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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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 今週から特に風評被害のニュースが齎されています。

 なんでも放射能が伝染するとか勘違いした方が急造しており、あろうことか、茨城県つくば市にいたっては放射能検査を義務付けたとか…。

アホか!

 原発事故の際、仕事を抛り投げて逃亡した方々もそうですが、呆れてモノが言えません。

 まず放射能は高放射能を浴び続けた遺体以外に問題が起こることはありません。というか、遺体であっても被爆して死亡したわけではありませんので、そこまで高濃度に汚染されることもないでしょう。

 ましてや、いま危険ということで強制的に避難指示が出され、疎開している方々に放射能を浴びる危険性もなければ、それが伝染することは

100%ありえません!

 放射能は細菌ではないのですから一体どこからこんな噂が流れたのでしょう。少なくても私は知りません。いま拙宅の近隣にも福島県の避難者が3世帯入居しています。

 本当に国として、特につくば市のような行政の煽りには徹底した断固たる処置を願いたいものです。


閑話休題、

 そういえば、もうすぐ近藤勇の命日になります。今年は冷気の多い日々が続きますが、近藤が斬首されたときは旧暦ですので暖かいなかでの処刑だったと思います。

 最近、春なのでしょう。特に知ったか振りして「史実の近藤勇はこうだ!」と、ブログで煽動している御仁もいるようですが、その方は真面目に書いているか、それとも自分が偉いと思われたいがために書いているかの見分けを教えましょう。それは、

根拠史料を提示しているか?

 この1点につきます。

 そりゃぁ、近藤勇の処刑ですから、安全圏内の新政府軍の監督下で処刑されたにしても300名が近藤奪還を恐れて警固している訳です。

 ちなみに25日に処刑されたのは近藤勇のみです。当時史料、あるいはその場所に当時いた人物の回顧談がなければ信用するのは危険です。一番怖いのは伝聞記事(それもすでに活字化されたもの)をいかにも「史料」とかいい回す御仁です。伝聞したことを書いた時点でその史料の信憑性は格段に落ちます。ましてや平成以降、何の出典も書かない、書いてもその題名で追う事はできないようにしてある悪意の論文なんかが平気で存在します。ちなみにこれを書いた御仁は「横倉喜三次が近藤を斬った刀は近藤の刀だ!」と記述してあり、これに驚いたご子孫のひとりは出版社経由で著者本人に問い詰めたところ、

僕が調べたことをむやみに教える訳にはいかない

 この時点で信憑性、品位が疑われるというものでしょう。つまり何の根拠もなく、いかにも根拠を示さず、物知り風に装いブログ等で論評する御仁には話半分として、じゅうぶん注意を賜りたいということです。そういう御仁が、親しくもない子孫に声をかけただけで「僕は○○の子孫と懇意にしている」とか平気で言います。きょう行われるであろう寿徳寺の境外墓地でそう吹聴している方がいたら思い出していただけたら違う意味で楽しめると思います。

 地下の近藤勇もそういった人物を嘲笑していることでしょう。

 なお、明日は近藤勇の命日にあたるので限定記事となります。

*追記
 もし近藤勇の当時の状況をお調べになりたいたら「横倉喜三次日記」、および「官軍日記」、「多田隊の日記」をご覧いただくことをお勧めいたします。拙著「慶応四年新撰組近藤勇始末」に翻刻文が抽出されております。


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19日
13:00、起床。どうもニュースは最近放射能の話題ばかり。原発のニュースより放射能の話。影響がないのに放射能の話。

勘弁して欲しい……

 これであるTVでは雨カッパが良いといえばすぐに売り切れ、帽子の姿があれば帽子が売り切れる…そんな東京です。目だった買占めはなくなりましたが、それは飽くまでもTVの影響。困ります。

 そしてきょうは放射能ほうれん草、放射能牛乳の話題。まぁ、逆にこれで牛乳が買いやすくなります。勝手にすべてが放射能牛乳と勘違いして売れなくなりますから。
 
 この弊害で茨城県北部は交通渋滞が加速しました。放射能の危機に煽られた住民が避難します。避難できるならマシです。出来ない方もいるのです。そして交通量が増えれば、その避難者に物資の供給が遅れるのです。常磐方面を唯一支えているのは国道6号線です。余計な車は流通車両を妨げます。どうか北茨城の難民のことも考えていただければ幸いです。個人的には野口雨情生家の野口さん一家が心配です。過去の津波の経験で海沿いに近い場所にありますが、石垣で高台にしております。しかし情報が入りません。無事であることを祈ります。

 このように正確な情報が流れないと違うところに迷惑が波及するのです。

 で、この正確な情報というのは私たち歴史関係を執筆する者たちにも重要なことです。ある事件があった。その事件の背景は?事件の背景は複雑に各人の立場があり、論考が分かれますが、「ある事件があった」という事象は全く動かない事実です。

 また、これが幕末に近づけば「どの場所」が史跡かということも確定できます。たとえば幕末の志士の生家があって、その場所を明治中期まで家族が動いていなければ土地台帳で確認が出来ます。もちろんどのような場所にいたかを目視で確認すればどのような環境にいたかも解ります。なかには伝承も残っていたりします。その伝承と収集した史料とを併せて事実の補強をいたします。

 しかし、特に「新選組研究」を名乗る方々に関してはそれが少ないのが現状です。絶対にソコに行ってないだろう!とハッキリ解る文章を書く方もいます。簡単です。平成の大合併の前の住所を書いているときです。また石碑はほとんど動きませんが、史跡めぐりの場合、施設なんかは移転することがままあります。特に平成の大合併の影響でイニシアティヴを握った町側にそうした施設の移動が顕著に見られます。

 また行方市の例を述べますと、平成16年に大河ドラマ「新選組!」の放映に併せ、JAの建物を借りて「新選組水戸派史料館」を1年間限定でOPENさせました。1年間ですから翌年の3月で閉館しております。このうち借りていた史料類は返却され、パネルの一部が残りました。棄てるのはもったいないので、それを虹の塔に展示しました。さすがにそれだけでは寂しいので大河ドラマの小道具と鈴木家から一部の史料を借りて、そして私も古文書の復刻書(といってもナンバリングのある限定版)を無期限貸出ししてコーナーを設置いたしました。

 しかし、これはあくまでもミニコーナーと呼ぶていどのもので、基本的にメインは虹の塔です。

 そして2010年になって鈴木家文書が橋を渡ったかすみがうら市に寄託されることになり、鈴木家文書も撤退したと思われます。

 これを史跡として強調してしまうのも少々気が引けるのではないでしょうか?600円払って1坪程度のコーナーを見るだけ。もちろん説明員なんかいません。聞いたところで知る人さえいません。出品者の私でさえ聞いても「ソンナの知らない」と言われた程です。

 また、史跡めぐりの書で気をつけたいのは、実際に行って確かめているかということです。ある作品に「無人の家を預かってる家」なる文言がありました。偶然私は無人の家の持ち主も預かっている家も知っています。しかしその作品に書かれている家はナンの関係もないのです。酒屋としか書いてなくてもその集落一帯に酒屋は一軒しかありませんから、間違いの元です。その作品を読んで「無人の家を見たい」なんて言われたら迷惑以外のなにものでもないです。人違いですから。また、現地に行ったけど勘違いして覚えてしまう方もいるようです。史跡めぐりで現地に来たら案内板がない場所では近所で確認しなければダメです。違う場所を覚えてしまえば、まったく関係ないところが史跡にされていまします。そうするとその間違われた家の持ち主にとっては非常に迷惑です。

 実際芹澤邸にいたっては平成16年のブームの際、今でいう「歴女」が一方を山で仕切られていることを幸いに山をよじ登り邸内に侵入したという事件がありました。

 なので私も史跡関連では一度も訪れたことのない場所であれば執筆はお断りしています。自信のないところに至っては原稿料なんか無視で再度現地確認にいったことは一度や二度ではありません。岡山ツアーをしたときには下見に2度訪れています。

 とにかく恐ろしいのは雑誌と違い、書籍は一生モノなのです。国会図書館に行けば納本の義務がありますので一生残ります。後世の学者、歴史ファンが参考文献として閲覧するでしょう。

 その元が現地にも行かないで書いた史跡本を見て、またその方も現地に行かずソレを踏襲して書籍に掲載する。恐ろしい話です。実は今でも幽霊のように沸いてくる新選組伝説があります。沖田総司の母、沖田ミキの話です。

 もちろんこのブログでも何回か書きましたがこれは釣洋一の創作です。沖田総司の姉、ミツ、キンの文字を合わして作ったものです。当然それを知るものは使用することはありません。

 しかし、それを見て沖田家の親類書を捏造した方がいて雑誌に発表していたりします。

 それを何十年後に発見して「僕の新発見!」なんて騒いでいるピエロもおります。

 史料、書籍は取捨選択。信用できる文献を最低でも2つ、なければ伝承でも良いので最低2つは合致できるようにする。そうでなければ発表は控える、あるいは?という形で疑問符を入れる。こうしないとこれから50年、100年後の研究者を迷わせるのです。

 書籍を執筆する場合、特に私たち歴史を執筆するものは史料の取捨選択には十分に気をつけなければならないと思います。少なくとも私はそうでなければ書けない。例え現地取材をして史料を見て史料批判で確定しても書けるのは1行なんてザラです。こうした努力を未来の研究者の方へ伝えたいと常々思う毎日です。


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復権しつつある新選組水戸派、芹澤鴨、平間重助の法要
 あまり聞かなくなった言葉ですが、昔はよく使われました。

 昔の映画やドラマを観ていると、正義は完全無欠に正義であり、悪は徹底的に悪になっています。

 これは観ている側に認識を与えることによって、単純明解化する役割を担っています。

 一方で、実在の歴史人物を扱った作品で、極端に悪の権化としてしまったために、本来は悪とはいえない人物が、高齢者には悪人の象徴としていまも根強く残っています。

 例を採れば筆頭は「忠臣蔵」でお馴染みの吉良上野介ですね。知行地では善行を行った有名な人物ですが、ちょっとしたいさかいのみで、隠居させられてしまい、ついには殺されてしまう訳です。

 これは吉良家側からみればたまったものではありません。正史を見れば、私見ですが、一番悪いのは浅野内匠頭な訳です。簡単に言えば、家臣のことを顧ずに刃傷沙汰を起こした訳ですから、これで家臣は路頭に迷い、このままでは怒りが収まらないので、その怒りが吉良に向いた、という図式な訳です。

 次に井伊直弼です。長州や水戸サイドの立場から考えれば、実際に処刑されている訳ですから納得できない部分もあるでしょう。ただ、現状の日本の立場を考えると、誰かが開国しなければいけなかった訳で、この貧乏クジという立場に立ったのが井伊と言えるでしょう。この開国により、使節を欧米各国に派遣したおかげでのちの明治維新の産業発展におおいに貢献しています。

 これは新選組でも言えることで、悪役として必ず登場したのが芹澤鴨と伊東甲子太郎です。ドラマや映画で観ると、本当に悪の権化であり、芹澤鴨にいたっては、「目が合ったら斬る」くらいのいきおいで描かれています。

 近年、芹澤鴨については、意外な人物性が浮き彫りとなり、少しですが、復権しつつあります。残念ながら伊東甲子太郎についてはいまだ難しそうです。

 以上、こういう歴史の誤差は存在しますが、これらは亡くなった人物です。つい最近まで放映していた「官僚たちの夏」のように、まだ生存者がいる場合はこうなりません。


 近日起きた事件はコレに起因します。自分を優位に立たせるために悪を作る。たまたま悪にされた人物が私だった。誤解されてはたまらないのでブログに書いたら、反省など一切なく、結果的に自分の仲間さえも用いて攻撃を展開してくる…。もちろん当該人物に限ったことではありませんが…

 正直に言えば、今後、迷惑をかけない行動さえしなければ糾弾することもなく、逆に賞賛することもある。今回は特に被害者になったこともあり、いまだに私に対する誤った発信を未だに行っているという現状があります。それを「同レベルと思われたくない」とか書いている。今回の一件に関しては、市谷と別行動(私は自転車、市谷は自動車で別行動)で、私が先に会場入りして、市谷の到着前に会津、日野の各団体の代表と挨拶を交わしてる事実もあり、証言者はハンパなくいます。私も彼と同レベルに扱われたらじんましんが出てしまいます。

 というような、最悪な流れになりましたが、松下氏のすべてを否定しているのではない、ということは言明します。良い行動もあればトンデモない行動もある。今回はそれが多く目立ち、かつ汚名を着せられたことに発端があります。

 この団体が主催する事業ならば問題ない話ではありますが、他の団体の主催事業では、自分を良く言うためにヒトを悪玉にする。
 これはいずれ、例で言えば、雪山で小さな雪玉が山頂部から転がった。それが転がるうちに大玉になって、下に降りた際、なにかに当たって破裂した、という状況になります。少しは自省という意識があれば、反省しろとは言いませんが振り返って考えていただきたい。

 そして純粋に「正義な活動」を行うことを祈っております。


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