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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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 近藤勇忌に参加する目的ですが、実はほかにも目的がありました。それが会津藩家老田中土佐の息子、田中左内の墓詣ででした。

 地図を見てもよく理解できませんでしたが、まず見つけたのがココでした。


 早乙女貢氏墓所を右に見ながら坂を登り、しばらく行くと左手に会津藩家老田中家墓地への入口があります。上がりますと代々の田中家当主等の墓所が存在します。ここに田中土佐の墓はあるのでしょうか?

否!!

 そんなに甘いものではありません。この墓所にあった「東口」という言葉に疑念を持ち、探しました。


 まず近藤勇墓所への道にある分岐を右へ折れます。近藤勇の道と違い、そんなに立派な道ではありませんが、右手に墓所がチラホラ見えますので墓所へ向かう道だということは判断出来ます。


 進むと遠山家の戊辰戦死墓を見つけることが出来ます。その奥にある南摩家墓所の奥に続く道を進みます。


 いったん奥まで進むと行き止まり風な感じになります。しかしよく見ると左手に伐採の跡が存在します。林業のために出来た道なのか、土石流の跡なのか迷うような道?ですが、急な坂道を登ってみます。


 しばらく登ってもこんな感じで荒れてます。たぶん今年訪れた方はヒトケタもいないのではないでしょうか?運がよかったのは寒気のためか、蜘蛛がいません。で、ようやく頂上に近くなると墓碑が見えてきます。


 田中家墓所への標石です。境界石でも水栓みたいなもので、夏で草が繁ると見えなくなるかもしれません。


 ここが幕末の当主、田中土佐のある墓所です。右から数えて3番目の墓所がそうです。けっこう痛みはありますが、文字は読むことが出来ます。

 まだ会津藩の暗躍史は埋没している部分は多いですが、ひとつずつ解いていきたいと思います。


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