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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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20日
5:00、起床。

6:42、北千住より常磐線に乗車。この時点で土浦での調査をあきらめる。グリーン車に乗車して身体を休めます。残念ながら暖かい飲み物はりません。土浦駅での停車を利用…。しかしこの時間は停車時間が少ないのが難点。本来なら停車時間の長い高浜を利用したいところですが、確か自販機はなかったような…。

8:30、赤塚到着。ここからJRバスを使います。

8:50、大工町3丁目着。

9:00、茨城県立歴史館へ。この館も被災されたようで、4月22日に再OPENしています。

 今回は主に水府系纂で、コピーが出来ないので一生懸命筆写します。ほかに午後に巡る予定の唯一の証拠資料やらを取得。

 この間隙を縫って、なんと鹿島神宮の神官の日記があることに気づく。新たな閲覧資料です。なんと万延2年(文久元年)の日記もあるという。喜んで見ると、やはり「鉄扇而打候由」の記載が!!たぶんあの方でしょう。

 下村継継次のアリバイを見て見ると、

13日、鹿島神宮
17~22日、佐原
2月8日、鉾田

となります。佐原からのラグがありますので、その期間も献金活動をしてたのでしょうね。清河八郎の面会を断ったのもこの期間の間でしょう。

 それと土浦藩の諸士年譜を確認。鈴木三樹三郎の妻、はなの実家を調査します。それだけでは解りませんので、墓所に行ったときに照合します。

 ちなみにこの間、茨城地方には震度4クラスの地震がありました。係員が急いで書庫から逃げ出しました。私は時間がもったいないのでずっと史料に向き合ってました(汗)

 という感じで11:10、同館を辞去。ちょうどバスに行かれてしまい、大工町3丁目まで歩きます。赤塚駅行きが来たのでそれに乗車。赤塚駅に到着し、11:38、列車は上野方面へ進みます。

(明日の日記に続く)


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