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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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23日
 帰宅してからバタバタしてたので時間が過ぎ、就寝したのは4:00ごろ。

13:30、起床。この時点で間に合わない!

14:20、家を出ます。スクーターがあれば間に合ったのですが、昨日北千住に置いていますのでダメです。バス停で待っていたら田端方面の電車が先に来ました。それに乗車。

15:10、上野駅着。ここからけっこう歩きます。美術館が工事中なもので、おかげでぐるっと回らなければなりません。京成の博物館動物園駅があれば…。


15:30、ようやく到着です。

 時間的にたぶん幕合には間があるだろうと思ってるところに目の前でネコが狸寝入りをしている。近づいても嫌がらない。そうだ、昨日ねこ屋敷(笑)にいたからその匂いで警戒しないのか?で、鼻先にまたたびを近づけると眼をパチッ!喜んで舐めました。


 で、こんな喜びの舞を踊りまして…


 でも「酔ってないよ♪」とアピールする憎い奴です。


 ご褒美に再度またたびをあげると本当に嬉しそうにいただくのであげていて気持ちが良いです。するとブラックジャックねこが近づいてきてコイツにもまたたび攻撃…

 いやいや本来の目的が遠ざかる……。いけないいけない!

 で、奏楽堂の中へ入り、楽曲の間に入ります。今回はバイオリンとピアノの競演です。どちらかといえばピアノは副という感じでした。

 そして休憩に入り、ご招待いただいております津上さんに挨拶。後半の曲に入ります。今回の曲はチャイコフスキー。

 えっ、

 最初の序曲に眼がウルッときました。曲というものはその奏者が、歌というのは歌手が、本当に素晴らしものを聴かせていただき、そのときの自分の人生と重なったときにウルッとくるものですが将にそれでした。

 まぁ、チャイコフスキーですから途中から軽やかな味が出てくるのですが、チェロの音色が好きでした。この回はピアノ、バイオリン、チェロの重奏でした。

 そして曲が終わり、小倉末の展示を見ていると外国の方(名刺をいただき国籍は日本人とわかりました)と少しお話。さすがに歴史の話はわかるけど芸術論は苦手です(汗)でも面白く歓談しました。

 そして同所を辞去。あたりは本当に漆黒。夕暮れではありません。途中、往復に上野動物園の入口を通るのですが、祭日だけあって賑やかでしたね。ほぼパンダ一色でした。上野駅から足を伸ばし東京駅へ。雨が降ってきましたがお構いなく、八重洲ブックセンターでいつも購入している手帳を今年も購入。少し店内をチラホラ見ます。歴史コーナーでは私の書籍を置いてくださることに感謝しています。

 で、ここから地下鉄千代田線大手町駅まで歩きますが遠い…。ひぃひぃ言いながらようやく到着。祭日のおかげでかろうじて千代田線で着席できてひとときの安堵。北千住駅に到着。雨なので食事をマルイの中村屋で。そしたら従業員がキビキビしない。イラチになりながら食事。

 で、帰りにスーパーに寄って帰宅。スーパーも30日閉店とあって寂しくなってきました。

21:00、相棒鑑賞。やはり研ナオコは歌姫ですね。懐かしかった。そしてネットのニュースで知った立川談志の訃報がニュースのトップでした。この人も波乱万丈でしたね。落語家、タレント、政治家と激しい人生を送っています。笑点初代司会者でもあります。ご冥福をお祈り申し上げます。今年は初代、二代と逝去されたので歴代司会者はすべて故人となられました。

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3日
 昨日に引き続き横臥の状態が続きます。

3:00、薬が効いたのか、少し楽に。直近に録画した「ロケみつ」を鑑賞後にブログ記事を3つほど書く。リンクなんかがあり時間がかかります。

6:00、結局こんな時間までかかってしまいました(汗)

12:00、起床…が起きられない(汗)ひと言に云うと立てない。仕方ないので立てるまで我慢することに。

14:00、ようやく立てるようになったので支度。14:40には出発。


 きょうは上野の奏楽堂において小倉末の展示会が催されております。それに合わせ、3日と23日にコンサートが催されることになったのです。私は3日なら都合がつくと返事をしたところご招待いただいたので鑑賞に参りました。

 それにしても…いやはや、場所が昔の京成博物館動物園駅の目の前でして、なおかつ公園の中央部は工事で辿り着くのが難でした(汗)ようやく辿り着いたのが15:30で、最初の演奏は間に合いませんでした(汗)


 入口に着くと看板が出てました。小倉末の展示会などはたぶん初めてではないでしょうか?嬉しい限りです。2008年に調査したときは無名に近い方でしたが、こうして顕彰されるのは良いことです。

 さっそく受付で招待状を受け取り、案内されるがままに着席し、音楽鑑賞いたしました。

 当然ながら音楽の知識は皆無の私ですから曲名やらを挙げることは控えます。ただ、今回の凄いところは2つのピアノの協奏曲だということです。ふたりの息が合わなければすぐに台無しになるというものでして、これは見事でした。正直申しますと、頭痛の後遺症なのか目が開けていられない状態でしたが、音楽は耳で聴こえるものですので充分に楽しめました。

 この奏楽堂のなかには小倉末に関する展示もあり、さまざまな資料がありました。ただ生まれた場所が矢来町とありましたので市村家と同じ場所になります。市村家と小倉家の交流は深いものだったことが窺えます。

 ちなみに市村家とは新選組の一員だった市村辰之助の家系です。

 休憩にこの展示を見た後、3番目の演奏に入ります。じゅうぶんに堪能できました。

 終了後、過去にお世話になりましたK親子に挨拶して主催者のひとり、津上さんから本を頂戴しました。本には協力者氏名に私の名がありました。


 帰り際に今回の演奏者の方々の記念撮影会が催されていました。さりげなく撮影し、同所を辞去。

 帰宅後は安静にしてました(実は覚えていない)。

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拍手[2回]


最近、大正期に一世風靡し、客死したピアニスト、久野久を調べています。
 この人を調べてるうちにいろいろな思いを感じます。
 体にハンデがあり、一時はあきらめかけた音楽を一生懸命、独学で努力することによって克服して東京音楽大学を卒業して見事、ピアニストとして講師、そして助教授へと進みます。

 ここまでは久の絶頂期でしょう。

 しかし、彼女に不幸が訪れます。大正4年に起きた交通事故です。いまと違い、夜は人が少なくなります。久は交通事故により、頭や肋骨等、かなりの重傷を負い、それだけでなく、轢かれてから一晩も放置されたのです。久は精神的にも、そして後遺症にも悩まされました。それを人一倍の努力によって克服しました。

 ところが、大正5年、ここで転機が起きます。小倉末の帰国です。小倉末は義姉の独人マリア・ニッチェによって、欧州を知る教師によって教育されました。そのため、日本人には類稀なる感性を培い、日本人が克服できなかった西洋音楽の音感を備わった人材として育ちました。この末は明治44年に東京音大に入学します。このころ、末は久を姉として慕ってた風が見えます。その後、事情により退学し、翌年にマリアとともに、マリアの母国、ベルリンへ行き、ピアノ修行を行います。もともとマリアの素養によって基礎ができていた末にとって、マリアの擁護もあり、技術は飛躍的に向上しました。この小倉末が帰国後、音大講師に招聘されたのです。

 この時点では久野が上であり、小倉は下の地位にありました。ここに運命を分ける出来事が起きます。同年11月16日に催された御前演奏です。演奏前までは久野の絶賛記事が多かったようです。ところが当日になると様子が変わります。演奏は第1部と2部に分かれ、1部が久で2部が末でした。1部の演奏は普通に終わり、2部で、末の狂想曲を聴いた皇后が末にシューマンをリクエストしたのです。この時点で小倉末の演奏は卓越してたということを内外に知らしめた形となり、翌年に末は2階級特進して教授となります。つまり久を追い越したのです。

 こうなれば久の立場はありません。また、このころになると西洋音楽に精通した人材も出始めており、すると、久の独特な奏法には欠点があり、修復不可能なほどだったようで、このころになると久から徐々に人も離れていきます。
 このあたりから後遺症によってノイローゼも加味され、それが渡欧に繋がったようです。周りからは奏法そのものに問題があり、小倉末の場合とは環境が違うことは知悉していながらも送り出したのは、体のいい左遷だったのかもしれません。このあたりに音楽界の冷酷さを感じます。
 体にハンデがあり、かつ交通事故の後遺症を抱え、ついには教授というブランドを持っていた久に与えられたのははっきりとした現実でした。
 いままで日本では言わなかったことを久は現実として知ることになります。このショックはいかばかりだったでしょう。
 けっきょくノイローゼを起こし、ついにウィーンのホテルで墜落死します。

 私の共通点は独自の方法で歴史を追っていたことにあります。史学も学ばずに嫌がらせを受けたことによる意地と、元探偵という前歴によって発見した事柄は多いと思っています。
 そのため、嫌がらせも受けましたし、それに負けないため戦ったこともあります。

 それでも幸せだったのは私心のない教育関係の人に支持され、たくさん基礎を教えていただいたことです。思えば生意気だった私によく接してくださった教育関係の各位にはほんとうに感謝しております。これがなかったら裸の王様です。

 特に言えることは、この新選組研究業界?とでもいいましょうか?いわゆる新発見ネタです。

 なんでもかんでも「新発見」と述べる方がいます。以前、調査していたことがあり、ブログに載せたら、「私の新発見を載せましたね!」と言われたことがあります。う~ん……。なぜかというと、新発見といえば新発見なのでしょうが、果たしてその発見は世論が興味を持つ内容なのか?ということなのです。もちろん、これがこの意見を述べた方に連れていかれて見せていただいたものでしたら別ですが、まったく自分での発見です。一応、軽い発言が許されないものなら傍証も取ります。いくら発見と思っても、傍証がなければ単なる「可能性」です。正直言って、その可能性の部類であればいくつも持ち合わせています。そのため、最近アップアップになっているのですが。

 話が難しかったので例を述べます。

「路上に白い石が落ちている。この道は土方歳三が通った道だ。土方もこの石を見たに違いない!これは新発見だ!」

 こう聴いてどう思うでしょう?受け答えに困りますよね。説明はいらないでしょう。

 要は新選組を研究する人は新発見ネタが好きだということです。私もそういった気風がありますが、これなんかはいろいろ支えてくださる方がいるおかげで、相談できるので、助かります。

 もし、このブログを読んで、そういった思いがある方に自身が裸の王様と気づけばよし、気づかなければ……ですね。
 もちろん、私も含めて自戒する意味も込めて記載します。

*2008年12月17日の記事を加筆修正

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