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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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講演中のヒトコマ鉾田市公民館提供
3日
 おかげさまで無事講演が終了いたしました。ご聴講いただきました皆様ありがとうございました。

6:00、起床。前日レムだったので夜には寝ることが出来ました。

8:03、家を出て北千住から松戸で下車。8:20の特急に乗り換えます。8:50、土浦駅着。鉾田市のYさんと合流します。

10:00ころ、目的地の大洋公民館に到着。到着目前ころに先日まで被災していた鹿島臨海鉄道の被災場所近くの前を通りました。ほとんどが橋上の線路なのですが、切り通しの場所が埋没したようです。三陸鉄道では破断した橋上が被災しないでよかったと思います。

10:30、本来の教室では溢れることを懸念して急遽300人入れるホールとなり、初めての見た目は外した企画で閑散としたと思われそうですが、聴講者の皆さんが協力して前側にいていただいたので助かりました。

12:20、本来の時間より若干早かったですが講演を終了。質問者が2名あり、ちょうど12:30に終了。聴講いただきありがとうございます。新選組茨城玉造隊の前会長野原小右二さまからお土産もいただき嬉しく思います。感謝申し上げます。

12:40、高校生の宿題取材を受けます。緊張したでしょうね。いまどきの子が初対面の方、講師だった人物に1VS1で話すのは緊張するものです。


13:30、食事をご馳走になりました。洋食屋で、焼きとんかつ定食です。とんかつを焼いています。2種類のタレを用いていただきます。野菜がたっぷりで美味しくいただきました。

15:00、鉾田市公民館のYさんのご好意で茨城県立歴史館へ送迎していただきました。ここで西田栄蔵の文書等の撮影を行いました。

16:50、撮影が終了し、またもやYさんのご好意で赤塚駅まで送っていただきました。本当にお世話になりました。ありがとうございます。

17:12、常磐線の鈍行に乗車。特急を使っても結局同じなのでグリーン車で北千住に参りました。帰路中、「千葉の名灸」の校正を。

19:30、北千住駅に到着し、ひので屋で土産物を購入。

20:00、帰宅。明日は大腸検査なので食事はできません。

 なので、


 今回、鉾田市からいただいたお土産のメロンです。明日が楽しみです。

 これから下剤で苦しむ時間が始まります。


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 おかげを持ちまして試衛館まつりは無事終了いたしました。私も完全自弁!一切の金員をいただかず、史料や手間や自分にかかった費用は一切自弁で参加いたしました。

3日
3:30ころまで眠れず。明日の件もあるのでとにかく横臥はする。

10:30、起床。風呂。軽く食事して11:30には出発。

12:05、目白駅着。ここでお腹の調子が悪くなりバス1本を見逃すことに。

12:41、試衛館前到着。当初、10人足らずと聞いていたのに蓋を開けたら25人くらいの人数がいました(汗)

12:55、出発。試衛館跡から安養寺へ。なお、本来ならサンバチームが待機していると思いきや、ようやく交通規制をしたばかりとは…。

 安養寺着。植木屋平五郎墓所を墓参。解説碑の風化が進んでいます。


 そして都営新宿線で九段下へ。靖国神社の門を眺めつつ右に折れ、中坂から下へ降りると築土神社です。ここが旗本・町人を含むこの一帯の氏神となります。水場で腕を洗い冷気を。


 それから下に降りて生家跡推定地、稚松学校跡碑、大久保九郎兵衛家跡、講武所跡、旗本鈴木家跡、松井家跡と巡り、山本家&坪内家跡で市谷エリアは終了。私は前例から日陰に入りながら移動しましたが、参加者は大変だったことでしょう。

 そして飯田橋に向かう途中、皆の心が折れ、予定外のコンビニ休憩。昨年よりは暑さはマシですが、なにより行軍コースはけっこうありました。意外にも今回の参加メンバーは高齢者が多いので、こうなるのは仕方ないと思います。

 私も実は解説中、大きな声を出して説明するさ中、耳に音が抜けまして、人に話してる声と自分で話している声が違った状態に…結果的にこのコンビニ休憩が復活の材料になりました。


 で、都営大江戸線の飯田橋駅から本郷三丁目駅へ。山口家&藤田五郎邸跡を見学。この直近にある樋口一葉邸跡にある井戸水で腕を洗い、また冷気をいただきます。実は肘の裏を冷やすだけでけっこう楽になるのです。

 ここで一部のメンバーが離脱。

 そして最後の中野天徳院で旗本鈴木家の墓所を詣で終了。最後に天徳院さまのご好意でたいそうなものをいただき、感謝申し上げます。

 最後に有志たちで懇親会。四方山話(でも怪獣の話が多かったような…)で華が咲き、21:00でお開き。

 皆様、どうもお疲れ様でした。私にとってチャリティーは最後の参加となりますが、締めにはちょうど良かったかもしれません。


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 いよいよ迫りましたイベントと講演のお知らせです。

 かねてよりお知らせしております「試衛館まつり」ですが、下記のご注意をお願い申し上げます。

1.場所によって蚊が発生してますので予防等を心がけてください。
2.場所によってはぬかるむ場合がありますのと坂があります関係から靴には充分ご注意ください。
3.警察の指導の問題もあり、帯刀(模造刀、木刀含む)はご遠慮ください。
4.昨年より暑いことが懸念されますので熱射病予防は充分ご注意ください。

 問い合わせは「市谷柳町試衛館」へ。これが私にとって最後のチャリティーになります。すでに万単位の義捐金相当は寄与してますので、これ以上チャリティーに協力するとチャリティーによる貧乏生活の範囲を超えてしまいますので。

 でも…るろ剣実写化なんてタイムリーですね。今回の史跡は斉藤一中心ですのでるろ剣ファンも楽しめると思います。

 そして鉾田市公民館での講演についてチラシが届きましたのでお知らせです。


 鉾田市の住民限定とはなっておりますが、多少の融通は効くようです。なにかありましたら私宛にご連絡ください。

 また、下記の講演も行われるそうです。

「天狗党」~攘夷思想の総本山・水戸藩の争乱

講 師:久野勝弥氏
期 日:平成23年7月22日(金)
会 場:旭公民館

「親鸞」~茨城・そして鹿行

講 師:飛田英世
期 日:平成23年7月28日(木)
会 場:鉾田中央公民館

 いずれも問い合わせ先は0291-33-2030です。7月3日より受付を開始するそうです。


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25日
6:00、なんとなく起床。よく眠れました。車窓は大磯あたりか?

7:08、東京着。今回利用した寝台は平屋根なので階段もなく助かります。ここから山手線に乗り田端へ。バスもすぐに来て8:00には帰宅。

 家で旅行の後始末をしてバタバタ。

11:45、病院へ。薬を貰い、その足で今戸へ。今戸新撰組さんがなにかやっているということで行ってみました。しばらくすると代表の森口さんが現れ、少し歓談、その後、滝野川の代表の中野さんや市谷の代表の中居さんなんかが登場して23区内の新選組同好会メンバーが揃いました。


 自然と今戸神社に参拝し、森口さんの好意で今戸神社から笛のキーホルダーをいただきました。感謝申し上げます。


 最後は神社の宮司さん親子の方々と一緒に写真撮影しました。予定があるのでここで皆さんと辞去して帰宅。

14:30、支度を整えて国立国会図書館へ。電話帳や新聞関係の調査をしました。時間がなかったので地図は現在のもののみ閲覧しました。調査結果は推測ですが、期待していなかった方向を打ち消す内容でした。

18:00、国会図書館を辞去して帰宅。さすがに疲労も出てきたので20:00に買い物後、ドラマを鑑賞し、0:00に速攻就寝。 


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18日
 夜通し起きてました…。正確には眠れなかったのと、流山の勉強会資料の作成でした。

10:00、いったん横臥。12:00、起床して身支度し、12:40出発。電車の接続が悪く、平和台駅に到着したのは14:05。混雑のなか、必要な買い物を済ませ、ようやく着いたのは14:30ジャスト!!まだメンバーが到着しておりませんでしたので個人的に作業開始。

 「慶応四年新撰組近藤勇始末」発売以降、流山の調査は行ってこなかったのですが、大久保大和(近藤勇)が流山に到着した慶応4年当時の鴻池の支配人(流山在住の支店長のようなもの)、鴻池由太郎の生誕180年に当たる年でもありますので、亡くなった2月は避けて、砂岩の墓石にやさしい6月の今日、墓石掃除を行うことにいたしました。


[写真]初代鴻池由太郎墓所を掃除する北総新選組のメンバー
 今回はかねてより共同歩調を取っております北総新選組のメンバーと歴史研究家の大山さんの計4名で墓石掃除をいたしました。

 初代から三代までは立派な墓石を有し、四代目以降、特に四代目は大坂鴻池の支店、「大和屋」の当主となった関係で、以降は普通の墓石となります。酒造関係を手がけたのは六代目由太郎までで、このころは鴻池だけでなく、慶応4年には酒造卸を志摩屋にもしております。残念ながらこの年は大久保大和や誠忠隊が流山に来た関係で仕込みが不調だったようで、翌年には休業届けを出しております。ただ、明治13年に酒造人のひとりになっていますので、亡くなった明治16年まで酒造業を行っていたのでしょう。

 途中より雨が降ってまいりましたが、ひとまず終了。全員参拝、写真撮影を終え、流山の閻魔堂まで行軍いたしました。さすがに疲労と寝不足と頭痛が重なり、閻魔堂近くの駐車場で意識朦朧となりましたが、駐車場の路面に書かれている「ララ」が気になり、覚醒。ララの秘密は北総新選組にお尋ねください。

16:30、閻魔堂到着。死の行軍状態でしたので30分休憩。17:00、北辰一刀流の門人のお墓に詣でましたが、事情があり中断。

17:30、勉強会開始。鴻池の成立から歴史の流れ。永岡儀兵衛&三郎兵衛の関係を説明。当時の流山村を公図と明治22年当時の所有者を比較対象してどのような形になるのか解説。既説と違う部分が多いですが、鴻池墓所と永岡家資料、そして流山町史との絡み合いでかなりの部分に一致が見られることを話しました。特に流山での近藤勇の捕縛が旧幕府脱走軍にかなりの影響があったことは強調いたしました。

20:00、いくつか挟みがありましたので長くなりましたがここで終了。あとは普通に懇親会。大山さんの差し入れをありがたくいただきました。

23:10、いつもの流鉄に乗車し、帰宅は0:00。すでに意識朦朧の状態に。

1:00くらいにベッドで気絶。


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