忍者ブログQLOOKアクセス解析
「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


2日
6:30起床。雨です。面倒です。

9:30、ホテルの送迎車で松江駅へ。その後、この送迎車の方の親切で目的地の県立図書館へ送っていただきました。本当にどうもありがとうございました。

 図書館では近代行政文書を閲覧しました。実は鳥取県は明治9年から14年まで島根県に併合されており、島根県側に資料がある訳です。面白かったのは旧浜田県や旧鳥取県は別枠で帳簿処理がされてました。帳簿の1丁づつ、丹念に調査します。ちなみに島根県本体でも士族かどうか不明の人物の調査があり、確認したところ、士族と判明し結論的に助かりました。

 この県立図書館なのですが、県の方針らしく、窓がない箇所があり、寒気が激しく、外はというと、雨だったり霰だったりと、諺通り「雨霰」を実感します。

13:15、調査終了。山口菊次郎や千葉一胤の資料が確認できました。その後、1Fで食事。パンをいただいていましたのでちょうど良かったです。雨中のなか、食事に出かけるのが大変だからです。

13:50、バスに乗車。待ち時間は雨で濡れました。このバスを寺町で下車し、山陰本線の高架へ進みます。

 この高架脇にあるのが誓願寺です。千葉十太郎の養子となった千葉東一郎の実父、稲妻雷五郎の墓所があります。渋谷の寺院が本来の寺院ですが、稲妻雷五郎は松江藩に召抱えられた関係で松江藩士でも系統があるので、こちらは分骨されています。墓所は寺の向かい側、高架を超えたところにあります。

110302松江市誓願寺稲妻雷五郎墓所
 コチラです。見た目で解るとおり、木柱がない限り解る状態ではありません。四面のうち三面が剥落しています。残り一面も裏面ですから刻字はありません。

110302霰
 このとき、強烈な霰が轟音とともに降ってきます。画像に霰の流線が写っているとともに、下の丸いのが霰です。これからどんどん積もっていきます。霰が積もる姿を見るのは生涯初めてです(汗)。

 そして墓所を辞去したとたん

晴れました……

 凄まじい天気です。このまま14:30に松江駅着。15:24しか汽車はありませんのでゆっくり休憩を。ついでに土産物を。ここを逃すと鳥取空港まで土産物を買う場所はありません。知人に薦められた桜餅も購入。

15:24、電車で米子駅へ。スムースに15:55到着。ホームの向かいに鳥取ライナーが停まっているので乗り換えは楽です。汽車も新しいものです。

16:45、トラブルが!!倉吉駅で長時間停車。なんでも鳥取方面で倒木があり、それを列車が跳ねたとかで15分遅れに……。

17:10、なんとか発車。18:00、遅れは遅れのまま鳥取駅に到着。18:00のバスに乗車する予定でしたがパーに!!とりあえずバスセンターへ参るとひとつ手前のバス停まで行くバスがあるということが発覚。助かりました(汗)

18:40、砂丘東口に到着。ここから上り坂。疲労の極地にかねてより左肩が激痛が走ります。ひとつだけ運がよかったのは半分以上追い風だったことですか……。ようやく平地に入るとこの追い風が強烈で、キャリーが自動で動くほどです。

18:45、宿泊先に到着。やっとくつろぎました。19:30に食事。お風呂に入って「相棒」を鑑賞……の予定が鳥取は放映されてない!!!

 なので21:30に就寝しました。





よろしければクリックご御力お願いします

にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ





拍手[1回]

PR

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック