立川周辺って引き込み線だらけの路線でした。マニア垂涎でしょう(笑)餘部橋梁が出てきたので懐かしく感じました。2度ほど旧橋梁から眺めたことがありますが、本当に絶景でした。新橋梁はやはりコンクリートの壁が邪魔ですね。まぁ、あとは鉄道マニア向けということで。

12:00、食後、急激に熱が出て横臥。咳が出たので風邪です。薬で対処。

15:20、国会図書館へ。どうしても見たい史料がありましたので根性を出しました。

 先に近代デジタルライブラリーの書籍を。隣のオヤジが機械にキレまくってました。やはり…と思ってたのの的中です。絶対こんな人現れると思ってました。

 次に新館4Fの新聞コーナーへ。今年初めてですが、大して手続きは変わりません。請求書は手書きのままです。

 そしてメインの憲政資料室へ。どうもひとりフテくされた態度の職員がいらっしゃる。さっそく閲覧しますが、マイクロフィルムでかつかなり後ろの方…(汗)時間がかかります。とりあえず1本目のマイクロは終了して2本目を。期待してたのとは違いますが、最近よく出る新選組(当時は壬生浪士)の史料があったのでこれを複写申請。16:00〆切のところ、15:59になってました。すかさずフテ職員は

「後日ですよね」

はぁっ?

 時間ギリギリに出す人もいますよね。特に早めに出して欲しいとかの呼びかけもなく、時計代わりの携帯を忘れたので時間は16:00より手前だったのは存じてます。普通は利用者の便宜を図ろうとしますがそのフテ職員は「機械に時間がかかる」とかのたまって利用者の便宜を図る気は一切ない。

 ちなみに昨年のシステムなら1分前でも自身である程度手続きできて機械もトロくないので間に合います。それを勝手にシステムを変えて機能が遅くなったのまで利用者に責務を負わせるのはおかしい訳です。

 とにかくも、こんなことで喧嘩しても仕方がないことなのでココは許しました。

 で、2Fの複写カウンターで申請し、近デジのコピーを受け取ります。著作権のことを聞かれましたが、てっきりすべて著作権の切れているものを扱っているものと思ってましたが違うようです。コンビニの確認ボタンみたいのを押します。私が請求したのは昭和20年発行ですのでたぶん著作権は切れているでしょう。枚数も11枚でしたし。

 その後、新聞資料室でマイクロを閲覧。期待したものはありましたが内容は残念でした。まぁ、あったのですからソレはソレで。

16:30、憲政資料室へ戻ります。さきほど複写したマイクロを再度見ようとしますが、新しい機械で見ようと座ります。縦画面になってましたが、携帯みたいに縦横自在だと思い込んで作業をします。アレッ?横にならない?マイクロ自体は横撮影なので90度ズレる。フテ職員に聴くと曲がらないと言う。当然そのことは説明書きに書いていない。マイクロを巻いてる状態でヨソの席で見ろという。面倒なのでその席で画面は小さくなってもよいからと反転させようとするも、うまくいかない。もう一度フテ職員に尋ねるとアチコチいじくって、結局画面が切れる状態で、「コレが限度です」とかのたまう。いかにも私が悪くない、さっさと席を移ればよいのに、みたいな態度で半分キレられながら席に戻る。その瞬間、私の脳内の回路が沸点に達します。

 さっそく席に戻ったフテ職員に抗議します。場面を見ていたほかの職員が上司を呼びにいきます。説明の不備がありながらフテくされた態度で、そのフテ職員の説明不足と言い訳に少しあきれて沸点が下がります。まるで小学校のHRみたいな言い訳女子みたいな感じなのです。いい大人なのに…。

 で、上司登場。事情を説明し、とりあえず逆ギレしつつフテ職員が誤ることに。で、

ドーモすみませんでした!(怒)



(んっ!)

 お笑い芸人に「響」というのがいるのですが、その演じるミツコのネタ?と思うような態度に私は無言の対処。空気を読んだ上司がちゃんとしたお詫びを指導。ちなみに一度上司が促したお詫びはフテ職員、スルーしてました。

 とにかくも「頭を下げたお詫び」がありましたので腹の中と顔つきは無視したことにして鉾を収めました。ちなみに今回、風邪で体調がよくなかったのと、あまりの「おフテ」のおかげで沸点に達しても声が大きくならなかったので周りに迷惑をかけずに済みました。たぶん、自身はこのセクションにいたくないのでしょう。でなければ利用者視点が一切ないこの態度が頷けます。公務員ですからクビにもならない。再度問題があったら困り物です。ただでさえシステムが変わってサプライズなトラブルがプチ続いているのに、それを利用者の自己責任にしようとするのはたまりません。一生懸命ハンデを克服しようと頑張ってる職員もいるなか、迷惑以外のなにものでもありません。

閑話休題、

17:10、同所を辞去。体調が芳しくないのでスーパーに寄った後、そそくさと帰宅。

23:30、さすがに体調が心配になり、風邪薬と眠剤を服用して就寝。

(画像は先日撮影した御所ねこ)
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27日
8:00、起床。よく眠れます(汗)体調不良なのは目が覚めたとき、頭に熱があるので解ります。風邪なのでしょうが、安静にしている分、本来ならひどくなるのが水際で停まっています。

14:00、家を出て国立公文書館に到着。主に府県史料を閲覧します。どうもデジタルアーカイヴの表示が速くなった気がします。偶然ですが座った検索パソコンの隣でオジさまが猛抗議。たぶんその係員に言っても改善は無理だと思うのですが…。もちろん国云々の話は出てましたがすぐに改善は無理でしょう。ちなみに応対する担当スズキもダメです。右から左にスルーします。それでも最近は良心ある人間がこの施設の幹部にいるのでしょう。ずいぶん改善されました。あとは分館対応ですね。それが出来れば便利になります。

15:30、同所を辞去して国会図書館へ。本館へも入れるようになりました。ただし切り替え手続き等は新館のままです。

 で、多機能機械を使用しようとしますが、本来の画面までに至るまで2分以上かかります。コレってけっこうストレスフルです。ようやく画面が出ても、気付いたのは、例えば「建築雑誌」と入力します。これを簡易検索しますと1,000件単位で表示されます(汗)前の機能ではありえないことです。そのために詳細検索して項目を選び(本、雑誌等の別)、「タイトル」で入れないと目的のものに到達できません。ちなみに「雑誌記事」に依存するのは危険です。全部が網羅されているわけではありません。

 今回は米沢、出石関係の閲覧を主にしました。時間がなかったので憲政資料室は今回遠慮しました。その代わり次回は期待するものが出来ました。あと、今回、八重が寄留した米沢の内藤家は「酒好き」なことのみ解りました(爆)

 で、例の問題である到着確認ですが、やはり私もイラチになって機械から離れることができませんでした(汗)届いてから複写申請するのですが、5分前に至ってはなんとパソコンが激重!なんとか1分前に送信終了!で、今回分離したプリンターより出力しようとしたところで18:00のチャイム。それでも5秒後に手続きしますが出ない…。係員も七転八倒、とりあえず後日申請でプリントして一緒にコピー担当で交渉します。おかげで時間はかかりましたがなんとかなりました。

 あと、不便なものですと、デジタルアーカイヴになったものがドチラかに入っているかも判断が難しいです。「近代デジタルライブラリー」と「デジタル化図書」と2種類あります。もちろん「近デジ」でも館内閲覧のみの図書もあります。その判断が難しい。一番大変だったのは雑誌の検索で、最終的に請求記号で検索しました。これって絶対一般利用者では判断できません。

 いやはや…多機能になったのは良い部分もありますが、ともかくサーバーの増量は急務です。本当に立ち上がりが悪い、特に17:50台になったら図書の請求はあきらめた方が良いかもしれません。

18:40、ひと通りコピーも受け取れたので退出。課題はまだある国会図書館を辞去します。外はまだ凍結している部分もあるのでスピードは控え目に。

 で、今回ひさびさにスマトラカレー共栄堂へ。ここには昭和の時代から訪れていますので25年は通っています。タンカレーをいただきます。というか顔を覚えられています。ただ、世代交代なのかご主人はお出かけで若い人になっています。25年といえば40歳も65歳になるからそうですよね。私も齢をとりました(笑)そういえば、白山にあった「じねんじょ」はとうとう撤退してラーメン屋になってました。平成3年より通って最後に入ったのは震災直前。20年に栄枯盛衰、とうとう永年の店が消えました。あっ、店自体は谷中にありますので味自体が失われたわけではありません。

閑話休題、

 私がこの共栄堂で必ずいただくもの、それがコレです。


 焼きリンゴです。11~4月までの限定発売ですが、コレ目的に行く部分は強いです。最近はその期間以外に訪れる機会が少なくなりました。この原始的な味が好きなのです。リンゴの酸味とクリームの絶妙な感覚が最高です。最近は昔ながらのメニューを出すところは減りましたので貴重です。

20:00、帰宅。バタバタしまして、そこに睡魔も。昨日までは寝ている時間です(汗)で、つい2時間ドラマを観てしまい、23:00に図書館で取得したコピーも見ずに就寝。

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 14日、国立国会図書館へ行ったときの出来事です。

 まず、HPですが検索ページが変わりました。

 これについては各人のブログで疑問を呈している方も多いのでアレですが、確かにキーワードが曖昧ですとかなりの時間を要します。逆にかなりの時間を要する代わり、以前の検索システムにあった200件縛りがなくなりました。なので検索自体は1歩前進1歩後退という感じです。

 問題は訪れたときです。

 まず、受付でシステム変更に伴い利用カードが変更となりました。国会図書館はビジターと利用者と別れており、土曜日ということも手伝ってこの日はビジターが多い日、なので激混みしてたのは言うまでもありません。まぁ、それと代わり、利用者が少ない時間帯だったようで、ビジターの受付は1名に対し、利用者は2名体制でした。優遇された私は良いですが、ビジターはたまったものではありません。最低でも10名以上の列があり、いやはや…です。で、21日までは本館も機械の導入が終ってないため、新館しかないのも理由ですが、どちらにしてもビジターの利用者は大変です。

 つまり、以前は登録者カードと図書館内で使用する利用者カードが別々だったのを統一するというのが目的です。ビジターはどうか知りませんが、この統一には身分証明書も必要なため、登録利用者であっても身分証明書を持っていなければビジター扱いとなり再度登録し直しとなるようです。

 で、申請ですが、統一カードとなったため、いちいちパスワードを入力する手間が発生します。ちなみに今までのシステムと共用できるものは一切ないのでかなりの予算だと思います。

 で、例の検索システムですが、見た目には複数件を一気に申請できそうに見えますが、個別でしかできません。いままで気にしていなかった東京館と大阪館の所蔵別の選択など、行程がもうひとつ増えた気がします。

 まぁ、このあたりまでは許せる範囲です。一番ムカついたのは、

到着案内の掲示板が廃止されたことです。

 つまり、その脇に到着確認機械があり、それで自身のカードを差し込み、請求した図書が到着したかを確認する必要があります。いままでは掲示板で判断してましたが、到着したかどうかをイチイチ機械で操作して確認しなければなりません。せっかちな方だとその機械から離れられないかもしれません。

 それでいて、憲政資料室なんかは未だに手書きのカードを使用するなどけっこうギャップのある所もあり、何故統一できないのかに疑問を感じます。

 また、余計なことですが、本館と新館の喫茶が土曜日は交互にお休みになってました。食堂の態度が嫌だったので以来、喫茶でしか食事しないのですが、驚きました。

 そして、これはいずれ解消されると思うのですが、係員がシステムに不慣れなことです。どうもシュミレーションと違うことが多く起きているらしく、かなり手間取ってました。そのため、確認機械を以ってしてもバーコードを読み取らない、以前と違い提示だけでなくカードを必要とする貸し出しとなったことで受取コーナーには10人以上の列が作られ、それだけで面倒になります。返却でも図書のバーコードが読み取れないらしく(古いシールと新しいシールがあって、古いシールのは一切読み取らない)、手入力で作業していました。これも行列を作る原因です。

 また、これはアクシデントですが、私が帰る10分くらい前にシステムダウンしました。旧A端末と同様の利用をしていたらネット接続できなくなったので何か?と思ったらこれが原因だったようです。おかげでその時間から入場しようとした方も出来なくなり、パニック、阿鼻叫喚の絵図となってました。

 私自身も返却した筈の図書がこのダウンの影響かエラーが出たのかわかりませんが、出場しようとしたとき、その貸出記録が残っていたために暫し足止め。5分後、ようやく退出出来ました(汗)

 たぶん、係員のパニックとシステムダウンはいずれ解消されると思いますが、自分の請求した図書をイチイチ自分で機械を使用して確認する手間ってけっこう大変だと思います。もしこの図書が事故ったりしてたらたぶん喧嘩になると思います。請求作業の手間は許せますが、いつ自分の請求した図書が来るか、その機械に張り付く方もいるでしょう。なのでこれだけは解消していただきたいと思います。でも無理でしょうね……。

 この一事を取って私は改悪だと思います。

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17日
 この日はよくないことが起こる日でした。

 まずあるものが紛失していることに気付きました。大事なものなのでいつもキチンとしたところにしまってあったはずなのにない!

 これで数時間時間を費やしまして、何度か頭がオーバーヒートを起こしました。体調不良でもこうした管理だけはやっていたつもりなのですがダメですね。手続きが面倒です(汗)

 この一件でずいぶん時間を費やしたのですが、気を取り直して足立区役所へ。調査の関係ですが、なんと該当者なし!まさかの居住地と本籍が違うという結果に!明治初年から住んでいたはずなのですが、なにかしらの事情で移転してしまったのでしょうか?

 こうしたアクシデントがあって、気分転換で「うな万」へ。ここで「崙書房が危ない」という話を聞きました。確かに先日資金繰りの件で少し問答がありました。嫌な予感です。でも、まさかあとは印刷にかけるだけの段階で、手抜きしてるとは思っていませんでした。そして「足立史談」の裏切りです。予告を掲載すると言っておきながら掲載がありませんでした。こうした裏切りがあると本当に気分を害します。

20:00、帰宅。するとFAXが届いています。崙書房からでした。なんと誹謗中傷とも採れる言葉とともに印刷もかけずに放置していることが判明!この時点で100%発売日が遅れることが確定です。

 こうしたこともありまして、熟慮に熟慮を重ねた結果、文章から出版中止の申し出とも採れることから、断腸の念もあり、今回出版中止を決めました。逆に何かトラブルがあってからでは遅いし、永久にオクラになってしまう可能性があります。

 一応、知人に今回の一件を説明しました。まさか最終校正まで済んだ段階でこういう事になるとは思いもよらなかったので、色々相談を聞いていただきました。

22:00、こんな形で何度もショックな出来事が続いたため、心身とも疲労が溜まり、気付いたら気絶に近い状態で就寝いたしました。

18日
2:00、目覚めてしまい、眠れなくなります。仕方がないので崙書房で出版中止承諾のFAXを流します。

 これで踏ん切りがついたので、再度元原稿のデータを復活させ、再構築することに。いままでの校正は「なし」という前提で、向うのデザインになるものはすべて廃棄し、文章が完全一致しないように書き換えました。

 少し就寝。

11:00、崙書房から返信はなし。なのでほかの出版社へ持ち込みの電話をかけることに。19日のアポイントを取りました。

 ここからさきほど述べたように再構築を延々行いました。地方出版なので入れていたマニアックな部分を排除したり、ひらがなを少し増やしたりと、完全に「崙版」からの脱却を図ります。

16:00ころ、解説部分が終了。ここで岡山のMさんから励ましの連絡が。こうして何人の方々から励ましていただくことは嬉しい限りです。

 こんな感じで疲労と体調不良、たぶん精神的にも負担がきたのでしょう。休み休みに原稿を作成しますから時間がかかります。

20:30、少し買い物。縁起を担いで2ヶ月ぶりにとんかつを購入。肉類は胃がもたれるので遠慮していたのですが、食事して胃の調子は大丈夫でした。

23:00、さすがに緊張の糸が切れたようで就寝。

 なお、崙書房からは一切の連絡をいただいていないので出版中止の承諾が取れたものと解釈いたします。私からも書きたいことは山ほどありますが、互いに大人の対応で良いと思います。

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2日
13:00、起床。昨日の睡眠がおかしかったので時間がかかりました(汗)

16:00、頼まれた買い物があったのでDSへ。けっこう人気があります。私もけっこう利用しています。最近はそこまですることもないので利用率は少ないですが、DIYは不変ですね。ここは業務用としても使う方がいる関係でレジはいつも混雑しています。

17:30、うな万へ。実は笑い話ですが行程の半分くらいパトカーが随走?していたため平均時速30㎞/hで走行しましたので遅くなりました(笑)50cc未満のスクーターがいまも最高時速30㎞/hというのはおかしいのですが、一番融通が効かない省庁ですので一生警察の美味しい稼ぎ処となることでしょう。

 うな万では各種話題で盛り上がりました。互いに共通してることは、簡単に「本をくれ」という御仁はその著者がどのくらい苦労にして著作化したかがわからないだろう、という結論でした。あと「金持ちほどケチ」ということでしょうか?ケチといっても常識を超えた、という意味ですが。

 帰宅後、ネットを見ていると「原爆」と書いたサイトが。場所は大槌町。



 つまりこの御仁は大槌町にはなにかの敵が存在し、その敵によって攻撃され、放射能に汚染されてるということを言いたいのか…。つまり大槌町は自業自得の結果によりこのような惨状になったということか?

 言葉というのは恐ろしいもので、福島原発の周辺地域には確かに放射能の脅威はありますが、大槌町は1県隔てた岩手県にある。ここに放射能被害にあったと誤解される表現をすれば、すでに存在している風評被害に遭うということを理解していないのでしょう。

 まず大槌町というのはTVの映像では見てもどこにあるのか知らない方が多いでしょう。こんな書き方をして、知識のない方が見れば原発のあった大熊町と同一視することになります。

 ネットというのは怖いもので一度書いてしまい、それが検索サイトに反映されればその言葉が上位にいく可能性がある。それを無批判で見れば大槌街は被爆地と勘違いする方もいるでしょう。

 第一「原爆」というキーワードを使うことは不謹慎に思います。原爆は爆弾であり、日本には当時敵がいて、それにより攻撃されたひとつに当たります。

 今回の震災に敵はいるのでしょうか?津波はドコかの国の意思で動いたのでしょうか?違いますよね。

 仮想敵を作って攻撃するのは下種の行う行為であって、この行為は相手にありもしない責任を負わせることになり、相手も傷つくわけですから、この問題は未来永劫続くことになります。戊辰戦争における長州VS会津と似ています。

 戊辰戦争に至る経緯には複合的要因があります。例えば会津と同様に恨まれた桑名藩は家老が責任を負い終結させています。

 しかし会津は甲州鎮撫や抵抗組織の受け入れ、結城藩への関与。他藩領への進出と過激行為があった訳です。これでは恭順とは採れません。

 そして最悪だったのは奥羽鎮撫使の幹部を謀殺した時期に二本松藩が警固していた白河城を攻撃、占領したこと等、会津攻撃が必須となる要素を作ってしまったことにあります。途中でも恭順のために動けばよかったのに、この途次に結成された奥羽越列藩同盟が抗戦団体となったことです。

 これでは元凶は会津と思われても仕方がないことで、8月に到達した新政府軍により会津攻撃が始まりました。これに至っても特に長州藩が筆頭だった訳ではなく連合軍な訳ですから大垣藩や薩摩藩、そして残虐行為をした土佐藩等により落城に至りました。

 結果的に砲撃を受けた鶴ケ城が敗北のシンボルとしてしばらく残存したことにより、この恨みを誰かに向けなければならない、何処か、筆頭に挙がったのは長州藩だった訳です。もし私が山口県出身なら「なんでウチだけ?」とか思いますよ。でも長州だけなのです。不思議なものです。

 会津を中心に活動している作家さんによれば「萩と山口は許せない、周防はそうではない」とピンポイント的に敵率が変わるそうですが、私に言わせるとチンプンカンプンです。いまのところ山口県民は表立って相手にしない大人の対応をしてますが、これも恨みの元凶です。

今回の震災はそれさえもない

 敵はいないのです。自然の脅威なのです。敵を作ることはいけません。やけに「原爆」のキーワードを使いたがる御仁が多いようですが、あなたの発言によって風評被害を生んだとしたら責任は取れるのでしょうか?そういう人間に限って責任転嫁します。

 もしかの御仁がこのブログを偶然でも読んでいたら恥ずべき行為をしたと感じていただきたい。それでも抗弁するなら人間として軽蔑します。

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