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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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8日
14:30、家を出発。

 途中少し立ち寄り、15:00ころ北千住駅に到着。

 北千住より電車に乗車し、運良く15:25の快速電車に乗車する。松戸からグリーン乗車なので、終点の土浦まで550円(休日料金)で乗車出来ます。

16:08、土浦駅着。そのままバスターミナルへ行くと亀城方面(確かつくば方面だった気が…)行きのバスに間に合います。徒歩ではけっこうな距離でしたので助かりました。

16:20、亀城公園下車。ここから少し歩いて神龍寺へ向かいます。


 その途中で見かけたのがコレ。昔は掘があったようですが、いまはコンな状態です。この先が三の丸橋ですが、掘の遺構は橋以外見出せません。それでも名称の通り、理髪店側が旧三の丸だったことはわかります。


 ここからグルっと回って神龍寺に参りました。無縁墓は震災の影響でドミノ状態になっていました。ほかにも史跡扱いの豊川稲荷社が粉砕され、整地されており、ほかにも檀家墓所での石組みは多く破壊されています。山門の一部だけは最近復旧したらしく、柱の白さが目立ちます。

 ここは元新選組組頭、三木三郎こと、鈴木三樹三郎の妻、はなさんの実家、藤井家の菩提寺だったところです。どうやら現在は無縁になったようです。もしかしたら墓を引いたのかもしれません。寺院さまには誠実に対応していただき感謝申上げます。

 とりあえず目的が終了しましたのでバス停へ戻ります。もったいないので亀城公園を経由して行くことにしました。


 私は城マニアではありませんので詳しくわかりませんが、遺構は多少遺っているようです。中は公園になっており、猿が暑さでノビてました(笑)

17:05、5分ほど遅れてバスが到着。8分ほどで土浦駅に到着。時間があったので大垣夜行の指定席券を購入。残念ながら思ったような場所は取れず。

17:23、土浦を発車。17:37、石岡駅に到着。少し考えたのですが、経費節約も込めて徒歩行脚を強行。石岡市役所を経由して国道6号線沿いにあると思ったら、けっこう引っ込んでました。


 正直申しまして、この看板がなければ見過ごすところです。この後、坂を登り、丘の上にありました。故人の遺徳でしょう。2Fも開放して通夜の参列が行われました。

19:00、通夜が解散して同じルートで石岡へ。見回しても行方市の知人は住職のみ。なので、同じ行程で戻ります…が、少し迷って遠回りしました(汗)

 途中、空腹を覚え、不動産屋の事務所の2Fを改装したインド料理店で食事。セットで1,200円也。経費節約なら吉野家の牛丼が割引セールで280円でしたが、朝鮮米をいただく気分ではなかったので遠慮しました(爆)

20:30、少し時間がかかって石岡駅に到着。久々に駅前を見回すと、開いている店は魚民のみ……。駅前にあったロッテリアは閉店して久しく、駅の売店さえ閉店していました(汗)店の照明がないから特急停車駅にも関わらず駅前は暗く、辺境の地へ来た気分が増しました。鹿島鉄道も廃線となってから久しく、ここまで寂れるのもいかがなものかと思います。簡単にいうと、駅前を利用する方がいないのでしょう。国道沿いでは賑やかなところもありましたので。

 で、基本的にここはJR東日本では貴重なバリアフリーを断固無視する駅でも有名です。昭和の香り高い跨線橋を渡り、ホームへと降ります。行き止まりの先には鹿島鉄道の連絡道がありましたが、いまはホーム跡が約5mほど残っているのみです。

 時間は20:40より前でしたが、20:51発の鈍行列車はすでに到着しておりました。グリーン券を購入し、駅前の自販機で購入した缶コーヒー(HOT)をいただきます。

20:51、石岡駅を発車し、土浦駅で暫し停車。その間に車内販売でコーラを頼んでウツラウツラ状態で北千住まで揺られます。

22:16、北千住着。そのまま帰宅。

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