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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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12日
 このままリライト作業に没頭します。引用部分の修正が完了した時点で読み直しますがなにか違和感…。

 もしかしたら!、、、、っとメールで過去の作品を見たら衝撃の事実が、

2本ある!

 双方とも被り方が共通してたのでまったく今まで気付きませんでした。違和感はコレだったのです。おかげで納得しました。

 なお、史跡部分は史跡だけに限定し、コチラを優先することに。どうやらコチラは10枚弱に収まる気配です。

 一方、物語の方面はというと、変なところで引っかかっりました。

米俵?

 ネットでもそうですが、12~13歳のときに米俵を担いだというのですが、これの根拠がわからない。新島八重が怪力の持ち主だということは間違いなく、弾薬箱を2つ担いだ記録はあります。そして明治以降、新島襄と結婚する以前に山本家にいるときは山本覚馬を担いで座敷に揚がったという回顧談があります(同志社談叢参照)。しかし少女時代の米俵がわからない。第一12~13歳と書いてある自体怪しい匂いがプンプンする。一体なにが根拠なのだろう。ここで手が止まってしまいました(汗)

 実は過去にも書きましたが「ジャンヌダルク」も胡散臭い。勝手に名づけて定着させるのは捏造とも言えます。ちなみに同志社は否定しました。

9:00、とても頼りになる会津図書館にレファレンスを。たぶん翌日以降の回答になると思います。

が、

12:30、会津図書館Yさんより回答。米俵の件は怪しさプンプンの「会津戊辰戦争」第3版(初版はそうでもないです)。一気にキナ臭くなりました。現状平石家に残る書簡から考えて平石が直接新島八重と接触した形跡はありません。あくまでも代理人を通してます。それを同志社が閲覧する機会を得て過去に展示会を催しています。ジャンヌダルクは会津図書館でもNGでした。

 ともあれ、休日にも関わらずレファレンス回答をいただきました会津図書館に感謝です。ここに御礼申上げます。

13:00、就寝。このまま起きることも考えましたが肋骨の痛みが、そして足が痙攣してたので遠慮しました(汗)安静が一番です。

22:30、起床。どうも寝違えているらしい。夢は流山で鴻池の子孫発見!の夢でした。証拠も出てきて調査が進展!と思ったら…まぁ夢ですから。夢のなかで迷惑をかけた私…。なにか呵責の念がどこかにあるのでしょう(汗)

 こうして夜は更けていきます。

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