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ご賛同ありがとうございます
あさくらゆう みに丸さま、コメントありがとうございます。
「原爆」という言葉はかつての大戦以外の話題では封印すべきものと考えます。この言葉を無雑作に使えば使うほど過去の犠牲者が不快になるからです。自然災害と攻撃を一緒にするべきではないと思います。
遼東さま、はじめまして、コメントありがとうございます。
お言葉にあります通り、「原爆」の犠牲者がいる現状、一定の制限のもと封印すべき言語と考えております。こういう方は実際に糾弾しないと理解できないパターンが多いと思います。プレス関係と懇意にしていることから福島原発の話題はたくさん入ってきます。あえて中身について書かないのは言葉の持つ影響を考えてのことです。自身の言葉に念押しを求める方は多くいますが、自身の意見はしっかり持つことが大事と思います。余談ですが愚か者は人生について愚か者ですから相手にしないことが懸命です。1ケ月に400件以上のウィルスメールが届くことになります。
梅痴鴉さま、コメントありがとうございます。
大川小学校に共通していることは言葉がどのように伝わるかということです。こういう御仁に限って「他意はなかった」と述べます。その一言で片付けられないところまで発展する可能性はまったく考えていないでしょう。はずみで書いたことが怨恨を呼び、その怨恨がさらに怨恨となる、どうどう巡りのきっかけを作る行為は常々自制したいものです。
被災地も歴史も語るなかれ!
梅痴鴉 件の記述を閲覧しました。
下らなさ100パーセントですな。刀の穢れですので、あえて晒しませんが、〝魚拓〟だけは採取しました。
大川小学校一件で管理人殿が厳しく糾弾されていましたが、どうもこの手の方々はご理解いただけないようです。
戊辰戦役史にしても、ありもしない怨恨を述べれば今度は自分に降りかかります。同様に原爆の戦争被害者を同一に語るなかれです。
いずれにせよ、歴史の女神「クリオ」の神罰が当たっても自業自得故に同情しません。
はじめまして
遼東 管理人様はじめまして。
鴉軍団婦女子連隊長の遼東(リョウトン)と申します。兄、梅痴鴉がお世話になっています。
サイレント・マジョリティの一人として「無二無三」を毎回閲覧させて頂いています。茨城出身として、芹沢鴨など水戸の人々の顕彰をありがたく思っております。
今回の記事は私は他人事とは思えません。会社の上席が広島での被爆二世として差別された話や、友人でもあるその方のご令嬢から、被爆三世が置かれた状況など厳しい話を聞き及んでおります。故に、原爆を比喩に使うことを不謹慎以上に嫌悪感すら感じています。
以前、兄の掲示板で、その友人が会津の歴史観を揶揄(会津落城と原爆の被害は同じ)件で厳しい批判に晒した所、自称会津研究家の方より「終わった事だ」と投稿した時、閲覧していた上席が怒った事があります。
「歴史研究者にあるまじき言動である!」
兄と叔父が陳謝の為に広島まで向かい、事なきを得ましたが私は現在でもこの一件で憮然としていますし、歴史学徒にあるまじき発言と考えています。
それは兎も角、私の知人が「ゴジラ来襲」と極端な比喩を上げましたが、全てが想定外の自然災害であり、1000年に一度くるかこないかの現象が来たと考えるのが正統です。
又、会津戦史についても140年前の一件を現代に生きる人達に責任を転嫁しようとする行為についても論外ですし、戦史を語る資格はないと断言します。
こういった批判を、新撰組や会津研究を称している方々からは聞こえないのは無念です。又、会津からもかつて郷土史家が「ノーモア広島にはあるが、会津にはそれもない」と自己反省した言葉すら、会津贔屓の作家からは聞こえません。
私が兄より教わったユダヤ人研究家ヘルムート・ブレスナーの一節をここでも引用させていただきます。
「反ユダヤ主義に関しては沢山の本がある。ただし御当人たちはそれを一番しらないなぜなら反ユダヤ主義者たちは学ぶために読むのではなく、自分たちの憎悪感情を裏書するものを求めて読むからである。」
長文失礼しました。
迷惑な話
みに丸 こんにちは、
この度の天災で、原爆という言葉を安易に使っておられる方が確かに多いです。
私事で恐縮ですが、長崎の原爆詩人、福田須磨子さん
と巡り合った遠い昔を思い出していました。
須磨子さんが生きておられたら、猛然と反撃されたでしょう。
原爆とは関係ないですから、被災地も迷惑な話ですね。
あさくらゆう みに丸さま、コメントありがとうございます。
「原爆」という言葉はかつての大戦以外の話題では封印すべきものと考えます。この言葉を無雑作に使えば使うほど過去の犠牲者が不快になるからです。自然災害と攻撃を一緒にするべきではないと思います。
遼東さま、はじめまして、コメントありがとうございます。
お言葉にあります通り、「原爆」の犠牲者がいる現状、一定の制限のもと封印すべき言語と考えております。こういう方は実際に糾弾しないと理解できないパターンが多いと思います。プレス関係と懇意にしていることから福島原発の話題はたくさん入ってきます。あえて中身について書かないのは言葉の持つ影響を考えてのことです。自身の言葉に念押しを求める方は多くいますが、自身の意見はしっかり持つことが大事と思います。余談ですが愚か者は人生について愚か者ですから相手にしないことが懸命です。1ケ月に400件以上のウィルスメールが届くことになります。
梅痴鴉さま、コメントありがとうございます。
大川小学校に共通していることは言葉がどのように伝わるかということです。こういう御仁に限って「他意はなかった」と述べます。その一言で片付けられないところまで発展する可能性はまったく考えていないでしょう。はずみで書いたことが怨恨を呼び、その怨恨がさらに怨恨となる、どうどう巡りのきっかけを作る行為は常々自制したいものです。
被災地も歴史も語るなかれ!
梅痴鴉 件の記述を閲覧しました。
下らなさ100パーセントですな。刀の穢れですので、あえて晒しませんが、〝魚拓〟だけは採取しました。
大川小学校一件で管理人殿が厳しく糾弾されていましたが、どうもこの手の方々はご理解いただけないようです。
戊辰戦役史にしても、ありもしない怨恨を述べれば今度は自分に降りかかります。同様に原爆の戦争被害者を同一に語るなかれです。
いずれにせよ、歴史の女神「クリオ」の神罰が当たっても自業自得故に同情しません。
はじめまして
遼東 管理人様はじめまして。
鴉軍団婦女子連隊長の遼東(リョウトン)と申します。兄、梅痴鴉がお世話になっています。
サイレント・マジョリティの一人として「無二無三」を毎回閲覧させて頂いています。茨城出身として、芹沢鴨など水戸の人々の顕彰をありがたく思っております。
今回の記事は私は他人事とは思えません。会社の上席が広島での被爆二世として差別された話や、友人でもあるその方のご令嬢から、被爆三世が置かれた状況など厳しい話を聞き及んでおります。故に、原爆を比喩に使うことを不謹慎以上に嫌悪感すら感じています。
以前、兄の掲示板で、その友人が会津の歴史観を揶揄(会津落城と原爆の被害は同じ)件で厳しい批判に晒した所、自称会津研究家の方より「終わった事だ」と投稿した時、閲覧していた上席が怒った事があります。
「歴史研究者にあるまじき言動である!」
兄と叔父が陳謝の為に広島まで向かい、事なきを得ましたが私は現在でもこの一件で憮然としていますし、歴史学徒にあるまじき発言と考えています。
それは兎も角、私の知人が「ゴジラ来襲」と極端な比喩を上げましたが、全てが想定外の自然災害であり、1000年に一度くるかこないかの現象が来たと考えるのが正統です。
又、会津戦史についても140年前の一件を現代に生きる人達に責任を転嫁しようとする行為についても論外ですし、戦史を語る資格はないと断言します。
こういった批判を、新撰組や会津研究を称している方々からは聞こえないのは無念です。又、会津からもかつて郷土史家が「ノーモア広島にはあるが、会津にはそれもない」と自己反省した言葉すら、会津贔屓の作家からは聞こえません。
私が兄より教わったユダヤ人研究家ヘルムート・ブレスナーの一節をここでも引用させていただきます。
「反ユダヤ主義に関しては沢山の本がある。ただし御当人たちはそれを一番しらないなぜなら反ユダヤ主義者たちは学ぶために読むのではなく、自分たちの憎悪感情を裏書するものを求めて読むからである。」
長文失礼しました。
迷惑な話
みに丸 こんにちは、
この度の天災で、原爆という言葉を安易に使っておられる方が確かに多いです。
私事で恐縮ですが、長崎の原爆詩人、福田須磨子さん
と巡り合った遠い昔を思い出していました。
須磨子さんが生きておられたら、猛然と反撃されたでしょう。
原爆とは関係ないですから、被災地も迷惑な話ですね。
2日
13:00、起床。昨日の睡眠がおかしかったので時間がかかりました(汗)
16:00、頼まれた買い物があったのでDSへ。けっこう人気があります。私もけっこう利用しています。最近はそこまですることもないので利用率は少ないですが、DIYは不変ですね。ここは業務用としても使う方がいる関係でレジはいつも混雑しています。
17:30、うな万へ。実は笑い話ですが行程の半分くらいパトカーが随走?していたため平均時速30㎞/hで走行しましたので遅くなりました(笑)50cc未満のスクーターがいまも最高時速30㎞/hというのはおかしいのですが、一番融通が効かない省庁ですので一生警察の美味しい稼ぎ処となることでしょう。
うな万では各種話題で盛り上がりました。互いに共通してることは、簡単に「本をくれ」という御仁はその著者がどのくらい苦労にして著作化したかがわからないだろう、という結論でした。あと「金持ちほどケチ」ということでしょうか?ケチといっても常識を超えた、という意味ですが。
帰宅後、ネットを見ていると「原爆」と書いたサイトが。場所は大槌町。
?
つまりこの御仁は大槌町にはなにかの敵が存在し、その敵によって攻撃され、放射能に汚染されてるということを言いたいのか…。つまり大槌町は自業自得の結果によりこのような惨状になったということか?
言葉というのは恐ろしいもので、福島原発の周辺地域には確かに放射能の脅威はありますが、大槌町は1県隔てた岩手県にある。ここに放射能被害にあったと誤解される表現をすれば、すでに存在している風評被害に遭うということを理解していないのでしょう。
まず大槌町というのはTVの映像では見てもどこにあるのか知らない方が多いでしょう。こんな書き方をして、知識のない方が見れば原発のあった大熊町と同一視することになります。
ネットというのは怖いもので一度書いてしまい、それが検索サイトに反映されればその言葉が上位にいく可能性がある。それを無批判で見れば大槌街は被爆地と勘違いする方もいるでしょう。
第一「原爆」というキーワードを使うことは不謹慎に思います。原爆は爆弾であり、日本には当時敵がいて、それにより攻撃されたひとつに当たります。
今回の震災に敵はいるのでしょうか?津波はドコかの国の意思で動いたのでしょうか?違いますよね。
仮想敵を作って攻撃するのは下種の行う行為であって、この行為は相手にありもしない責任を負わせることになり、相手も傷つくわけですから、この問題は未来永劫続くことになります。戊辰戦争における長州VS会津と似ています。
戊辰戦争に至る経緯には複合的要因があります。例えば会津と同様に恨まれた桑名藩は家老が責任を負い終結させています。
しかし会津は甲州鎮撫や抵抗組織の受け入れ、結城藩への関与。他藩領への進出と過激行為があった訳です。これでは恭順とは採れません。
そして最悪だったのは奥羽鎮撫使の幹部を謀殺した時期に二本松藩が警固していた白河城を攻撃、占領したこと等、会津攻撃が必須となる要素を作ってしまったことにあります。途中でも恭順のために動けばよかったのに、この途次に結成された奥羽越列藩同盟が抗戦団体となったことです。
これでは元凶は会津と思われても仕方がないことで、8月に到達した新政府軍により会津攻撃が始まりました。これに至っても特に長州藩が筆頭だった訳ではなく連合軍な訳ですから大垣藩や薩摩藩、そして残虐行為をした土佐藩等により落城に至りました。
結果的に砲撃を受けた鶴ケ城が敗北のシンボルとしてしばらく残存したことにより、この恨みを誰かに向けなければならない、何処か、筆頭に挙がったのは長州藩だった訳です。もし私が山口県出身なら「なんでウチだけ?」とか思いますよ。でも長州だけなのです。不思議なものです。
会津を中心に活動している作家さんによれば「萩と山口は許せない、周防はそうではない」とピンポイント的に敵率が変わるそうですが、私に言わせるとチンプンカンプンです。いまのところ山口県民は表立って相手にしない大人の対応をしてますが、これも恨みの元凶です。
今回の震災はそれさえもない
敵はいないのです。自然の脅威なのです。敵を作ることはいけません。やけに「原爆」のキーワードを使いたがる御仁が多いようですが、あなたの発言によって風評被害を生んだとしたら責任は取れるのでしょうか?そういう人間に限って責任転嫁します。
もしかの御仁がこのブログを偶然でも読んでいたら恥ずべき行為をしたと感じていただきたい。それでも抗弁するなら人間として軽蔑します。
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13:00、起床。昨日の睡眠がおかしかったので時間がかかりました(汗)
16:00、頼まれた買い物があったのでDSへ。けっこう人気があります。私もけっこう利用しています。最近はそこまですることもないので利用率は少ないですが、DIYは不変ですね。ここは業務用としても使う方がいる関係でレジはいつも混雑しています。
17:30、うな万へ。実は笑い話ですが行程の半分くらいパトカーが随走?していたため平均時速30㎞/hで走行しましたので遅くなりました(笑)50cc未満のスクーターがいまも最高時速30㎞/hというのはおかしいのですが、一番融通が効かない省庁ですので一生警察の美味しい稼ぎ処となることでしょう。
うな万では各種話題で盛り上がりました。互いに共通してることは、簡単に「本をくれ」という御仁はその著者がどのくらい苦労にして著作化したかがわからないだろう、という結論でした。あと「金持ちほどケチ」ということでしょうか?ケチといっても常識を超えた、という意味ですが。
帰宅後、ネットを見ていると「原爆」と書いたサイトが。場所は大槌町。
?
つまりこの御仁は大槌町にはなにかの敵が存在し、その敵によって攻撃され、放射能に汚染されてるということを言いたいのか…。つまり大槌町は自業自得の結果によりこのような惨状になったということか?
言葉というのは恐ろしいもので、福島原発の周辺地域には確かに放射能の脅威はありますが、大槌町は1県隔てた岩手県にある。ここに放射能被害にあったと誤解される表現をすれば、すでに存在している風評被害に遭うということを理解していないのでしょう。
まず大槌町というのはTVの映像では見てもどこにあるのか知らない方が多いでしょう。こんな書き方をして、知識のない方が見れば原発のあった大熊町と同一視することになります。
ネットというのは怖いもので一度書いてしまい、それが検索サイトに反映されればその言葉が上位にいく可能性がある。それを無批判で見れば大槌街は被爆地と勘違いする方もいるでしょう。
第一「原爆」というキーワードを使うことは不謹慎に思います。原爆は爆弾であり、日本には当時敵がいて、それにより攻撃されたひとつに当たります。
今回の震災に敵はいるのでしょうか?津波はドコかの国の意思で動いたのでしょうか?違いますよね。
仮想敵を作って攻撃するのは下種の行う行為であって、この行為は相手にありもしない責任を負わせることになり、相手も傷つくわけですから、この問題は未来永劫続くことになります。戊辰戦争における長州VS会津と似ています。
戊辰戦争に至る経緯には複合的要因があります。例えば会津と同様に恨まれた桑名藩は家老が責任を負い終結させています。
しかし会津は甲州鎮撫や抵抗組織の受け入れ、結城藩への関与。他藩領への進出と過激行為があった訳です。これでは恭順とは採れません。
そして最悪だったのは奥羽鎮撫使の幹部を謀殺した時期に二本松藩が警固していた白河城を攻撃、占領したこと等、会津攻撃が必須となる要素を作ってしまったことにあります。途中でも恭順のために動けばよかったのに、この途次に結成された奥羽越列藩同盟が抗戦団体となったことです。
これでは元凶は会津と思われても仕方がないことで、8月に到達した新政府軍により会津攻撃が始まりました。これに至っても特に長州藩が筆頭だった訳ではなく連合軍な訳ですから大垣藩や薩摩藩、そして残虐行為をした土佐藩等により落城に至りました。
結果的に砲撃を受けた鶴ケ城が敗北のシンボルとしてしばらく残存したことにより、この恨みを誰かに向けなければならない、何処か、筆頭に挙がったのは長州藩だった訳です。もし私が山口県出身なら「なんでウチだけ?」とか思いますよ。でも長州だけなのです。不思議なものです。
会津を中心に活動している作家さんによれば「萩と山口は許せない、周防はそうではない」とピンポイント的に敵率が変わるそうですが、私に言わせるとチンプンカンプンです。いまのところ山口県民は表立って相手にしない大人の対応をしてますが、これも恨みの元凶です。
今回の震災はそれさえもない
敵はいないのです。自然の脅威なのです。敵を作ることはいけません。やけに「原爆」のキーワードを使いたがる御仁が多いようですが、あなたの発言によって風評被害を生んだとしたら責任は取れるのでしょうか?そういう人間に限って責任転嫁します。
もしかの御仁がこのブログを偶然でも読んでいたら恥ずべき行為をしたと感じていただきたい。それでも抗弁するなら人間として軽蔑します。
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ご賛同ありがとうございます
あさくらゆう みに丸さま、コメントありがとうございます。
「原爆」という言葉はかつての大戦以外の話題では封印すべきものと考えます。この言葉を無雑作に使えば使うほど過去の犠牲者が不快になるからです。自然災害と攻撃を一緒にするべきではないと思います。
遼東さま、はじめまして、コメントありがとうございます。
お言葉にあります通り、「原爆」の犠牲者がいる現状、一定の制限のもと封印すべき言語と考えております。こういう方は実際に糾弾しないと理解できないパターンが多いと思います。プレス関係と懇意にしていることから福島原発の話題はたくさん入ってきます。あえて中身について書かないのは言葉の持つ影響を考えてのことです。自身の言葉に念押しを求める方は多くいますが、自身の意見はしっかり持つことが大事と思います。余談ですが愚か者は人生について愚か者ですから相手にしないことが懸命です。1ケ月に400件以上のウィルスメールが届くことになります。
梅痴鴉さま、コメントありがとうございます。
大川小学校に共通していることは言葉がどのように伝わるかということです。こういう御仁に限って「他意はなかった」と述べます。その一言で片付けられないところまで発展する可能性はまったく考えていないでしょう。はずみで書いたことが怨恨を呼び、その怨恨がさらに怨恨となる、どうどう巡りのきっかけを作る行為は常々自制したいものです。
被災地も歴史も語るなかれ!
梅痴鴉 件の記述を閲覧しました。
下らなさ100パーセントですな。刀の穢れですので、あえて晒しませんが、〝魚拓〟だけは採取しました。
大川小学校一件で管理人殿が厳しく糾弾されていましたが、どうもこの手の方々はご理解いただけないようです。
戊辰戦役史にしても、ありもしない怨恨を述べれば今度は自分に降りかかります。同様に原爆の戦争被害者を同一に語るなかれです。
いずれにせよ、歴史の女神「クリオ」の神罰が当たっても自業自得故に同情しません。
はじめまして
遼東 管理人様はじめまして。
鴉軍団婦女子連隊長の遼東(リョウトン)と申します。兄、梅痴鴉がお世話になっています。
サイレント・マジョリティの一人として「無二無三」を毎回閲覧させて頂いています。茨城出身として、芹沢鴨など水戸の人々の顕彰をありがたく思っております。
今回の記事は私は他人事とは思えません。会社の上席が広島での被爆二世として差別された話や、友人でもあるその方のご令嬢から、被爆三世が置かれた状況など厳しい話を聞き及んでおります。故に、原爆を比喩に使うことを不謹慎以上に嫌悪感すら感じています。
以前、兄の掲示板で、その友人が会津の歴史観を揶揄(会津落城と原爆の被害は同じ)件で厳しい批判に晒した所、自称会津研究家の方より「終わった事だ」と投稿した時、閲覧していた上席が怒った事があります。
「歴史研究者にあるまじき言動である!」
兄と叔父が陳謝の為に広島まで向かい、事なきを得ましたが私は現在でもこの一件で憮然としていますし、歴史学徒にあるまじき発言と考えています。
それは兎も角、私の知人が「ゴジラ来襲」と極端な比喩を上げましたが、全てが想定外の自然災害であり、1000年に一度くるかこないかの現象が来たと考えるのが正統です。
又、会津戦史についても140年前の一件を現代に生きる人達に責任を転嫁しようとする行為についても論外ですし、戦史を語る資格はないと断言します。
こういった批判を、新撰組や会津研究を称している方々からは聞こえないのは無念です。又、会津からもかつて郷土史家が「ノーモア広島にはあるが、会津にはそれもない」と自己反省した言葉すら、会津贔屓の作家からは聞こえません。
私が兄より教わったユダヤ人研究家ヘルムート・ブレスナーの一節をここでも引用させていただきます。
「反ユダヤ主義に関しては沢山の本がある。ただし御当人たちはそれを一番しらないなぜなら反ユダヤ主義者たちは学ぶために読むのではなく、自分たちの憎悪感情を裏書するものを求めて読むからである。」
長文失礼しました。
迷惑な話
みに丸 こんにちは、
この度の天災で、原爆という言葉を安易に使っておられる方が確かに多いです。
私事で恐縮ですが、長崎の原爆詩人、福田須磨子さん
と巡り合った遠い昔を思い出していました。
須磨子さんが生きておられたら、猛然と反撃されたでしょう。
原爆とは関係ないですから、被災地も迷惑な話ですね。
あさくらゆう みに丸さま、コメントありがとうございます。
「原爆」という言葉はかつての大戦以外の話題では封印すべきものと考えます。この言葉を無雑作に使えば使うほど過去の犠牲者が不快になるからです。自然災害と攻撃を一緒にするべきではないと思います。
遼東さま、はじめまして、コメントありがとうございます。
お言葉にあります通り、「原爆」の犠牲者がいる現状、一定の制限のもと封印すべき言語と考えております。こういう方は実際に糾弾しないと理解できないパターンが多いと思います。プレス関係と懇意にしていることから福島原発の話題はたくさん入ってきます。あえて中身について書かないのは言葉の持つ影響を考えてのことです。自身の言葉に念押しを求める方は多くいますが、自身の意見はしっかり持つことが大事と思います。余談ですが愚か者は人生について愚か者ですから相手にしないことが懸命です。1ケ月に400件以上のウィルスメールが届くことになります。
梅痴鴉さま、コメントありがとうございます。
大川小学校に共通していることは言葉がどのように伝わるかということです。こういう御仁に限って「他意はなかった」と述べます。その一言で片付けられないところまで発展する可能性はまったく考えていないでしょう。はずみで書いたことが怨恨を呼び、その怨恨がさらに怨恨となる、どうどう巡りのきっかけを作る行為は常々自制したいものです。
被災地も歴史も語るなかれ!
梅痴鴉 件の記述を閲覧しました。
下らなさ100パーセントですな。刀の穢れですので、あえて晒しませんが、〝魚拓〟だけは採取しました。
大川小学校一件で管理人殿が厳しく糾弾されていましたが、どうもこの手の方々はご理解いただけないようです。
戊辰戦役史にしても、ありもしない怨恨を述べれば今度は自分に降りかかります。同様に原爆の戦争被害者を同一に語るなかれです。
いずれにせよ、歴史の女神「クリオ」の神罰が当たっても自業自得故に同情しません。
はじめまして
遼東 管理人様はじめまして。
鴉軍団婦女子連隊長の遼東(リョウトン)と申します。兄、梅痴鴉がお世話になっています。
サイレント・マジョリティの一人として「無二無三」を毎回閲覧させて頂いています。茨城出身として、芹沢鴨など水戸の人々の顕彰をありがたく思っております。
今回の記事は私は他人事とは思えません。会社の上席が広島での被爆二世として差別された話や、友人でもあるその方のご令嬢から、被爆三世が置かれた状況など厳しい話を聞き及んでおります。故に、原爆を比喩に使うことを不謹慎以上に嫌悪感すら感じています。
以前、兄の掲示板で、その友人が会津の歴史観を揶揄(会津落城と原爆の被害は同じ)件で厳しい批判に晒した所、自称会津研究家の方より「終わった事だ」と投稿した時、閲覧していた上席が怒った事があります。
「歴史研究者にあるまじき言動である!」
兄と叔父が陳謝の為に広島まで向かい、事なきを得ましたが私は現在でもこの一件で憮然としていますし、歴史学徒にあるまじき発言と考えています。
それは兎も角、私の知人が「ゴジラ来襲」と極端な比喩を上げましたが、全てが想定外の自然災害であり、1000年に一度くるかこないかの現象が来たと考えるのが正統です。
又、会津戦史についても140年前の一件を現代に生きる人達に責任を転嫁しようとする行為についても論外ですし、戦史を語る資格はないと断言します。
こういった批判を、新撰組や会津研究を称している方々からは聞こえないのは無念です。又、会津からもかつて郷土史家が「ノーモア広島にはあるが、会津にはそれもない」と自己反省した言葉すら、会津贔屓の作家からは聞こえません。
私が兄より教わったユダヤ人研究家ヘルムート・ブレスナーの一節をここでも引用させていただきます。
「反ユダヤ主義に関しては沢山の本がある。ただし御当人たちはそれを一番しらないなぜなら反ユダヤ主義者たちは学ぶために読むのではなく、自分たちの憎悪感情を裏書するものを求めて読むからである。」
長文失礼しました。
迷惑な話
みに丸 こんにちは、
この度の天災で、原爆という言葉を安易に使っておられる方が確かに多いです。
私事で恐縮ですが、長崎の原爆詩人、福田須磨子さん
と巡り合った遠い昔を思い出していました。
須磨子さんが生きておられたら、猛然と反撃されたでしょう。
原爆とは関係ないですから、被災地も迷惑な話ですね。
この記事へのコメント
みに丸さま、コメントありがとうございます。
「原爆」という言葉はかつての大戦以外の話題では封印すべきものと考えます。この言葉を無雑作に使えば使うほど過去の犠牲者が不快になるからです。自然災害と攻撃を一緒にするべきではないと思います。
遼東さま、はじめまして、コメントありがとうございます。
お言葉にあります通り、「原爆」の犠牲者がいる現状、一定の制限のもと封印すべき言語と考えております。こういう方は実際に糾弾しないと理解できないパターンが多いと思います。プレス関係と懇意にしていることから福島原発の話題はたくさん入ってきます。あえて中身について書かないのは言葉の持つ影響を考えてのことです。自身の言葉に念押しを求める方は多くいますが、自身の意見はしっかり持つことが大事と思います。余談ですが愚か者は人生について愚か者ですから相手にしないことが懸命です。1ケ月に400件以上のウィルスメールが届くことになります。
梅痴鴉さま、コメントありがとうございます。
大川小学校に共通していることは言葉がどのように伝わるかということです。こういう御仁に限って「他意はなかった」と述べます。その一言で片付けられないところまで発展する可能性はまったく考えていないでしょう。はずみで書いたことが怨恨を呼び、その怨恨がさらに怨恨となる、どうどう巡りのきっかけを作る行為は常々自制したいものです。
「原爆」という言葉はかつての大戦以外の話題では封印すべきものと考えます。この言葉を無雑作に使えば使うほど過去の犠牲者が不快になるからです。自然災害と攻撃を一緒にするべきではないと思います。
遼東さま、はじめまして、コメントありがとうございます。
お言葉にあります通り、「原爆」の犠牲者がいる現状、一定の制限のもと封印すべき言語と考えております。こういう方は実際に糾弾しないと理解できないパターンが多いと思います。プレス関係と懇意にしていることから福島原発の話題はたくさん入ってきます。あえて中身について書かないのは言葉の持つ影響を考えてのことです。自身の言葉に念押しを求める方は多くいますが、自身の意見はしっかり持つことが大事と思います。余談ですが愚か者は人生について愚か者ですから相手にしないことが懸命です。1ケ月に400件以上のウィルスメールが届くことになります。
梅痴鴉さま、コメントありがとうございます。
大川小学校に共通していることは言葉がどのように伝わるかということです。こういう御仁に限って「他意はなかった」と述べます。その一言で片付けられないところまで発展する可能性はまったく考えていないでしょう。はずみで書いたことが怨恨を呼び、その怨恨がさらに怨恨となる、どうどう巡りのきっかけを作る行為は常々自制したいものです。
件の記述を閲覧しました。
下らなさ100パーセントですな。刀の穢れですので、あえて晒しませんが、〝魚拓〟だけは採取しました。
大川小学校一件で管理人殿が厳しく糾弾されていましたが、どうもこの手の方々はご理解いただけないようです。
戊辰戦役史にしても、ありもしない怨恨を述べれば今度は自分に降りかかります。同様に原爆の戦争被害者を同一に語るなかれです。
いずれにせよ、歴史の女神「クリオ」の神罰が当たっても自業自得故に同情しません。
下らなさ100パーセントですな。刀の穢れですので、あえて晒しませんが、〝魚拓〟だけは採取しました。
大川小学校一件で管理人殿が厳しく糾弾されていましたが、どうもこの手の方々はご理解いただけないようです。
戊辰戦役史にしても、ありもしない怨恨を述べれば今度は自分に降りかかります。同様に原爆の戦争被害者を同一に語るなかれです。
いずれにせよ、歴史の女神「クリオ」の神罰が当たっても自業自得故に同情しません。
管理人様はじめまして。
鴉軍団婦女子連隊長の遼東(リョウトン)と申します。兄、梅痴鴉がお世話になっています。
サイレント・マジョリティの一人として「無二無三」を毎回閲覧させて頂いています。茨城出身として、芹沢鴨など水戸の人々の顕彰をありがたく思っております。
今回の記事は私は他人事とは思えません。会社の上席が広島での被爆二世として差別された話や、友人でもあるその方のご令嬢から、被爆三世が置かれた状況など厳しい話を聞き及んでおります。故に、原爆を比喩に使うことを不謹慎以上に嫌悪感すら感じています。
以前、兄の掲示板で、その友人が会津の歴史観を揶揄(会津落城と原爆の被害は同じ)件で厳しい批判に晒した所、自称会津研究家の方より「終わった事だ」と投稿した時、閲覧していた上席が怒った事があります。
「歴史研究者にあるまじき言動である!」
兄と叔父が陳謝の為に広島まで向かい、事なきを得ましたが私は現在でもこの一件で憮然としていますし、歴史学徒にあるまじき発言と考えています。
それは兎も角、私の知人が「ゴジラ来襲」と極端な比喩を上げましたが、全てが想定外の自然災害であり、1000年に一度くるかこないかの現象が来たと考えるのが正統です。
又、会津戦史についても140年前の一件を現代に生きる人達に責任を転嫁しようとする行為についても論外ですし、戦史を語る資格はないと断言します。
こういった批判を、新撰組や会津研究を称している方々からは聞こえないのは無念です。又、会津からもかつて郷土史家が「ノーモア広島にはあるが、会津にはそれもない」と自己反省した言葉すら、会津贔屓の作家からは聞こえません。
私が兄より教わったユダヤ人研究家ヘルムート・ブレスナーの一節をここでも引用させていただきます。
「反ユダヤ主義に関しては沢山の本がある。ただし御当人たちはそれを一番しらないなぜなら反ユダヤ主義者たちは学ぶために読むのではなく、自分たちの憎悪感情を裏書するものを求めて読むからである。」
長文失礼しました。
鴉軍団婦女子連隊長の遼東(リョウトン)と申します。兄、梅痴鴉がお世話になっています。
サイレント・マジョリティの一人として「無二無三」を毎回閲覧させて頂いています。茨城出身として、芹沢鴨など水戸の人々の顕彰をありがたく思っております。
今回の記事は私は他人事とは思えません。会社の上席が広島での被爆二世として差別された話や、友人でもあるその方のご令嬢から、被爆三世が置かれた状況など厳しい話を聞き及んでおります。故に、原爆を比喩に使うことを不謹慎以上に嫌悪感すら感じています。
以前、兄の掲示板で、その友人が会津の歴史観を揶揄(会津落城と原爆の被害は同じ)件で厳しい批判に晒した所、自称会津研究家の方より「終わった事だ」と投稿した時、閲覧していた上席が怒った事があります。
「歴史研究者にあるまじき言動である!」
兄と叔父が陳謝の為に広島まで向かい、事なきを得ましたが私は現在でもこの一件で憮然としていますし、歴史学徒にあるまじき発言と考えています。
それは兎も角、私の知人が「ゴジラ来襲」と極端な比喩を上げましたが、全てが想定外の自然災害であり、1000年に一度くるかこないかの現象が来たと考えるのが正統です。
又、会津戦史についても140年前の一件を現代に生きる人達に責任を転嫁しようとする行為についても論外ですし、戦史を語る資格はないと断言します。
こういった批判を、新撰組や会津研究を称している方々からは聞こえないのは無念です。又、会津からもかつて郷土史家が「ノーモア広島にはあるが、会津にはそれもない」と自己反省した言葉すら、会津贔屓の作家からは聞こえません。
私が兄より教わったユダヤ人研究家ヘルムート・ブレスナーの一節をここでも引用させていただきます。
「反ユダヤ主義に関しては沢山の本がある。ただし御当人たちはそれを一番しらないなぜなら反ユダヤ主義者たちは学ぶために読むのではなく、自分たちの憎悪感情を裏書するものを求めて読むからである。」
長文失礼しました。
こんにちは、
この度の天災で、原爆という言葉を安易に使っておられる方が確かに多いです。
私事で恐縮ですが、長崎の原爆詩人、福田須磨子さん
と巡り合った遠い昔を思い出していました。
須磨子さんが生きておられたら、猛然と反撃されたでしょう。
原爆とは関係ないですから、被災地も迷惑な話ですね。
この度の天災で、原爆という言葉を安易に使っておられる方が確かに多いです。
私事で恐縮ですが、長崎の原爆詩人、福田須磨子さん
と巡り合った遠い昔を思い出していました。
須磨子さんが生きておられたら、猛然と反撃されたでしょう。
原爆とは関係ないですから、被災地も迷惑な話ですね。
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