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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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【2024/11/25 (月) 02:53】 |
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まぁ…
あさくらゆう
ろじねこ@出羽守さま、コメントありがとうございます。
まぁ、無理でしょうね。


接近戦は無理、ですね
ろじねこ@出羽守
コイツのふにゃほら姿、見たかったのですが。

人見たら逃げる、ということでは、遠距離からの「狙撃」しかなさそうですけど、携帯またたびは、遠距離で効きますかねぇ?


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18日(つづき)
15:00、家を出発。

15:20、到着しました。巣鴨の盛雲寺です。

 さっそく本堂を拝礼し、墓地へ。


 新門辰五郎の墓所です。なんか板塀が黒門をイメージしています。中に中村屋の墓碑も見かけられます。縁故なのでしょうか?見たところ江戸期の墓碑でした。この墓地のなかで1,2を争う立派な墓所だということは言うまでもありません。

 しかし…。本命はここではりませんでした。墓所内を一生懸命探しました。結果的にありませんでした。探していたのは菰田半之助。北町奉行所同心です。墓所を移転するための墓碑調書には菰田家の墓碑があったはずなのですが、残念ながらありません。少し空間が空いていたので移転、あるいは処分されたのかもしれません。どうも今日は寺に参詣しませんでしたので詳細は不明ですが、どちらにしても無縁か移転の二者択一でしょう。

 菰田半之助は北町奉行所同心と書きましたが、明治期、五兵衛新田に居住しています。なぜかこの周辺に北町奉行所同心が居住することが多かったようです。ちなみに銭座の古銅処理などは北町奉行の管轄で、五兵衛新田の金子左内家は北町奉行所と密接な関係があったようです。なにか手懸りがないかと探しましたが無理だったようです。時代の波には逆らえません。


 こんななか、お寺名物、寺ネコの写真を。基本的に人を見ると逃げます。デジカメを買い換えたため、ズームで撮れるため、この画質を維持できています。

 このあたりから雨がチラホラ…。所用を済ませ16:30、帰宅。

18:00くらいまで細かい作業をし、少し休んだら、やはり疲労が出ています。19:00に食事の後、19:30には就寝いたしました。


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【2011/07/20 (水) 10:48】 | 取材旅行(東京都23区)
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まぁ…
あさくらゆう
ろじねこ@出羽守さま、コメントありがとうございます。
まぁ、無理でしょうね。


接近戦は無理、ですね
ろじねこ@出羽守
コイツのふにゃほら姿、見たかったのですが。

人見たら逃げる、ということでは、遠距離からの「狙撃」しかなさそうですけど、携帯またたびは、遠距離で効きますかねぇ?


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コメント
この記事へのコメント
まぁ…
ろじねこ@出羽守さま、コメントありがとうございます。
まぁ、無理でしょうね。
2011/07/23(土) 22:59 |   | あさくらゆう #92cd5be27e[編集]
[管理者用 返信]

接近戦は無理、ですね
コイツのふにゃほら姿、見たかったのですが。

人見たら逃げる、ということでは、遠距離からの「狙撃」しかなさそうですけど、携帯またたびは、遠距離で効きますかねぇ?
2011/07/23(土) 16:40 |   | ろじねこ@出羽守 #56ca8e5785[編集]
[管理者用 返信]

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