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ははは…
あさくらゆう 森重和雄さま、コメントありがとうございます。
世の中いろんな方がいますよ。我が道を行きましょう。
感想
森重和雄 あさくら様
「 史料、書籍は取捨選択。信用できる文献を最低でも2つ、なければ伝承でも良いので最低2つは合致できるようにする。そうでなければ発表は控える、あるいは?という形で疑問符を入れる。こうしないとこれから50年、100年後の研究者を迷わせるのです。
書籍を執筆する場合、特に私たち歴史を執筆するものは史料の取捨選択には十分に気をつけなければならないと思います。少なくとも私はそうでなければ書けない。例え現地取材をして史料を見て史料批判で確定しても書けるのは1行なんてザラです。こうした努力を未来の研究者の方へ伝えたいと常々思う毎日です。」
というご意見もっともなことです。
京都の鰻屋さん(宮川禎一氏のこと)にもあさくらさんの爪の垢でも飲ませたいもんですよね。(笑)
また、ビラーゴさまのコメントももっとものことと思いました。
歴史家の決断
あさくらゆう 梅痴鴉さま、コメントありがとうございます。
放射能のユーチューブ紹介ありがとうございます。
私は平尾道雄氏の判断は正しいと思います。あえて隠してしまうより、後世の歴史家に託す。そういう意味で掲示したことに勇気を感じます。
ただ、後世を見ているとそれを無雑作に扱っている方も多々あり、泥を塗った方がいたのも事実です。
私たち、歴史を後世に伝える役目を担う者は確かな史料を見極め、頑張りましょう。
米が…
あさくらゆう ビラーゴさま、コメントありがとうございます。
本を、特にノンフィクションを読んでいれば、
「アレッ?」
というのはあると思います。その場合、その書籍が根拠を示しているかでその作家の良心が現れています。
あと、参考文献を明示しているフリをしてその参考文献には絶対に行き着かない、ましてや正確な名称を述べないなんてのは新選組関係ではザラです。
どうか取捨選択を楽しんで読まれることをお勧め申し上げます。
なお、福島県でもお米があるのは良いですね。東京は放射能被害のせいで流通がパニクッております。
情報(史料)の吟味と過ちの訂正
梅痴鴉 この度の大騒動で、こちらのスーパーで牛乳などの商品が全くありませんが、恐らく本日より牛乳が余るでしょう。困ったものです。
原発問題について、おもしろい動画がありますので、ブログを閲覧されている方はこちらを参考にどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=ZUzBvxdnCFM
YouTube お腹が痛くなった原発くん
動画なので重いのですが、原発問題について一番分かりやすく解説されています。まずは、危機を煽って部数を増やそうとする「マスコミ」ならぬ「マスゴミ」の情報を吟味して自分の置かれた位置を確認するのが必要です。
>この正確な情報というのは私たち歴史関係を執筆する者たちにも重要なこと
明治維新史家である佐々木克氏は、かつての著作「戊辰戦争(中公新書)」で孝明天皇毒殺説を提唱しましたが、後にそれが自身の誤りであると増補版で自身の誤りを正しました。後に出版している著書では、過去に記載した孝明天皇毒殺説の誤りを訂正する記事を掲載して現在に至っています。龍馬研究の第一人者である平尾道雄は、フェイクの疑いがあった龍馬書簡も「後事に託す」と掲載し「掲載の責任を取ればいい。それが我々の役割です。」と自らの歴史に対する態度を表されました。歴史学者の泰斗ですら、誤解はありますが、それを正すのは大変です。
我々、歴史学徒の瑣末に席を置くものですら解釈の誤りについて正さなければなりません。と、同時に間違いの自己告発は別段カッコワルイ事ではないです。佐々木氏のように、返って信頼される事になり読者や学徒からもかの学者が書かれる論説は信用に於けるようになります。
たしかに「ごめんなさい」をするのは大変ですし、私も同人とはいえ「間違っていたらヤバイ」から何度か遠距離でも千葉某所の図書館に通いましたが、「そうだったのか!」と納得した楽しみが歴史学徒の醍醐味ですし、間違いは間違いで指摘を受けても自己より正せば問題ないと思います。
一番不味いのは、間違ったまま発信しつづける事です。それを自己の責任ではなく他所に転嫁しては最悪です。最早、著者としての信頼は失墜し、だれも論説を取上げようとはしません。
今回、自分を含めて他人事の問題と捉えないようにしたいです。
無題
ビラーゴ 史料・書籍の取捨選択…私のような単なる読者にとっても大きい
悩み所です。なるべく多くの史料にあたることで「目が肥える」と
いうこともあるのかなあ、と思いました。
原発といえば、偶然かもしれませんが近所のスーパーのお米売り場に
福島県産のお米だけが4袋残っていました…。
あさくらゆう 森重和雄さま、コメントありがとうございます。
世の中いろんな方がいますよ。我が道を行きましょう。
感想
森重和雄 あさくら様
「 史料、書籍は取捨選択。信用できる文献を最低でも2つ、なければ伝承でも良いので最低2つは合致できるようにする。そうでなければ発表は控える、あるいは?という形で疑問符を入れる。こうしないとこれから50年、100年後の研究者を迷わせるのです。
書籍を執筆する場合、特に私たち歴史を執筆するものは史料の取捨選択には十分に気をつけなければならないと思います。少なくとも私はそうでなければ書けない。例え現地取材をして史料を見て史料批判で確定しても書けるのは1行なんてザラです。こうした努力を未来の研究者の方へ伝えたいと常々思う毎日です。」
というご意見もっともなことです。
京都の鰻屋さん(宮川禎一氏のこと)にもあさくらさんの爪の垢でも飲ませたいもんですよね。(笑)
また、ビラーゴさまのコメントももっとものことと思いました。
歴史家の決断
あさくらゆう 梅痴鴉さま、コメントありがとうございます。
放射能のユーチューブ紹介ありがとうございます。
私は平尾道雄氏の判断は正しいと思います。あえて隠してしまうより、後世の歴史家に託す。そういう意味で掲示したことに勇気を感じます。
ただ、後世を見ているとそれを無雑作に扱っている方も多々あり、泥を塗った方がいたのも事実です。
私たち、歴史を後世に伝える役目を担う者は確かな史料を見極め、頑張りましょう。
米が…
あさくらゆう ビラーゴさま、コメントありがとうございます。
本を、特にノンフィクションを読んでいれば、
「アレッ?」
というのはあると思います。その場合、その書籍が根拠を示しているかでその作家の良心が現れています。
あと、参考文献を明示しているフリをしてその参考文献には絶対に行き着かない、ましてや正確な名称を述べないなんてのは新選組関係ではザラです。
どうか取捨選択を楽しんで読まれることをお勧め申し上げます。
なお、福島県でもお米があるのは良いですね。東京は放射能被害のせいで流通がパニクッております。
情報(史料)の吟味と過ちの訂正
梅痴鴉 この度の大騒動で、こちらのスーパーで牛乳などの商品が全くありませんが、恐らく本日より牛乳が余るでしょう。困ったものです。
原発問題について、おもしろい動画がありますので、ブログを閲覧されている方はこちらを参考にどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=ZUzBvxdnCFM
YouTube お腹が痛くなった原発くん
動画なので重いのですが、原発問題について一番分かりやすく解説されています。まずは、危機を煽って部数を増やそうとする「マスコミ」ならぬ「マスゴミ」の情報を吟味して自分の置かれた位置を確認するのが必要です。
>この正確な情報というのは私たち歴史関係を執筆する者たちにも重要なこと
明治維新史家である佐々木克氏は、かつての著作「戊辰戦争(中公新書)」で孝明天皇毒殺説を提唱しましたが、後にそれが自身の誤りであると増補版で自身の誤りを正しました。後に出版している著書では、過去に記載した孝明天皇毒殺説の誤りを訂正する記事を掲載して現在に至っています。龍馬研究の第一人者である平尾道雄は、フェイクの疑いがあった龍馬書簡も「後事に託す」と掲載し「掲載の責任を取ればいい。それが我々の役割です。」と自らの歴史に対する態度を表されました。歴史学者の泰斗ですら、誤解はありますが、それを正すのは大変です。
我々、歴史学徒の瑣末に席を置くものですら解釈の誤りについて正さなければなりません。と、同時に間違いの自己告発は別段カッコワルイ事ではないです。佐々木氏のように、返って信頼される事になり読者や学徒からもかの学者が書かれる論説は信用に於けるようになります。
たしかに「ごめんなさい」をするのは大変ですし、私も同人とはいえ「間違っていたらヤバイ」から何度か遠距離でも千葉某所の図書館に通いましたが、「そうだったのか!」と納得した楽しみが歴史学徒の醍醐味ですし、間違いは間違いで指摘を受けても自己より正せば問題ないと思います。
一番不味いのは、間違ったまま発信しつづける事です。それを自己の責任ではなく他所に転嫁しては最悪です。最早、著者としての信頼は失墜し、だれも論説を取上げようとはしません。
今回、自分を含めて他人事の問題と捉えないようにしたいです。
無題
ビラーゴ 史料・書籍の取捨選択…私のような単なる読者にとっても大きい
悩み所です。なるべく多くの史料にあたることで「目が肥える」と
いうこともあるのかなあ、と思いました。
原発といえば、偶然かもしれませんが近所のスーパーのお米売り場に
福島県産のお米だけが4袋残っていました…。
19日
13:00、起床。どうもニュースは最近放射能の話題ばかり。原発のニュースより放射能の話。影響がないのに放射能の話。
勘弁して欲しい……
これであるTVでは雨カッパが良いといえばすぐに売り切れ、帽子の姿があれば帽子が売り切れる…そんな東京です。目だった買占めはなくなりましたが、それは飽くまでもTVの影響。困ります。
そしてきょうは放射能ほうれん草、放射能牛乳の話題。まぁ、逆にこれで牛乳が買いやすくなります。勝手にすべてが放射能牛乳と勘違いして売れなくなりますから。
この弊害で茨城県北部は交通渋滞が加速しました。放射能の危機に煽られた住民が避難します。避難できるならマシです。出来ない方もいるのです。そして交通量が増えれば、その避難者に物資の供給が遅れるのです。常磐方面を唯一支えているのは国道6号線です。余計な車は流通車両を妨げます。どうか北茨城の難民のことも考えていただければ幸いです。個人的には野口雨情生家の野口さん一家が心配です。過去の津波の経験で海沿いに近い場所にありますが、石垣で高台にしております。しかし情報が入りません。無事であることを祈ります。
このように正確な情報が流れないと違うところに迷惑が波及するのです。
で、この正確な情報というのは私たち歴史関係を執筆する者たちにも重要なことです。ある事件があった。その事件の背景は?事件の背景は複雑に各人の立場があり、論考が分かれますが、「ある事件があった」という事象は全く動かない事実です。
また、これが幕末に近づけば「どの場所」が史跡かということも確定できます。たとえば幕末の志士の生家があって、その場所を明治中期まで家族が動いていなければ土地台帳で確認が出来ます。もちろんどのような場所にいたかを目視で確認すればどのような環境にいたかも解ります。なかには伝承も残っていたりします。その伝承と収集した史料とを併せて事実の補強をいたします。
しかし、特に「新選組研究」を名乗る方々に関してはそれが少ないのが現状です。絶対にソコに行ってないだろう!とハッキリ解る文章を書く方もいます。簡単です。平成の大合併の前の住所を書いているときです。また石碑はほとんど動きませんが、史跡めぐりの場合、施設なんかは移転することがままあります。特に平成の大合併の影響でイニシアティヴを握った町側にそうした施設の移動が顕著に見られます。
また行方市の例を述べますと、平成16年に大河ドラマ「新選組!」の放映に併せ、JAの建物を借りて「新選組水戸派史料館」を1年間限定でOPENさせました。1年間ですから翌年の3月で閉館しております。このうち借りていた史料類は返却され、パネルの一部が残りました。棄てるのはもったいないので、それを虹の塔に展示しました。さすがにそれだけでは寂しいので大河ドラマの小道具と鈴木家から一部の史料を借りて、そして私も古文書の復刻書(といってもナンバリングのある限定版)を無期限貸出ししてコーナーを設置いたしました。
しかし、これはあくまでもミニコーナーと呼ぶていどのもので、基本的にメインは虹の塔です。
そして2010年になって鈴木家文書が橋を渡ったかすみがうら市に寄託されることになり、鈴木家文書も撤退したと思われます。
これを史跡として強調してしまうのも少々気が引けるのではないでしょうか?600円払って1坪程度のコーナーを見るだけ。もちろん説明員なんかいません。聞いたところで知る人さえいません。出品者の私でさえ聞いても「ソンナの知らない」と言われた程です。
また、史跡めぐりの書で気をつけたいのは、実際に行って確かめているかということです。ある作品に「無人の家を預かってる家」なる文言がありました。偶然私は無人の家の持ち主も預かっている家も知っています。しかしその作品に書かれている家はナンの関係もないのです。酒屋としか書いてなくてもその集落一帯に酒屋は一軒しかありませんから、間違いの元です。その作品を読んで「無人の家を見たい」なんて言われたら迷惑以外のなにものでもないです。人違いですから。また、現地に行ったけど勘違いして覚えてしまう方もいるようです。史跡めぐりで現地に来たら案内板がない場所では近所で確認しなければダメです。違う場所を覚えてしまえば、まったく関係ないところが史跡にされていまします。そうするとその間違われた家の持ち主にとっては非常に迷惑です。
実際芹澤邸にいたっては平成16年のブームの際、今でいう「歴女」が一方を山で仕切られていることを幸いに山をよじ登り邸内に侵入したという事件がありました。
なので私も史跡関連では一度も訪れたことのない場所であれば執筆はお断りしています。自信のないところに至っては原稿料なんか無視で再度現地確認にいったことは一度や二度ではありません。岡山ツアーをしたときには下見に2度訪れています。
とにかく恐ろしいのは雑誌と違い、書籍は一生モノなのです。国会図書館に行けば納本の義務がありますので一生残ります。後世の学者、歴史ファンが参考文献として閲覧するでしょう。
その元が現地にも行かないで書いた史跡本を見て、またその方も現地に行かずソレを踏襲して書籍に掲載する。恐ろしい話です。実は今でも幽霊のように沸いてくる新選組伝説があります。沖田総司の母、沖田ミキの話です。
もちろんこのブログでも何回か書きましたがこれは釣洋一の創作です。沖田総司の姉、ミツ、キンの文字を合わして作ったものです。当然それを知るものは使用することはありません。
しかし、それを見て沖田家の親類書を捏造した方がいて雑誌に発表していたりします。
それを何十年後に発見して「僕の新発見!」なんて騒いでいるピエロもおります。
史料、書籍は取捨選択。信用できる文献を最低でも2つ、なければ伝承でも良いので最低2つは合致できるようにする。そうでなければ発表は控える、あるいは?という形で疑問符を入れる。こうしないとこれから50年、100年後の研究者を迷わせるのです。
書籍を執筆する場合、特に私たち歴史を執筆するものは史料の取捨選択には十分に気をつけなければならないと思います。少なくとも私はそうでなければ書けない。例え現地取材をして史料を見て史料批判で確定しても書けるのは1行なんてザラです。こうした努力を未来の研究者の方へ伝えたいと常々思う毎日です。
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13:00、起床。どうもニュースは最近放射能の話題ばかり。原発のニュースより放射能の話。影響がないのに放射能の話。
勘弁して欲しい……
これであるTVでは雨カッパが良いといえばすぐに売り切れ、帽子の姿があれば帽子が売り切れる…そんな東京です。目だった買占めはなくなりましたが、それは飽くまでもTVの影響。困ります。
そしてきょうは放射能ほうれん草、放射能牛乳の話題。まぁ、逆にこれで牛乳が買いやすくなります。勝手にすべてが放射能牛乳と勘違いして売れなくなりますから。
この弊害で茨城県北部は交通渋滞が加速しました。放射能の危機に煽られた住民が避難します。避難できるならマシです。出来ない方もいるのです。そして交通量が増えれば、その避難者に物資の供給が遅れるのです。常磐方面を唯一支えているのは国道6号線です。余計な車は流通車両を妨げます。どうか北茨城の難民のことも考えていただければ幸いです。個人的には野口雨情生家の野口さん一家が心配です。過去の津波の経験で海沿いに近い場所にありますが、石垣で高台にしております。しかし情報が入りません。無事であることを祈ります。
このように正確な情報が流れないと違うところに迷惑が波及するのです。
で、この正確な情報というのは私たち歴史関係を執筆する者たちにも重要なことです。ある事件があった。その事件の背景は?事件の背景は複雑に各人の立場があり、論考が分かれますが、「ある事件があった」という事象は全く動かない事実です。
また、これが幕末に近づけば「どの場所」が史跡かということも確定できます。たとえば幕末の志士の生家があって、その場所を明治中期まで家族が動いていなければ土地台帳で確認が出来ます。もちろんどのような場所にいたかを目視で確認すればどのような環境にいたかも解ります。なかには伝承も残っていたりします。その伝承と収集した史料とを併せて事実の補強をいたします。
しかし、特に「新選組研究」を名乗る方々に関してはそれが少ないのが現状です。絶対にソコに行ってないだろう!とハッキリ解る文章を書く方もいます。簡単です。平成の大合併の前の住所を書いているときです。また石碑はほとんど動きませんが、史跡めぐりの場合、施設なんかは移転することがままあります。特に平成の大合併の影響でイニシアティヴを握った町側にそうした施設の移動が顕著に見られます。
また行方市の例を述べますと、平成16年に大河ドラマ「新選組!」の放映に併せ、JAの建物を借りて「新選組水戸派史料館」を1年間限定でOPENさせました。1年間ですから翌年の3月で閉館しております。このうち借りていた史料類は返却され、パネルの一部が残りました。棄てるのはもったいないので、それを虹の塔に展示しました。さすがにそれだけでは寂しいので大河ドラマの小道具と鈴木家から一部の史料を借りて、そして私も古文書の復刻書(といってもナンバリングのある限定版)を無期限貸出ししてコーナーを設置いたしました。
しかし、これはあくまでもミニコーナーと呼ぶていどのもので、基本的にメインは虹の塔です。
そして2010年になって鈴木家文書が橋を渡ったかすみがうら市に寄託されることになり、鈴木家文書も撤退したと思われます。
これを史跡として強調してしまうのも少々気が引けるのではないでしょうか?600円払って1坪程度のコーナーを見るだけ。もちろん説明員なんかいません。聞いたところで知る人さえいません。出品者の私でさえ聞いても「ソンナの知らない」と言われた程です。
また、史跡めぐりの書で気をつけたいのは、実際に行って確かめているかということです。ある作品に「無人の家を預かってる家」なる文言がありました。偶然私は無人の家の持ち主も預かっている家も知っています。しかしその作品に書かれている家はナンの関係もないのです。酒屋としか書いてなくてもその集落一帯に酒屋は一軒しかありませんから、間違いの元です。その作品を読んで「無人の家を見たい」なんて言われたら迷惑以外のなにものでもないです。人違いですから。また、現地に行ったけど勘違いして覚えてしまう方もいるようです。史跡めぐりで現地に来たら案内板がない場所では近所で確認しなければダメです。違う場所を覚えてしまえば、まったく関係ないところが史跡にされていまします。そうするとその間違われた家の持ち主にとっては非常に迷惑です。
実際芹澤邸にいたっては平成16年のブームの際、今でいう「歴女」が一方を山で仕切られていることを幸いに山をよじ登り邸内に侵入したという事件がありました。
なので私も史跡関連では一度も訪れたことのない場所であれば執筆はお断りしています。自信のないところに至っては原稿料なんか無視で再度現地確認にいったことは一度や二度ではありません。岡山ツアーをしたときには下見に2度訪れています。
とにかく恐ろしいのは雑誌と違い、書籍は一生モノなのです。国会図書館に行けば納本の義務がありますので一生残ります。後世の学者、歴史ファンが参考文献として閲覧するでしょう。
その元が現地にも行かないで書いた史跡本を見て、またその方も現地に行かずソレを踏襲して書籍に掲載する。恐ろしい話です。実は今でも幽霊のように沸いてくる新選組伝説があります。沖田総司の母、沖田ミキの話です。
もちろんこのブログでも何回か書きましたがこれは釣洋一の創作です。沖田総司の姉、ミツ、キンの文字を合わして作ったものです。当然それを知るものは使用することはありません。
しかし、それを見て沖田家の親類書を捏造した方がいて雑誌に発表していたりします。
それを何十年後に発見して「僕の新発見!」なんて騒いでいるピエロもおります。
史料、書籍は取捨選択。信用できる文献を最低でも2つ、なければ伝承でも良いので最低2つは合致できるようにする。そうでなければ発表は控える、あるいは?という形で疑問符を入れる。こうしないとこれから50年、100年後の研究者を迷わせるのです。
書籍を執筆する場合、特に私たち歴史を執筆するものは史料の取捨選択には十分に気をつけなければならないと思います。少なくとも私はそうでなければ書けない。例え現地取材をして史料を見て史料批判で確定しても書けるのは1行なんてザラです。こうした努力を未来の研究者の方へ伝えたいと常々思う毎日です。
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ははは…
あさくらゆう 森重和雄さま、コメントありがとうございます。
世の中いろんな方がいますよ。我が道を行きましょう。
感想
森重和雄 あさくら様
「 史料、書籍は取捨選択。信用できる文献を最低でも2つ、なければ伝承でも良いので最低2つは合致できるようにする。そうでなければ発表は控える、あるいは?という形で疑問符を入れる。こうしないとこれから50年、100年後の研究者を迷わせるのです。
書籍を執筆する場合、特に私たち歴史を執筆するものは史料の取捨選択には十分に気をつけなければならないと思います。少なくとも私はそうでなければ書けない。例え現地取材をして史料を見て史料批判で確定しても書けるのは1行なんてザラです。こうした努力を未来の研究者の方へ伝えたいと常々思う毎日です。」
というご意見もっともなことです。
京都の鰻屋さん(宮川禎一氏のこと)にもあさくらさんの爪の垢でも飲ませたいもんですよね。(笑)
また、ビラーゴさまのコメントももっとものことと思いました。
歴史家の決断
あさくらゆう 梅痴鴉さま、コメントありがとうございます。
放射能のユーチューブ紹介ありがとうございます。
私は平尾道雄氏の判断は正しいと思います。あえて隠してしまうより、後世の歴史家に託す。そういう意味で掲示したことに勇気を感じます。
ただ、後世を見ているとそれを無雑作に扱っている方も多々あり、泥を塗った方がいたのも事実です。
私たち、歴史を後世に伝える役目を担う者は確かな史料を見極め、頑張りましょう。
米が…
あさくらゆう ビラーゴさま、コメントありがとうございます。
本を、特にノンフィクションを読んでいれば、
「アレッ?」
というのはあると思います。その場合、その書籍が根拠を示しているかでその作家の良心が現れています。
あと、参考文献を明示しているフリをしてその参考文献には絶対に行き着かない、ましてや正確な名称を述べないなんてのは新選組関係ではザラです。
どうか取捨選択を楽しんで読まれることをお勧め申し上げます。
なお、福島県でもお米があるのは良いですね。東京は放射能被害のせいで流通がパニクッております。
情報(史料)の吟味と過ちの訂正
梅痴鴉 この度の大騒動で、こちらのスーパーで牛乳などの商品が全くありませんが、恐らく本日より牛乳が余るでしょう。困ったものです。
原発問題について、おもしろい動画がありますので、ブログを閲覧されている方はこちらを参考にどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=ZUzBvxdnCFM
YouTube お腹が痛くなった原発くん
動画なので重いのですが、原発問題について一番分かりやすく解説されています。まずは、危機を煽って部数を増やそうとする「マスコミ」ならぬ「マスゴミ」の情報を吟味して自分の置かれた位置を確認するのが必要です。
>この正確な情報というのは私たち歴史関係を執筆する者たちにも重要なこと
明治維新史家である佐々木克氏は、かつての著作「戊辰戦争(中公新書)」で孝明天皇毒殺説を提唱しましたが、後にそれが自身の誤りであると増補版で自身の誤りを正しました。後に出版している著書では、過去に記載した孝明天皇毒殺説の誤りを訂正する記事を掲載して現在に至っています。龍馬研究の第一人者である平尾道雄は、フェイクの疑いがあった龍馬書簡も「後事に託す」と掲載し「掲載の責任を取ればいい。それが我々の役割です。」と自らの歴史に対する態度を表されました。歴史学者の泰斗ですら、誤解はありますが、それを正すのは大変です。
我々、歴史学徒の瑣末に席を置くものですら解釈の誤りについて正さなければなりません。と、同時に間違いの自己告発は別段カッコワルイ事ではないです。佐々木氏のように、返って信頼される事になり読者や学徒からもかの学者が書かれる論説は信用に於けるようになります。
たしかに「ごめんなさい」をするのは大変ですし、私も同人とはいえ「間違っていたらヤバイ」から何度か遠距離でも千葉某所の図書館に通いましたが、「そうだったのか!」と納得した楽しみが歴史学徒の醍醐味ですし、間違いは間違いで指摘を受けても自己より正せば問題ないと思います。
一番不味いのは、間違ったまま発信しつづける事です。それを自己の責任ではなく他所に転嫁しては最悪です。最早、著者としての信頼は失墜し、だれも論説を取上げようとはしません。
今回、自分を含めて他人事の問題と捉えないようにしたいです。
無題
ビラーゴ 史料・書籍の取捨選択…私のような単なる読者にとっても大きい
悩み所です。なるべく多くの史料にあたることで「目が肥える」と
いうこともあるのかなあ、と思いました。
原発といえば、偶然かもしれませんが近所のスーパーのお米売り場に
福島県産のお米だけが4袋残っていました…。
あさくらゆう 森重和雄さま、コメントありがとうございます。
世の中いろんな方がいますよ。我が道を行きましょう。
感想
森重和雄 あさくら様
「 史料、書籍は取捨選択。信用できる文献を最低でも2つ、なければ伝承でも良いので最低2つは合致できるようにする。そうでなければ発表は控える、あるいは?という形で疑問符を入れる。こうしないとこれから50年、100年後の研究者を迷わせるのです。
書籍を執筆する場合、特に私たち歴史を執筆するものは史料の取捨選択には十分に気をつけなければならないと思います。少なくとも私はそうでなければ書けない。例え現地取材をして史料を見て史料批判で確定しても書けるのは1行なんてザラです。こうした努力を未来の研究者の方へ伝えたいと常々思う毎日です。」
というご意見もっともなことです。
京都の鰻屋さん(宮川禎一氏のこと)にもあさくらさんの爪の垢でも飲ませたいもんですよね。(笑)
また、ビラーゴさまのコメントももっとものことと思いました。
歴史家の決断
あさくらゆう 梅痴鴉さま、コメントありがとうございます。
放射能のユーチューブ紹介ありがとうございます。
私は平尾道雄氏の判断は正しいと思います。あえて隠してしまうより、後世の歴史家に託す。そういう意味で掲示したことに勇気を感じます。
ただ、後世を見ているとそれを無雑作に扱っている方も多々あり、泥を塗った方がいたのも事実です。
私たち、歴史を後世に伝える役目を担う者は確かな史料を見極め、頑張りましょう。
米が…
あさくらゆう ビラーゴさま、コメントありがとうございます。
本を、特にノンフィクションを読んでいれば、
「アレッ?」
というのはあると思います。その場合、その書籍が根拠を示しているかでその作家の良心が現れています。
あと、参考文献を明示しているフリをしてその参考文献には絶対に行き着かない、ましてや正確な名称を述べないなんてのは新選組関係ではザラです。
どうか取捨選択を楽しんで読まれることをお勧め申し上げます。
なお、福島県でもお米があるのは良いですね。東京は放射能被害のせいで流通がパニクッております。
情報(史料)の吟味と過ちの訂正
梅痴鴉 この度の大騒動で、こちらのスーパーで牛乳などの商品が全くありませんが、恐らく本日より牛乳が余るでしょう。困ったものです。
原発問題について、おもしろい動画がありますので、ブログを閲覧されている方はこちらを参考にどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=ZUzBvxdnCFM
YouTube お腹が痛くなった原発くん
動画なので重いのですが、原発問題について一番分かりやすく解説されています。まずは、危機を煽って部数を増やそうとする「マスコミ」ならぬ「マスゴミ」の情報を吟味して自分の置かれた位置を確認するのが必要です。
>この正確な情報というのは私たち歴史関係を執筆する者たちにも重要なこと
明治維新史家である佐々木克氏は、かつての著作「戊辰戦争(中公新書)」で孝明天皇毒殺説を提唱しましたが、後にそれが自身の誤りであると増補版で自身の誤りを正しました。後に出版している著書では、過去に記載した孝明天皇毒殺説の誤りを訂正する記事を掲載して現在に至っています。龍馬研究の第一人者である平尾道雄は、フェイクの疑いがあった龍馬書簡も「後事に託す」と掲載し「掲載の責任を取ればいい。それが我々の役割です。」と自らの歴史に対する態度を表されました。歴史学者の泰斗ですら、誤解はありますが、それを正すのは大変です。
我々、歴史学徒の瑣末に席を置くものですら解釈の誤りについて正さなければなりません。と、同時に間違いの自己告発は別段カッコワルイ事ではないです。佐々木氏のように、返って信頼される事になり読者や学徒からもかの学者が書かれる論説は信用に於けるようになります。
たしかに「ごめんなさい」をするのは大変ですし、私も同人とはいえ「間違っていたらヤバイ」から何度か遠距離でも千葉某所の図書館に通いましたが、「そうだったのか!」と納得した楽しみが歴史学徒の醍醐味ですし、間違いは間違いで指摘を受けても自己より正せば問題ないと思います。
一番不味いのは、間違ったまま発信しつづける事です。それを自己の責任ではなく他所に転嫁しては最悪です。最早、著者としての信頼は失墜し、だれも論説を取上げようとはしません。
今回、自分を含めて他人事の問題と捉えないようにしたいです。
無題
ビラーゴ 史料・書籍の取捨選択…私のような単なる読者にとっても大きい
悩み所です。なるべく多くの史料にあたることで「目が肥える」と
いうこともあるのかなあ、と思いました。
原発といえば、偶然かもしれませんが近所のスーパーのお米売り場に
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この記事へのコメント
森重和雄さま、コメントありがとうございます。
世の中いろんな方がいますよ。我が道を行きましょう。
世の中いろんな方がいますよ。我が道を行きましょう。
あさくら様
「 史料、書籍は取捨選択。信用できる文献を最低でも2つ、なければ伝承でも良いので最低2つは合致できるようにする。そうでなければ発表は控える、あるいは?という形で疑問符を入れる。こうしないとこれから50年、100年後の研究者を迷わせるのです。
書籍を執筆する場合、特に私たち歴史を執筆するものは史料の取捨選択には十分に気をつけなければならないと思います。少なくとも私はそうでなければ書けない。例え現地取材をして史料を見て史料批判で確定しても書けるのは1行なんてザラです。こうした努力を未来の研究者の方へ伝えたいと常々思う毎日です。」
というご意見もっともなことです。
京都の鰻屋さん(宮川禎一氏のこと)にもあさくらさんの爪の垢でも飲ませたいもんですよね。(笑)
また、ビラーゴさまのコメントももっとものことと思いました。
「 史料、書籍は取捨選択。信用できる文献を最低でも2つ、なければ伝承でも良いので最低2つは合致できるようにする。そうでなければ発表は控える、あるいは?という形で疑問符を入れる。こうしないとこれから50年、100年後の研究者を迷わせるのです。
書籍を執筆する場合、特に私たち歴史を執筆するものは史料の取捨選択には十分に気をつけなければならないと思います。少なくとも私はそうでなければ書けない。例え現地取材をして史料を見て史料批判で確定しても書けるのは1行なんてザラです。こうした努力を未来の研究者の方へ伝えたいと常々思う毎日です。」
というご意見もっともなことです。
京都の鰻屋さん(宮川禎一氏のこと)にもあさくらさんの爪の垢でも飲ませたいもんですよね。(笑)
また、ビラーゴさまのコメントももっとものことと思いました。
梅痴鴉さま、コメントありがとうございます。
放射能のユーチューブ紹介ありがとうございます。
私は平尾道雄氏の判断は正しいと思います。あえて隠してしまうより、後世の歴史家に託す。そういう意味で掲示したことに勇気を感じます。
ただ、後世を見ているとそれを無雑作に扱っている方も多々あり、泥を塗った方がいたのも事実です。
私たち、歴史を後世に伝える役目を担う者は確かな史料を見極め、頑張りましょう。
放射能のユーチューブ紹介ありがとうございます。
私は平尾道雄氏の判断は正しいと思います。あえて隠してしまうより、後世の歴史家に託す。そういう意味で掲示したことに勇気を感じます。
ただ、後世を見ているとそれを無雑作に扱っている方も多々あり、泥を塗った方がいたのも事実です。
私たち、歴史を後世に伝える役目を担う者は確かな史料を見極め、頑張りましょう。
ビラーゴさま、コメントありがとうございます。
本を、特にノンフィクションを読んでいれば、
「アレッ?」
というのはあると思います。その場合、その書籍が根拠を示しているかでその作家の良心が現れています。
あと、参考文献を明示しているフリをしてその参考文献には絶対に行き着かない、ましてや正確な名称を述べないなんてのは新選組関係ではザラです。
どうか取捨選択を楽しんで読まれることをお勧め申し上げます。
なお、福島県でもお米があるのは良いですね。東京は放射能被害のせいで流通がパニクッております。
本を、特にノンフィクションを読んでいれば、
「アレッ?」
というのはあると思います。その場合、その書籍が根拠を示しているかでその作家の良心が現れています。
あと、参考文献を明示しているフリをしてその参考文献には絶対に行き着かない、ましてや正確な名称を述べないなんてのは新選組関係ではザラです。
どうか取捨選択を楽しんで読まれることをお勧め申し上げます。
なお、福島県でもお米があるのは良いですね。東京は放射能被害のせいで流通がパニクッております。
この度の大騒動で、こちらのスーパーで牛乳などの商品が全くありませんが、恐らく本日より牛乳が余るでしょう。困ったものです。
原発問題について、おもしろい動画がありますので、ブログを閲覧されている方はこちらを参考にどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=ZUzBvxdnCFM
YouTube お腹が痛くなった原発くん
動画なので重いのですが、原発問題について一番分かりやすく解説されています。まずは、危機を煽って部数を増やそうとする「マスコミ」ならぬ「マスゴミ」の情報を吟味して自分の置かれた位置を確認するのが必要です。
>この正確な情報というのは私たち歴史関係を執筆する者たちにも重要なこと
明治維新史家である佐々木克氏は、かつての著作「戊辰戦争(中公新書)」で孝明天皇毒殺説を提唱しましたが、後にそれが自身の誤りであると増補版で自身の誤りを正しました。後に出版している著書では、過去に記載した孝明天皇毒殺説の誤りを訂正する記事を掲載して現在に至っています。龍馬研究の第一人者である平尾道雄は、フェイクの疑いがあった龍馬書簡も「後事に託す」と掲載し「掲載の責任を取ればいい。それが我々の役割です。」と自らの歴史に対する態度を表されました。歴史学者の泰斗ですら、誤解はありますが、それを正すのは大変です。
我々、歴史学徒の瑣末に席を置くものですら解釈の誤りについて正さなければなりません。と、同時に間違いの自己告発は別段カッコワルイ事ではないです。佐々木氏のように、返って信頼される事になり読者や学徒からもかの学者が書かれる論説は信用に於けるようになります。
たしかに「ごめんなさい」をするのは大変ですし、私も同人とはいえ「間違っていたらヤバイ」から何度か遠距離でも千葉某所の図書館に通いましたが、「そうだったのか!」と納得した楽しみが歴史学徒の醍醐味ですし、間違いは間違いで指摘を受けても自己より正せば問題ないと思います。
一番不味いのは、間違ったまま発信しつづける事です。それを自己の責任ではなく他所に転嫁しては最悪です。最早、著者としての信頼は失墜し、だれも論説を取上げようとはしません。
今回、自分を含めて他人事の問題と捉えないようにしたいです。
原発問題について、おもしろい動画がありますので、ブログを閲覧されている方はこちらを参考にどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=ZUzBvxdnCFM
YouTube お腹が痛くなった原発くん
動画なので重いのですが、原発問題について一番分かりやすく解説されています。まずは、危機を煽って部数を増やそうとする「マスコミ」ならぬ「マスゴミ」の情報を吟味して自分の置かれた位置を確認するのが必要です。
>この正確な情報というのは私たち歴史関係を執筆する者たちにも重要なこと
明治維新史家である佐々木克氏は、かつての著作「戊辰戦争(中公新書)」で孝明天皇毒殺説を提唱しましたが、後にそれが自身の誤りであると増補版で自身の誤りを正しました。後に出版している著書では、過去に記載した孝明天皇毒殺説の誤りを訂正する記事を掲載して現在に至っています。龍馬研究の第一人者である平尾道雄は、フェイクの疑いがあった龍馬書簡も「後事に託す」と掲載し「掲載の責任を取ればいい。それが我々の役割です。」と自らの歴史に対する態度を表されました。歴史学者の泰斗ですら、誤解はありますが、それを正すのは大変です。
我々、歴史学徒の瑣末に席を置くものですら解釈の誤りについて正さなければなりません。と、同時に間違いの自己告発は別段カッコワルイ事ではないです。佐々木氏のように、返って信頼される事になり読者や学徒からもかの学者が書かれる論説は信用に於けるようになります。
たしかに「ごめんなさい」をするのは大変ですし、私も同人とはいえ「間違っていたらヤバイ」から何度か遠距離でも千葉某所の図書館に通いましたが、「そうだったのか!」と納得した楽しみが歴史学徒の醍醐味ですし、間違いは間違いで指摘を受けても自己より正せば問題ないと思います。
一番不味いのは、間違ったまま発信しつづける事です。それを自己の責任ではなく他所に転嫁しては最悪です。最早、著者としての信頼は失墜し、だれも論説を取上げようとはしません。
今回、自分を含めて他人事の問題と捉えないようにしたいです。
史料・書籍の取捨選択…私のような単なる読者にとっても大きい
悩み所です。なるべく多くの史料にあたることで「目が肥える」と
いうこともあるのかなあ、と思いました。
原発といえば、偶然かもしれませんが近所のスーパーのお米売り場に
福島県産のお米だけが4袋残っていました…。
悩み所です。なるべく多くの史料にあたることで「目が肥える」と
いうこともあるのかなあ、と思いました。
原発といえば、偶然かもしれませんが近所のスーパーのお米売り場に
福島県産のお米だけが4袋残っていました…。
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