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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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きょうは朝から静岡に出かけました。
 5:00前に家を出たときは降っていなかった雨ですが、8:52に清水駅へ降りてから降り出しました。さっそくレンタカーを借りて、行った場所は鉄舟寺。多賀上総介の墓所を探したかったのですが、急に豪雨となり断念。

 その後、静岡では御世話になっております前田匡一郎さん宅へ。幕臣関係の情報交換をさせていただいております。私と違うのは、そのたゆまぬ努力を30年以上続けており、この方がいなければ、多くの幕臣が闇の中にあったことでしょう。尊敬しております。

 ここで史料提供したり、またご教示をいただいたりする中、雨はやんだり降ったりと凄まじく、大変ななか、奥様の自家製つゆによる蕎麦をご馳走いただきました。いつもお世話になります。ありがとうございます。

 そして、雨が小止みになったので、いよいよ墓所へ向かいました。

 まずは蓮永寺です。

 ここには慶応4年1月の鳥羽戦争で敗戦し、江戸で抗戦派を援助した大久保主膳正墓所です。静岡で明治3年に亡くなっていました。現在は子孫はおろか、誰も墓参には来ていないようです。ひとつ例外ですが、釣洋一氏が最近、前田さんとともに寄ったそうです。例の京都イベントの前の話だそうです。これって凄いですよね。新選組研究家と威張ってる方のなかで、実際に現地踏査した方って、この釣さんくらいしか耳に入りません。
こうやって熱心な調査によって導かれるものってあると思います。私もこういった尊敬できる人物とは調和したいと思っております。そういったことから私は、前田さんを尊敬しています。

 で、実はここからが苦難でして……。

 先日発見した墓所の関係で、静岡の感応寺に向かいました。幸い雨がひどいなか、屋根のある車庫は助かりましたが、無縁はみんな一箇所にまとめてありました。それが完全に密着しており、人力では無理なので、見える部分だけ確認しました。たぶん、これかなぁ、と思うのがありましたが、これはこれからの課題です。

 次に行ったのが宝泰寺です。静岡駅前です。こんな一等地に墓所があるのですね。ここには平岡越中守の父、鐘之助の墓所があったはずなのですが、すでに整理されていたようです。ちなみにこの寺には、歴史墓コーナー、無縁墓コーナー、軍人墓コーナーになっておりました。その軍人墓コーナーの一角にはペットの犬専用の墓所が出来ており、「きっとこんどは猫専用ができますね……。」と言ってたら、その真後ろがソレでした(笑)

 なんとも言えない気持ちです(汗)

 でも、これだけは撤去されずに残りました。

 壮士之墓です。銚子で沈没した美賀保丸の遭難者の慰霊碑です。たぶんに空襲の被害によりやられてますが、なんとか保っています。唯一、嬉しい出会いでした。

 ここで前田さんを家まで送り、私も16:00の汽車で帰路につきました。

 でも、嵐でした~!(泣)前田さんには感謝に堪えません。ありがとうございました。


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