忍者ブログQLOOKアクセス解析
「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


29日
 このまま継続して起きています。主に出石関係の資料の収集を行いました。

 それと、川崎家の縁戚の記述の発見。役職からして縁故と解ります。川崎家のネットワークが想像できます。

 まぁ、いくつか構想を練るも、執筆意欲に到達しないので資料収集を中心に。


11:50、家を出発。病院へ。一本、最近植樹された桜が満開でした。ようやく春の息吹を見た気がしました。

13:00、国立公文書館へ。前回の補遺。補遺なのでたくさんの撮影はありませんが、五兵衛新田へ近藤勇一行を導いた泉谷次郎左衛門の記録がありました。やはり史料は漁ってみるものです。桑名藩の史料でゃ土方のことを賞賛した記述が。回顧録ですけど明治ヒトケタ代に書かれたものですから新鮮さはあると思います。トシさんファンは喜ぶでしょうね。

14:50、同所を辞去。国会図書館へ向かいます。まだこの場所は桜はまだ遠そうで、代わりに梅が満開でした。

15:00、国立国会図書館へ。養父市関係のものを中心に、住宅地図と新聞コーナーへ参ります。終ってから憲政資料室で桂太郎文書を閲覧。ここに小森沢長政の履歴書があるのです。そして見つかりました。

 憲政資料室ですが、変わりダネというば、なぜか南北奉行所の同心の人別帳(といっても名前だけですが)がありました。木戸と言い、守備範囲が広いですね。この二名の文書を当たりたい気持ちはありましたが、東大出版会が発行した刊行物と重複するのは時間的にもったいないので今回は目録のみでパス。まだやることは山積みです。

 図書では養父町史で意外にもビンゴの写真があり、簡単に終了(笑)こんな早く解るのは嬉しいですが、どのように繋がるかが興味です。出石藩と旗本領の庄屋です。また、おもはん社の刊行物で会津藩藤沢家文書の掲載があり、気になっていたものがここにありました。遺体埋葬の記述もあるから、これを差しているのかもしれません。あるいは別個あるのかもしれませんが、こればかりは聞かないと解りません。

 新聞の方は米沢がちょうど空白に時期にぶつかり、山形の新聞では玉砕。但馬の新聞も欠落が多く、死亡翌日の新聞はあっても、その後は飛ぶので断念。京都日出新聞はさすがに年末死去した山本覚馬の記事はずいぶん遅れて掲載されてました。これは後日チャレンジして取得しようと思います。あと、いくつか新聞を当たりますが、これは新機能が幾段か機能が刷新された効果が出ています。

19:00、ジャストで閲覧終了。同所を辞去します。コートを冬用で着ていたので寒気は防げています。

20:00、スーパーに寄ってから帰宅。帰宅したら疲労がハンパじゃない!身体が悲鳴を挙げています。そりゃ国会図書館なんかではけっこう歩きますから、さりげなくかなりの運動量にはなっています。それが緊張の糸が切れるが如く、ドッときました(汗)

21:00、気絶するように就寝。

人気ブログランキングへ
よろしければクリックご御力お願いします

にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ





拍手[2回]

PR

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック