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30日
11:00、起床。なんか調子悪いです。
食事。胃がもたれます。昨日出来なかった芹澤鴨の資料作りが待っています。腹痛(というかもたれ感)は集中力を奪います。
14:00、ようやく頭が回転し始め、資料作りを開始。要は年表作り。過去のものから増えてきているのでそれをうまく収めていく。その分京都の分は圧縮されていきます。
芹澤鴨の人生ですが、新選組は終焉のひとつであり、本来の根幹は天狗党にあります。その天狗党時代の芹澤イズムが新選組の当初の方向に進んでいく訳です。
どうしても昨今の新選組研究本なる胡散臭い書籍は「土方歳三がモテた」とか、「沖田は女遊びをしていない」みたいな内容に固執することが多く、ひどいものでは「新発見!!」とか書きながらその出典を明らかにしない本が当たり前のように発売されています。その元凶だった出版社もある会社の孫会社まで転落したためにいまはそういう「やりたい放題」みたいな書籍は少ないようです。
それでも使えない本が新選組関連書籍では実に80%といえる数字に跳ね返ってくると思われます。なお、良書があるのは昭和50年代前半までに集中しているのもある特徴でしょう。この後、大河ドラマの影響で学者関係の方の執筆に少しの成果があるだけで、このころ絶頂期のような態度を取っていた「新選組研究家」なる方たちは出版社に見透かされ、2004年の大河放送時にはお抱えのライターにすり替わっているという。笑えない事実が存在します。
実に私が新選組を調べる原点がこの芹澤鴨にあり、平間重助の身元判明により一気に加速したと言えましょう。ちょうど大河ドラマの時期とも重なり、旧玉造町はその当時ありえないほどのフィーバー振りで、実に期間限定で開館した記念館には14,000人の入場者があったほどです。もちろんリピーターもいたようで、当時の玉造町の人柄が窺えます。
こうして約10年の月日を迎える訳ですが、古文書の整理によっていくつかの事象が判明してきています。芹澤鴨の話もずいぶん様相が変わりました。そういう思いがこの年表に現れてきているような気がしています。
最初は細かく説明することも考えましたが、あまりに資料が細かいと、講演する意味も薄まるので、今回は資料は少なめに。京都の部分は今年発刊されて「新選組を歩く」の拙部分を利用しました。
15:30、ようやく出来た年表等を鉾田市公民館へメール。これでようやくひと安心。
さて、出かけようと思ったら雨。いけないのでカッパを被って北千住へ。
北千住から乗った電車が松戸行きだったので、面倒とバスに乗り換え。目の前のコンビニで明日送付する分をコピー。
17:26、約5分以上遅れてバス到着。速攻で発車。18:00くらいに流山駅着。430円でした(汗)けっこうかかりますね。
ここで北総の本部にお邪魔します。いつものメンバーが揃っています。買出しの品物を渡し、北総の方には先日買い換えたデジカメの、以前使用していたものをプレゼントしました。
といってもフラッシュのレンズにヒビが入っていたりと見た目は悪いのですが、900万画素ありますし、単3電池が使えますので便利です。以前になかなか見かけることのないデジカメなのかフィルム式なのかわからないカメラを使用していたので、コチラの方がマシかと。まだ寿命を終えていませんので使えると思います。第二の余生を終えられるのならデジカメも幸せでしょう。

そういえば、きょうはやけに人懐かこそうに見えるネコがおりまして、やけに閻魔堂を覗きに来ました。初めてみるタイプですが、こんどはまたたび攻撃してあげましょう(笑)
こんな感じで21:00に同所を辞去。馬橋で食事して日本史探偵団の皆様と懇談して帰りました。
帰宅は23:00。0:00には就寝しようと…。
よろしければクリックご御力お願いします

11:00、起床。なんか調子悪いです。
食事。胃がもたれます。昨日出来なかった芹澤鴨の資料作りが待っています。腹痛(というかもたれ感)は集中力を奪います。
14:00、ようやく頭が回転し始め、資料作りを開始。要は年表作り。過去のものから増えてきているのでそれをうまく収めていく。その分京都の分は圧縮されていきます。
芹澤鴨の人生ですが、新選組は終焉のひとつであり、本来の根幹は天狗党にあります。その天狗党時代の芹澤イズムが新選組の当初の方向に進んでいく訳です。
どうしても昨今の新選組研究本なる胡散臭い書籍は「土方歳三がモテた」とか、「沖田は女遊びをしていない」みたいな内容に固執することが多く、ひどいものでは「新発見!!」とか書きながらその出典を明らかにしない本が当たり前のように発売されています。その元凶だった出版社もある会社の孫会社まで転落したためにいまはそういう「やりたい放題」みたいな書籍は少ないようです。
それでも使えない本が新選組関連書籍では実に80%といえる数字に跳ね返ってくると思われます。なお、良書があるのは昭和50年代前半までに集中しているのもある特徴でしょう。この後、大河ドラマの影響で学者関係の方の執筆に少しの成果があるだけで、このころ絶頂期のような態度を取っていた「新選組研究家」なる方たちは出版社に見透かされ、2004年の大河放送時にはお抱えのライターにすり替わっているという。笑えない事実が存在します。
実に私が新選組を調べる原点がこの芹澤鴨にあり、平間重助の身元判明により一気に加速したと言えましょう。ちょうど大河ドラマの時期とも重なり、旧玉造町はその当時ありえないほどのフィーバー振りで、実に期間限定で開館した記念館には14,000人の入場者があったほどです。もちろんリピーターもいたようで、当時の玉造町の人柄が窺えます。
こうして約10年の月日を迎える訳ですが、古文書の整理によっていくつかの事象が判明してきています。芹澤鴨の話もずいぶん様相が変わりました。そういう思いがこの年表に現れてきているような気がしています。
最初は細かく説明することも考えましたが、あまりに資料が細かいと、講演する意味も薄まるので、今回は資料は少なめに。京都の部分は今年発刊されて「新選組を歩く」の拙部分を利用しました。
15:30、ようやく出来た年表等を鉾田市公民館へメール。これでようやくひと安心。
さて、出かけようと思ったら雨。いけないのでカッパを被って北千住へ。
北千住から乗った電車が松戸行きだったので、面倒とバスに乗り換え。目の前のコンビニで明日送付する分をコピー。
17:26、約5分以上遅れてバス到着。速攻で発車。18:00くらいに流山駅着。430円でした(汗)けっこうかかりますね。
ここで北総の本部にお邪魔します。いつものメンバーが揃っています。買出しの品物を渡し、北総の方には先日買い換えたデジカメの、以前使用していたものをプレゼントしました。
といってもフラッシュのレンズにヒビが入っていたりと見た目は悪いのですが、900万画素ありますし、単3電池が使えますので便利です。以前になかなか見かけることのないデジカメなのかフィルム式なのかわからないカメラを使用していたので、コチラの方がマシかと。まだ寿命を終えていませんので使えると思います。第二の余生を終えられるのならデジカメも幸せでしょう。
そういえば、きょうはやけに人懐かこそうに見えるネコがおりまして、やけに閻魔堂を覗きに来ました。初めてみるタイプですが、こんどはまたたび攻撃してあげましょう(笑)
こんな感じで21:00に同所を辞去。馬橋で食事して日本史探偵団の皆様と懇談して帰りました。
帰宅は23:00。0:00には就寝しようと…。
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30日
11:00、起床。
11:30、東京都より連絡あり。ある一定の結論。これで話は纏まりました。少し「千葉の名灸」に反映できると思います。
基本的に役所というのは前例を作らない、特に自身の在任中は!ということが強く出ています。特に独裁的知事、区長なんかで顕著に出ます。あとで独裁者によって詰問されることが怖いのです。間違ったことはしていなくても、叱責されれば自身の出世に影響します。
これが役所感覚なのですが、学究的な見地からは大変です。
ともあれ、一定の結論が出たことでようやくストレスの一部が解消されました。
こうして日程を見ると、このストレスもあり、時間的にかなりぎゅうぎゅう詰めになってることが解りました。3日は講演&水戸で調査。4日は大腸検査のため、1日活動は難しそうです。5日はKさんと八柱霊園に。6日はJICCの講演を聴講。9日は食事会。10~12日には出版社に校正原稿を持参+嵐山町への調査と激しいです。
この日はなんとなくダルくて動きが緩慢でした。
17:00、意を決して台東区立中央図書館へ。維新日乗纂集と鈴木大雑集、藤岡屋日記を閲覧。ギリギリになって退出。その際、リサイクルブックに、精神学論集を発見。ちょうど本居国学と平田国学が入っているものでしたのでいただきました。まともに買ったらけっこうな値段がしますので助かります。
帰路の途中でハナマサに立ち寄ります。ここでしか鴨肉を見かけないので購入。けっこうな値段です(汗)まぁ、1ヶ月持ちますが…(汗)
18:30、帰りがけに荒川区立南千住図書館に立ち寄る。いくつかコピーをして北千住方面に走ると雨…。
緊急避難でコンビニに待機。20分くらいしても止みそうもないので今度はスーパーまで。濡れた身体にス-パーの生鮮品売り場は堪えます。
20:00、帰宅。雨で疲労が重なりダウン。快復しようとTVを見るもダメ。鉾田の資料作りが出来ません(汗)
23:30、就寝。
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11:00、起床。
11:30、東京都より連絡あり。ある一定の結論。これで話は纏まりました。少し「千葉の名灸」に反映できると思います。
基本的に役所というのは前例を作らない、特に自身の在任中は!ということが強く出ています。特に独裁的知事、区長なんかで顕著に出ます。あとで独裁者によって詰問されることが怖いのです。間違ったことはしていなくても、叱責されれば自身の出世に影響します。
これが役所感覚なのですが、学究的な見地からは大変です。
ともあれ、一定の結論が出たことでようやくストレスの一部が解消されました。
こうして日程を見ると、このストレスもあり、時間的にかなりぎゅうぎゅう詰めになってることが解りました。3日は講演&水戸で調査。4日は大腸検査のため、1日活動は難しそうです。5日はKさんと八柱霊園に。6日はJICCの講演を聴講。9日は食事会。10~12日には出版社に校正原稿を持参+嵐山町への調査と激しいです。
この日はなんとなくダルくて動きが緩慢でした。
17:00、意を決して台東区立中央図書館へ。維新日乗纂集と鈴木大雑集、藤岡屋日記を閲覧。ギリギリになって退出。その際、リサイクルブックに、精神学論集を発見。ちょうど本居国学と平田国学が入っているものでしたのでいただきました。まともに買ったらけっこうな値段がしますので助かります。
帰路の途中でハナマサに立ち寄ります。ここでしか鴨肉を見かけないので購入。けっこうな値段です(汗)まぁ、1ヶ月持ちますが…(汗)
18:30、帰りがけに荒川区立南千住図書館に立ち寄る。いくつかコピーをして北千住方面に走ると雨…。
緊急避難でコンビニに待機。20分くらいしても止みそうもないので今度はスーパーまで。濡れた身体にス-パーの生鮮品売り場は堪えます。
20:00、帰宅。雨で疲労が重なりダウン。快復しようとTVを見るもダメ。鉾田の資料作りが出来ません(汗)
23:30、就寝。
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28日
11:30、起床。東京都から連絡があると聞いていたが連絡はなし。仕方なくコチラから連絡。
12:30、課長職より連絡。昨日のような怒るような内容は一切なく、昨日の電話内容はかなりの齟齬があった模様。25日における協議内容で一致を確認。やはり伝言ゲームはいけません。直接上長と話すのが一番です。
15:00、出発。リフォーム屋で少しお話。いま大きな建物のなかにポツンとあるので18:00に短縮営業していることの理由を聞く。さすがに表玄関が寂しいので怖いかもしれません。
15:20、JR三河島駅にきっぷを購入。「ムーンライトながら」です。あまり乗りたい電車ではないのですが貧乏支出の関係で仕方ありません。25日に乗車して26日は京都で調査。終了後、豊岡まで進み宿泊。27日は特別に出ている快速ジオライナーなるもので鳥取入り。鳥取県立博物館で調査。そして宿泊。翌日も午前中は博物館で調査の後、再度ジオライナーで豊岡、そして乗り継いで二条駅へ。京都であるお店に寄った後、新幹線を使用して名古屋に出て、このムーンライトに乗車して帰るという算段です。
鳥取は鳥取だけでなく諜報網が優れているので各藩の史料調査にも役立ちます。そうした内容を精査したいと考えています。でも26日はツライですね。「大垣ダッシュ」という通称がるのですが、ムーンライトから米原行きへの乗り継ぎが短いのと車輌も2~4輌しかない。ムーンライトは10輌編成です。当然大変混雑します。JR東海も18きっぷの乗客だからと、増結する感覚はいようです。私は到着したら駅から1メーターありますがネットカフェで休憩し、8:00ころから出発して京都に入ることにしています。
でも、今回こそ本当に最後の鳥取になりそうです。お城登ってみたいな(笑)
けっこうハードですが、なんとか乗り切りたいと思います。
それと子孫のKさんから連絡が。八柱霊園へ同行していただけることに。本日の課長発言がありますので子孫同行でも私にも見る権利が発生します。これでメデタシメデタシ。
ただ、今日はやけに体力が消耗しています。けっこう寝ることが多く、それと探し物を探すこと3時間、ようやく見つかりました(汗)似たような冊子が多いものですから紛れてました。これでレジュメ作りは進行できます。
それにしても…どうも体力の消耗がいけません。なので今日は作業はジ・エンド。TVとDVDの撮り貯めを見て過しました。
0:00、床に入るも、いつ寝れたかは解らず…。
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12:30、課長職より連絡。昨日のような怒るような内容は一切なく、昨日の電話内容はかなりの齟齬があった模様。25日における協議内容で一致を確認。やはり伝言ゲームはいけません。直接上長と話すのが一番です。
15:00、出発。リフォーム屋で少しお話。いま大きな建物のなかにポツンとあるので18:00に短縮営業していることの理由を聞く。さすがに表玄関が寂しいので怖いかもしれません。
15:20、JR三河島駅にきっぷを購入。「ムーンライトながら」です。あまり乗りたい電車ではないのですが貧乏支出の関係で仕方ありません。25日に乗車して26日は京都で調査。終了後、豊岡まで進み宿泊。27日は特別に出ている快速ジオライナーなるもので鳥取入り。鳥取県立博物館で調査。そして宿泊。翌日も午前中は博物館で調査の後、再度ジオライナーで豊岡、そして乗り継いで二条駅へ。京都であるお店に寄った後、新幹線を使用して名古屋に出て、このムーンライトに乗車して帰るという算段です。
鳥取は鳥取だけでなく諜報網が優れているので各藩の史料調査にも役立ちます。そうした内容を精査したいと考えています。でも26日はツライですね。「大垣ダッシュ」という通称がるのですが、ムーンライトから米原行きへの乗り継ぎが短いのと車輌も2~4輌しかない。ムーンライトは10輌編成です。当然大変混雑します。JR東海も18きっぷの乗客だからと、増結する感覚はいようです。私は到着したら駅から1メーターありますがネットカフェで休憩し、8:00ころから出発して京都に入ることにしています。
でも、今回こそ本当に最後の鳥取になりそうです。お城登ってみたいな(笑)
けっこうハードですが、なんとか乗り切りたいと思います。
それと子孫のKさんから連絡が。八柱霊園へ同行していただけることに。本日の課長発言がありますので子孫同行でも私にも見る権利が発生します。これでメデタシメデタシ。
ただ、今日はやけに体力が消耗しています。けっこう寝ることが多く、それと探し物を探すこと3時間、ようやく見つかりました(汗)似たような冊子が多いものですから紛れてました。これでレジュメ作りは進行できます。
それにしても…どうも体力の消耗がいけません。なので今日は作業はジ・エンド。TVとDVDの撮り貯めを見て過しました。
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27日
11:00、起床。睡眠薬が効きすぎました(汗)
そんなものだから頭の回転も遅く、それでも既存のファイルから必要な部分を抜きます。大まかに予習できてきました。
なにせ3日に講演も迫りましたので大体の話の形は決めております。裏取りでいくつも資料があるのでややこしいのが難点です。180度違うものがあったりと、また浪士組名簿でも同様です。
浪士組名簿はその性質上、自身で作ったものより作ったものを写したものが多いので、芹澤鴨の年齢が32歳説が多くなるのはそういうことでしょう。
長岡勢も小金屯集から始まりいくつか変遷がありますが、おおまかな首謀者はわかりますが、誰が首謀者として相応しいのか決めたのか、悩むところです。ややこしいところでは神官組はほとんど名前が出てきません。玉造勢については安政5年に中野仲が小石川藩邸に訪れたり、同6年には野口哲太郎が切腹未遂を起こしたりと、チラホラしています。
玉造勢自体も幹部と行動を一にしない部分が万延2年の献金活動だったり、それが東禅寺事件の資金に使用されたりと、幹部の構想と必ずしも一致しないことも多くあります。当然扱いはこの日を契機に過酷になります。
普通なら死んでる方も多かったようです。たくさん幽囚中に死亡しています。そのなかで生き残ったのが芹澤鴨や新見錦だったのでしょう。
でも、この玉造勢に参加した人間で後世まで生存した方は少なかったですね。唯一私の手持ち史料に本間栄七のものがあります。不思議な縁で、慶応4年には山岡鉄太郎の手下となります。
もちろん2時間の講演ですが、どこまでお話するかは自身の能力になるでしょう。
で、連絡を寄越さない東京都へ連絡。担当が替わったとかで16:55に返信があり。…というか、25日に決まったことを覆したり、八柱霊園事務所に責任転嫁したり、怒ること暫し!たぶん個人感情だけで対応されているのでしょう。この報復もあることを前提に対象も必要なのかと夜、布石を打つ。発動したくはありませんが……。ただ徹底的に抗戦します。これは宣言します。
そんなことをしてたら時間は過ぎて、気がついたら18:30!急いでリフォーム屋へ行くと業務時間短縮で閉店…。仕方ないので図書館で本を借りました。今回の茨城の史料として使います。
それにしても改めて現在の鉾田市を見ると旗本の相給地が多いですね。大洗に近いところには守山藩(松川藩)があり、石岡藩の飛び地もあります。水戸藩領はかなり少ないですね。このあたりが天狗党の発生の起因と関係ができるのではないかと思います。
この表が22:30に完成。
しかし、この後、なかなか眠れず、探し物も見つからないままにあきらめて3:00就寝。
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11:00、起床。睡眠薬が効きすぎました(汗)
そんなものだから頭の回転も遅く、それでも既存のファイルから必要な部分を抜きます。大まかに予習できてきました。
なにせ3日に講演も迫りましたので大体の話の形は決めております。裏取りでいくつも資料があるのでややこしいのが難点です。180度違うものがあったりと、また浪士組名簿でも同様です。
浪士組名簿はその性質上、自身で作ったものより作ったものを写したものが多いので、芹澤鴨の年齢が32歳説が多くなるのはそういうことでしょう。
長岡勢も小金屯集から始まりいくつか変遷がありますが、おおまかな首謀者はわかりますが、誰が首謀者として相応しいのか決めたのか、悩むところです。ややこしいところでは神官組はほとんど名前が出てきません。玉造勢については安政5年に中野仲が小石川藩邸に訪れたり、同6年には野口哲太郎が切腹未遂を起こしたりと、チラホラしています。
玉造勢自体も幹部と行動を一にしない部分が万延2年の献金活動だったり、それが東禅寺事件の資金に使用されたりと、幹部の構想と必ずしも一致しないことも多くあります。当然扱いはこの日を契機に過酷になります。
普通なら死んでる方も多かったようです。たくさん幽囚中に死亡しています。そのなかで生き残ったのが芹澤鴨や新見錦だったのでしょう。
でも、この玉造勢に参加した人間で後世まで生存した方は少なかったですね。唯一私の手持ち史料に本間栄七のものがあります。不思議な縁で、慶応4年には山岡鉄太郎の手下となります。
もちろん2時間の講演ですが、どこまでお話するかは自身の能力になるでしょう。
で、連絡を寄越さない東京都へ連絡。担当が替わったとかで16:55に返信があり。…というか、25日に決まったことを覆したり、八柱霊園事務所に責任転嫁したり、怒ること暫し!たぶん個人感情だけで対応されているのでしょう。この報復もあることを前提に対象も必要なのかと夜、布石を打つ。発動したくはありませんが……。ただ徹底的に抗戦します。これは宣言します。
そんなことをしてたら時間は過ぎて、気がついたら18:30!急いでリフォーム屋へ行くと業務時間短縮で閉店…。仕方ないので図書館で本を借りました。今回の茨城の史料として使います。
それにしても改めて現在の鉾田市を見ると旗本の相給地が多いですね。大洗に近いところには守山藩(松川藩)があり、石岡藩の飛び地もあります。水戸藩領はかなり少ないですね。このあたりが天狗党の発生の起因と関係ができるのではないかと思います。
この表が22:30に完成。
しかし、この後、なかなか眠れず、探し物も見つからないままにあきらめて3:00就寝。
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26日
9:00、空腹とメールで起床。入金確認がある。「新選組を歩く」の原稿料です。
11:00、ゆうぱっくが。「千葉の名灸」の校正原稿が届きました。個人的に表紙も気に入っています。なにせ250ページもありますので時間がかかります。八柱一件がケリがついてから送ることになりそうです。ですのでもう少しページが増えそうです。一応予価も3,000円になりました。でも、それでも読み応えはじゅうぶんにあると思います。思えば長かったですね。新たに解った彰義隊部分と八柱一件を絡ませる予定です。
12:00、書留が来る。これも待っていたもので交渉が早くなります。
13:30、家を出発。国立公文書館へ参ります。今回はメインを鈴木大日記に集中して閲覧です。ついでに気になってた多聞櫓文書も含めながら、今回は、なので講演モードの調査となっています。
17:00、同館を辞去。ツタヤに寄って18:30帰宅。郵便物が届く。嵐山町のもので、こんど行く水戸の史料と照合するために必要な書類です。幕臣の家来という立場は当時は裕福な位置にいた方も多かったのですが、明治以降、それらは平民という格に転落し、なおかつ給金をいただいていた主家が没落しますから、主家自体も生活がおぼつかない状況ですから家来は切り捨てられます。それでも東京府に手切れ金を渡す費用を賄って欲しいとの嘆願書が出ています。果して現在追っている西田栄蔵がどのような人生を送ったのか、興味が沸きます。
19:30、鉾田市公民館のYさんより電話。今週末に資料を送ることを約束。それを受けてさっそく年表作りに入る。芹澤鴨の年齢に迷う。浪士組名簿はいろいろあれど、けっこう手本としたものがあり、それにちなんで複製されたものが多いのです。芹澤鴨の年齢は38,34,32歳とするものがあり、このうち一番流布しているのが32歳です。しかし32歳ですと長男の常親の出生に狂いが生じます。13歳で父親というのは無理があるでしょう。戸籍上は祖母が母になっているようですが、当時で40歳を超えた高齢出産はどうかとも思いますので違うでしょう。もしかしたら常親の出生年がもう少し後の可能性もあるかも知れません。
とりあえず90%出来たところで今日はお休み。
明日は頭をシャキっとしたいので睡眠薬を飲み、23:30には就寝いたしました。
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9:00、空腹とメールで起床。入金確認がある。「新選組を歩く」の原稿料です。
11:00、ゆうぱっくが。「千葉の名灸」の校正原稿が届きました。個人的に表紙も気に入っています。なにせ250ページもありますので時間がかかります。八柱一件がケリがついてから送ることになりそうです。ですのでもう少しページが増えそうです。一応予価も3,000円になりました。でも、それでも読み応えはじゅうぶんにあると思います。思えば長かったですね。新たに解った彰義隊部分と八柱一件を絡ませる予定です。
12:00、書留が来る。これも待っていたもので交渉が早くなります。
13:30、家を出発。国立公文書館へ参ります。今回はメインを鈴木大日記に集中して閲覧です。ついでに気になってた多聞櫓文書も含めながら、今回は、なので講演モードの調査となっています。
17:00、同館を辞去。ツタヤに寄って18:30帰宅。郵便物が届く。嵐山町のもので、こんど行く水戸の史料と照合するために必要な書類です。幕臣の家来という立場は当時は裕福な位置にいた方も多かったのですが、明治以降、それらは平民という格に転落し、なおかつ給金をいただいていた主家が没落しますから、主家自体も生活がおぼつかない状況ですから家来は切り捨てられます。それでも東京府に手切れ金を渡す費用を賄って欲しいとの嘆願書が出ています。果して現在追っている西田栄蔵がどのような人生を送ったのか、興味が沸きます。
19:30、鉾田市公民館のYさんより電話。今週末に資料を送ることを約束。それを受けてさっそく年表作りに入る。芹澤鴨の年齢に迷う。浪士組名簿はいろいろあれど、けっこう手本としたものがあり、それにちなんで複製されたものが多いのです。芹澤鴨の年齢は38,34,32歳とするものがあり、このうち一番流布しているのが32歳です。しかし32歳ですと長男の常親の出生に狂いが生じます。13歳で父親というのは無理があるでしょう。戸籍上は祖母が母になっているようですが、当時で40歳を超えた高齢出産はどうかとも思いますので違うでしょう。もしかしたら常親の出生年がもう少し後の可能性もあるかも知れません。
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