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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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10日
 このまま夜へと突入します。

 お風呂に入って少しよくなりました。そのまま就寝しようかとベッドに参りましたがそうもいかず……。

3:30、スーパーへ買い物。ついでに山陽新聞へ資料をポストへ。これでひと安心です。スーパーはさすがに連休中ということもあって気に入りの弁当類はなし。仕方なく最近はまっているチーズカリーごはん、いわゆるインスタントのスープカレーです。干飯にお湯をかけて出来上がりの簡単なものです。意外に美味しいのに驚いてけっこう購入しています。

 この後、スーパーの向かいにあるコンビニでおにぎりを購入。面倒なのでヘルメットを被らずに押して行ったらカウンターで警官がショッピングしてました(汗)そのまま気分で走行してたら大変なことになってました(汗)運とはこういうものです。

 帰宅してさっそく食事。食後は気分が乗ったので古文書の翻訳を開始。無学低脳な私には困難必死です(汗)

10:00、適当なところで切り上げる。今回は熊木庄之助の実父と同一人物と思われる西田栄蔵の書簡を翻訳してみました。三ノ丸の歩兵隊にいます。もしかすると実父ではなく実兄かもしれません。たぶん実父西田栄蔵は旗本山本大膳の家来だった人物と同一でしょう。江戸で同姓同名はなかなかいるものではありません。

個人的には熊木庄之助が再興した熊木家も気になるところです。養父となる熊木儀左衛門は千葉定吉の門下ということは確実なのですが出自がわかりません。西田家が二男に再興させるのですから最低でも旗本の家来以上の身分ということになります。旗本の家来になってしまうともう難しくて追えるものではありません。基本的に旗本の家来は江戸に住んでおり、知行地に行くことも少ないものです。

また在府の藩士でも千葉定吉の門下の傾向として西日本の可能性がありますが、これもなかなかに追うのは困難です。石高取りではなく俵米取りになってしまうと発見できれば奇跡の領分です。

14:00ころ就寝。寝る前に備中松山藩士が書き記した「艱難実録」を読む。コピーして解ったのですがけっこう字が潰れています。活字でないだけでなく、古文書に近いのでけっこう大変なことが解りました。機会があって翻訳するなら横浜開港資料館で1回見に行かなければなりませんね。ただ大まかには解ります。箱館新選組と総称されますが、箱館へ渡る際の新選組には桑名藩、唐津藩、備中松山藩の各人が編成されています。このなかで備中松山藩が一番遅かったとか…。で、桑名藩と仲が悪くて唐津藩の大野右仲が仲裁に入ったとか…。やはり一団で加入すれば仲不仲はあるものです。

21:30、起床。

 夜は更けていきます。

 とうとう体調不良が原因で、この連休はほとんど外出しないままとなってしまいました(汗)

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