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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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チーム誠

6:00起床。身体が弱くなった身には堪えます。


7:00、食事です。本来はリゾートホテルなのですが、こうした朝食はありえないでしょう。でもありがたくいただけることが感激です。夜には気づかなかった機動隊の方たちは宿泊部屋はなく、主に宴会場です。それ以外も隙間があるところには仮の仕切りを作って就寝場所を設けています。ホテルのキャパの3倍以上は宿泊しているものと思われます。こんな環境でも文句のひとつもなく、黙々と作業されている機動隊の方たちに感謝を述べたいと思います。

8:30、ボランティア登録のために宮古市社会福祉協議会へ。閑伊川を渡った自動車教習所の手前にあります。


 さっそくチーム誠はボランティア登録を行います。私もおまけみたいなモノですが、登録しました。

 ここに来るとボランティアのためにキャンピングカーでお越しの方、大きなテントがあったりと、ボランティアの気合の入れようが解ります。集まった方も様々で、日本を助ける義侠心に溢れる方々がコンなにもいるのかと感動いたしました。

 また、ボランティアのためのボランティアという方もおりまして、コーヒーの無料提供や軽い朝食が提供されておりました。

9:30、市の職員による説明が始まりました。本日の作業は芝生の復帰作業でした。津波による泥が芝生を蔽っているため、それを取り除き、かつ、その汚泥を土嚢にして復旧工事に使えるようにします。運良く社会福祉協議会のすぐ側が閑伊川でしたので徒歩移動で参ります。

 ボランティアの感覚はさまざまで、なかには職員に「オレはもっと出来るのだから違う仕事をさせろ!」と言っているのを見かけました。ガレキ撤去は自衛隊や機動隊が分散して活動をしています。また専門職の方々が一生懸命危険を賭して頑張っています。下手にボランティアが行って自身が被災者になるという、2次被災のことを考えないのでしょうか?

 せっかく善意で集まっている方々を危険に遭わせる訳にはいかないのです。市の配慮も考えていただきたいものです。

 ということで10:00より作業開始。私たちは最初、泥だけでなく、杭石の除去を行いました。けっこう転がっており、約50個は集めたでしょうか?

 それから本来の仕事である芝生の表面を蔽っている汚泥の処理です。私は道具を持っておりませんでしたので、ブラシを使い、シャベルで取り除いた場所にブラシをかけて、芝生を綺麗にする作業を行いました。汚泥は亀裂を生じておりますので範囲は解り易かったと思います。


 この公園は「ふるさと公園」といい、本来なら桜の名所として花見客もチラホラする場所だそうです。隣接して「あやめの里」があります。1ケ所だけ案内板が軽微な被災だったため、津波前の状態がわかりますが、あったと思われるテニスコートやお花畑はもう定点を探すのは不可能な状態です。そしてトイレも本来は移動式だったものが逆方向から津波が来てしまい、その機能は使えずに、横面からなにかが突っ込んだようで破壊されており、柵で覆われた付帯施設も斜め45度にひしゃげて使用不能の状態に陥っています。川にはいまも自動車が2台沈み、現在の市の活動の限界を示しています。もちろん遺体収容は優先されましたのでそういった悲惨なことはありません。あと小型舟が2隻ありました。うち1隻は取りに来るとの記述がありました。

 基本的に肉体労働ですので、1時間毎に休憩もあり、12:00には昼食です。13:00に作業を再開して14:00に休憩、そして15:00には終了します。ボランティアの活動はココで終了します。ボランティアさんの方々の意気込みは凄く、あっという間に用意していた土嚢袋の量を超えてしまい、仕方なく、道路脇に積み上げることになるくらいでした。

 帰りに土手を登ると、一面汚泥で濃茶の地面が、少しですが芝生の見える土手になりました。ひとりの力は小さいですが、大勢があつまるとこんなことも出来るものかと感動いたしました。

 なお、私は明日のボランティアはリタイアです。なにしろ持参したブーツが破壊されまして(汗)それと携帯電話のインフラが難しいということもあり、一同とは別の場所に宿泊します。

 社会福祉協議会へ戻ると、さきほどの炊き出しがおり、飲食物を提供しておりました。さすがに食欲はなくあきらめました。

 これより観光協会へと迎います。


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29日
 表題の通り、宮古へ行ってまいりました。

 今回は日野新選組同好会峯岸さんの好意により、私的な支援物資を届けるというのが目的でした。ついでというと失礼ですが、ボランティアに参加してホンの少し宮古に貢献できればという淡い想いがありました。とにかくも何か出来ることはないか?昨年11月、核弾頭のように登場した宮古海戦の会の伊藤さんの姿を思い出し、そして震災当日、TVで観たはじめての光景がこの宮古だったことが自分自身を後押しした結論です。

 もちろん物見遊山のつもりは一切なく、ほとんどを団体行動といたしました。

 今回は日野新選組同好会から2名+物資の運搬車+会津新選組同好会から2名の合計5名となりました。

9:30、日野の高幡不動で集結して、まずは出発。早速首都高速中央環状線で渋滞の洗礼を受けます。途中、埼玉を経由して東北自動車道へ。

 すると、

大渋滞です…。

 この日より高速1000円が始まり、被災地の見学が殺到したのでしょう。普通ではありえない場所でも渋滞を起こしています。

 蓮田のSAなんかは「満車」の文字があるだけでなく、最低でも2㎞は並んでいます。あの広大なSAでさえこんな感じです。

 当隊は羽生PAでいったん休憩。出発して佐野SAで給油。給油だろうが渋滞の列をスキップできる訳ではありません。とにかく時速80㎞/hで走ることは叶わぬ夢です。

 走行中、よく神奈川県のナンバーを拝見しました。観た感じは若い方たちのレジャー目的です。私見ですが、東北道と常磐道だけは通常料金にして欲しかった。これだと自衛隊、および警察の車でさえ、到着できません。もちろん仮設住宅の資材を運ぶトラックも見受けましたが、見事にそのレジャー用の車たちに巻き込まれ、身動きが取れません。あと「わ」ナンバーもたくさんいました。そういえば静岡県警のパトカーを多く見かけました。

 なかには被災地に親族を持たれる方もいたと思います。しかしレジャー目的ならJRで移動していただきたかったと思います。JRは開通したてで空いていたようです。

 こんな感じで郡山で会津隊と合流したのは17:30。さっそく会津隊も同乗して一路北東北へ!

 盛岡南ICに着いたのは確か23:00ころだったと思います。福島県まで渋滞は続きました。なお、高速道路も被災しています。白河~郡山間ではところどころ陥没や壁面崩壊を補修した跡がありました。内陸部でも白河地区は崖崩れが多かった場所です。家の屋根も多く被害を受けておりました。

 また仙台を越えたあたりでも亀裂や陥没の補修跡は続きます。特に橋梁なんかでは橋梁の前後が陥没したため、土盛りした後で舗装している関係で凹凸が烈しくなっています。普通なら通行止めなのでしょうが、被災地支援を優先した決断なのでしょう。これだけは国に感謝します。

 そして一行は一般道で宮古へ。普通に街灯も点いており、特に宮古駅近くまではGSもコンビニも普通通りに営業しています。一行に楽観的観測が流れます。

 それを打ち砕いたのが宮古駅以降の状況です。急に信号が消灯している。シャッターが壊れている。そして海辺に近づいた時、言葉は出ませんでした。そこは全員が見たことのない、映画での架空のセットのような、とにかく現実ではないと思いたい光景が拡がっていました。

 港には漁船2隻が現役でおり、それが少し一行を安堵させる光りでした。当然この辺に灯りはありません。暗闇にガレキの金属が車のライトに照らされるだけです。

 こうして浄土が浜パークホテルへ到着したのは1:00。駐車しているのは復旧工事の方々や警察の機動隊の方々。本来ならリゾートホテルなのですが、そのような雰囲気は一切ありません。予約を取っていただいた方は幸運だったそうです。宮古で宿泊はこうした復旧業者と捜索目的の警察、自衛隊関係者で一杯です。ちなみに宿泊したホテルにその静岡県警の車輌を多く見かけました。北海道警、滋賀県警、ともかく日本全国の警察の力がこの被災地に振り注がれています。心より応援に気持ちで一杯です。

 ともあれ、部屋に落ち着き、就寝したのが2:00、明日に備えます。


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 近藤勇忌に参加する目的ですが、実はほかにも目的がありました。それが会津藩家老田中土佐の息子、田中左内の墓詣ででした。

 地図を見てもよく理解できませんでしたが、まず見つけたのがココでした。


 早乙女貢氏墓所を右に見ながら坂を登り、しばらく行くと左手に会津藩家老田中家墓地への入口があります。上がりますと代々の田中家当主等の墓所が存在します。ここに田中土佐の墓はあるのでしょうか?

否!!

 そんなに甘いものではありません。この墓所にあった「東口」という言葉に疑念を持ち、探しました。


 まず近藤勇墓所への道にある分岐を右へ折れます。近藤勇の道と違い、そんなに立派な道ではありませんが、右手に墓所がチラホラ見えますので墓所へ向かう道だということは判断出来ます。


 進むと遠山家の戊辰戦死墓を見つけることが出来ます。その奥にある南摩家墓所の奥に続く道を進みます。


 いったん奥まで進むと行き止まり風な感じになります。しかしよく見ると左手に伐採の跡が存在します。林業のために出来た道なのか、土石流の跡なのか迷うような道?ですが、急な坂道を登ってみます。


 しばらく登ってもこんな感じで荒れてます。たぶん今年訪れた方はヒトケタもいないのではないでしょうか?運がよかったのは寒気のためか、蜘蛛がいません。で、ようやく頂上に近くなると墓碑が見えてきます。


 田中家墓所への標石です。境界石でも水栓みたいなもので、夏で草が繁ると見えなくなるかもしれません。


 ここが幕末の当主、田中土佐のある墓所です。右から数えて3番目の墓所がそうです。けっこう痛みはありますが、文字は読むことが出来ます。

 まだ会津藩の暗躍史は埋没している部分は多いですが、ひとつずつ解いていきたいと思います。


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 いまごろは宮古市で日野新選組同好会のボラティア活動の補助を行っていると思います。

27日
9:00、起床。

12:00、病院へ赴いた後、日暮里駅へ。5月5日の清河神社例大祭への出席のため、すでに購入していたフリー切符で新幹線を予約します。今回は震災の影響で26日から発売になりました。おかげで容易に取得できました。

 ここでせっかくなので谷中墓地をチラホラ。倒壊している、あるいは倒壊寸前の墓所がいくつもありました。さてさて、どうなることでしょうか?

 で、山手線で浜松町へ。東京都公文書館で調査です。ハズレも多かったのですが、意外に千葉の名灸の補足史料を得ることが出来ました。ただ時間がかかり過ぎて16:30に辞去。

17:10、台東区立中央図書館へ。先週国会図書館で控えておいた朝日新聞のバックナンバーをコピー。「千葉の名灸」がなければ一生埋没したであろう人物を知ることになりました。

18:00、同所を辞去。ここは4月30日までは18:00に閉館します。

 帰りがけに薬局へ。29日に持参する物資を購入しました。あっても困らない消耗品を中心にしました。それと、いまはともかく、これから絶対必要になるものも。ホンの少ししか貢献できませんがささやかな気持ちです。

19:30、帰宅。

 この後、被災地へ電池式テレビを持ち込もうかと実験のため外へ持ち出したところ、電池を収める蓋が外れ、ナンとコナゴナに!!エッ!と下を見た際、伸ばしていたアンテナに接触してそれもポキンと…。アチコチで老朽化による疲労を起こしていたようです(汗)被災地でこうした不幸にならないでよかった…(汗)

 それと光人社より「新選組を歩く」が届きました。私も急遽ヘルプ依頼を受けて執筆しています。本当は原稿用紙で10枚程度の予定だったのですが、あれよあれよと追加され、こんな感じになりました(汗)

 機会があったら書店でご覧ください。

23:30、就寝。

28日
9:00、起床。

 なんか日常的なことでバタバタしました。

昼、病院へ薬を。

 明日の準備を。

 特に書くこともなく、準備に追われました。


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26日
6:00、起床。きのう聴くことができなかった故田中好子さんの遺言を聴く。思わず涙がうるみました。正直言って、私の世代はギリギリ、キャンディーズはダブらないのですが、世代ではなく、田中さんの気持ちと無念さ、しかしそれよりも自身が死去することによって与える影響への配慮。そして自身が死の淵にいるなか、被災地を気遣う心。「カズさん…よろしくね!!」このフレーズに田中さんの本音の願いが体の芯まで伝わりました。震災で消えて欲しくない、一生この方を顕彰していただきたいと願って已みません。

7:30、疲労なのか、食後、そのまま就寝。

13:00、再起床。

14:00、家を出発。北千住から永田町へ。

15:20、国会図書館へ。先週借りることが出来なかった本を借りる。ついでに「伝記」の残りの号を閲覧。意外に良いものが揃っています。今日より通常の時間に戻っておりました。嬉しい限りです。ついでに地下鉄のエスカレーターも復帰してくれれば嬉しいのですが…。

16:50、同所を辞去。地下鉄で白金台へ。少し歩いて正源寺へ参りました。ここに山田吉利が埋葬されたとされています。実家である後藤家の菩提寺だそうです。

 ただ、寺院の方が留守で確認出来ず、後藤家の墓所がふたつありましたが特定は出来ませんでした(汗)崖の中腹に仏像があったのがとても印象的でした。


 面白かったのが会津藩士の戦死墓もありました。瀬野久吾という方で、大野ケ原で戦死したようです。昨日天寧寺墓所にいた関係で、なんか連結しています。

18:30ころ、同所を辞去。下り坂ですのでひとつ先の白金高輪から地下鉄に乗車。19:50、帰宅。

 帰宅後は史料整理と国会図書館で取得した資料を読み込み、「千葉の名灸」との誤差を確認します。

 それと今日、新選組友の会のHPに「沖田総司忌開催」の記述を見受けました。特筆するのは墓参のみは無料!、そして演題に僅かながら沖田の文字が!

 ややではありますが、これで本来の沖田総司忌に戻ったのではないでしょうか?これまで執拗に私はこの「総司忌」について文句を言って参りましたが、私が提言してきた趣旨と合致したため、現状に変わりがない限り、賛意を表します。

 例え墓参無料であっても沖田を偲ぶ気持ちがあればお金を払って講演を聴きに来てくれると思います。これからも同様趣旨でもっと沖田に傾注した講演を永続的に行われることをお祈り申し上げます。

0:00、就寝。

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