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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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26日
9:00、空腹とメールで起床。入金確認がある。「新選組を歩く」の原稿料です。

11:00、ゆうぱっくが。「千葉の名灸」の校正原稿が届きました。個人的に表紙も気に入っています。なにせ250ページもありますので時間がかかります。八柱一件がケリがついてから送ることになりそうです。ですのでもう少しページが増えそうです。一応予価も3,000円になりました。でも、それでも読み応えはじゅうぶんにあると思います。思えば長かったですね。新たに解った彰義隊部分と八柱一件を絡ませる予定です。

12:00、書留が来る。これも待っていたもので交渉が早くなります。

13:30、家を出発。国立公文書館へ参ります。今回はメインを鈴木大日記に集中して閲覧です。ついでに気になってた多聞櫓文書も含めながら、今回は、なので講演モードの調査となっています。

17:00、同館を辞去。ツタヤに寄って18:30帰宅。郵便物が届く。嵐山町のもので、こんど行く水戸の史料と照合するために必要な書類です。幕臣の家来という立場は当時は裕福な位置にいた方も多かったのですが、明治以降、それらは平民という格に転落し、なおかつ給金をいただいていた主家が没落しますから、主家自体も生活がおぼつかない状況ですから家来は切り捨てられます。それでも東京府に手切れ金を渡す費用を賄って欲しいとの嘆願書が出ています。果して現在追っている西田栄蔵がどのような人生を送ったのか、興味が沸きます。

19:30、鉾田市公民館のYさんより電話。今週末に資料を送ることを約束。それを受けてさっそく年表作りに入る。芹澤鴨の年齢に迷う。浪士組名簿はいろいろあれど、けっこう手本としたものがあり、それにちなんで複製されたものが多いのです。芹澤鴨の年齢は38,34,32歳とするものがあり、このうち一番流布しているのが32歳です。しかし32歳ですと長男の常親の出生に狂いが生じます。13歳で父親というのは無理があるでしょう。戸籍上は祖母が母になっているようですが、当時で40歳を超えた高齢出産はどうかとも思いますので違うでしょう。もしかしたら常親の出生年がもう少し後の可能性もあるかも知れません。

 とりあえず90%出来たところで今日はお休み。

 明日は頭をシャキっとしたいので睡眠薬を飲み、23:30には就寝いたしました。


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