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それは事件です
あさくらゆう 梅原義明さま、コメントありがとうございます。
もしそれがそうならもう「事件」の類です。実際ウィキを確認しましたら、書き込んだ人物は問題人物であり、「勝手に連想したことを書いている人物」とされております。もう、これで出典がウィキなら新聞ネタになるでしょうね。
八重をジャンヌと言い出したの誰??
梅原義明 「山本八重は幕末のジャンヌダルクと呼ばれていた」という文句が、もう一人歩きしちゃってて、誰が言い出したのか不明(苦笑)。
で、ここからは私の個人的な想像話(笑)ですが、
キモになるのは、1999年12月に日本で公開された映画『ジャンヌダルク』だと思われます。これによって日本にジャンヌダルクブームが起こりました。
この時に「八重はジャンヌと呼ばれた」ことにしてしまうような”何らかの発言或いはそれに類すること”があったのだと想像します。
2009年3月、ウィキペディアの山本八重の項目に突如”後に「幕末のジャンルダルク」と呼ばれる”という文言が書き加えられ、同時にジャンヌダルクの項目にも「新島八重 - 戊辰戦争の戦いの会津戦争で会津若松城で篭城つまり抵抗した、女性で幕末のジャンヌ・ダルク 」と書かれました。ジャンヌダルクの項目は後に削除されていますが、山本八重の方は、そのまま残り現在に至っています。
書き加えた人物は、IPでの編集であり正体は不明。
このウィキの記述から、今回の大河ドラマブームで爆発的に広まったと私は想像しています。
結局のところ、ジャンヌダルクと言われていた事実がないのに、言われていたことになっちゃっている様な気がします。
あさくらゆう 梅原義明さま、コメントありがとうございます。
もしそれがそうならもう「事件」の類です。実際ウィキを確認しましたら、書き込んだ人物は問題人物であり、「勝手に連想したことを書いている人物」とされております。もう、これで出典がウィキなら新聞ネタになるでしょうね。
八重をジャンヌと言い出したの誰??
梅原義明 「山本八重は幕末のジャンヌダルクと呼ばれていた」という文句が、もう一人歩きしちゃってて、誰が言い出したのか不明(苦笑)。
で、ここからは私の個人的な想像話(笑)ですが、
キモになるのは、1999年12月に日本で公開された映画『ジャンヌダルク』だと思われます。これによって日本にジャンヌダルクブームが起こりました。
この時に「八重はジャンヌと呼ばれた」ことにしてしまうような”何らかの発言或いはそれに類すること”があったのだと想像します。
2009年3月、ウィキペディアの山本八重の項目に突如”後に「幕末のジャンルダルク」と呼ばれる”という文言が書き加えられ、同時にジャンヌダルクの項目にも「新島八重 - 戊辰戦争の戦いの会津戦争で会津若松城で篭城つまり抵抗した、女性で幕末のジャンヌ・ダルク 」と書かれました。ジャンヌダルクの項目は後に削除されていますが、山本八重の方は、そのまま残り現在に至っています。
書き加えた人物は、IPでの編集であり正体は不明。
このウィキの記述から、今回の大河ドラマブームで爆発的に広まったと私は想像しています。
結局のところ、ジャンヌダルクと言われていた事実がないのに、言われていたことになっちゃっている様な気がします。
13日
少し雑用。
2:00、買出しドンキホーテが3:00までなので便利です。ただ深夜は品切れが目立ちます。値札の掛け替えは早いのですが、たぶんないのでしょう。その後、コンビニに寄ってから帰宅。お子ちゃまなのでホットカルピスは好物です(笑)
2:30、原稿のリライト開始。順調に進みます。
3:30、粗原稿が出来る。あともう少しです。
4:30、リライト完了。ずいぶんと変えたように見えますが、実は2つの原稿をひとつにまとめただけで、リライトは20%もしてません。
5:30、最後の作品、「八重の看護婦時代」を執筆。これがもう大変!なにせ史料があるようで、詳述した記録はなし。それでも証書があるのでそれで埋めていくしかありません。笑い話ですが、自分で史料を散逸させています(汗)
7:00、原稿用紙にして2枚のところで中断。資料探しを優先しよう。
8:00、資料を探しながら再開。
9:30、いったん休憩。4枚まで進む。あと少し。
10:30、少し前に連絡していた「八重の桜プロジェクト」より折電。標題に大きく掲げてる「ジャンヌダルク」の根拠を確認するも…
NHKが使ってるから
だそうです。普通根拠とか確認しないの?と返したらこの答えで十分だとか。ホンダという方ですがこのブログにも登場する御仁のようです。ブログ村にも参戦していますが、なんかその応対をされるとブログ記事も経費を貰って嫌々やってる感じに見えてしまうのが何か嫌です。まぁ、川崎尚之助の記事については反映してくださってるようですが…(爆)
11:00、結局本命のNHKへ聞くことに。電話では即答できないため(つまりQ&Aがないので)、メールで質問することに。無責任な答えが来ないことを祈ります。
11:30、再度資料がないか部屋を捜索。芳しくないので国会図書館デジタルライブラリーで再取得。
13:00、同志社の小枝さんと電話会談。小枝さんは私が八重研究で一番信用している方です。お世話になっております。長々と質問失礼しました。これで疑問は氷解。
16:30、就寝。けっきょく原稿を完成出来ませんデした(汗)
23:00、起床。寝起きなのでメールのやり取り等。
ということで夜は更けていきます。
よろしければクリックご御力お願いします
少し雑用。
2:00、買出しドンキホーテが3:00までなので便利です。ただ深夜は品切れが目立ちます。値札の掛け替えは早いのですが、たぶんないのでしょう。その後、コンビニに寄ってから帰宅。お子ちゃまなのでホットカルピスは好物です(笑)
2:30、原稿のリライト開始。順調に進みます。
3:30、粗原稿が出来る。あともう少しです。
4:30、リライト完了。ずいぶんと変えたように見えますが、実は2つの原稿をひとつにまとめただけで、リライトは20%もしてません。
5:30、最後の作品、「八重の看護婦時代」を執筆。これがもう大変!なにせ史料があるようで、詳述した記録はなし。それでも証書があるのでそれで埋めていくしかありません。笑い話ですが、自分で史料を散逸させています(汗)
7:00、原稿用紙にして2枚のところで中断。資料探しを優先しよう。
8:00、資料を探しながら再開。
9:30、いったん休憩。4枚まで進む。あと少し。
10:30、少し前に連絡していた「八重の桜プロジェクト」より折電。標題に大きく掲げてる「ジャンヌダルク」の根拠を確認するも…
NHKが使ってるから
だそうです。普通根拠とか確認しないの?と返したらこの答えで十分だとか。ホンダという方ですがこのブログにも登場する御仁のようです。ブログ村にも参戦していますが、なんかその応対をされるとブログ記事も経費を貰って嫌々やってる感じに見えてしまうのが何か嫌です。まぁ、川崎尚之助の記事については反映してくださってるようですが…(爆)
11:00、結局本命のNHKへ聞くことに。電話では即答できないため(つまりQ&Aがないので)、メールで質問することに。無責任な答えが来ないことを祈ります。
11:30、再度資料がないか部屋を捜索。芳しくないので国会図書館デジタルライブラリーで再取得。
13:00、同志社の小枝さんと電話会談。小枝さんは私が八重研究で一番信用している方です。お世話になっております。長々と質問失礼しました。これで疑問は氷解。
16:30、就寝。けっきょく原稿を完成出来ませんデした(汗)
23:00、起床。寝起きなのでメールのやり取り等。
ということで夜は更けていきます。
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それは事件です
あさくらゆう 梅原義明さま、コメントありがとうございます。
もしそれがそうならもう「事件」の類です。実際ウィキを確認しましたら、書き込んだ人物は問題人物であり、「勝手に連想したことを書いている人物」とされております。もう、これで出典がウィキなら新聞ネタになるでしょうね。
八重をジャンヌと言い出したの誰??
梅原義明 「山本八重は幕末のジャンヌダルクと呼ばれていた」という文句が、もう一人歩きしちゃってて、誰が言い出したのか不明(苦笑)。
で、ここからは私の個人的な想像話(笑)ですが、
キモになるのは、1999年12月に日本で公開された映画『ジャンヌダルク』だと思われます。これによって日本にジャンヌダルクブームが起こりました。
この時に「八重はジャンヌと呼ばれた」ことにしてしまうような”何らかの発言或いはそれに類すること”があったのだと想像します。
2009年3月、ウィキペディアの山本八重の項目に突如”後に「幕末のジャンルダルク」と呼ばれる”という文言が書き加えられ、同時にジャンヌダルクの項目にも「新島八重 - 戊辰戦争の戦いの会津戦争で会津若松城で篭城つまり抵抗した、女性で幕末のジャンヌ・ダルク 」と書かれました。ジャンヌダルクの項目は後に削除されていますが、山本八重の方は、そのまま残り現在に至っています。
書き加えた人物は、IPでの編集であり正体は不明。
このウィキの記述から、今回の大河ドラマブームで爆発的に広まったと私は想像しています。
結局のところ、ジャンヌダルクと言われていた事実がないのに、言われていたことになっちゃっている様な気がします。
あさくらゆう 梅原義明さま、コメントありがとうございます。
もしそれがそうならもう「事件」の類です。実際ウィキを確認しましたら、書き込んだ人物は問題人物であり、「勝手に連想したことを書いている人物」とされております。もう、これで出典がウィキなら新聞ネタになるでしょうね。
八重をジャンヌと言い出したの誰??
梅原義明 「山本八重は幕末のジャンヌダルクと呼ばれていた」という文句が、もう一人歩きしちゃってて、誰が言い出したのか不明(苦笑)。
で、ここからは私の個人的な想像話(笑)ですが、
キモになるのは、1999年12月に日本で公開された映画『ジャンヌダルク』だと思われます。これによって日本にジャンヌダルクブームが起こりました。
この時に「八重はジャンヌと呼ばれた」ことにしてしまうような”何らかの発言或いはそれに類すること”があったのだと想像します。
2009年3月、ウィキペディアの山本八重の項目に突如”後に「幕末のジャンルダルク」と呼ばれる”という文言が書き加えられ、同時にジャンヌダルクの項目にも「新島八重 - 戊辰戦争の戦いの会津戦争で会津若松城で篭城つまり抵抗した、女性で幕末のジャンヌ・ダルク 」と書かれました。ジャンヌダルクの項目は後に削除されていますが、山本八重の方は、そのまま残り現在に至っています。
書き加えた人物は、IPでの編集であり正体は不明。
このウィキの記述から、今回の大河ドラマブームで爆発的に広まったと私は想像しています。
結局のところ、ジャンヌダルクと言われていた事実がないのに、言われていたことになっちゃっている様な気がします。
この記事へのコメント
梅原義明さま、コメントありがとうございます。
もしそれがそうならもう「事件」の類です。実際ウィキを確認しましたら、書き込んだ人物は問題人物であり、「勝手に連想したことを書いている人物」とされております。もう、これで出典がウィキなら新聞ネタになるでしょうね。
もしそれがそうならもう「事件」の類です。実際ウィキを確認しましたら、書き込んだ人物は問題人物であり、「勝手に連想したことを書いている人物」とされております。もう、これで出典がウィキなら新聞ネタになるでしょうね。
「山本八重は幕末のジャンヌダルクと呼ばれていた」という文句が、もう一人歩きしちゃってて、誰が言い出したのか不明(苦笑)。
で、ここからは私の個人的な想像話(笑)ですが、
キモになるのは、1999年12月に日本で公開された映画『ジャンヌダルク』だと思われます。これによって日本にジャンヌダルクブームが起こりました。
この時に「八重はジャンヌと呼ばれた」ことにしてしまうような”何らかの発言或いはそれに類すること”があったのだと想像します。
2009年3月、ウィキペディアの山本八重の項目に突如”後に「幕末のジャンルダルク」と呼ばれる”という文言が書き加えられ、同時にジャンヌダルクの項目にも「新島八重 - 戊辰戦争の戦いの会津戦争で会津若松城で篭城つまり抵抗した、女性で幕末のジャンヌ・ダルク 」と書かれました。ジャンヌダルクの項目は後に削除されていますが、山本八重の方は、そのまま残り現在に至っています。
書き加えた人物は、IPでの編集であり正体は不明。
このウィキの記述から、今回の大河ドラマブームで爆発的に広まったと私は想像しています。
結局のところ、ジャンヌダルクと言われていた事実がないのに、言われていたことになっちゃっている様な気がします。
で、ここからは私の個人的な想像話(笑)ですが、
キモになるのは、1999年12月に日本で公開された映画『ジャンヌダルク』だと思われます。これによって日本にジャンヌダルクブームが起こりました。
この時に「八重はジャンヌと呼ばれた」ことにしてしまうような”何らかの発言或いはそれに類すること”があったのだと想像します。
2009年3月、ウィキペディアの山本八重の項目に突如”後に「幕末のジャンルダルク」と呼ばれる”という文言が書き加えられ、同時にジャンヌダルクの項目にも「新島八重 - 戊辰戦争の戦いの会津戦争で会津若松城で篭城つまり抵抗した、女性で幕末のジャンヌ・ダルク 」と書かれました。ジャンヌダルクの項目は後に削除されていますが、山本八重の方は、そのまま残り現在に至っています。
書き加えた人物は、IPでの編集であり正体は不明。
このウィキの記述から、今回の大河ドラマブームで爆発的に広まったと私は想像しています。
結局のところ、ジャンヌダルクと言われていた事実がないのに、言われていたことになっちゃっている様な気がします。
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