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10日
実は午前中の出来事をあまり覚えておりません(汗)
理由は後に述べる出来事です。これで大体記憶が抜け落ちました(汗)たぶん読書はしてたでしょう(汗)
12:00、なにげにNHKのニュースを観ていると、荒川車庫で都電のイベントが行われているとの報道がありました。そして13:00が〆切だとか?
めったに鉄道のために身を犠牲にすることはないのですが、近所と「レア」という言葉に惹かれ、身体を動かしまして、行ってきました。家からは約15分ほどで到着します。
こんな感じです。このうち6000型(中央の車輌)というのが昔の都電です。幼少のころ、車掌さんから切符を買った記憶があります。このころは「後乗り前降り」でした。そのため、並んでいてもこの車輌だけ両端にドアがあるため、列がバックするはめになり往生していました(ほかは中央に入口がりました)。ワンマン(左端)が誕生してからコチラは前乗りでしたから更にパニックです(確か1年くらい混在した記憶があります)。
車掌さんの印象は皆やさしい記憶があります。その代わり運転手は粗暴な態度だった気がします。昔は冷房なんてものはありませんから、窓を開けて冷気を取りますが、切符を窓から風に吹かれて飛ばしてしまった際、車掌が運転手に「この子は大丈夫だから♪」といって降ろしていただいた記憶があります。
ただ都電はいま、「混雑」+「遅い」という理由からあまり乗っていません。特に日中はシルバーパス軍団で混雑します。車内に20人くらいいて、ざっと見で平均年齢70歳!というような感じの路線です。
まぁ、懐かしい車輌に近づける訳でもなし、そそくさと辞去する際、こんな車輌がありました。
一度運転している姿を見たいですね(笑)というか何だろう?物置にしてはドアノブですし、休憩施設なら窓がない。第一台車まで備わっています。いやはや不思議です。
その後、裏に回ると花電車がトラバーサー?に載り展示されています。実は現役時代、一度も見ないで終わりました。昔は6000型でしたが、数年後にスクラップにされましたので7500型という車輌を改造しています。
ちなみに知らない方が多い話ですが、都電はなぜか「上モノ新造」が多いのが特徴です。7000型というのも上が昭和50年代前半に製造されていますが、下は昭和30年代前半。7500型は上が平成、下は昭和30年代後半に作られています。ちなみに7000型の上モノは確か函館市電に1輌、7500型はドコかに保存車輌として残されていたかと思います。というか、7500型は新型も荒川線では殆ど引退してますので、不忍通り沿いに保存車輌があります。
というマニアの記憶を巡らしながら12:55、帰宅。
13:30、なんか息苦しい。具合が悪い。なにか怨霊でも取り憑いたのでしょうか(汗)ついには吸入機も使うハメとなり、横臥。そのまま就寝。
15:00、それでも根性を入れて出かけようとベスパ号にガソリンを入れて出発!と思ったら雨……。危険なのでそのまま帰宅。
結局そのまま家で安静にしていました。息苦しいから本も読めず、煩悶。
21:00、ようやく呼吸が楽になって「ATARU」を鑑賞。自閉症というテーマが強くある作品で、うまくこなしています。
実は、私より年上ですが、親戚に自閉症の方がおります。子供のときによく遊びに来ました。この子が鉄道マニアでして、よく交通博物館へ一緒しました(ちなみに鉄道博物館へは一度も行ったことはありません・汗)。
都電とこの子で思い出しましたが、私の祖父が亡くなった際、「お祖父ちゃんはナンで死んだの!」と言った際、その子の母親「お祖父ちゃんは歳を取ったからよ」と言われました。このことが記憶に残ったのでしょう。先ほどの車掌さんがいる都電に乗車した際、目の前に座っているの老人を指さして、いきなり
お爺さん、あなたは死にます
イヤハヤ……。もう車内はパニックです。満員の車内で車掌さんも事態の収拾にやっきとなり、事態を収めようとしても、自閉症の子は効く訳はありません。何度も連呼することになり、指指された老人は顔面紅潮して洒落にならない事態に!おかげでずいぶん手前の停留所でウチの家族は全員降ろされました(汗)
話が都電の思い出になりましたが、ちょうど重なりました。ちなみにちゃっかりウチの家族は次に来た電車に乗って、その子には車窓を見せることでなんとか事件は未然に防ぎました(笑)
23:30、さすがに身体も疲労のピークを迎え、就寝。
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実は午前中の出来事をあまり覚えておりません(汗)
理由は後に述べる出来事です。これで大体記憶が抜け落ちました(汗)たぶん読書はしてたでしょう(汗)
12:00、なにげにNHKのニュースを観ていると、荒川車庫で都電のイベントが行われているとの報道がありました。そして13:00が〆切だとか?
めったに鉄道のために身を犠牲にすることはないのですが、近所と「レア」という言葉に惹かれ、身体を動かしまして、行ってきました。家からは約15分ほどで到着します。
こんな感じです。このうち6000型(中央の車輌)というのが昔の都電です。幼少のころ、車掌さんから切符を買った記憶があります。このころは「後乗り前降り」でした。そのため、並んでいてもこの車輌だけ両端にドアがあるため、列がバックするはめになり往生していました(ほかは中央に入口がりました)。ワンマン(左端)が誕生してからコチラは前乗りでしたから更にパニックです(確か1年くらい混在した記憶があります)。
車掌さんの印象は皆やさしい記憶があります。その代わり運転手は粗暴な態度だった気がします。昔は冷房なんてものはありませんから、窓を開けて冷気を取りますが、切符を窓から風に吹かれて飛ばしてしまった際、車掌が運転手に「この子は大丈夫だから♪」といって降ろしていただいた記憶があります。
ただ都電はいま、「混雑」+「遅い」という理由からあまり乗っていません。特に日中はシルバーパス軍団で混雑します。車内に20人くらいいて、ざっと見で平均年齢70歳!というような感じの路線です。
まぁ、懐かしい車輌に近づける訳でもなし、そそくさと辞去する際、こんな車輌がありました。
一度運転している姿を見たいですね(笑)というか何だろう?物置にしてはドアノブですし、休憩施設なら窓がない。第一台車まで備わっています。いやはや不思議です。
その後、裏に回ると花電車がトラバーサー?に載り展示されています。実は現役時代、一度も見ないで終わりました。昔は6000型でしたが、数年後にスクラップにされましたので7500型という車輌を改造しています。
ちなみに知らない方が多い話ですが、都電はなぜか「上モノ新造」が多いのが特徴です。7000型というのも上が昭和50年代前半に製造されていますが、下は昭和30年代前半。7500型は上が平成、下は昭和30年代後半に作られています。ちなみに7000型の上モノは確か函館市電に1輌、7500型はドコかに保存車輌として残されていたかと思います。というか、7500型は新型も荒川線では殆ど引退してますので、不忍通り沿いに保存車輌があります。
というマニアの記憶を巡らしながら12:55、帰宅。
13:30、なんか息苦しい。具合が悪い。なにか怨霊でも取り憑いたのでしょうか(汗)ついには吸入機も使うハメとなり、横臥。そのまま就寝。
15:00、それでも根性を入れて出かけようとベスパ号にガソリンを入れて出発!と思ったら雨……。危険なのでそのまま帰宅。
結局そのまま家で安静にしていました。息苦しいから本も読めず、煩悶。
21:00、ようやく呼吸が楽になって「ATARU」を鑑賞。自閉症というテーマが強くある作品で、うまくこなしています。
実は、私より年上ですが、親戚に自閉症の方がおります。子供のときによく遊びに来ました。この子が鉄道マニアでして、よく交通博物館へ一緒しました(ちなみに鉄道博物館へは一度も行ったことはありません・汗)。
都電とこの子で思い出しましたが、私の祖父が亡くなった際、「お祖父ちゃんはナンで死んだの!」と言った際、その子の母親「お祖父ちゃんは歳を取ったからよ」と言われました。このことが記憶に残ったのでしょう。先ほどの車掌さんがいる都電に乗車した際、目の前に座っているの老人を指さして、いきなり
お爺さん、あなたは死にます
イヤハヤ……。もう車内はパニックです。満員の車内で車掌さんも事態の収拾にやっきとなり、事態を収めようとしても、自閉症の子は効く訳はありません。何度も連呼することになり、指指された老人は顔面紅潮して洒落にならない事態に!おかげでずいぶん手前の停留所でウチの家族は全員降ろされました(汗)
話が都電の思い出になりましたが、ちょうど重なりました。ちなみにちゃっかりウチの家族は次に来た電車に乗って、その子には車窓を見せることでなんとか事件は未然に防ぎました(笑)
23:30、さすがに身体も疲労のピークを迎え、就寝。
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