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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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10日
13:00起床。いやはや、良い汗と悪い汗の両方が流れています。個人的には安静にしたいのですが…。単純、

貧乏ですから……

18きっぷがひとつ使えるものですから、そして今日が最後なので、せっかくですから調査に赴きました。

15:05、尾久駅から高崎線に乗車。大宮駅までは混みあってます。

16:05、籠原駅着。終点ですが、到着駅です。行く場所は熊谷市ですが、籠原の方が近いのです。ここからタクシーで5分ていどで久保島自治会館付近に到着。ここから墓所調査を始めます。千葉周作の実兄、塚越又右衛門が関与する塚越家で、孫の成男がここに埋葬されています。

 まず寺院が3軒、墓所のみが3軒存在します。最初は寺院墓所2軒を探索。塚越家の墓所がないのでここは対象から外れました。ここから少し歩くと薬師堂のある墓所に参ります。

110410久保島薬師堂
 たぶんココでしょう。ここには塚越家と嶋田家墓所しかありませんが塚越家墓所が集中しています。

 残念ながら、当墓所にあったであろう墓所に個人的に探していた塚越家墓所はありませんでした。もしかしたらこのなかの塚越家に関与している可能性はありますが、薬師堂の方が留守だったため確認は出来ませんでした。

 また、用水路を挟んで墓所を見つけましたが、ここも違う家の方の墓所が固まっていますので違うようです。

 一応、ココと思っても消去法の法則に従って、残り2ケ所の墓所も調査します。最後の寺院墓所も立ち寄りましたがここも違うようです。

 最後に残ったのが浄土宗寺院付近にある墓所ですが、法名から考えて違うとは思うのですが、消去法の法則に基づいて向かいます。同じ集落ですが徒歩15分以上かかります。実は貨物ヤードとなっている場所を横切るので始点から時間がかかります。線路を越えて、小路を入り、道を間違えたのか、逆に早く到達することが出来ました。それでもここの集落は広範過ぎて踏破は大変です(汗)

 ここにネコがいたので少し地元の方と談笑。そのまま向かいますとコンなのがありました。

110410久保島忍藩境界
 忍藩の境界石です。ここからが忍藩だという誇示が面白いですね。寛政年間は木柱だったそうですが、次第に石柱になったそうです。このころ、忍藩は阿部家の所領で、沖田総司の沖田家も致仕してた時期にあたります。

 ここから引き戻るには時間も17:48なので断念し、ちょうど車庫前だったのでバスを待つことに。熊谷駅行きよりも籠原駅行きの方が早く来るのでこちらで。この当りはDSなんかが多く、喉も渇いたのでスポーツドリンクを購入。

18:02、ジャストでバスが来て18:18ごろ籠原駅に到着。けっこうグルグル回りました(汗)

18:21、すぐに上野行きが発車します。今回はグリーン車に乗車。なぜか暖かいです。2階建てではない車輌に乗車したからでしょうか?昔ながらの方が金属が厚いので寒気が減ります。ここで「千葉の名灸」の登場者索引の作成を行います。

 45回が終了した時点で尾久駅に到着。この後、少し買い物をして帰宅。

 帰宅したらなんか悪い汗も出始め仕事になりません。眠気が来た後に逆に目が冴えてしまい、苦しんだ深夜を迎えます。


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12日
3:00起床。ネットやらで時間を潰し、きょうは水戸へ行こうかと思案する。

7:00、身体に悪寒が走り断念。そのまま就寝。

18:00、起床。いやな感じ。基本的な作業をこなす。「千葉の名灸」翻刻。

21:00、印刷用紙が切れるも体力の限界を感じあきらめる。

22:00、やはりダメ。睡眠導入剤で23:00就寝。

13日
2:00起床。少し良い。というか、本当に少し。

7:30、意を決し、出発。8:07の電車で松戸へ行き、松戸からスーパーひたちで水戸へ。スーパーは乗り心地が良いので楽です。

9:20、水戸到着。ミルクスタンドでホットミルクを購入後、バスへ。タイミングよく、9:40には茨城県立歴史館に到着。目の前の池は薄氷。やはり水戸は寒いと実感します。

12:00まで調査。意外に伊東甲子太郎の父の記録を発見できる。こう考えてみると、昔の自分の目が節穴だったのか、古文書の解読レベルがスキルアップしたのか?少し地元関連の記述があったので後日確認を。とりあえず不安は払拭できました。

13:00、調査後、複写できないので「水府系纂」を筆写。しっかり1時間かかりました。内容が濃いですね。これですべての作業が終了し、13:30には辞去。

14:00、水戸駅到着。酒門方面行きのバスが偶然遅れて、待たないで乗車。3番乗り場から発車するのですが、この時間は基本的に1時間に1本です。

14:20、酒門坂上バス停下車。240円也。ちなみに帰りは150m先に降りた酒門坂下バス停から乗ることをお勧めします。50円値段が違います。

110113水戸市酒門墓地入口
 恥ずかしい話、線香を買い忘れました。墓所入口へ行き、受付を行います。ちなみに常盤共有墓地と違うところは、酒門は受付がございます。

 受付を済ませると大きな案内板が、有名人の墓所には白い木標が建っていますので安易に探すことが出来ます。

110113水戸市酒門渡辺清左衛門墓地
 参りたかったのは渡辺清左衛門墓所です。この渡辺が千葉周作に代わって水戸藩の北辰一刀流を支え、水戸藩に北辰一刀流を伝播させています。明治になって小沢一族が東武館を興し、小沢寅吉が水戸藩の北辰一刀流では有名なのですが、渡辺なしに水戸藩の北辰一刀流は語れません。

110113水戸市酒門新家家墓地
 ちなみに水戸藩新家家一族の墓所もコチラにございます。「新家」でピンと来ない方に説明すると、新見錦の元名が新家久米太郎、ということで解るでしょうか?2家に別れていたはずが、なぜか一緒に合祀されています。まだあるだけでもマシですが。

 ちなみに水戸藩芹沢家墓所もここにありましたが、墓所整理の際に処分?されたようです。

 ここを辞去して財布を見ると細かいお金がない。バスに乗るのは厳しいので少し降りて、近所のスーパーで買物を兼ねて両替を。すぐ近くが備前堀ということに初めて気づきました。ここから水戸駅に近づくと気魂橋があり、安政年間の勅書返納事件の際、内紛があった場所があります。

15:40、水戸駅に到着。すでに身体からは変なシグナルが鳴り始めています。家路に着いても食欲に自身がなかったのでスープストックでボルシチ、そしてホットミルクを購入後、フレッシュひたちに。空いてて助かりました。

17:30、北千住の駐輪場へ戻り、スーパーで買物後、病院に寄って薬をいただき、帰宅。この時点でかなり嫌な状態です。

18:30、少しネットをいじるも、19:00には苦痛に。20:00にはTVを観てる最中気絶。なので即効で就寝しました(汗)


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6日
3:00、沼津駅に到着。空腹を覚え、沼津駅のコンビニに入る。駅前のローソンは掃除のため営業中の看板を灯しながら休業中。そこを左に折れればセブンイレブンがあることを存じてましたのでそこでチャーハンを購入。19分発なので急ぎます。このとき強風が思いっきり身体を刺します。

3:19、沼津を発車。食事を楽しみうつらうつらしています。夜景などは楽しむ明かりは存在せず、少しレム状態になりつつも列車は戸塚を通過。もう少し仮眠したいので品川までと、仮眠。

5:05、東京到着。山手線に乗り換え、常磐線へ移ります。

5:45、北千住駅に到着。ゆっくり歩いて5:50に入口に到着。扉が開きません(泣)ここで2~3分待ち、すると定期利用者は入れたようで、扉が開いたときに入り込み、そのまま帰宅。当初は横浜、ないし水戸に行く予定でしたが、身体が持ちません(汗)

6:10、帰宅。7:00就寝。

12:00、起床。東京新聞横浜支局から連絡が。アポを取る予定でした。

 せっかくの18きっぷですので、14:30に家を出発。田端駅から京浜東北線で関内へ。ここから少し歩いて地下鉄で1本、伊勢崎長者町駅へ。ここから少し歩いて弥生町3丁目へ。

110106弥生町
 ここは旧駿河町1丁目で、翁町からここへ山口菊次郎が転居しています。

 そこから旧長島橋を超えて真金町へ。

110106真金町 
 見慣れた通りがあります。私の郷里、吉原と同じ道路の構成です。つまり遊郭の名残です。この先にもう1本あり、そこを右に折れ、突き当たりに神社があります。

110106真金町大鷲神社
 けっこうな賑やかな神社なようで、柵には居住者でもある桂歌丸の名前があります。

 そしてそこからタクシーに乗り某寺院へ。訃報の確認と墓所の確認ですが、時間が遅かったことと、墓域が多いことから確認作業だけできました。ご協力いただきました寺院関係者に感謝申し上げます。

 その後、最寄の石川町から関内へ移動し、東京新聞横浜支局へ。知人の支局長と懇談。19:30辞去。

19:50、桜木町駅に到着…、が、大変なことになっている。東京駅で火災が発生し、しばらく動かないとのこと。仕方なく暫くして振替輸送で地下鉄で横浜駅へ。その後、身体にエコのため、グリーン車で東京駅へ。私が乗った列車は偶然ですが遅れていませんでした。

 ここで疲労と空腹もあり、少し話題になった日本食堂へ。ここは北斗星の食堂車をイメージした作りになっています。でも車内より少し高めのような…。ショバ代なのでしょうか…?ここでシェフお勧めのハヤシライスを賞味。美味。しかし、ライスをバターライスにすれば、社内メニューでビーフストロガノフとして出していたような…。でも好きな味ですから美味しく賞味いたしました。

 その後、山手線ホームへ。来たのは京浜東北線。もちろん激混み!一番混乱したのは上野→鶯谷の途中で電車が停まり、乗客が他愛もないことで喧嘩が始まる…。パニック寸前です。旅行の疲れも溜まり、左足が釣りかけたときにようやく電車が動きました。

22:00ころ、帰宅。もう起きているのが苦痛の状況へ。仕度して即効で就寝。

 しばらくはこうした弾丸旅行は控えます…(汗)


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