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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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1日
 眠れない…(汗)

 ずっと眠れません。仕方なく3:00にコンビニで買い物。

 4:00過ぎまで記憶にありましたが、その後、睡眠薬を増やしたので就寝。

9:45、いったん電話で起床。薬が効いているのでまた就寝。

13:30、起床。でもダメダメ。

16:00、FAX。「千葉の名灸」のチラシが出来ました。のちほど本物が出来上がるでしょう。

17:00、急激に睡魔…。

19:30、起床。少し楽に。

22:00、ようやく快復傾向になったので「千葉の名灸」の校正。

2日
0:00、解説文の部分のみは挿入文以外は終了。

 ネットで細かい作業があり、少し。

2:00、「千葉の名灸」本文部分の校正。

3:00、休憩挟み5回分でいったん終了。

13:30、起床。

16:00、クリーニング店に寄ってから国立国会図書館へ。鉾田関連の書籍を再確認。コピーまではしていませんでしたから今回は再読。コピーも。何故鉾田は文久元年の天狗党献金騒ぎにあまり関与しなかったかが解ります。あとは説明の能力次第となります。ただ国会図書館は旧大洋村のものはありませんでした。

 ついでに千葉家関係も。足立区の住宅地図の複写本を国会図書館が作ってくれていたのは嬉しいです。一番最古の住宅地図は昭和35年なのですが、はじめて根本金太郎の子、小田切東氏が経営していた立川楼の場所がわかりました。また、千葉灸治院が「マッサージ千葉治療院」とあり、昨年お世話になった千住文化普及会の櫟原さんの御宅が「灸・櫟原」とあり、不思議になりました。

19:00、閉館とともに辞去。

23:00、睡眠薬も飲み、就寝。


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30日
11:00、起床。なんか調子悪いです。

 食事。胃がもたれます。昨日出来なかった芹澤鴨の資料作りが待っています。腹痛(というかもたれ感)は集中力を奪います。

14:00、ようやく頭が回転し始め、資料作りを開始。要は年表作り。過去のものから増えてきているのでそれをうまく収めていく。その分京都の分は圧縮されていきます。

 芹澤鴨の人生ですが、新選組は終焉のひとつであり、本来の根幹は天狗党にあります。その天狗党時代の芹澤イズムが新選組の当初の方向に進んでいく訳です。

 どうしても昨今の新選組研究本なる胡散臭い書籍は「土方歳三がモテた」とか、「沖田は女遊びをしていない」みたいな内容に固執することが多く、ひどいものでは「新発見!!」とか書きながらその出典を明らかにしない本が当たり前のように発売されています。その元凶だった出版社もある会社の孫会社まで転落したためにいまはそういう「やりたい放題」みたいな書籍は少ないようです。

 それでも使えない本が新選組関連書籍では実に80%といえる数字に跳ね返ってくると思われます。なお、良書があるのは昭和50年代前半までに集中しているのもある特徴でしょう。この後、大河ドラマの影響で学者関係の方の執筆に少しの成果があるだけで、このころ絶頂期のような態度を取っていた「新選組研究家」なる方たちは出版社に見透かされ、2004年の大河放送時にはお抱えのライターにすり替わっているという。笑えない事実が存在します。

 実に私が新選組を調べる原点がこの芹澤鴨にあり、平間重助の身元判明により一気に加速したと言えましょう。ちょうど大河ドラマの時期とも重なり、旧玉造町はその当時ありえないほどのフィーバー振りで、実に期間限定で開館した記念館には14,000人の入場者があったほどです。もちろんリピーターもいたようで、当時の玉造町の人柄が窺えます。

 こうして約10年の月日を迎える訳ですが、古文書の整理によっていくつかの事象が判明してきています。芹澤鴨の話もずいぶん様相が変わりました。そういう思いがこの年表に現れてきているような気がしています。

 最初は細かく説明することも考えましたが、あまりに資料が細かいと、講演する意味も薄まるので、今回は資料は少なめに。京都の部分は今年発刊されて「新選組を歩く」の拙部分を利用しました。

15:30、ようやく出来た年表等を鉾田市公民館へメール。これでようやくひと安心。

 さて、出かけようと思ったら雨。いけないのでカッパを被って北千住へ。

 北千住から乗った電車が松戸行きだったので、面倒とバスに乗り換え。目の前のコンビニで明日送付する分をコピー。

17:26、約5分以上遅れてバス到着。速攻で発車。18:00くらいに流山駅着。430円でした(汗)けっこうかかりますね。

 ここで北総の本部にお邪魔します。いつものメンバーが揃っています。買出しの品物を渡し、北総の方には先日買い換えたデジカメの、以前使用していたものをプレゼントしました。

 といってもフラッシュのレンズにヒビが入っていたりと見た目は悪いのですが、900万画素ありますし、単3電池が使えますので便利です。以前になかなか見かけることのないデジカメなのかフィルム式なのかわからないカメラを使用していたので、コチラの方がマシかと。まだ寿命を終えていませんので使えると思います。第二の余生を終えられるのならデジカメも幸せでしょう。


 そういえば、きょうはやけに人懐かこそうに見えるネコがおりまして、やけに閻魔堂を覗きに来ました。初めてみるタイプですが、こんどはまたたび攻撃してあげましょう(笑)

 こんな感じで21:00に同所を辞去。馬橋で食事して日本史探偵団の皆様と懇談して帰りました。

 帰宅は23:00。0:00には就寝しようと…。


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26日
9:00、空腹とメールで起床。入金確認がある。「新選組を歩く」の原稿料です。

11:00、ゆうぱっくが。「千葉の名灸」の校正原稿が届きました。個人的に表紙も気に入っています。なにせ250ページもありますので時間がかかります。八柱一件がケリがついてから送ることになりそうです。ですのでもう少しページが増えそうです。一応予価も3,000円になりました。でも、それでも読み応えはじゅうぶんにあると思います。思えば長かったですね。新たに解った彰義隊部分と八柱一件を絡ませる予定です。

12:00、書留が来る。これも待っていたもので交渉が早くなります。

13:30、家を出発。国立公文書館へ参ります。今回はメインを鈴木大日記に集中して閲覧です。ついでに気になってた多聞櫓文書も含めながら、今回は、なので講演モードの調査となっています。

17:00、同館を辞去。ツタヤに寄って18:30帰宅。郵便物が届く。嵐山町のもので、こんど行く水戸の史料と照合するために必要な書類です。幕臣の家来という立場は当時は裕福な位置にいた方も多かったのですが、明治以降、それらは平民という格に転落し、なおかつ給金をいただいていた主家が没落しますから、主家自体も生活がおぼつかない状況ですから家来は切り捨てられます。それでも東京府に手切れ金を渡す費用を賄って欲しいとの嘆願書が出ています。果して現在追っている西田栄蔵がどのような人生を送ったのか、興味が沸きます。

19:30、鉾田市公民館のYさんより電話。今週末に資料を送ることを約束。それを受けてさっそく年表作りに入る。芹澤鴨の年齢に迷う。浪士組名簿はいろいろあれど、けっこう手本としたものがあり、それにちなんで複製されたものが多いのです。芹澤鴨の年齢は38,34,32歳とするものがあり、このうち一番流布しているのが32歳です。しかし32歳ですと長男の常親の出生に狂いが生じます。13歳で父親というのは無理があるでしょう。戸籍上は祖母が母になっているようですが、当時で40歳を超えた高齢出産はどうかとも思いますので違うでしょう。もしかしたら常親の出生年がもう少し後の可能性もあるかも知れません。

 とりあえず90%出来たところで今日はお休み。

 明日は頭をシャキっとしたいので睡眠薬を飲み、23:30には就寝いたしました。


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1日
11:30起床。ほうれん草のマーガリン炒めをいただく。どうもマーガリンがもたれたようで、お腹の調子と相俟って大変な状態に(汗)

15:00、少し問い合わせ。この問い合わせた内容に納得がいかなかったので出かけようと思ったら豪雨。近場で済ませようと思ったら松戸は休館。船橋も休館。柏は節電で開館時間が縮小ときた。これは行くなというサインでしょう。

18:30、お手紙を書きたい人が出来たのでその方へ送るためのコピーをするためコピー屋へ。5円コピーは重宝します。その帰りにいつもの「てんや」で野菜の天ぷらを。たぶん海老天を1回も買ったことがないから覚えられていることでしょう。帰宅後、野菜で食事。やはりお腹にやさしいです。本当に今週は8割方野菜のみの生活です。

21:00、お手紙を書く。

0:30、就寝。

2日
 横臥するもなかなか寝付けず。

12:00、起床。

13:50、家を出発。千葉まで行って来ます。町屋駅の駐輪場を利用して京成電鉄で行きます。時間的に悪かったのでいったん京成上野駅へ出てから京成津田沼で乗り換え。乗った電車の終点が千葉中央です。ここから徒歩10分くらいのところに千葉県文書館があります。15:00少し過ぎに到着しました。

 しかし…。行政文書が恐ろしいほどにないです。それどころか古文書系でも東葛飾郡地域の所蔵はほぼ皆無に等しいという状態でした(汗)

 唯一国政調査で使用されたとてもアバウトな地図を入手。これくらいしかありません。規則類はあるのですが、所在地を示すものはありませんでした。

 こんなことをしている間に16:40!急いで下に降りて市町村史が置いてある2Fに。ここで沼南町史料目録を閲覧&コピー。ちょうど17:00に終了。危ない危ない…(汗)

17:34、千葉中央駅から再度京成電鉄に乗り町屋駅へ。少しツタヤを物色するもこのお店は幕末関係が嫌いなようで、殆ど壊滅状態といえます。

19:30、帰宅。

21:30、疲労により気絶。

22:30、復活。少し買い物。

 これから試衛館まつりで用意する文書を鞄に入れて就寝します。

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29日
13:00、起床。睡眠導入剤が効きすぎているのできょうは辞めよう。

15:00、各種問い合わせ。役人との対話は疲れます。この方はともかく、一般人を見下す態度をする職員が多いような気がします。やはりレコーダー持参を考えねば。

16:00、手紙で奮闘。よく考えたら古文書のままで渡しても読めないでしょうから解読を急ぐ。あまり使われない語句(漢和辞典にもない)に困惑。意味は解ってもコレで良いのか?仕方ないですがそうする。

18:30、もろもろの手紙を持って買い物も。100円ショップでCD用の封筒を購入。近所に販売しているところがないのがイタイです。その足で荒川郵便局へ。そういえばコピー機が撤去されておりました。5円コピーは残り1ヶ所となりました。エクスパックは入りきればOKなのですが少し厚みが出てしまいました。この帰りにチケット屋で切手を購入後、買い物して帰宅。

20:00、おかげでパソコンの画像データが100MBを割りました。家にはまだまだ未整理の書類がありますのでそれに奮闘。最近になって集めた流山の史料も同様で、あとは公文書の取得で固めるのみ。これがけっこう時間を食うもので、気がついたら0:30。眠くもありましたので1:00就寝。

30日
10:00、起床。睡眠導入剤なしで普通に起きられました。

11:40、病院へ。

15:00、出かけようと思ったら雨。とてもではないですが外出は無理。

16:30、止んだので一気に中野へ。天徳院さんへ試衛館まつりの再度ご挨拶を行いました。住職夫婦がおられ歓談。帰りに虎屋の羊羹までいただき汗顔の至りです。


 こちらで飼っているネコちゃんです。膝に乗せてなでてあげると遠くにいるお犬さまが「にゃお~ん!」と啼くので驚きました。互いに「にゃお~ん♪」と啼き合うので会話が出来ているのでしょう(フラッシュを焚いてしまい、ちょっとブサ顔になっています)。

19:00、以前ミツボシだったところがニコニコカレーと名前を変えているのでとりあえず入ってみる。オーナーが変わったそうで、確かにカレーも前のフルーティー感はなくなり、代わりに肉!という感じでした。めんちカレーを頼んだら肉だらけになってしまい、肉好きには堪らない一品になってました。メンチは普通になってました。あの力任せに肉をメンチしてたあの味ではありませんでした。でも男性的にはこのカレーはお徳だと思います。特に肉好きな方にはお勧めです。

20:00、帰宅。そのまま試衛館まつりの史料作り。地図以外は過去のものを結構引用しました。

23:30、全部の史料を主催者へメールで送る。

0:30、就寝。


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