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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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9日
14:00起床。まだ疲れが抜けないようです。食欲もなく。トースト1枚のみ。

15:30、家を出る。台東区立中央図書館へ。ここは全国の電話帳や古い住宅地図を開架で置かれてたり、東大図書も開架されています。

17:00きっかりまでココにいて、資料収集。買物をしながら17:40には帰宅。

 こんど講演する伊東甲子太郎は一度ニュートラルに戻して再構築しているのですが、そうすると大きく京都時代がなにからなにまで線が狂ってくる。確かにおざなりになっていた部分が大きかったのは事実ですが、いままで尖鋭的な部分にバイアスがかかってきています。三木三郎の方はまだ置いといて、伊東から組み出さなければ三木三郎もまたズレてくる。というよりも三木三郎が鈴木三樹三郎に改名してからの行動に捉われて、本来の伊東ネットワークが違っているような気がしています。もう少し資料の収集が必要と感じています。

 そんなさなか、読売新聞にこんな記事が。

成人式「羽織、はかまなら刀」模造刀所持し逮捕

 山口県警下関署は9日、同県下関市の成人式会場近くで模造刀を持っていた市内の新成人のアルバイト少年(19)を銃刀法違反(模造刀剣類の携帯の禁止)の疑いで現行犯逮捕した。

 発表によると、少年は9日午後0時半頃、成人式が行われた県国際総合センター(海峡メッセ下関)のアリーナ棟近くにある国際貿易ビル1階で、刃渡り約70センチの模造刀を所持していた疑い。逮捕当時、「羽織、はかまを着れば刀が必要」と話していたという。

 近くにいた男性から「日本刀を振り回している男がいる」と110番があり、署員約10人が駆けつけたところ、模造刀を手に羽織、はかま姿で友人らと記念撮影をしていた。すでに式典は終了しており、少年は式には出席しなかった。


 ここに言う銃刀法とは、
銃砲刀剣類所持等取締法 第二十二条の四 (模造刀剣類の携帯の禁止)何人も、業務その他正当な理由による場合を除いては、模造刀剣類(金属で作られ、かつ、刀剣類に著しく類似する形態を有する物で内閣府令で定めるものをいう。)を携帯してはならない。

 
 に該当します。公衆の面前で抜刀して例え友人間であっても許可を受けないところで刀を振り回せば当然処罰の対象となります。

 もちろん、ひのパレ等では公道を帯刀姿で歩くという前提で許可を受けておりますので、これは該当しませんが、むやみやたらに抜刀して「三段突きだ~♪」とヘッピリ腰で観客目がけてやらかしたら、抜刀するという条件が含まれていない場所であれば上記法律によって主催者ともども罰せられます。

 ただ、一部に新選組祭りのたびに抜刀大好きな馬鹿者を見かけることは多々ありましたが、このような逮捕という実例が出てしまいますと、帯刀できるイベントにかなり影響が出ることが考えられます。

 当面、ひのパレが私の知る一番最初の帯刀によるイベントとなりますが、影響を受けないことを願うばかりです。


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新選組流山隊長日記というのがあります。ここにきょう、トンデモな発言を見つけました。


日野、綾瀬と到着し、市谷は?と聞かれるが、前夜に会津入りしたはず?逆に市ヶ谷が開催ギリギリ到着でした。
同行していた研究家A氏が道案内で迷ったためとのこと、
いつもながらイベントとはハプニングが付き物です。



 これはです。

 たぶんAとは私のことを指すのでしょうが、前の日記でこまかく書く必要がなかったので書かなかったのですが、あえて書きます。

9:05~ホテルで自転車を借りるためにホテルを出る。
9:20~手間取り、観光公社到着。自転車を借りる。
9:30~ホテル着。市谷を見送り、部屋で出発の仕度(この時点で別行動)
9:35~ホテル出発。
9:45~嘉永蔵到着。綾瀬等と会う。また受付をする。受付にはおにぎりオジサン。会場に入って荷物を置く。関係各所と打ち合わせ。
9:55~先に出発した市谷が来ないので下へ降りる。
9:59~合流。

 はっきりいってアリバイはあり過ぎるほどにある状況です。それに別行動の私が道案内をすることもなければ、勝手な憶測で物語は始まっています。

 前のサミット記事でも書きましたが、各団体の挨拶を順にしている状況でこの方は自己自慢の話をされていました。このブログを見る限り、

反省してない

ことがアリアリで、はっきりいって主催者のひとり、会津新選組同好会に謝罪するべき内容です。

 ちなみに討論会が討論会にならなかったのは結果論の話であり、主題と話の合わないものを話したいのなら、事前打ち合わせをするべきなのです。

 それもなく、話があさっての方向に飛ばす原因を作った…。会津への冒涜PART2ですね。

 ちなみにPART1については会津新選組同好会にお聞きください。私だったら2度と許せない行為です。

 行方でも自己弁護に尽くし、昨年に続き、懇親会では連続遅刻。ひの新選組まつりでも全団体が集合場所に集合しているにもかかわらず、ブースでのんびりしていつまでも集合場所に行かない。そして主催側に話なく、勝手に離脱する。勝手な行動をする。

 あえて書かなかったことを書くことになりました。当然、この行動については多くの証人がいることを附記いたします。

 ゆかりの町団体だからといって迷惑をかけて良い訳はなく、除名団体になる前に反省と自覚を持っていただきたいです。

 たぶん、近日の私の記事が気に入らなかったのかも知れませんが事実のみを書いただけで、一部はあえて控えてますが、こういうことで報復されるとは思ってみませんでした。

 特に今回の会津の件は真っ先に会津新選組同好会に謝罪するべき内容でしょう。ただ、「ならぬものはならぬ」という扱いでしょうが。

 ちなみに本文中、気になったことが。仮に石岡ICから会津若松ICを2時間で到着されたことを書いていますが、やっかんだ方が警察に通報したら大変なことになりますよ。
「距離÷時間」で算出された「時速」を考えたらわかるでしょう。ちなみに郡山~会津若松間の制限速度は80km/hです。磐越道は得てして全線制限速度が80km/hです。一応附記します。

*本当はこういう記事を書くのは嫌いなのですが、私の名誉と会津新選組同好会の尊厳をかけて記載いたしました。


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最近は山本圭一、鈴香事件に次いで、天皇メモ問題が浮上しています。
 天皇が靖国参拝を拒否している理由として1888年4月に語られたことを当時の宮内庁長官がメモしたといいます。
 個人的に単純に疑問なのですが、あのメモって本当に天皇の言葉をメモしたものなのか?ということです。
 メモというのは、自分が聞いたことの要点を忘れないように残して置くものだとは思います。しかし、そのメモに「天皇の御言葉」と書かれていた訳でもなく、私の記憶でも天皇が個人を指して誹謗したことはないのではないかと思います。
 一説には確かに傍証のようなものがいくつかはあるようですが、「個人を指しての中傷」を一番嫌がった天皇が言ったということに直感的疑問が浮かびました。
 そして考えてるうちに、疑問が多く浮かび、そのひとつは、何故、その時期に天皇は靖国問題を語ったのか?そして辻褄の合わない文章。
 メモによる「靖国には行かない」と言われたA級戦犯合祀が触れられた時期と1988年の時期は一致もせず、「松岡、白取(鳥)」が含まれたのを、いかにも1988年に知ったような記述も見える。
 そうすると、このメモの意味に矛盾が生ずる訳となるのです。
 病状が悪化したことによる「うわ言」という可能性もないではないですが、あまりにタイミングがよく出されたことも疑問のひとつとして浮かび上がります。
 小泉総理がコメントした「靖国参拝」論も、その疑問についての確信を持っているからだと思いますし、とにもかくにも退任までの時期までは頑張っていただきたいと願っています。
 公式発言こそが天皇の意思であり、そう願いたいと思っています。
 個人的には既に極刑を受け、私利私欲に走ってもいないA級戦犯がなぜ、いまになっても罪の十字架を背負わなければならないのか?
 個人的に「清河八郎」を著したA級戦犯とされた、大川周明の顕彰会の方を知る私としては、個人的に、死者に鞭打つ行為は納得できません。
 ただ、今次大戦で亡くなられた方に対する責任の一端は彼らにあるのですから、遺族の気持ちは察して余りありません。
 刑執行より58年、もう許すことはできないものなのでしょうか?
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