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25日
5:04、ムーンライトえちごは池袋着。ここから山手線→地下鉄と乗り継いで町屋駅には5:30ころ到着。バスで帰ろうと思いネットカフェで休憩…してたら時間がかかりバスに行かれてしまい、結局タクシーで帰宅。
帰宅すればするでいくつもの書翰が届いており、それに目を通します。重要なものもあるのでけっこう時間がかかりました。
そして…会津で確か、市史編纂室へ26日に行く約束をしてしまったか不安になり連絡すると来意が告げられていることがわかりました(汗)個人的にやりたいこともありましたので、この時点で26日の会津行きが確定しました(汗)
せっかくなので米沢にも連絡して、出稼戸籍簿に登場する内藤新一郎の史料のレファレンスを行い、コチラにも行くことに。駅から徒歩では難しくても、バスが直近にあることを確認。それと1時間に1本はあるようです。
ということをやってましたが午前中には夜行列車の疲労がピークに達しダウン!昼過ぎまで寝ていました。
で、夜からは宿の手配やブログ記事の作成、細かいことをいたします。特に会津へは油断して確認しなかった史料を見直して再取得するためにチェックをします。これでけっこう時間がかかっています。
一応、運が良かったのは、今回21日より旅行した切符が北海道&東日本パスだったことに拠ります。有効期限が7日間なので26、27日の利用が可能です。意外に東京から会津は近いので、鈍行でも十分です。その代わり時刻表とにらめっこ。行動予定表を作成します。ただ、午前中に試衛館稲荷の鍵の受取と下見があるので宇都宮→新白河は自動的に新幹線となりました。それでもオレカと併用します。
夜、電話があり、その間に年賀状作製。けっこうな量になり、手差しより自動印刷の方が効率よいことが解り、その方向で約120枚を印字。その後、買出し。バタバタしています。それでも今年の年賀ハガキはほぼ終了いたしました。
その後、取ってきたデータの一部をもうCD-Rに移します。そうしないとけっこうな量ですのでパソコンの動きが悪くなります。この作業にかなりの時間を費やしました。
で、再度留守にすることは突然の結論でしたので関係各所に連絡。とにかく時間がかかります。ついでにザッと今回の取材成果も確認して出力。
そうこうしているうちに時刻は0:00を回り、急いでメールして、さっさと準備も終了。0:30には就寝しました。

よろしければクリックご御力お願いします

5:04、ムーンライトえちごは池袋着。ここから山手線→地下鉄と乗り継いで町屋駅には5:30ころ到着。バスで帰ろうと思いネットカフェで休憩…してたら時間がかかりバスに行かれてしまい、結局タクシーで帰宅。
帰宅すればするでいくつもの書翰が届いており、それに目を通します。重要なものもあるのでけっこう時間がかかりました。
そして…会津で確か、市史編纂室へ26日に行く約束をしてしまったか不安になり連絡すると来意が告げられていることがわかりました(汗)個人的にやりたいこともありましたので、この時点で26日の会津行きが確定しました(汗)
せっかくなので米沢にも連絡して、出稼戸籍簿に登場する内藤新一郎の史料のレファレンスを行い、コチラにも行くことに。駅から徒歩では難しくても、バスが直近にあることを確認。それと1時間に1本はあるようです。
ということをやってましたが午前中には夜行列車の疲労がピークに達しダウン!昼過ぎまで寝ていました。
で、夜からは宿の手配やブログ記事の作成、細かいことをいたします。特に会津へは油断して確認しなかった史料を見直して再取得するためにチェックをします。これでけっこう時間がかかっています。
一応、運が良かったのは、今回21日より旅行した切符が北海道&東日本パスだったことに拠ります。有効期限が7日間なので26、27日の利用が可能です。意外に東京から会津は近いので、鈍行でも十分です。その代わり時刻表とにらめっこ。行動予定表を作成します。ただ、午前中に試衛館稲荷の鍵の受取と下見があるので宇都宮→新白河は自動的に新幹線となりました。それでもオレカと併用します。
夜、電話があり、その間に年賀状作製。けっこうな量になり、手差しより自動印刷の方が効率よいことが解り、その方向で約120枚を印字。その後、買出し。バタバタしています。それでも今年の年賀ハガキはほぼ終了いたしました。
その後、取ってきたデータの一部をもうCD-Rに移します。そうしないとけっこうな量ですのでパソコンの動きが悪くなります。この作業にかなりの時間を費やしました。
で、再度留守にすることは突然の結論でしたので関係各所に連絡。とにかく時間がかかります。ついでにザッと今回の取材成果も確認して出力。
そうこうしているうちに時刻は0:00を回り、急いでメールして、さっさと準備も終了。0:30には就寝しました。
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24日
7:00、起床。よく眠れました。
8:50、タクシ-で図書館へ。7分ほどで到着しました。
9:00、あらかじめ約束しておりました松平家文書等の閲覧を開始します。とにかく流れ作業で必要な場所を探します。探してるうちに…。
エッ…、田中左内って田中土佐と関係ないじゃん!!とか分かったりショックと事実を受け止めたりと、閲覧作業は続きます。意外に山本家より川崎家の方が見つかりました。それと芹澤家に家伝の製法を乞うた鈴木三省なんかもいました。
きっちり10:30に終了。丁重に御礼を述べた後、辞去。ここから徒歩3分の神明通りバス停に向かいます。ここから新潟行きのバスに乗車します。数日前のブログでも触れましたが故斎藤清氏の通夜に参列するためです。残念ながら通夜の読経には間に合いませんが、会場で手を合わせることは出来るであろうと、私に出来るせめてものことです。
10:40、雪のせいで少し遅れてバスが到着。乗り込んで新潟駅に向かいます。
ここで奇跡が起きました。
このバスの新潟駅到着予定は12:36。羽越本線を発車する特急いなほが発車するのが12:30。予定では13:40の鈍行の予定でした。
なんと新潟に12:24に到着したのです。そしてすぐの歩行者信号も青!これはなにかの導きではないかと感じ、急いで切符売り場へ。
12:30、奇跡的に特急「いなほ」に乗車することが出来ました。バスに感謝を述べるとともに奇跡を感謝いたします。これで通夜の開始時刻に間に合います。


13:20、村上着。13:37の当駅発の鈍行に乗車します。直近の鶴岡へ行っても結局はこの列車に乗り換えることになるからです。ちなみに懐かしい汽車でした。足下の段の上に缶コーヒーを載せておけば保温してくれる懐かしい車輌です。奥に写っているのはザ・マニアです。

こうして羽越本線を北上しますと日本海が見えてきます。今日は大雪警報が出ている日ですから日本海の波しぶきも半端ではありません。東映のオープニングクレジットを彷彿とさせる光景でした。

そして列車が山形県に入ると一気に吹雪が始まり、視界不良が起きました。大雪警報はダテではありません。スピードが出ていませんから心配はありませんが、外にはいたくない光景が拡がっております。
15:28、藤島駅着。ここで交友のある加藤淳さんと合流しました。元祥伝社の編集長を務められた方です。ほかにも1名一緒のようでしたのでお誘いして3名で通夜の会場へ。
16:00、通夜が始まりました。曹洞宗ですが、私の知る形式とは違い、地域の風習を感じます。その分、故斎藤館長の思い出が蘇ります。というか、なんか住職の脇に見えたような……(汗)。大往生だったようで苦しまなかったことを聞いて少し安堵いたしました。ただとても残念です。来年に控えた行事に身命を賭して半ばに逝かれたことを本当に悔やみます。この方がいなければ本当に清河八郎の汚名返上は難しかったでしょう。若いころは清河八郎を真似て睡眠3時間を徹底したことがある方で、お話しには本当に重みのある方でした。おざなりな言葉でしか言えませんが、本当に惜しい人物を失いました。
17:00、読経も終わり、故人を語る会で食事を。故人を偲びながら話に耽りました。
18:00、加藤さんと一緒に鶴岡駅へ。その後、私の列車の待ち時刻を気に掛けてくださった加藤さんの好意でご一緒に会食いたしました。お世話になりありがとうございました。
20:19、鶴岡駅を発車。あたりは完全に暗闇で窓に当たる雪だけが見える景色です。暖かかったので転寝してたら22:02、ホンの少し遅れて列車が村上駅に到着しました。ここで再度鈍行列車に乗換えです。ロングシートでなかったのは幸いでした。ちなみに村上駅構内は売店も閉店して周囲に開いている店は一軒もなし。吹雪が町を漆黒と白のコントラストに染めています。
22:21、列車が発車。やはり吹雪で少し遅れています。新潟に到着したのは23:33。次に乗り換える「ムーンライトえちご」の3分前です。さすがに乗り過ごしたら大変と、すぐに車輌に乗車し、移動が終わり席に到着した時点で発車。さすがに飲み物を買う暇もありませんでしたので、次の新津で飲み物を購入。

ついでにパシャリ。この列車に乗ってようやく帰路に着くことが出来ました。

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7:00、起床。よく眠れました。
8:50、タクシ-で図書館へ。7分ほどで到着しました。
9:00、あらかじめ約束しておりました松平家文書等の閲覧を開始します。とにかく流れ作業で必要な場所を探します。探してるうちに…。
エッ…、田中左内って田中土佐と関係ないじゃん!!とか分かったりショックと事実を受け止めたりと、閲覧作業は続きます。意外に山本家より川崎家の方が見つかりました。それと芹澤家に家伝の製法を乞うた鈴木三省なんかもいました。
きっちり10:30に終了。丁重に御礼を述べた後、辞去。ここから徒歩3分の神明通りバス停に向かいます。ここから新潟行きのバスに乗車します。数日前のブログでも触れましたが故斎藤清氏の通夜に参列するためです。残念ながら通夜の読経には間に合いませんが、会場で手を合わせることは出来るであろうと、私に出来るせめてものことです。
10:40、雪のせいで少し遅れてバスが到着。乗り込んで新潟駅に向かいます。
ここで奇跡が起きました。
このバスの新潟駅到着予定は12:36。羽越本線を発車する特急いなほが発車するのが12:30。予定では13:40の鈍行の予定でした。
なんと新潟に12:24に到着したのです。そしてすぐの歩行者信号も青!これはなにかの導きではないかと感じ、急いで切符売り場へ。
12:30、奇跡的に特急「いなほ」に乗車することが出来ました。バスに感謝を述べるとともに奇跡を感謝いたします。これで通夜の開始時刻に間に合います。
13:20、村上着。13:37の当駅発の鈍行に乗車します。直近の鶴岡へ行っても結局はこの列車に乗り換えることになるからです。ちなみに懐かしい汽車でした。足下の段の上に缶コーヒーを載せておけば保温してくれる懐かしい車輌です。奥に写っているのはザ・マニアです。
こうして羽越本線を北上しますと日本海が見えてきます。今日は大雪警報が出ている日ですから日本海の波しぶきも半端ではありません。東映のオープニングクレジットを彷彿とさせる光景でした。
そして列車が山形県に入ると一気に吹雪が始まり、視界不良が起きました。大雪警報はダテではありません。スピードが出ていませんから心配はありませんが、外にはいたくない光景が拡がっております。
15:28、藤島駅着。ここで交友のある加藤淳さんと合流しました。元祥伝社の編集長を務められた方です。ほかにも1名一緒のようでしたのでお誘いして3名で通夜の会場へ。
16:00、通夜が始まりました。曹洞宗ですが、私の知る形式とは違い、地域の風習を感じます。その分、故斎藤館長の思い出が蘇ります。というか、なんか住職の脇に見えたような……(汗)。大往生だったようで苦しまなかったことを聞いて少し安堵いたしました。ただとても残念です。来年に控えた行事に身命を賭して半ばに逝かれたことを本当に悔やみます。この方がいなければ本当に清河八郎の汚名返上は難しかったでしょう。若いころは清河八郎を真似て睡眠3時間を徹底したことがある方で、お話しには本当に重みのある方でした。おざなりな言葉でしか言えませんが、本当に惜しい人物を失いました。
17:00、読経も終わり、故人を語る会で食事を。故人を偲びながら話に耽りました。
18:00、加藤さんと一緒に鶴岡駅へ。その後、私の列車の待ち時刻を気に掛けてくださった加藤さんの好意でご一緒に会食いたしました。お世話になりありがとうございました。
20:19、鶴岡駅を発車。あたりは完全に暗闇で窓に当たる雪だけが見える景色です。暖かかったので転寝してたら22:02、ホンの少し遅れて列車が村上駅に到着しました。ここで再度鈍行列車に乗換えです。ロングシートでなかったのは幸いでした。ちなみに村上駅構内は売店も閉店して周囲に開いている店は一軒もなし。吹雪が町を漆黒と白のコントラストに染めています。
22:21、列車が発車。やはり吹雪で少し遅れています。新潟に到着したのは23:33。次に乗り換える「ムーンライトえちご」の3分前です。さすがに乗り過ごしたら大変と、すぐに車輌に乗車し、移動が終わり席に到着した時点で発車。さすがに飲み物を買う暇もありませんでしたので、次の新津で飲み物を購入。
ついでにパシャリ。この列車に乗ってようやく帰路に着くことが出来ました。
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23日
6:00、起床。マッサージと温泉効果もあり楽になっています。
お風呂とマッサージ機と朝食とで8:00に。待たせてあるタクシーで松島駅…の予定が強風とのことで松島海岸駅に。すると仙石線は震災の影響で本数も少なく、また東北本線は強風ですが普通に動くということで急遽松島駅に引き返します。お金は損しましたが、往復で松島の風景を見れたからヨシとしましょう。
8:17、東北本線に乗車。1区間だけヤケに長いと思ったら震災と台風の影響で徐行区間になっていることを知りました。明らかに津波で流されてきたであろうボートや、塩水を含んで割れた土壌、補修も痛々しい土嚢の山が印象的でした。
8:33、岩切で乗換え、8:39発の福島行きに乗車します。この間晴れたり降雪があったりと激しい天気でした。
10:15、福島到着。急いで新幹線ホームへ。こういうときに限って到着ホームが一番遠い1番線でしたので足が釣りかけました(汗)あらかじめ購入している切符を通し、ギリギリ10秒で乗車成功♪自由席まで移動します。

ちなみにこの列車は本来売店があるのですが、ご覧のように辞めてしまいました。食堂車の廃止、ビュッフェの廃止と来て、ついに売店の廃止も進んでいます。供食サービスがなくなるのは寂しいものです。
閑話休題、
ここで息を整えながら、ようやく楽になった10:35に郡山到着。ここから磐越西線のあいづライナーに乗り換えます。グレードは特急電車を更に席間隔を拡げたくつろぎスタイルです。これが無料で乗れるのですからありがたいものです。ちなみに指定席もありますが席のグレードが同じで、座れるので自由席で結構です。
10:46、郡山を出発、磐梯熱海を過ぎたあたりから吹雪です(汗)それでも定刻通り11:53、会津若松駅に到着。

宿泊予定のホテルに荷物を預け、ハイカラさんに乗車して大町町方伝承館で下車。

ここから少し戻り、4月には廃墟だったパーラーキャンドルへ。

店内は6月に改葬OPENしただけあってどこも綺麗です。父親の逝去したため、跡を引き継いだ息子さんが経営しています。せっかくなので会津名物ソースカツ丼を注文。

うわぁ!デカい。ひと切れいただいただけではなかなかご飯に到達できません。七日町のお店との違いは漬け込みの有無だと思いますが、コチラはカツのザクザク感が味わえます。800円也。
じゅうぶん堪能しまして辞去。会津情報プラザで懇意にしているSさんと再会。ずいぶん話し込みました。長々と失礼いたしました。
15:17、ハイカラさんに再度乗車して市役所前下車。ここから少し戻り稽古堂に移転した会津図書館へ参りました。ここで史料の閲覧をしますが少しトラブルが発生。まぁ、窓口の方が直接の責任がある訳ではないので怒ることはせず、効率よく作業しました。
18:00、図書館の閉館とともに辞去。バス停に行くともう終わりでした(汗)

ただ、余裕がある分市役所庁舎を眺めることが出来ました。クラシカルな役所にマッチしています。
ここからタクシーを拾い、駅へ。ホテルに入りくつろいでいると図書館より電話が。見れないといってた文書が実はあったとのこと。当初はあきらめていたのですが、翌日、汽車をバスに変えて10:30まで時間を作ることに。
20:00、はじめて3階の中華料理屋で食事。意外に美味で安価。店はけっこう繁昌していましてその理由が解りました。
こうして部屋に戻り、準備やらなにかで時間も過ぎ、電話をしつつ、22:00就寝。

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6:00、起床。マッサージと温泉効果もあり楽になっています。
お風呂とマッサージ機と朝食とで8:00に。待たせてあるタクシーで松島駅…の予定が強風とのことで松島海岸駅に。すると仙石線は震災の影響で本数も少なく、また東北本線は強風ですが普通に動くということで急遽松島駅に引き返します。お金は損しましたが、往復で松島の風景を見れたからヨシとしましょう。
8:17、東北本線に乗車。1区間だけヤケに長いと思ったら震災と台風の影響で徐行区間になっていることを知りました。明らかに津波で流されてきたであろうボートや、塩水を含んで割れた土壌、補修も痛々しい土嚢の山が印象的でした。
8:33、岩切で乗換え、8:39発の福島行きに乗車します。この間晴れたり降雪があったりと激しい天気でした。
10:15、福島到着。急いで新幹線ホームへ。こういうときに限って到着ホームが一番遠い1番線でしたので足が釣りかけました(汗)あらかじめ購入している切符を通し、ギリギリ10秒で乗車成功♪自由席まで移動します。
ちなみにこの列車は本来売店があるのですが、ご覧のように辞めてしまいました。食堂車の廃止、ビュッフェの廃止と来て、ついに売店の廃止も進んでいます。供食サービスがなくなるのは寂しいものです。
閑話休題、
ここで息を整えながら、ようやく楽になった10:35に郡山到着。ここから磐越西線のあいづライナーに乗り換えます。グレードは特急電車を更に席間隔を拡げたくつろぎスタイルです。これが無料で乗れるのですからありがたいものです。ちなみに指定席もありますが席のグレードが同じで、座れるので自由席で結構です。
10:46、郡山を出発、磐梯熱海を過ぎたあたりから吹雪です(汗)それでも定刻通り11:53、会津若松駅に到着。
宿泊予定のホテルに荷物を預け、ハイカラさんに乗車して大町町方伝承館で下車。
ここから少し戻り、4月には廃墟だったパーラーキャンドルへ。
店内は6月に改葬OPENしただけあってどこも綺麗です。父親の逝去したため、跡を引き継いだ息子さんが経営しています。せっかくなので会津名物ソースカツ丼を注文。
うわぁ!デカい。ひと切れいただいただけではなかなかご飯に到達できません。七日町のお店との違いは漬け込みの有無だと思いますが、コチラはカツのザクザク感が味わえます。800円也。
じゅうぶん堪能しまして辞去。会津情報プラザで懇意にしているSさんと再会。ずいぶん話し込みました。長々と失礼いたしました。
15:17、ハイカラさんに再度乗車して市役所前下車。ここから少し戻り稽古堂に移転した会津図書館へ参りました。ここで史料の閲覧をしますが少しトラブルが発生。まぁ、窓口の方が直接の責任がある訳ではないので怒ることはせず、効率よく作業しました。
18:00、図書館の閉館とともに辞去。バス停に行くともう終わりでした(汗)
ただ、余裕がある分市役所庁舎を眺めることが出来ました。クラシカルな役所にマッチしています。
ここからタクシーを拾い、駅へ。ホテルに入りくつろいでいると図書館より電話が。見れないといってた文書が実はあったとのこと。当初はあきらめていたのですが、翌日、汽車をバスに変えて10:30まで時間を作ることに。
20:00、はじめて3階の中華料理屋で食事。意外に美味で安価。店はけっこう繁昌していましてその理由が解りました。
こうして部屋に戻り、準備やらなにかで時間も過ぎ、電話をしつつ、22:00就寝。
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22日
5:42、定刻より2分遅れて「はまなす」到着。駅の外に出てみるとファミマがあったのでそこで朝食を購入。
6:34、青い森鉄道の快速で野辺地へ。車内はけっこう混んでいます。ちなみに景色は黒一色で外の景色は見えません。
7:12、野辺地到着。まだ大湊線は到着しておりませんが晴れてきました。少し安堵です。

ちなみにここは少し捻れておりまして、JR線が分断され、大湊線がJRのままになっています。ですので普通に乗ると双方の鉄道の切符が必要になります。

7:28、大湊行きの列車が到着。雪国らしい雰囲気に装飾されています。この車内でまったりしながら発車を待ちます。
7:58、大湊線が発車します。のんびりとしたローカル線の車窓の左手にはむつ湾が拡がります。
8:55、下北着。なにもない単線の駅ですが、ここの乗降は多いと思います。さっそく雪の路面で荷物に難渋しながらレンタカーの手続きを。はっきりいってこの季節に斗南の史跡を巡るには100%車でないと無理です。凍死覚悟の行軍は絶対避けるべきです。
9:20、法務局着。斗南岡の土地台帳を閲覧します。明治20年代でもう5戸しか斗南藩士がいないのは絶句とも言えます。かなりの入植だったはずなのですが……。

その後、図書館に寄るも休みなので、柴五郎の仮宅跡地へ。なにが凄いというと、その看板に到るまで、足跡はおろか動物の足跡さえもありませんでした。何故か自転車の轍のみあったのがなおさら不気味でした。

この後、斗南藩史跡地へ。ここでトラブルが!車が雪溜まりに入り身動き不能に!!そのためJAFを呼んだのですが、車内では電波が届かず、約30mを電波を気にしながら連絡する破目に!
11:30、思ったより早くJAF到着。すぐに脱出。御礼とともに史跡地の近くに会社がるということで場所を教えていただきました。
11:50、再度JAFから電話。道を間違って教えたとかで心配して連絡いただけました。むつの方々はやさしい方が多いと実感したその2でした。実はJAFが来る前に通りがかりの方が助けの手を差し伸べていただいておりました。JAFを呼んでいたので丁重にお断りいたしましたが、こうした心遣いは感動します。

ちなみに行きにチラ見して寄ろうと思ってた「まさかりプラザ」で休憩と昼食をいただきました。9月にいただいた貝焼き定食ですが、ここの方が中身にバリエーションがあります。ここで椀物をひっくり返してしまい、ご迷惑をかけてしまうことに!笑顔で作業していただき感謝と思ったら、椀物を新しく出していただきました。さりげない心遣いがこのむつ市にはあります。外は寒くても心を暖めてくれます。

ここから教えていただいた円通寺へ。そこに隣接している玄徳寺も斗南藩史跡地です。

知らなかったのですが、ここは映画監督川島雄三の菩提寺だったのですね。今村昌平の師匠でもあり、コメディ映画ではキテレツな作品で記憶に残る方です。代表作は「幕末太陽傳」ですが、私は「特急にっぽん」が好きです。絶対にTVでは放映できませんが(汗)
ここから斗南藩上陸の地へ向かいます。本当に車でないとダメですね。場所は大湊駅の近くです。ここでプチなトラブルが。すぐそばに自販機があり、カフェオレを飲もうとボタンを押しても出てこない、何度か押したら衝撃なのか、隣のコーンスープが出てきました(汗)斗南藩史跡地と言い、なにか斗南藩の鈍呪いがあるようです。
で、時間になったので車を返し、下北駅へ。乗車数が圧倒的に多く、本数の少なさの比例になっています。おかげで14:07の快速は100%以上の乗車率でした。野辺地で人が入れ替わりましたが100%未満になった程度で、三沢で更に乗客は増えて再度100%超えの乗車率となりました。
15:53、八戸着。時間短縮のため、ここで新幹線に乗車します…がJRの乗車券がみどりの窓口でしか買えません。この日は日本海回りの列車が運休したのでみどりの窓口はパニック状態でした。改札で事情を話したら後精算でOKとなり、新幹線に乗車。この区間は全車指定ですが、盛岡までなら特例として立席特急券が発券されます。つまり空いている席に座れる訳です。なので一番前の席が空いていたのでついでに充電を。
16:33、盛岡到着。すでに一ノ関行きの電車が到着しているので乗車。ロングシートです(汗)これってけっこう疲労が蓄積するのです。この車内でまったりしてたらラッシュの時間帯ということもあって、満員状態に。車内で待っていて正解でした(汗)
17:00、電車は出発。すでに暗闇ですので車窓は楽しめず。18:34、一ノ関着。19:00発の電車が到着してますのでそのまま乗車。車内には自由奔放なじぃさまが寝ておりました。ちなみにこの列車もロングシートでしたので、女学生はそのじぃさまを汚物を見るような目で通り過ぎます。ちなみにホームレスではないのでフレーバーはありません。
20:20、少し遅れて松島到着。迷わずタクシーに乗車してホテル着。ホテルの説明では徒歩15分ですが絶対に到達できない距離でしたのでタクシーで正解でした。
ここは温泉もあるのでまったりしながらマッサージもして疲れを取り、23:00、ようやく就寝。昨日の疲れもあり、これまた気絶状態でした。

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5:42、定刻より2分遅れて「はまなす」到着。駅の外に出てみるとファミマがあったのでそこで朝食を購入。
6:34、青い森鉄道の快速で野辺地へ。車内はけっこう混んでいます。ちなみに景色は黒一色で外の景色は見えません。
7:12、野辺地到着。まだ大湊線は到着しておりませんが晴れてきました。少し安堵です。
ちなみにここは少し捻れておりまして、JR線が分断され、大湊線がJRのままになっています。ですので普通に乗ると双方の鉄道の切符が必要になります。
7:28、大湊行きの列車が到着。雪国らしい雰囲気に装飾されています。この車内でまったりしながら発車を待ちます。
7:58、大湊線が発車します。のんびりとしたローカル線の車窓の左手にはむつ湾が拡がります。
8:55、下北着。なにもない単線の駅ですが、ここの乗降は多いと思います。さっそく雪の路面で荷物に難渋しながらレンタカーの手続きを。はっきりいってこの季節に斗南の史跡を巡るには100%車でないと無理です。凍死覚悟の行軍は絶対避けるべきです。
9:20、法務局着。斗南岡の土地台帳を閲覧します。明治20年代でもう5戸しか斗南藩士がいないのは絶句とも言えます。かなりの入植だったはずなのですが……。
その後、図書館に寄るも休みなので、柴五郎の仮宅跡地へ。なにが凄いというと、その看板に到るまで、足跡はおろか動物の足跡さえもありませんでした。何故か自転車の轍のみあったのがなおさら不気味でした。
この後、斗南藩史跡地へ。ここでトラブルが!車が雪溜まりに入り身動き不能に!!そのためJAFを呼んだのですが、車内では電波が届かず、約30mを電波を気にしながら連絡する破目に!
11:30、思ったより早くJAF到着。すぐに脱出。御礼とともに史跡地の近くに会社がるということで場所を教えていただきました。
11:50、再度JAFから電話。道を間違って教えたとかで心配して連絡いただけました。むつの方々はやさしい方が多いと実感したその2でした。実はJAFが来る前に通りがかりの方が助けの手を差し伸べていただいておりました。JAFを呼んでいたので丁重にお断りいたしましたが、こうした心遣いは感動します。
ちなみに行きにチラ見して寄ろうと思ってた「まさかりプラザ」で休憩と昼食をいただきました。9月にいただいた貝焼き定食ですが、ここの方が中身にバリエーションがあります。ここで椀物をひっくり返してしまい、ご迷惑をかけてしまうことに!笑顔で作業していただき感謝と思ったら、椀物を新しく出していただきました。さりげない心遣いがこのむつ市にはあります。外は寒くても心を暖めてくれます。
ここから教えていただいた円通寺へ。そこに隣接している玄徳寺も斗南藩史跡地です。
知らなかったのですが、ここは映画監督川島雄三の菩提寺だったのですね。今村昌平の師匠でもあり、コメディ映画ではキテレツな作品で記憶に残る方です。代表作は「幕末太陽傳」ですが、私は「特急にっぽん」が好きです。絶対にTVでは放映できませんが(汗)
ここから斗南藩上陸の地へ向かいます。本当に車でないとダメですね。場所は大湊駅の近くです。ここでプチなトラブルが。すぐそばに自販機があり、カフェオレを飲もうとボタンを押しても出てこない、何度か押したら衝撃なのか、隣のコーンスープが出てきました(汗)斗南藩史跡地と言い、なにか斗南藩の鈍呪いがあるようです。
で、時間になったので車を返し、下北駅へ。乗車数が圧倒的に多く、本数の少なさの比例になっています。おかげで14:07の快速は100%以上の乗車率でした。野辺地で人が入れ替わりましたが100%未満になった程度で、三沢で更に乗客は増えて再度100%超えの乗車率となりました。
15:53、八戸着。時間短縮のため、ここで新幹線に乗車します…がJRの乗車券がみどりの窓口でしか買えません。この日は日本海回りの列車が運休したのでみどりの窓口はパニック状態でした。改札で事情を話したら後精算でOKとなり、新幹線に乗車。この区間は全車指定ですが、盛岡までなら特例として立席特急券が発券されます。つまり空いている席に座れる訳です。なので一番前の席が空いていたのでついでに充電を。
16:33、盛岡到着。すでに一ノ関行きの電車が到着しているので乗車。ロングシートです(汗)これってけっこう疲労が蓄積するのです。この車内でまったりしてたらラッシュの時間帯ということもあって、満員状態に。車内で待っていて正解でした(汗)
17:00、電車は出発。すでに暗闇ですので車窓は楽しめず。18:34、一ノ関着。19:00発の電車が到着してますのでそのまま乗車。車内には自由奔放なじぃさまが寝ておりました。ちなみにこの列車もロングシートでしたので、女学生はそのじぃさまを汚物を見るような目で通り過ぎます。ちなみにホームレスではないのでフレーバーはありません。
20:20、少し遅れて松島到着。迷わずタクシーに乗車してホテル着。ホテルの説明では徒歩15分ですが絶対に到達できない距離でしたのでタクシーで正解でした。
ここは温泉もあるのでまったりしながらマッサージもして疲れを取り、23:00、ようやく就寝。昨日の疲れもあり、これまた気絶状態でした。
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21日
史料作製に追われに追われ、終了したのが2:20!速攻で2:30には就寝。
4:00、起床。お風呂や準備で5:00出発。タクシーに乗って北千住に5:20に到着。ちょうど空港バスが到着したところでした。
5:30、空港バス出発。6:05、羽田第一ターミナルに到着。さっそくゲートを潜り、マッサージ機で癒された後、バスで移動するため下の階へ。

6:55、初めて定刻通りスカイマークは羽田を飛び立ち、8:30、無事千歳空港に到着。気温は-7度。覚悟はしてましたがさすが北海道。8:49の快速に乗車、前回と同じUシートに乗車するも、コンセントはなし。どうやら旭川発着の快速のみの設定だそうです。
9:25、無事に札幌駅に到着。さっそくそのまま北海道立文書館へ直行。あらかじめ用意していただいた文書を閲覧、撮影します。今回の史料は補足に十分なものでした。欲張りな部分はダメでしたが確実視していたものはバッチリです。今回もかなりの枚数に達し、全部の撮影が終了した時点でカメラのバッテリーがご臨終……危ない危ない(汗)
ちょうどこのころに新聞社の方がお越しになり少し雑談。執筆担当の方はいったん社に戻ります。
それからようやくマイクロの複写が出来ました。合計70枚。1枚66円!!!知らなかった…。でも必要なのでヨシとしましょう。京都よりは高くありません。少し雑談して17:00を少し過ぎたくらいに辞去。今回まで効率よく作業できたのは閲覧係のKさんのおかげです。ここに感謝の辞を述べたいと思います。
そしてさきほどの新聞社の方とドッキング。お茶をしながらお仕事の話をしながら、そして食事に入り、雑談に華が咲き、とても楽しいひとときを送ることが出来ました。本当にありがとうございます。
最後に駅中で写真撮影があり、それが終ると駅改札で別れます。すでに本日乗車予定の急行「はまなす」が到着しています。けっこう遠かったので歩きに歩き、ようやく1号車に乗車。B寝台に腰を下ろします。

この急行はまなすは座席車と桟敷車があり、特に桟敷車は超人気なのだそうです。私は若くないので無難にB寝台です(笑)この列車の良いのは自販機があることですね。このくらいはないと寂しいです。そして国鉄のような往年の11輌という長さ。たぶん明日に向けた編成なのでしょう。B寝台自体はガラガラでした。この列車が唯一の急行列車(急行電車はありますが急行列車はこれのみです)で、青森を往復します。
バタバタしたので寝る前に発車。ようやく落ち着いて22:30に気絶するほどに眠りに落ちました。

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史料作製に追われに追われ、終了したのが2:20!速攻で2:30には就寝。
4:00、起床。お風呂や準備で5:00出発。タクシーに乗って北千住に5:20に到着。ちょうど空港バスが到着したところでした。
5:30、空港バス出発。6:05、羽田第一ターミナルに到着。さっそくゲートを潜り、マッサージ機で癒された後、バスで移動するため下の階へ。
6:55、初めて定刻通りスカイマークは羽田を飛び立ち、8:30、無事千歳空港に到着。気温は-7度。覚悟はしてましたがさすが北海道。8:49の快速に乗車、前回と同じUシートに乗車するも、コンセントはなし。どうやら旭川発着の快速のみの設定だそうです。
9:25、無事に札幌駅に到着。さっそくそのまま北海道立文書館へ直行。あらかじめ用意していただいた文書を閲覧、撮影します。今回の史料は補足に十分なものでした。欲張りな部分はダメでしたが確実視していたものはバッチリです。今回もかなりの枚数に達し、全部の撮影が終了した時点でカメラのバッテリーがご臨終……危ない危ない(汗)
ちょうどこのころに新聞社の方がお越しになり少し雑談。執筆担当の方はいったん社に戻ります。
それからようやくマイクロの複写が出来ました。合計70枚。1枚66円!!!知らなかった…。でも必要なのでヨシとしましょう。京都よりは高くありません。少し雑談して17:00を少し過ぎたくらいに辞去。今回まで効率よく作業できたのは閲覧係のKさんのおかげです。ここに感謝の辞を述べたいと思います。
そしてさきほどの新聞社の方とドッキング。お茶をしながらお仕事の話をしながら、そして食事に入り、雑談に華が咲き、とても楽しいひとときを送ることが出来ました。本当にありがとうございます。
最後に駅中で写真撮影があり、それが終ると駅改札で別れます。すでに本日乗車予定の急行「はまなす」が到着しています。けっこう遠かったので歩きに歩き、ようやく1号車に乗車。B寝台に腰を下ろします。
この急行はまなすは座席車と桟敷車があり、特に桟敷車は超人気なのだそうです。私は若くないので無難にB寝台です(笑)この列車の良いのは自販機があることですね。このくらいはないと寂しいです。そして国鉄のような往年の11輌という長さ。たぶん明日に向けた編成なのでしょう。B寝台自体はガラガラでした。この列車が唯一の急行列車(急行電車はありますが急行列車はこれのみです)で、青森を往復します。
バタバタしたので寝る前に発車。ようやく落ち着いて22:30に気絶するほどに眠りに落ちました。
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