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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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【2017/07/28 (金) 21:48】 |
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木次牛乳
あさくらゆう
みに丸さま、コメントありがとうございます。
 平成の大合併は一部地域(特に四国)を除き、多くの市町村が合併されました。ゲゲゲの女房の出身地、大森も2004年には伯太町でしたが現在は安来市です。
 この旅行もいま思えば乗った列車の半分が消滅して同じ行程を辿るのは不可能です。
 木次牛乳は知りませんでした。出雲地方までは大仙牛乳のイメージでした。ちなみに亀嵩駅舎はいま人気の蕎麦店ですね。


車窓からの風景が目に浮かびます。
みに丸
読んでいる側も、旅行をしているような感覚で
楽しませて頂きました。
三刀屋が合併して雲南市となったのですか。
平成の大合併では、東北が主かなと思っておりました。
歴史の悪戯、判明できて良かったです。

さて、木次といえば木次牛乳、これがまた美味しいのです。


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小畑家付近に生えるカラマツ

(前回のつづき)
2004年8月。この月の調査旅行はハードでした(汗)なにせ11日に函館空港に到着し、午後に霊鷲院に到着。ご住職よりお話を聞き、それから洞爺に出て、「トワイライトエクスプレス」に乗車。一路京都を目指します。
12日、京都で散策し、夜、寝台特急「なは」で熊本へ。13日、熊本では尾形俊太郎の調査に費やし、ここでようやく宮原(みやばる)の温泉旅館に1泊。14日は羽犬塚で1泊。久留米周辺の史跡を巡りました。15日は終戦の合図を旧久留米城で聞き、午後に水天宮の真木さんとお会いして資料館を見学。そして翌日に出雲入りした訳です。この行程もハードでした(汗)

 まず快速で小倉まで行きます。小倉からは寝台特急「富士」で岡山へ。この列車でないと接続に間が空いてしまうからです。いまならネットカフェでしょうが、このころはそこまで地方に普及していませんでした。

 岡山からはこの日のみ運行された「ムーンライト八重垣」に乗車。4輌編成の客車でディーゼル機関車が牽引していました。走る路線は電化されているのに不思議でしたが、まぁ、そこまで鉄道マニアではありませんので乗車して指定の席へ行きます。席の埋まり具合は30%というところでしょうか?あまりにも運行本数が少ないために乗れなかった方が多かったのでしょう。ともかく古い客車で着席したらリクライニングが古いもので、寝ようとすると動くたびにリクライニングが戻ってしまい、その度にギィギィいうのです。これはたまらないと、隣の車輌に移り、コチラはリクライニングがちゃんとしてたのでこちらで車中泊となりました。

9:30ころ、小畑さんと待ち合わせるためにJR木次線の木次駅に降りました。乗換えに1時間かかり、のんびりした旅でした。疲労はとにかくピークです。

 ここで小畑さんにお会いし、さっそく多久和のご自宅へ。ご自宅でまずは村会長同席のもと来意の本旨を告げ、そこから家の向かいにある墓所へ参りました。元にあった場所から現在の場所へ移されたそうで、墓石も新しいものが多かったように記憶しています。

 で、亀太郎の件は小畑家にいたという伝承は確かにありました。ただ、なんで霊鷲院に行ったのかまでは不明なのです。

 そして驚いたのはこの小畑家の近くに聳え立つカラマツの木でした。年輪を考えても140年はありそうでした。ちなみにこの場所には絶対に自生しない木なのです。つまり函館から持ち帰った以外にここに生えることはない訳です。

 最初も申しましたが、明治38年に没した小畑亀蔵が観光で北海道へ、それも森の霊鷲院へ行くというのも不思議な感じがします。もしかしたら亀蔵は本当は亀太郎が郷里に凱旋後、行方不明になった後、箱館戦争で戦死したことにしたのかもしれません。箱館戦争に関して戦死者はけっこう詳細に解る筈なのですが、この亀太郎のみ追善供養でしか記録がないからです。そう考えるとのちに日野の佐藤家に訪れたことと合致します。もしかすると亀太郎は最終的に森で亡くなった可能性もあるのではないでしょうか?そのために亀蔵が追善供養を行ったのかもしれません。

 どちらにしても小畑亀蔵が森町に行く動機がまったくありませんので多分に亀太郎の関係だということだけはわかります。

 ちなみに亀太郎が箱館で降伏して新政府より許され日野に来た事実も確認できています。佐藤家にはそれを証明する赦免状の写しが存在していました。

 そう考えると、亀太郎は5月に箱館で降伏し、弘前で謹慎を受けるも兵卒という立場から6月に赦免され、翌月に佐藤家を訪問し、箱館のことを伝え、横浜まで井上松五郎に送られて横浜へ出ています。その後、船路だったのか、あるいは陸路だったのかは解りませんが、郷里の多久和へ帰り、そして再度北海道に渡ったものと思われます。年子とすると年長として安政元年生まれなので16歳。青雲の志を持っていたとしても不思議ではありません。

 またこのカラマツは亀蔵が箱館へ渡る前のものと推測できるので、そうなるとカラマツの種子を持ってきたのは亀太郎しかいないという訳です。

 そう、前回紹介された「悪いことをした」というのは箱館戦争のことであり、けっして犯罪者という訳ではなかったのです。

 この一件で詫和では小畑家を見る感覚が変わりました。犯罪者の家ではなく、結果として賊軍に従軍した兵士のいた家だったからです。歴史のいたづらが小畑家を犯罪者の家と誤らせたのです。

 こうして面白い結果に終わり、その後は小畑さんのご好意でソロバンが廃れたあと、温泉ランドで持ち直した亀嵩を案内していただき、長生きする水も飲み、ちょうどこの年に「砂の器」を放映していた関係で温泉ランドにあった「砂の器コーナー」も見学いたしました。

 で、夕方に出雲市駅まで送迎していただき小畑さんと別れ、ネットカフェで時間を潰した後、行きに乗ってきた「ムーンライト八重垣」に乗車して帰路の旅に出ました。

 同年10月、三刀屋町はこの月を持って平成の大合併により雲南市となりました。最後の9月号に私が寄稿することになり、この亀太郎の話が掲載されました。この出来事は7年経った今でも忘れられない出来事です。
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【2011/09/15 (木) 11:32】 | 歴史取材or調査
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木次牛乳
あさくらゆう
みに丸さま、コメントありがとうございます。
 平成の大合併は一部地域(特に四国)を除き、多くの市町村が合併されました。ゲゲゲの女房の出身地、大森も2004年には伯太町でしたが現在は安来市です。
 この旅行もいま思えば乗った列車の半分が消滅して同じ行程を辿るのは不可能です。
 木次牛乳は知りませんでした。出雲地方までは大仙牛乳のイメージでした。ちなみに亀嵩駅舎はいま人気の蕎麦店ですね。


車窓からの風景が目に浮かびます。
みに丸
読んでいる側も、旅行をしているような感覚で
楽しませて頂きました。
三刀屋が合併して雲南市となったのですか。
平成の大合併では、東北が主かなと思っておりました。
歴史の悪戯、判明できて良かったです。

さて、木次といえば木次牛乳、これがまた美味しいのです。


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コメント
この記事へのコメント
木次牛乳
みに丸さま、コメントありがとうございます。
 平成の大合併は一部地域(特に四国)を除き、多くの市町村が合併されました。ゲゲゲの女房の出身地、大森も2004年には伯太町でしたが現在は安来市です。
 この旅行もいま思えば乗った列車の半分が消滅して同じ行程を辿るのは不可能です。
 木次牛乳は知りませんでした。出雲地方までは大仙牛乳のイメージでした。ちなみに亀嵩駅舎はいま人気の蕎麦店ですね。
2011/09/15(木) 23:06 |   | あさくらゆう #92cd5be1e8[編集]
[管理者用 返信]

車窓からの風景が目に浮かびます。
読んでいる側も、旅行をしているような感覚で
楽しませて頂きました。
三刀屋が合併して雲南市となったのですか。
平成の大合併では、東北が主かなと思っておりました。
歴史の悪戯、判明できて良かったです。

さて、木次といえば木次牛乳、これがまた美味しいのです。
2011/09/15(木) 15:07 |   | みに丸 #526e39ce36[編集]
[管理者用 返信]

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