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新年早々、身体がミシミシ言いながらも、計画してしまった後悔もありつつ、決行いたしました。
4日
5:50、出発。6:00に北千住へ。このまま東京へ進む。このとき、前出のように身体に無理がありましたので(実際、昨日はそのまま就寝はしなかったので)、列車での移動はあきらめ、JRバスに切り替えました。7:30発の名古屋行きのバスを使うと千種駅前で降りられることもメリットです。今回の用事はこの隣の駅、大曽根なので。
7:30、バス出発。はじめてのバスでしたが、4列シートでリクライニングはあまり効かず。それでもトイレはあるので安心。
さっそく寝に入って……。
はっきり言ってバスでのことはあまり覚えていません。高速で揺れたりしながら、最後の方は乗り物酔いをしながら、気がついたら愛知県に入ってました。
13:20、約20分遅れて到着。ここから千種駅で18きっぷで隣の大曽根駅に移動します。面白かったのが、一般車両のうちの一部が荷物車扱いになってました。過去に消滅したと思ってましたがまだ残ってるのですね。
13:50、数少ないバスに乗車。「徳川園新出来」というところで下車。実はひとつ手前の方が便利でした。ここから徒歩で10分ほどで目的の蓬左文庫へ到着しました。
さっそく手続きを経て調査を開始。今回は伊東甲子太郎が面会を求めた成瀬隼人正の調査でした。征長軍として出陣し、長州三家老の首実検を行った人物に入っています。実際に伊東はその家来に会っているのですが、簡単にいえば成瀬は「付家老」、つまり支藩なので東京ですとわからないことが多いのです。犬山藩として立藩できるのは明治2年からですので、実際にこうした尾張藩の文書を見る必要があります。
おかげで成瀬の立場的なことがわかりました。また、ここには幕府に関する文書が幕府に残存している以上に詳しいところがり、風聞書などは「藤岡屋日記」なみに存在します。尾張藩の諜報能力がいかに優れていたかが解ります。
ただ、今回一番泣いたのはパソコンのスペックですね。すぐに固まります(汗)この作業で時間を20分くらい失ったでしょうか?
ともかく16:50まではずっと休みなく調べまして、辞去。帰りがけに土産店に寄り、門前まで来るバスに乗車。これは「めーぐるバス」と言うもので、名所をグルグル巡りながら名古屋駅に到着する訳です。わかったのは川上貞奴と福沢桃助が暮らした屋敷くらいなもので、名古屋タワー等は暗闇に没してどこになにがあるのかわかりません。名古屋城はライトアップされていたのでわかりましたが、疲労のために、早い到着を身体が欲しています。
18:00、名古屋駅に到着。18:10の快速で大垣へ。ここで明日の夜行で使う荷物をコインロッカーへ預けます。荷物の負担軽減と、下手に持ち歩いて紛失するのも怖いですから。ちなみに食事は試衛館稲荷の際に北総新選組の方からいただいたお菓子で充当いたしました(御礼)
19:00、米原行きの列車へ。関が原からは雪がチラホラ。米原まで雪は残っていました。ここで姫路行きの快速に乗り換えます。新幹線の移動も考えましたが、30分も変わらないのでパス。JR西日本はボタンでドアの開閉が出来るので、このような米原駅の寒気が防げて助かります(JR東海にはありません)。
20:42、京都駅着。21:00、17系統の河原町方面バスに乗車。かなりの人で溢れてましたが、河原町以降で系統が違うのか?なんとか座ることが出来ました。
21:20、バス停前で、いつも利用する「ほりいけ」でハヤシライスを食事。美味。
21:40、ホテル到着。旅装を解き、風呂で疲れを癒します。
22:30、ホテルを出発。せっかくなのでまだ行ったことのない近江屋跡へ出向きます。すると碑の陰でコソコソしてるオジサンが。
賽銭泥棒です。
1円と5円を残して懐へ入れています。コチラは写真撮影したいから邪魔なのでフラッシュを炊いて嫌がらせ。ようやく賽銭泥棒がどいて、写真撮影をいくつか。ちなみに近江屋はこの碑が建っていた場所にはなかったそうです。というよりか、河原町通りの道路拡幅によって地番が半分以上削られています。この間、賽銭泥棒の熱い視線を感じながら撮影終了。
ここから昨年から馴染になった「龍馬」へお邪魔しました。
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4日
5:50、出発。6:00に北千住へ。このまま東京へ進む。このとき、前出のように身体に無理がありましたので(実際、昨日はそのまま就寝はしなかったので)、列車での移動はあきらめ、JRバスに切り替えました。7:30発の名古屋行きのバスを使うと千種駅前で降りられることもメリットです。今回の用事はこの隣の駅、大曽根なので。
7:30、バス出発。はじめてのバスでしたが、4列シートでリクライニングはあまり効かず。それでもトイレはあるので安心。
さっそく寝に入って……。
はっきり言ってバスでのことはあまり覚えていません。高速で揺れたりしながら、最後の方は乗り物酔いをしながら、気がついたら愛知県に入ってました。
13:20、約20分遅れて到着。ここから千種駅で18きっぷで隣の大曽根駅に移動します。面白かったのが、一般車両のうちの一部が荷物車扱いになってました。過去に消滅したと思ってましたがまだ残ってるのですね。
13:50、数少ないバスに乗車。「徳川園新出来」というところで下車。実はひとつ手前の方が便利でした。ここから徒歩で10分ほどで目的の蓬左文庫へ到着しました。
さっそく手続きを経て調査を開始。今回は伊東甲子太郎が面会を求めた成瀬隼人正の調査でした。征長軍として出陣し、長州三家老の首実検を行った人物に入っています。実際に伊東はその家来に会っているのですが、簡単にいえば成瀬は「付家老」、つまり支藩なので東京ですとわからないことが多いのです。犬山藩として立藩できるのは明治2年からですので、実際にこうした尾張藩の文書を見る必要があります。
おかげで成瀬の立場的なことがわかりました。また、ここには幕府に関する文書が幕府に残存している以上に詳しいところがり、風聞書などは「藤岡屋日記」なみに存在します。尾張藩の諜報能力がいかに優れていたかが解ります。
ただ、今回一番泣いたのはパソコンのスペックですね。すぐに固まります(汗)この作業で時間を20分くらい失ったでしょうか?
ともかく16:50まではずっと休みなく調べまして、辞去。帰りがけに土産店に寄り、門前まで来るバスに乗車。これは「めーぐるバス」と言うもので、名所をグルグル巡りながら名古屋駅に到着する訳です。わかったのは川上貞奴と福沢桃助が暮らした屋敷くらいなもので、名古屋タワー等は暗闇に没してどこになにがあるのかわかりません。名古屋城はライトアップされていたのでわかりましたが、疲労のために、早い到着を身体が欲しています。
18:00、名古屋駅に到着。18:10の快速で大垣へ。ここで明日の夜行で使う荷物をコインロッカーへ預けます。荷物の負担軽減と、下手に持ち歩いて紛失するのも怖いですから。ちなみに食事は試衛館稲荷の際に北総新選組の方からいただいたお菓子で充当いたしました(御礼)
19:00、米原行きの列車へ。関が原からは雪がチラホラ。米原まで雪は残っていました。ここで姫路行きの快速に乗り換えます。新幹線の移動も考えましたが、30分も変わらないのでパス。JR西日本はボタンでドアの開閉が出来るので、このような米原駅の寒気が防げて助かります(JR東海にはありません)。
20:42、京都駅着。21:00、17系統の河原町方面バスに乗車。かなりの人で溢れてましたが、河原町以降で系統が違うのか?なんとか座ることが出来ました。
21:20、バス停前で、いつも利用する「ほりいけ」でハヤシライスを食事。美味。
21:40、ホテル到着。旅装を解き、風呂で疲れを癒します。
22:30、ホテルを出発。せっかくなのでまだ行ったことのない近江屋跡へ出向きます。すると碑の陰でコソコソしてるオジサンが。
賽銭泥棒です。
1円と5円を残して懐へ入れています。コチラは写真撮影したいから邪魔なのでフラッシュを炊いて嫌がらせ。ようやく賽銭泥棒がどいて、写真撮影をいくつか。ちなみに近江屋はこの碑が建っていた場所にはなかったそうです。というよりか、河原町通りの道路拡幅によって地番が半分以上削られています。この間、賽銭泥棒の熱い視線を感じながら撮影終了。
ここから昨年から馴染になった「龍馬」へお邪魔しました。
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