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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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12日
6:30、起床。7:00に起床しようと思ってアラームをかけてましたがこの時間でした。ちなみに外は雪。

8:50、少し手間取り、豊岡駅へ。駅レンタカーの場所がわからず問い合わせしました。そしたらホテルのそばのニッポンレンタカーであることを知りました。

9:00、レンタカーを借りて出発。外は雪になったり霰になったり忙しいです。

9:20、法務局着。調査を着手。手懸りなし。ただし建物は明治8年大火以降に建築された、川崎家が建設したものと解りました。

10:30、少し時間がかかりましたがようやく神美の出土文化財管理センターに到着。ここで通称、「御用部屋日記」のデータを閲覧します。

 ここで解ったのは出石藩川崎家は何かしらの勲功があって明治初期にはその息子二名が京都へ出兵してることも解りました。そして何より所在のヒントとなる資料をいただき、これでまた手懸りも掴めました。あと川崎才兵衛が文政4年生まれだということも判明し、川崎尚之助の兄という可能性が出ました。考えれば「才兵衛」という通称は世襲していた可能性があり、父が漢学の素養を持っていたと考えられます。

 こんなことが判明し、今度は原本閲覧のために伊藤美術館へ。一応控えておいたつもりでしたが、勘違いもあり、手間取ります。

 この後、府藩県地図を見せていただきました。明治3年5月以降に作成されたもので、なぜか八戸藩はない状態で斗南藩扱いされています。もちろん北海道は未記入。家禄に入れていないのですね。実績がないので見込み収穫高は計算していないのでしょう。

17:00、閲覧を終了し、今回お世話になったIさんたちと別れます。おかげで安政4、万延元、慶応4~明治4年までの日記が閲覧できました。


 帰りがけに出石城を撮影…しますが、けっこうな雪で、画像に雪が写ります。それと本町の川崎家の場所も同様で使えない画像です。


 で、出石から豊岡へ戻ります。ボタ雪だったため、山が樹氷のみの景色で面白い光景になっています。

18:00、レンタカーを返し、ショッピングセンターで夕食を買出し。ついでに土産を送る。

21:30、所用もいくつかあって、バタバタしているうちにこの時間。就寝。

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