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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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1日
 眠れません…(汗)

2:00にはあきらめてブログ用写真をアップロード。3日分記事を入力します。これでブログ記事に追われないで済む…(笑)

6:30ころ就寝。

16:00ころ起床。頭痛が取れません。どうも脳みそが膨らんだように目を奥から押されるような感じを受けます。

 これで起きたらホンの少し楽になってきたので問い合わせやら宅配便の集荷やら、細かいことをやることしきり。食事もしましたが少しムセます。本当は食欲がないけど投薬するためにいただいている悪循環です(汗)

18:30、調べたいことがあるから足立区立中央図書館へ。毎日新聞のバックナンバーがあるのでここで閲覧しました。都新聞は明治23年は前半がなく、毎日新聞のみ閲覧しました。意外に毎日新聞では新島襄の訃報を何回も採りあげています。やはり関東で亡くなったことが影響しているのでしょう。残念ながら八重の項は使えるほどのものはありませんでした。

 あと、会津人名辞典で川崎尚之助の項目をコピー。現状の通説範囲を知りたいからです。あがってきた原稿では小説を引用していたので驚きましたが、千葉さなの例がありますので、慌てません。身体の調子が戻れば国会図書館にも行けるのでそれまで我慢の必要があります。

20:30、スーパーに寄ってから帰宅。細かい作業をしたくとも、頭痛がどうもいけない。継続してるので作業が出来ない。

21:00、「なんでも鑑定団」を流し観。記憶にあるのは観たということだけ。特筆することはなかったようです。

22:00、少し貯まった録画ものを鑑賞。あと「サンドのぼんやり~ぬTV」を。まだ被災地の復旧には時間がかかることを画面で知ることになりました。国会で議論している復興庁も天下り天国となり、途中入庁組とノンキャリアのみハンパなく働かせてキャリア組は前者より多く給料を貰いつつぬくぬくするのでしょう。出向元の利権争いなんかやらかして被災者には目にいかないでしょうね。

 ともかくやることが多いのですが、そんな事情で身体の回復がなければなにも出来ない状態です。なんとか頑張らなければ…。

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ありし日の東京都公文書館
31日
12:00、よく眠れました。副作用以外は頭は楽です。その代わり首から下は昨日の疲労でフラフラです(汗)

 少ししてパソコンを開いたらメールが結構入ってて、それの返信を行いました。最近は携帯で80%以上はネットが見れるので開ける回数が原稿等で開けるときと一緒になっています。ネットだけで開けるのは1日に1回くらいしかありません。

 今日は食事にコンビニで買った限定レトルトの「秋野菜カレー」をいただきました。味はまぁまぁ。肉は一切入っていません。でも中途半端に美味しくない肉が入っているよりはこの方が良いです。野菜よりきのこが多かったような気がします。

14:30、栄養ドリンク×2+栄養剤で身体にターボをかけて少々腹がもたれるくらいになります。少しこなれたところで出かけました。

15:30、身体が身体なので、コンビニに休憩を取りながらゆっくり走らせて東京都公文書館に到着。さすがに本日で今年度は終了ということもあり、来客数が半端じゃありません。過去8年間で最高の人数です(汗)なんとこの日を想定していたらしく、普段は検索専用の端末に臨時のプリンターを接続してありました。また、検索用機械も1台増えています。

 少しして検索機械が開いたので検索開始。最後なので慎重に。と思ったら…再取得しようと思ってた史料を忘れてしまいました(泣)でも仕方ないとあきらめ、16:00には検索機械から帳簿の調査を行い16:10に申請。16:20に原本、マイクロ、紙焼き本が届き、紙焼き本は指定して、マイクロの閲覧を開始します。16:50にマイクロ終了。原本撮影に入ります。残念ながら3年前に修復中の原本は現在も修復出来ておらず断念。残り1冊は撮影を。実は過去に撮影しているのですが、写りが粗いので再撮影でした。

17:00、撮影終了。これで今年度は東京都公文書館とはお別れです。仮移転、あるいは戻ってきて同じレベルになっているかが心配です。そして可哀想なのは閲覧室のスタッフです。閲覧業務がなくなるため本日付けで解雇されます。せっかく覚えて対応もよかったのに残念です。昨年より嘱託から派遣スタッフに代わったのですが、派遣だから簡単に解雇できるということです。残念です。性格の良い方が揃ってました。次の派遣先で厚遇されることを祈っています。過去8年間で嘱託スタッフ含めて一部を除きとても良い方ばかりでした。本当に感謝申し上げます。

 名残惜しいですが、ここでお別れ。最後に光管財がやってくれましたが、まぁ想定内ということで。

 体調が体調なので帰りにスーパーへ寄るだけで18:00、帰宅。

18:20、整形で注射を。しかし激混みで終ったのが19:40、コンビニに寄って帰ったのが20:10。

 この後、「水戸黄門」を鑑賞。時代考証が変だ!と騒ぐ風潮で私もそのひとりですが、水戸黄門は「水戸黄門漫遊記」が原作のフィクションですから実在の人物を使用したフィクションという織り込み済みで観ています。さすがにNHK-BSで放送した「新選組糞尿録」のよに原作さえも破壊して、変えてはいけない史実の捻じ曲げる時代考証は許せませんが。

 で、「TVタックル」を鑑賞してTVは終わり。身体がどうも疲れているので横臥します。眠れれば良いな…と思いましたがそうもいかず、睡眠薬の副作用なのか意識はパッチリです(汗)

 こんな感じで夜は更けていきます。
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30日(つづき)
 なんとかパレードを抜けて一行は小伝馬町方面へ。

 最初に小伝馬町の碑を見学します。牢獄跡より少し離れています。

 ここから信号を渡って少し行くと十思公園があります。つまりここが小伝馬町囚獄跡になります。公園に向かい合うお寺が処刑場の跡で、幕末には吉田松陰や新選組隊士だった大石鍬次郎も処刑されたと思われます。大石については文書の読み違いで代官屋敷で「斬首梟首」と書いてあるのを同場所と誤解したことによります。梟首は代官屋敷でやるかもしれませんが処刑施設のない代官屋敷で行う理由がありません。どのみちここで多く処刑されたことは間違いありません。

 ちなみに怖い話を……


 この十思公園には新設された地下鉄日比谷線小伝馬町駅のエレベーター出口があります。初めてここを訪れる方がいの一番に目に入るのは……。


 これになります(汗)昔「処刑台のエレベーター」という映画がありましたが、ここは処刑場行きのエレベーターですね(汗)

 なお、ここには吉田松陰の供養碑があります。ほかにもいくつか石碑の類があります。

 ここから更に歩きお玉ケ池周辺の史跡を巡ります。弁慶橋跡あたりで雨がポツポツと…。知らなかったのですが、ここの廃材が赤坂の弁慶堀に架かる弁慶橋の材料に使われたそうです。さすがにもう腐ってないでしょうが…。ソンな話で少し盛り上がりました(笑)

 そして千葉周作道場跡へ参ります。実際には神田駅寄りだということを説明いたしました。

 それから一行は神田川の手前の柳森神社へ。私はというと…。


 このコにやられました。にゃ~と呼ばれるモンだからまたたび攻撃してあげたら「触れ」という合図。当然なでなでしてあげました。周囲を眺めるとタイムカプセルが。開ける日は2011年5月ですが開いた形跡はありません。過去に私の母校でもタイムカプセルを作りましたが一切連絡はありません。どうなったことやら…。

 この後、歩きづめなので、橋を渡った先にあった、今ではめずらしきルノアールで休憩。ここでまったりしてから再度出発。コスプレしたオッサンを見つつ(雨が降ったせいで少なかったようです)、講武所稲荷を見学。そして神田明神へ。すると…。


 こんなのがありました。今年は震災の影響で神田祭りは中止しましたが、代替の祭りなのでしょうか?京都の地震を意識して鬼の首と要石を頭に置いた鯰が本殿に並べてありました。鬼の髪の毛が三陸のコンブのように見えますがボア生地の布でした(笑)ここで地震祈願がありました。

 こんな形で歩いているうちに私と友達以外、一行とはぐれる結果に!とりあえず遅れてはいけないと湯島聖堂へ。16:00を過ぎてましたのでお堂は閉まってましたが本堂前には行くことが出来ました。ここと下の門外で一行と合流。追いつこうと目の前の階段を降りて下へ行く。一行はその階段ではない脇の階段で昇るという超ニアミス!!!

 結局追いつけないままにここが解散場所ということでお友達と解散。レジュメにあった懇親会場へ足を運び、なんとか合流。ここで新選組談義で華が咲きました(笑)特に近藤勇の書が実はアレ(内緒)と同一だったとは驚きでした。「幽霊の正体見たり枯お花」ということです。

19:30、駅で解散して20:00帰宅。とにかく今回歩けたのは杖のおかげです。なにしろ階段を昇り降りするのにどれだけ役に立ったか……。老骨に鞭打つのはいやはや勘弁です(汗)

 こんな感じで21:00から「南極大陸」を鑑賞。面白いですね。役者が演技派を揃えています。下手な映画も叶いません。次回も楽しみです。

 さすがに明日、さらに体調を崩してはいけない事情があったので久々に睡眠薬を服用しました。その効果もあり23:30には就寝できていました。

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30日
 なかなか眠れず…。気付いたら5:30(汗)仕方ないから明日(正確にいえば今日)の準備をして6:00、なんとなくクラっと来たのでチャンスとばかり床に入り就寝!

10:47、起床。アラームは9:30にセットされてるのに起きませんでした(汗)うん、しっかり体調は最悪。ジャンキーしまくりなのは言うまでもありません。

 寝る前に準備をして正解でした。さっさと支度して家を出て、図書館へ寄った後に田端駅へ。東京へ着いたのは11:48。運良く快速に乗れたのが助かりました。また今日は体調のことを考えて杖を持参しました。この杖がこの史跡めぐりでは大活躍でした。

 ここで2人ばかり迷い人を拾って12:00ジャストに集合場所に到着。とりあえず他に迷い人がいないかを確認して12:10に出発。


 最初に寄ったのが千葉定吉道場跡(狩野屋敷)です。ここには案内板が設置されています。
 嘉永6年(1853)11月時点にはここに道場がありました。道が拡幅されてますので道路から歩道くらいまでが境界線でしょう。

 とある本にはここを桶町と書いた本がありますが、それはその著者がインチキ(知識不足ではない)しただけです。桶町はここから3町も離れています。ブームになると平気でインチキを書く方がおりますので困ります。インチキの流布では高知県立坂本龍馬記念館の女性の学芸員某さんも同様ですが、それに騙された関係で中央区は誤った文章が当初掲示板に掲示されてしまい、私の指摘でシール貼りされるに至りました。

 ここから少し歩いて本当の桶町道場跡へ参りました。現在は区画が合併してひとつのビルになってしまいましたが、駅と逆側が道場跡と説明しました。千葉十太郎は明治5年(1872)までこの地にいましたが開拓使に出仕したため、養子の東一郎にこの地を譲り、深川富川町へ引越します。

 ここから中央通りを歩きます。するとトンでもないことに!


 そうなんです。きょうは日本橋百年祭だったのです。最初はクラシックカーの行進から始まり、バンド隊、武者隊、八木節隊、相馬野馬追隊等、さまざまな集団がパレードを開始したのです。いやはや…これに釣られて史跡めぐりの一団の足が遅くなること……。なにせ日本橋三越前を抜けるまでに1時間はかかったと思います。面白いことは面白いのですが、本来の趣旨とはずれてしまうので主催側はあせります。

 こんな感じで最初はサプライズがありました。

(続く)
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29日
 少し眠れそうな雰囲気になったので2:00に床へ入ったところ運良く就寝できました。

12:00、起床。頭のみすっきりしてますが、少しして熱は出てきます。

14:00、うな万でHさんと待ち合わせ。食事しながら各種打ち合わせを行いました。建設的な、くねくね的な、いくつもの議論が出ました。

15:30、河岸を変えて違う場所で議論。途中ネコを見つけて議論を中断、いけない、いけない…。

 各種お話しいたしました。くねくねした史観ではなく、しっかりとした意識をもった信念を通す、そのためには史料収集にはかかせないと感じました。

 気付けば19:00!!迷惑かけました(汗)さっさと退却。帰宅すると熱…(汗)速攻でダウン…。

21:00、ドラマを鑑賞。ずいぶん滅茶苦茶な展開ですが、中村梅雀が天才なのでツイ観てしまいます。

 で、重ねて斗南藩関係の資料を見る。なかなか適材なものはないものです。

 それと、またWikipediaに拙ブログの無意味な部分のリンクを貼ってる御仁がいました。迷惑ですが、私自らがWikiで訂正するのは嫌なので放置しています。たぶん文意もかなりおかしくなってますから誰かが修正するものと思いますが、もうずいぶん貼られているようです。

 どのみと、どうも調子が悪いだけでなく、明日の件もあるので早めに就寝しようと努力します(汗)

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