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4日
8:00起床。昨日の疲れが残っています。ホテルの朝食を予約しなかったのでカップラーメンが朝食。中京地域限定の塩ラーメンとか…byサークルK。
10:53、岐阜を出発。岡崎に到着後、乗換え時間もない状態でそのまま愛知環状鉄道へ!改札がないから助かります。本当にギリギリセーフでした(汗)。
12:00ころ、新豊田駅到着。せっかくなので昼食を。やはり斉藤一の生家関連の史料を探しに2005年に訪れた喫茶店&食堂へ。みそカツ750円なり。美味です。
13:00過ぎ、タクシーにグルグル回されながら市史編纂室へ到着。郷土資料館の向かいで元図書館です。さっそく学芸員のSさんと久々に会い、念願の原本に。ほかに柴田知憲さんの研究紀要にある文章を拝見する。ここに山口広明の印章付きの画像が!なんとそれが足助にある!同じ市域ながら足助は遠いけれど、改めて訪問する方が苦難です。なので足助行きを即行で決定いたしました。
まずは名鉄豊田市駅へ向かい、猿投駅へ。
いまはココが終点です。昔は西中金なるところまで行ったそうです。線路がそのまま残っていますので、終点なのに延長線がめちゃくちゃ長いです。
約30分待って来たのがこのバスです。可愛いバスですが、意外に乗降はありました。これが廃線跡を伝って西中金まで行き、その先の足助まで向かいます。
このバスを約45分乗車すると足助に到着します。バスの運転手に騙されて2つ手前で降ろされました(汗)それでも景色が良かったのでヨシとしましょう。
この後、足助資料館で古文書の閲覧です。なんと皆済目録が揃っています。なので公用人の移り変わりがコレで解ります。これで見ると、山口広明は元治元年~慶応3年の間に鈴木家の公用人になったことが解ります。印鑑が「広明」と読めるので、これで山口喜間多→山口広明とする直接史料が出たことになります。なので山口家は御家人ではありません。100%幕臣鈴木家の家来と確定できました。
17:10、丁寧に辞去し、また2つ手前のバス停まで戻ります。ほとんどの土産店は閉店しています。そして本来の山峡たる寒気が私を襲います。バス停で待つと、本当は閉店してそうなお店に老婆がいる。頼んだら五平餅を注文することができました(笑)
これが身体を温めるのにとても役立ちました。するとバスが来ます。当初は猿投にする予定でしたが、愛知環状鉄道の四郷駅にも行くということでここで下車。約50分です。ちなみに乗客も猿投で降りないで四郷でした。駅舎は高架下に無理くり駅員がいるといった感じです。乗換えまでに10分ありましたが、ホームの寒いこと。高い建物が少ないから夕暮れのなか、見渡しは良いです。
18:37、電車が到着。岡崎に到着後、すぐに豊橋行きが参ります。豊橋で途中、新幹線を使う関係で切符を購入。掛川駅まで参ります。掛川行きは昔の擦り切れた座席の旧型ではなくロングシートの新型でした。時代です。これで掛川に20:55到着。考えてここから新幹線に乗ることに決め、21:02発のこだまに乗車…の予定が10分遅れに…三島の乗換えは大丈夫だろうか…(汗)
21:46、三島着。定時より2分遅れです。ここから在来線のホームが遠い!計画停電の影響で本数も少ないので必死で走りました。なんとか滑り込みセーフ!危ない危ない!
22:08、熱海到着後、すぐに東京行き最終電車が発車しました。駅ホームの自販機にチャイがあって助かりました。けっこう寒くなっています。今回は地獄の高崎線に懲りてグリーン車にしました。ちなみに風邪を引いたようで熱も出ています。なので一番寒くない1F席にしました。小田原までは問題がなかったのですが、小田原からパーサーが乗車すると通過するたびに気温が下がります。「寒い!」と文句を言うとグリーン車も空調を切ってるとか…なんでも始発と最終便のみ寒いときは暖房を入れるとか。おいおい、これは東京行きの最終便です。懇願すると2駅目あたりから入れてくれたようです。少なくても高崎線のように冷蔵庫電車ではありませんでした。
23:43、東京駅着。乗り換えた京浜東北線の方が暖かいのはご愛嬌でしょうか?その後、日暮里駅で京成線に乗り換えて0:15、町屋駅に到着。帰宅は0:30となりました。
いやぁ、貧乏旅行は過酷でしたが成果はじゅうぶんありましたので良かったです。
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8:00起床。昨日の疲れが残っています。ホテルの朝食を予約しなかったのでカップラーメンが朝食。中京地域限定の塩ラーメンとか…byサークルK。
10:53、岐阜を出発。岡崎に到着後、乗換え時間もない状態でそのまま愛知環状鉄道へ!改札がないから助かります。本当にギリギリセーフでした(汗)。
12:00ころ、新豊田駅到着。せっかくなので昼食を。やはり斉藤一の生家関連の史料を探しに2005年に訪れた喫茶店&食堂へ。みそカツ750円なり。美味です。
13:00過ぎ、タクシーにグルグル回されながら市史編纂室へ到着。郷土資料館の向かいで元図書館です。さっそく学芸員のSさんと久々に会い、念願の原本に。ほかに柴田知憲さんの研究紀要にある文章を拝見する。ここに山口広明の印章付きの画像が!なんとそれが足助にある!同じ市域ながら足助は遠いけれど、改めて訪問する方が苦難です。なので足助行きを即行で決定いたしました。
まずは名鉄豊田市駅へ向かい、猿投駅へ。
いまはココが終点です。昔は西中金なるところまで行ったそうです。線路がそのまま残っていますので、終点なのに延長線がめちゃくちゃ長いです。
約30分待って来たのがこのバスです。可愛いバスですが、意外に乗降はありました。これが廃線跡を伝って西中金まで行き、その先の足助まで向かいます。
このバスを約45分乗車すると足助に到着します。バスの運転手に騙されて2つ手前で降ろされました(汗)それでも景色が良かったのでヨシとしましょう。
この後、足助資料館で古文書の閲覧です。なんと皆済目録が揃っています。なので公用人の移り変わりがコレで解ります。これで見ると、山口広明は元治元年~慶応3年の間に鈴木家の公用人になったことが解ります。印鑑が「広明」と読めるので、これで山口喜間多→山口広明とする直接史料が出たことになります。なので山口家は御家人ではありません。100%幕臣鈴木家の家来と確定できました。
17:10、丁寧に辞去し、また2つ手前のバス停まで戻ります。ほとんどの土産店は閉店しています。そして本来の山峡たる寒気が私を襲います。バス停で待つと、本当は閉店してそうなお店に老婆がいる。頼んだら五平餅を注文することができました(笑)
これが身体を温めるのにとても役立ちました。するとバスが来ます。当初は猿投にする予定でしたが、愛知環状鉄道の四郷駅にも行くということでここで下車。約50分です。ちなみに乗客も猿投で降りないで四郷でした。駅舎は高架下に無理くり駅員がいるといった感じです。乗換えまでに10分ありましたが、ホームの寒いこと。高い建物が少ないから夕暮れのなか、見渡しは良いです。
18:37、電車が到着。岡崎に到着後、すぐに豊橋行きが参ります。豊橋で途中、新幹線を使う関係で切符を購入。掛川駅まで参ります。掛川行きは昔の擦り切れた座席の旧型ではなくロングシートの新型でした。時代です。これで掛川に20:55到着。考えてここから新幹線に乗ることに決め、21:02発のこだまに乗車…の予定が10分遅れに…三島の乗換えは大丈夫だろうか…(汗)
21:46、三島着。定時より2分遅れです。ここから在来線のホームが遠い!計画停電の影響で本数も少ないので必死で走りました。なんとか滑り込みセーフ!危ない危ない!
22:08、熱海到着後、すぐに東京行き最終電車が発車しました。駅ホームの自販機にチャイがあって助かりました。けっこう寒くなっています。今回は地獄の高崎線に懲りてグリーン車にしました。ちなみに風邪を引いたようで熱も出ています。なので一番寒くない1F席にしました。小田原までは問題がなかったのですが、小田原からパーサーが乗車すると通過するたびに気温が下がります。「寒い!」と文句を言うとグリーン車も空調を切ってるとか…なんでも始発と最終便のみ寒いときは暖房を入れるとか。おいおい、これは東京行きの最終便です。懇願すると2駅目あたりから入れてくれたようです。少なくても高崎線のように冷蔵庫電車ではありませんでした。
23:43、東京駅着。乗り換えた京浜東北線の方が暖かいのはご愛嬌でしょうか?その後、日暮里駅で京成線に乗り換えて0:15、町屋駅に到着。帰宅は0:30となりました。
いやぁ、貧乏旅行は過酷でしたが成果はじゅうぶんありましたので良かったです。
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