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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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15日
 きょうはかねてより連絡を入れておりました嵐山町へ行きました。

9:30、家を出て山手線で池袋駅へ。9:45、小川町行きの急行に乗車します。東武東上線は久しぶりでしたが、すこし田畑が減りましたね。進行方向右側が特に栄えています。

10:48、武蔵嵐山駅に到着。田舎の駅ですね。駅の中に少し軽食できる場所があるだけで辺りは人気の少ないこと。


 それでもタクシーは3台もおりまして、さっそく乗車して嵐山町役場へ参りました。実際タクシーで正解でした。丘の上にあります。基本的には車以外では来るな!と言えるほどアピールした場所にあります。

 で、受付を通します。なんと節電のためにエレベーターが休止!洒落になりません。少し疲労があり、肺病持ちの私に3Fまで階段とは……。ともかくヒィヒィしながら昇りました。

 ここでようやく博物誌編纂室に到着しました。担当のYさんはスムースな応対で、なんと古文書は皆データスキャンされておりました。一応すべての画面を通し、欲しいものを指示してプリントアウトしていただきました。
 
 実はここに史料があることを知ったのは、このブログからで、この吉田地区にある藤野家文書でした。先日取得した熊木庄之助の実家が西田栄蔵とあり、千葉家と懇意になるなら江戸にいなくてはならない。そしてこのころはあまり同姓同名なんてありませんから、たぶんこの方なのだろうと目星をつけたのです。推測の着地点を求めるには帰ってからでないと無理ですので、今回は一応こんな感じで。

 あと面白かったのが、吉田村の方が上洛したときの記録なのですが、ここに川村隼人の名が。永倉新八の過去帳に出てくる名前です。一説に近藤隼雄と同一人物とされておりましたが、この史料で別人だと解ります。ひょうたんからコマとはよく言うものです。

 で、ほかの吉田村の文書の目録も見せていただきました。やはり吉田村は旗本四家の相給地なので、それぞれの領主で、山本家とは異なります。吉田村はそういうこともあって、旗本別を簡便にするため、上吉田、中吉田、下吉田×2という具合に通称しておりました。

 こんな感じで12:00を回りましたので同所を辞去。御礼を述べて1Fに降ります。なにせバスが凄いのです。来るのは


午前中に2本のみ(汗)

 つまり12:22が終バスとなります。始発は11:27ですから、車を持たない方はこの間に手続きしなければなりません。けっこう過酷です。

12:27、少し遅れてバス到着。スムースに走って武蔵嵐山駅に到着。お盆のせいでしょう。バス停に平気で車を停車しているBMWのおっさんがいます。バスがクラクションとマイクでバス停であることを告げても避けようとしません。乗客が罵声してようやく嫌々移動しました…というより左側にバス停の標柱があるだろうことは誰もが気付くし、反対側は空いているのに…。お盆はこういう変な方が出没します。


 で、時刻を見ると12:35、次の電車は12:50なので、駅にある町営の喫茶に入り、限定品のアイスを頼みます。ゆずアイスですがまぁまぁです。なにかの果肉(ゆずではないと思う)が入っていました。ここで涼んで川越へ移動します。

(続く)
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5日
8:00起床。用事があるので急いで支度と食事を済ませ、風呂で汗を落とし、9:10には出かけました。

9:26、北千住駅に到着。しかし直近の電車に間に合わず。仕方なく9:39の電車で松戸へ。ここから新京成に乗り換えて八柱駅へ。

 ここで熊木さんが車でお越しになっており、同乗して八柱霊園へ。

 ちなみに八柱霊園は事務所には車では赴けず、坂上部分に車を停めて事務所へ参ります。

 ようやく墓地埋葬法の規定に従い、谷中霊園分の無縁墳墓改葬許可証の閲覧許可が出たのです。これで千葉さなが間違いなく谷中から八柱霊園に移送されたことが解決します。

 霊園の担当者は所長を含め、みなさま礼節をもって対応をしていただき、感謝この上ないです。閲覧する際も適切な応対をいただき、本当に感謝申し上げます。


 そして今度は熊木さんとともに無縁墳墓に送迎していただき、お参りさせていただきました。熊木さんの祖父、熊木庄之助氏が縁類の関係をもって千葉さなの埋葬をされました。当時は永代供養として収める感覚があり、また、同31年には千葉束氏がどうやら手続きを行っていたようでしたので、別墓所となっていた谷中霊園時代の墓所は無縁となっていました。


 ちなみに霊園名物といえばネコです。八柱霊園にもいました。八柱ネコの「ヤバちゃん」です(笑)餌やりジィさまになついています。毛並みも良いですね。たぶんトリミングじぃさまもいるのでしょう。

閑話休題。 

11:00、霊園を辞去し、駅まで送っていただきました熊木さんともここで別れ、昼は「うな万」でうなぎを食しました。胃もたれがするのでうなぎなら安心です。

14:00、足立区立郷土博物館へ。518号をいただくとともに、今回の件をレポートとして9月号に載せる話をお願いいたしました。

15:00、帰宅。昨日借りていた「相棒」を鑑賞。映画ならではの予算の使い込みが感じられました。ここで旧知の小野田を殺す必要があるのか?とも思いましたが、やはり新たな展開を作る際、同じ部署に配属されている人間は排除しないと不自然ですからね。

18:00、DVDを返して帰宅。実は13:00ころに猛烈な睡魔があったのですが、我慢してしまったために眠れなくなってしまいました。とりあえず「千葉の名灸」のノルマ分をこなす。

2:00、就寝。


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21日
10:00、起床。身体中が痛いも前回ほどでもなし。少し安心。

12:30、家族全員で吉野家タイム。久々に買って参りましたが、私が安心していただけるのは吉野家のみです。

 で、なにか作業しようと思ったのですが、また睡魔に襲われ、そのまま就寝(汗)

20:30、起床。買い物があったので急ぎ出かけて買い物終了。

21:30、帰宅。TVを鑑賞。高橋克典としずちゃん。まぁ見れるドラマでした。土曜ワイドばりでしたが。

 デジカメから画像をパソコンへ移し、細々な作業に入ります。

22日
 そのまま起床して「足立史談」の原稿を作成。今回は505号から中断していた甲良家の後編です。前編だけなのはいけないと思いますが、いつ載るかは博物館次第です。

4:00、終了。これから、いまさらながらに確定申告に入ります。なんと出金伝票を作るところから…。

9:00、終了。シュミレーションで1月のみ作成します。無理なく問題なし。経費削減のために伝票も減ってますので会計処理が楽です。ちなみに会計ソフトは使わずに全部エクセルで仕上げます。

14:00、家を出る。北千住駅の正面入口に入った途端に雨!!TXのホームは「巻き」が入っていますので、雨が侵食しています。で、TXに乗車するも運転手が下手!ガクンガクン揺れました(汗)

15:10ころ、流山セントラルパーク着…というかほぼ無人駅。バスは2時間に1本くらいの割合。それなので歩きます。土砂降りです(汗)

 少し調査があり、あの土砂降りのなか、孤軍奮闘!16:30に図書館へ。

17:00、図書館閉館により出る。普通に降っています。途中の洋品店で靴下を購入。とにかく足がびちゃびしゃです(汗)

 ちなみに今回は流山の剣術家の調査をしました。おかげでひとり、墓誌に「千葉先生」と彫られた墓碑を確認。やはり流山は北辰一刀流が浸透しています。すぐに覚えられる自存自衛の剣法が好まれたのでしょう。

17:30、えんま堂へ。DVDを渡すも、またもエラー。どうなってる、私の機械???それと鴻池の史料を少し。あとはなんとなくいろいろな話。特に流鉄に過去の車輌を復活させたら?なんて話題が一番話しになりました。

 辞去。再度Aさんと一緒に流山駅へ。前回の反省で2~3分早めに出ています。23:10、流山駅を発車。さすが流鉄、TXと違い、最初から揺れるので心構えが出来ます(笑)。

 このルートで行くと北千住に23:45着。少し買い物をして0:30に帰宅。疲労の蓄積過ぎて、1:30就寝。


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20日~続き
13:02、我孫子駅着。ちょうどよいバスがないので歩きます。途中、睡魔、というか疲労のためコンビニで眠気除けドリンクをチャージ。一瞬楽になりました(笑)

13:25、本当に徒歩20分かかりました。アップダウンがあって、国道6号も地獄道でした(汗)でも委託なので仕方ないです。また柏で借りても駅から歩くので大変です。

 さて、ひさびさのレンタカーです。国道6号を走りますが、平日なのd空いています。茨城県に入るとカップヌードルがついた日清食品の工場があります。そこから龍ヶ崎方面へと進みます。

 途中、連絡が。和歌山市からで、残念ながら「狸紺屋」伝説は見つからなかったとの由。まぁ、場所が特定されているのでヨシとしましょう。

14:00、あまりの疲労にコンビニで休憩。もう1回眠気除けドリンクを購入とともに、煙草を。基本的に禁煙なのですが、自動車を運転するときと飲酒するときは吸います。いまは酒はドクターストップですので、運転のときだけです。440円也。輸入品ですのでたばこ産業の規制には引っかからず。

15:05、タバコパワーでこのまま一気に稲敷市郷土資料館へ。館長と久々に邂逅し、話もチラホラ。なんでも今年、大学生の方も嘉永の「天王橋の仇討」について調査されたとか。やはり「半七捕物帳」もご存知だったようです。

 では、いくつか実地見分です。


 まずは稲妻雷五郎の碑です。第七代横綱、稲妻雷五郎を称えるために大正時代に建立されました。ここの裏面に根本金太郎の名前があります。千葉家に養子入りしている時代は「千葉東一郎」。郷土資料館に養子一札が残っています。しかし、この碑面を見る限り、千葉周作に習ったことになっています。金太郎さんの存命のころでしょうが、本人が碑面を確認したかは微妙です。


 次に天王橋事件の仇討ちのきっかけとなった兄幸七こと、仁兵衛の墓所に参りました。郷土史家が書いた村の歴史に関するコラムがり、それがヒントになりましたので見つけることが出来ました。弘化年間に死去した日付も一致します。やはり当時村では急死したとの伝承があったそうです。その際、次の名主を継いだのが與右衛門で、この與右衛門のために仁兵衛は死んだとされたのでしょう。なので養子入りした與市の言による仁兵衛生存説はこの時点で成立していません。


 そして養泉寺に参りまして與右衛門家の墓所に到達できました。被害を受けた與右衛門夫婦の墓所が単独で存在します。3回忌を契機にして建立されております。ちなみに写っているお方は館長でダンディズムな方です。元は我が地元荒川区におり、そして我が母校で教鞭を執っていたことも判明。お恥ずかしい限りです。地元話で盛り上がりました。

 これらから、天王橋(正確には浅草天王町の鳥越橋附近)の仇討ちは事実であったという確証と、仇討ちした側の証言に有利な展開が推測できました。残念なのは、たか、及びその婚家先の墓を確認できなかったことです。たかはたぶん牢死したと言いますから、小塚原に埋葬された可能性があります。

閑話休題、

 この後、資料館へ戻り、少し休憩の後、同所を出発。返却先を成田としたので一路成田へ。厳重な検問を経て成田営業所の到着は19:10。ここから送迎していただき、成田スカイアクセスに乗車したのが19:39、高砂、関屋で乗り換えて北千住へ着いたのが20:50。ひさびさにマルイにある中村屋のインドカリーを堪能後、帰宅。

 その後のことは覚えておりませんが、すぐに就寝したことでしょう(汗)

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20日
5:00、起床。

6:42、北千住より常磐線に乗車。この時点で土浦での調査をあきらめる。グリーン車に乗車して身体を休めます。残念ながら暖かい飲み物はりません。土浦駅での停車を利用…。しかしこの時間は停車時間が少ないのが難点。本来なら停車時間の長い高浜を利用したいところですが、確か自販機はなかったような…。

8:30、赤塚到着。ここからJRバスを使います。

8:50、大工町3丁目着。

9:00、茨城県立歴史館へ。この館も被災されたようで、4月22日に再OPENしています。

 今回は主に水府系纂で、コピーが出来ないので一生懸命筆写します。ほかに午後に巡る予定の唯一の証拠資料やらを取得。

 この間隙を縫って、なんと鹿島神宮の神官の日記があることに気づく。新たな閲覧資料です。なんと万延2年(文久元年)の日記もあるという。喜んで見ると、やはり「鉄扇而打候由」の記載が!!たぶんあの方でしょう。

 下村継継次のアリバイを見て見ると、

13日、鹿島神宮
17~22日、佐原
2月8日、鉾田

となります。佐原からのラグがありますので、その期間も献金活動をしてたのでしょうね。清河八郎の面会を断ったのもこの期間の間でしょう。

 それと土浦藩の諸士年譜を確認。鈴木三樹三郎の妻、はなの実家を調査します。それだけでは解りませんので、墓所に行ったときに照合します。

 ちなみにこの間、茨城地方には震度4クラスの地震がありました。係員が急いで書庫から逃げ出しました。私は時間がもったいないのでずっと史料に向き合ってました(汗)

 という感じで11:10、同館を辞去。ちょうどバスに行かれてしまい、大工町3丁目まで歩きます。赤塚駅行きが来たのでそれに乗車。赤塚駅に到着し、11:38、列車は上野方面へ進みます。

(明日の日記に続く)


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