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28日
11:00ころ起床ってか覚えてません…(汗)なにせ昨日の米沢が堪えたらしく、ヒィヒィしています。
この間、豊岡市に1本電話。確認事項を。6日の昼はかなりハードになりそうです。ながらの疲れを防ぐように5日は夜に起床しよう。
15:30、家を出て地下鉄で九段下へ。千代田区役所へ除籍の有無の確認。結果は残念な結果に終りました。暗闇を破る方途に混迷しています。ただ、昨日の後遺症で身体がフラつくのには参りました(汗)千代田区役所でしばらく休憩なんかもありました。無理は禁物ですね。
18:30、整形外科に寄ってから帰宅。バイク屋から部品が入ったと連絡。ベスパ号を持参してバイク屋へ。ここでバイク屋の格闘があるも、19:30、ギブアップ!すごすご帰ることに。
で、この日は起きたり寝たりの日々なので、1:00ころに就寝。
29日
10:00ころ起きたような……。
この日は昼からデータ整理に明け暮れています。
15:00、修理の終ったベスパ号を引取り、処方箋の薬をいただき、そしてケーズ電器へ加湿器の消耗品を受け取りました。2週間に1回はコレで洗え!という商品がないと困ります(汗)もう年末で寄れるところもないので本日はこれにて終了。
17:30、帰宅。お笑い番組を後ろで聞きながら作業を。今年は本当にスポンサー不足なのかお金がかかっていないことがアリアリ出てました、つぅかウド鈴木ウザい!絶対1時間水増ししてますね。
この間、ずっとパソコンのデータ整理。3ギガがメガバイトまで整理することに成功。しかし、旅行前は9枚あったCD-Rが全滅。明日買い増ししないと…(汗)
0:00を回って日本経済新聞が記事を採りあげていただいていることを知る。このあたりで体力の限界を感じ就寝。

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11:00ころ起床ってか覚えてません…(汗)なにせ昨日の米沢が堪えたらしく、ヒィヒィしています。
この間、豊岡市に1本電話。確認事項を。6日の昼はかなりハードになりそうです。ながらの疲れを防ぐように5日は夜に起床しよう。
15:30、家を出て地下鉄で九段下へ。千代田区役所へ除籍の有無の確認。結果は残念な結果に終りました。暗闇を破る方途に混迷しています。ただ、昨日の後遺症で身体がフラつくのには参りました(汗)千代田区役所でしばらく休憩なんかもありました。無理は禁物ですね。
18:30、整形外科に寄ってから帰宅。バイク屋から部品が入ったと連絡。ベスパ号を持参してバイク屋へ。ここでバイク屋の格闘があるも、19:30、ギブアップ!すごすご帰ることに。
で、この日は起きたり寝たりの日々なので、1:00ころに就寝。
29日
10:00ころ起きたような……。
この日は昼からデータ整理に明け暮れています。
15:00、修理の終ったベスパ号を引取り、処方箋の薬をいただき、そしてケーズ電器へ加湿器の消耗品を受け取りました。2週間に1回はコレで洗え!という商品がないと困ります(汗)もう年末で寄れるところもないので本日はこれにて終了。
17:30、帰宅。お笑い番組を後ろで聞きながら作業を。今年は本当にスポンサー不足なのかお金がかかっていないことがアリアリ出てました、つぅかウド鈴木ウザい!絶対1時間水増ししてますね。
この間、ずっとパソコンのデータ整理。3ギガがメガバイトまで整理することに成功。しかし、旅行前は9枚あったCD-Rが全滅。明日買い増ししないと…(汗)
0:00を回って日本経済新聞が記事を採りあげていただいていることを知る。このあたりで体力の限界を感じ就寝。
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27日
7:00、起床。早く寝ていたのでよく眠れました。
8:00、朝食。ここは駅前と違い、和食オンリーです。どうしても残す食材があるのがイヤで洋食なのですが仕方ありません。
9:00、チェックアウト。少し遅れました。起床後にマッサージした分遅れました。まぁ仕方のないことでしょう。
9:05、会津図書館到着。晴れていたので移動が楽でした。さっそく2Fの図書館へ。昨日の残し分と追加分とを加えて格闘。ある一定の成果はありました。
10:45、同所を辞去。10:53の福島行きバスに乗るため移動します。
10:58、少し遅れてバス到着。一路福島へ!面白いのが郡山→福島の高速には雪が一切ありませんでした。これから予測する米沢のイメージに楽観が生まれています(汗)
12:20、福島駅到着。見ると米沢は大変なことになってました。つまり福島~米沢間の鈍行はすべて運休!新幹線も間引き運転でした。聞くところによると同区間は鈍行の乗車券でも新幹線に乗れることになりました。行きたいのは米沢ですので問題はありませんが、発車が13:48!!約40分のロスでした。ただうろうろしてたら時間はあっという間に過ぎ、気付いたら発車時間でした。
で、新幹線ですが、もうラッシュもラッシュ!ドアもなかなか閉まりません。ムカつくのがバッグを列に置いて飲み物を買っていたらバッグがズラされて列からハミ出ている。で、そういうことをするのに限って18きっぷの乗車客。安い旅行をするものは安いレベルになるのか…自分だけはこうありたくない。こう考えました。ちなみになかなか乗車できないものですから、その18キッパーはほかの車輌のドアへ駆け込んでました。おかげでいなくなったらすぐに車輌に乗り込めました(毒笑)

14:24、少し遅れて山形新幹線は米沢駅に到着。駅前はこんな感じでした。で、バスが遅れに遅れて14:50ころに到着。でもこれは序章でした。このバスで移動中、対向車線に帰りのバスが見えました。この時点で30分遅れがわかってました。このときは少し遅れてバス停に行けばいいくらいの感覚です。

そういえば、車窓から例の近藤勇の首埋蔵伝説のあるお寺の幟が見えました。意外に駅から近いことを知りました。
で、15:00を過ぎたあたりで文化センター南バス停に到着。ちなみに車道と歩道は除雪車の影響で1.5mの雪壁ができてますが、降りた側ではまだ影響がありませんでした。それでも10㎝くらいは連絡道も積もってました。ここで図書館に挨拶をし、担当の青木さんのいる4Fへ参りました。
ここで懇談を。つまり福島民友で発表された米沢の内藤新一郎と会津会々報に出てくる小森沢長政の事歴を知りたかった訳です。知らなければ書けない訳で、こういうのは地元で確認するのが一番です。青木さんは懇切丁寧にご教示していただきました。ありがとうございます。
16:00、青木さんと別れ、フト考えました。そうだ、法務局は近いのだろうか?調べると雪道でも徒歩15分圏内と分かりました。この時点で雪中行軍確定です(汗)
16:15、法務局到着。残念ながら役人ル-ルに沿うやり方が出来なかったため、手間取りましたが、最終的にHIT!やはり地元に行かなければダメです。
17:00、図書館に到着。住宅地図をコピーしようとしたら偶然青木さんがいましたので事情を説明。おかげである人物との接点のヒントをいただきました。
17:15、青木さんと別れ、いざバス停へ。

うわぁ!
完全に車道と歩道が隔絶されております。こんな状態でも一度はバスの時刻が確認したかったので身体中雪まみれになりながらもバスの時刻の部分を掘りおこして確認しました。20分後、実は米沢駅到着後、この市民バスの時刻表を観光案内にいただいておりましたので、連絡先が分かります。電話で確認したところ、バスは来るという。気付いたら頭の帽子やコートの肩に5㎝~10㎝の積雪が!零下なので濡れることはありませんが、凄いことになっています(汗)
17:55、ようやくバス到着。車内は満員御礼。
そうして遅れに遅れてバスが到着したのは18:20。除雪車と雪道でデコボコしてるので走行してても速度メーターの針が動かないほどのスピードで移動することもしばしば。豪雪恐るべし!
ここから一瞬、さきほどの混雑の恐怖から新潟経由で行くことも考えましたが、新潟も豪雪の可能性があり、少し考えて郡山まで延長して乗車することに決定。

ちなみに米沢駅のホームはこんな感じです。米沢から山形方面は鈍行が動いているとはいえ、雪で車輌が埋もれています(汗)
18:50、無事に新幹線が到着。通路側ですが無事に着席。山形新幹線はコンセントもありますのでしっかり充電を。


米沢駅弁で有名な「牛肉どまん中」の塩バージョンです。駅の売店で温めていますのですこし身体にエコです。
ただ、感想は、疲労していない身体には美味しく感じるでしょうが、全身疲労している私には味が薄く感じました。弁当にタレが多いのはそういう意味なのでしょうね。でも不味くはありません。普通にいただけます。
19:35、郡山到着。ここで鈍行に乗り換えます。
19:41、鈍行に乗車。これで黒磯まで行きます。史料整理してた関係で一切退屈はしませんでした。
20:44、黒磯に到着。20:50の宇都宮行きに乗り換えます。こちらの電車もともにクロスシートでしたので助かりましたが、なにか宇都宮行きの方が寒い。これはこれでつらいものがあります。ちなみに宇都宮行きでは携帯で「なんでも鑑定団」を観ていたのでやはり退屈はしませんでした。
21:41、宇都宮に到着。ここで上野行きに乗車します。グリーン車に乗車しますので酷寒地獄からは開放されます。一番暖かい車端の席に鎮座します。ちなみにこの日は山手線等で事故があった影響で本数が間引きされていたようで、一般車輌は地獄のラッシュ状態でした(汗)950円の差は大きいです。
21:48、出発。ここでもTVの続きと、終ったら終ったで睡魔が来て、気付いたら赤羽を過ぎてました。ここでアテンダントにホットコーヒーを注文して起床後の寒気を防ぎます。
23:38、上野駅に到着。隣の常磐線のホームへ向かい、23:42に乗車。車輌緒は最後の土浦行きということで満員御礼。しばらくして北千住到着。駐輪場からスクーターを出して、0:10ころ到着。
いやはや、さすがにこの年齢ではしたくない旅行でした(汗)

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7:00、起床。早く寝ていたのでよく眠れました。
8:00、朝食。ここは駅前と違い、和食オンリーです。どうしても残す食材があるのがイヤで洋食なのですが仕方ありません。
9:00、チェックアウト。少し遅れました。起床後にマッサージした分遅れました。まぁ仕方のないことでしょう。
9:05、会津図書館到着。晴れていたので移動が楽でした。さっそく2Fの図書館へ。昨日の残し分と追加分とを加えて格闘。ある一定の成果はありました。
10:45、同所を辞去。10:53の福島行きバスに乗るため移動します。
10:58、少し遅れてバス到着。一路福島へ!面白いのが郡山→福島の高速には雪が一切ありませんでした。これから予測する米沢のイメージに楽観が生まれています(汗)
12:20、福島駅到着。見ると米沢は大変なことになってました。つまり福島~米沢間の鈍行はすべて運休!新幹線も間引き運転でした。聞くところによると同区間は鈍行の乗車券でも新幹線に乗れることになりました。行きたいのは米沢ですので問題はありませんが、発車が13:48!!約40分のロスでした。ただうろうろしてたら時間はあっという間に過ぎ、気付いたら発車時間でした。
で、新幹線ですが、もうラッシュもラッシュ!ドアもなかなか閉まりません。ムカつくのがバッグを列に置いて飲み物を買っていたらバッグがズラされて列からハミ出ている。で、そういうことをするのに限って18きっぷの乗車客。安い旅行をするものは安いレベルになるのか…自分だけはこうありたくない。こう考えました。ちなみになかなか乗車できないものですから、その18キッパーはほかの車輌のドアへ駆け込んでました。おかげでいなくなったらすぐに車輌に乗り込めました(毒笑)
14:24、少し遅れて山形新幹線は米沢駅に到着。駅前はこんな感じでした。で、バスが遅れに遅れて14:50ころに到着。でもこれは序章でした。このバスで移動中、対向車線に帰りのバスが見えました。この時点で30分遅れがわかってました。このときは少し遅れてバス停に行けばいいくらいの感覚です。
そういえば、車窓から例の近藤勇の首埋蔵伝説のあるお寺の幟が見えました。意外に駅から近いことを知りました。
で、15:00を過ぎたあたりで文化センター南バス停に到着。ちなみに車道と歩道は除雪車の影響で1.5mの雪壁ができてますが、降りた側ではまだ影響がありませんでした。それでも10㎝くらいは連絡道も積もってました。ここで図書館に挨拶をし、担当の青木さんのいる4Fへ参りました。
ここで懇談を。つまり福島民友で発表された米沢の内藤新一郎と会津会々報に出てくる小森沢長政の事歴を知りたかった訳です。知らなければ書けない訳で、こういうのは地元で確認するのが一番です。青木さんは懇切丁寧にご教示していただきました。ありがとうございます。
16:00、青木さんと別れ、フト考えました。そうだ、法務局は近いのだろうか?調べると雪道でも徒歩15分圏内と分かりました。この時点で雪中行軍確定です(汗)
16:15、法務局到着。残念ながら役人ル-ルに沿うやり方が出来なかったため、手間取りましたが、最終的にHIT!やはり地元に行かなければダメです。
17:00、図書館に到着。住宅地図をコピーしようとしたら偶然青木さんがいましたので事情を説明。おかげである人物との接点のヒントをいただきました。
17:15、青木さんと別れ、いざバス停へ。
うわぁ!
完全に車道と歩道が隔絶されております。こんな状態でも一度はバスの時刻が確認したかったので身体中雪まみれになりながらもバスの時刻の部分を掘りおこして確認しました。20分後、実は米沢駅到着後、この市民バスの時刻表を観光案内にいただいておりましたので、連絡先が分かります。電話で確認したところ、バスは来るという。気付いたら頭の帽子やコートの肩に5㎝~10㎝の積雪が!零下なので濡れることはありませんが、凄いことになっています(汗)
17:55、ようやくバス到着。車内は満員御礼。
そうして遅れに遅れてバスが到着したのは18:20。除雪車と雪道でデコボコしてるので走行してても速度メーターの針が動かないほどのスピードで移動することもしばしば。豪雪恐るべし!
ここから一瞬、さきほどの混雑の恐怖から新潟経由で行くことも考えましたが、新潟も豪雪の可能性があり、少し考えて郡山まで延長して乗車することに決定。
ちなみに米沢駅のホームはこんな感じです。米沢から山形方面は鈍行が動いているとはいえ、雪で車輌が埋もれています(汗)
18:50、無事に新幹線が到着。通路側ですが無事に着席。山形新幹線はコンセントもありますのでしっかり充電を。
米沢駅弁で有名な「牛肉どまん中」の塩バージョンです。駅の売店で温めていますのですこし身体にエコです。
ただ、感想は、疲労していない身体には美味しく感じるでしょうが、全身疲労している私には味が薄く感じました。弁当にタレが多いのはそういう意味なのでしょうね。でも不味くはありません。普通にいただけます。
19:35、郡山到着。ここで鈍行に乗り換えます。
19:41、鈍行に乗車。これで黒磯まで行きます。史料整理してた関係で一切退屈はしませんでした。
20:44、黒磯に到着。20:50の宇都宮行きに乗り換えます。こちらの電車もともにクロスシートでしたので助かりましたが、なにか宇都宮行きの方が寒い。これはこれでつらいものがあります。ちなみに宇都宮行きでは携帯で「なんでも鑑定団」を観ていたのでやはり退屈はしませんでした。
21:41、宇都宮に到着。ここで上野行きに乗車します。グリーン車に乗車しますので酷寒地獄からは開放されます。一番暖かい車端の席に鎮座します。ちなみにこの日は山手線等で事故があった影響で本数が間引きされていたようで、一般車輌は地獄のラッシュ状態でした(汗)950円の差は大きいです。
21:48、出発。ここでもTVの続きと、終ったら終ったで睡魔が来て、気付いたら赤羽を過ぎてました。ここでアテンダントにホットコーヒーを注文して起床後の寒気を防ぎます。
23:38、上野駅に到着。隣の常磐線のホームへ向かい、23:42に乗車。車輌緒は最後の土浦行きということで満員御礼。しばらくして北千住到着。駐輪場からスクーターを出して、0:10ころ到着。
いやはや、さすがにこの年齢ではしたくない旅行でした(汗)
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昨年正月の試衛館稲荷
皆さま、新年明けましておめでとうございます。
昨年はまさかの大惨事に日本国中動揺しましたが、この問題は今年も続くと思います。軟弱な政治姿勢で外国に恫喝され、その中間にいる国家公務員は自分に被害が及ばないように画策する。ギリシャ問題は現実に日本にも進んでいます。
という暗い話は置いといて、
昨年は「千葉の名灸」の出版中止という痛い憂き目に遭いましたが、今年は新島八重の共著が1件入っています。講演も新選組モノが1本。八重関連は今年前半である程度の史料も集まりそうで、今年後半には出版ラッシュになりそうです。ただ、会津では前半でかなりのヒートを魅せるでしょう。
一方で新選組もサミットが白河で催されるということで福島復興に力を入れるようです。「八重の桜」でも土方歳三は出てくるでしょうね。チョイ役でしょうが。…というより興味のない平清盛は飛んでますね(汗)こうしたコラボが入る年になるでしょう。
私は体調の面もありますが、無理は正月ていどに収めておきまして、体力回復と自身の持つ史料を見直す時期にも来ているので、そうした作業も行いたいと思います。チョボチョボとなにかしらでお会いすることもあると思いますので、その節はよろしくお願い申上げます。
歴史企画研究:あさくらゆう
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26日
7:00、起床。いろいろと確認事項をして8:30、出発。
9:30、市谷柳町到着。鍵を受け取り試衛館稲荷の下見へ。

隣に老人介護施設が出来た関係で風変わりしましたが、稲荷は建物が新たに補強されて大丈夫です。補強の甲斐あり、震災も無事でした。この稲荷にはなにかしらのパワーがあります。
10:28、新宿駅より湘南新宿ラインで宇都宮へ。12:00、宇都宮着。ここから新白河まで新幹線を使います。
12:17、新幹線に乗車。宇都宮駅名物「汽車弁当」を昼食に、12:49、新白河到着。12:57、新白河から鈍行で郡山へ向かいます。途中通り過ぎた白河城の石垣の崩壊が車窓からもわかります。

13:36、郡山着。久々に磐越西線の普通の快速に乗車します。この車輌は2輌編成なのでけっこう混みあいます。やはりあいづライナーがお得なようです。
14:55、会津若松に到着。せっかくなので乗り換えて七日町まで行くことにしました。


もう来年の大河ドラマの如く会津では「八重の桜」に一直線です。凄いですね。会津の力の入れようがわかります。

15:03、七日町到着。ここでバスを待ちます。外は雪が降っています。
15:15、バスが到着。発進するも前回よりも雪が凄いため、かなりの揺れです。そして乗降客がけっこういるのです。
15:30、三の丸バス停到着。博物館が休みのため、歩道は雪で埋まっています。仕方ないので車道を歩き交差点まで戻り、右に折れると旧会津図書館の方へ進めます。やはり図書館が移転した関係で歩道も踏み鳴らされている感じが薄まっています。
15:40、旧会津図書館到着。ここにある史料を閲覧するために参りました。さっそく挨拶をしてから閲覧開始。この文書は活字化になってたようですが、やはり影写本を見て正解でした。活字化された方は文字間違えしています。ちょうど確認したかった人物なのでやはり確認は必要ですね。
17:15、同所を辞去。外は吹雪です(汗)道を思い出しながら行軍を続けます。ちなみにバスはもうありません(汗)
17:40、会津図書館着。なんかいつもレファレンスの方が違いますが、あらかじめ連絡してありましたので予約の書籍は用意されておりました。この閲覧にけっこう時間がかかり、やはり閉館の19:00までお世話になりました。

その後、市役所脇にある「吉し多」で夜食を。今回はソースかつを止める予定でしたがここのお肉は桜肉(馬肉)です。とても興味が沸いてしまいました。

さっそくいただきます。器が冷えていた関係で少しぬるめでしたが、桜肉がやわらかく加工されています。基本的にそのままいただくと靴の底の如く固いものですが、さすがです。噛み締める毎に味わいがあり、美味しくいただきました。ちなみにおつゆは小づゆです。本当の郷土料理にも触れることができました。
で、20:00には中町のホテルにチェックイン。今回は徒歩圏内を選びましたが正解でした。交通手段がおかしいときは徒歩圏内が一番です。
とりあえず2Fのマッサージルームで身体をほぐし、すでに前回の旅の疲労もありますのでそのまま就寝。ずいぶん早めに寝ることとなりました。

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7:00、起床。いろいろと確認事項をして8:30、出発。
9:30、市谷柳町到着。鍵を受け取り試衛館稲荷の下見へ。
隣に老人介護施設が出来た関係で風変わりしましたが、稲荷は建物が新たに補強されて大丈夫です。補強の甲斐あり、震災も無事でした。この稲荷にはなにかしらのパワーがあります。
10:28、新宿駅より湘南新宿ラインで宇都宮へ。12:00、宇都宮着。ここから新白河まで新幹線を使います。
12:17、新幹線に乗車。宇都宮駅名物「汽車弁当」を昼食に、12:49、新白河到着。12:57、新白河から鈍行で郡山へ向かいます。途中通り過ぎた白河城の石垣の崩壊が車窓からもわかります。
13:36、郡山着。久々に磐越西線の普通の快速に乗車します。この車輌は2輌編成なのでけっこう混みあいます。やはりあいづライナーがお得なようです。
14:55、会津若松に到着。せっかくなので乗り換えて七日町まで行くことにしました。
もう来年の大河ドラマの如く会津では「八重の桜」に一直線です。凄いですね。会津の力の入れようがわかります。
15:03、七日町到着。ここでバスを待ちます。外は雪が降っています。
15:15、バスが到着。発進するも前回よりも雪が凄いため、かなりの揺れです。そして乗降客がけっこういるのです。
15:30、三の丸バス停到着。博物館が休みのため、歩道は雪で埋まっています。仕方ないので車道を歩き交差点まで戻り、右に折れると旧会津図書館の方へ進めます。やはり図書館が移転した関係で歩道も踏み鳴らされている感じが薄まっています。
15:40、旧会津図書館到着。ここにある史料を閲覧するために参りました。さっそく挨拶をしてから閲覧開始。この文書は活字化になってたようですが、やはり影写本を見て正解でした。活字化された方は文字間違えしています。ちょうど確認したかった人物なのでやはり確認は必要ですね。
17:15、同所を辞去。外は吹雪です(汗)道を思い出しながら行軍を続けます。ちなみにバスはもうありません(汗)
17:40、会津図書館着。なんかいつもレファレンスの方が違いますが、あらかじめ連絡してありましたので予約の書籍は用意されておりました。この閲覧にけっこう時間がかかり、やはり閉館の19:00までお世話になりました。
その後、市役所脇にある「吉し多」で夜食を。今回はソースかつを止める予定でしたがここのお肉は桜肉(馬肉)です。とても興味が沸いてしまいました。
さっそくいただきます。器が冷えていた関係で少しぬるめでしたが、桜肉がやわらかく加工されています。基本的にそのままいただくと靴の底の如く固いものですが、さすがです。噛み締める毎に味わいがあり、美味しくいただきました。ちなみにおつゆは小づゆです。本当の郷土料理にも触れることができました。
で、20:00には中町のホテルにチェックイン。今回は徒歩圏内を選びましたが正解でした。交通手段がおかしいときは徒歩圏内が一番です。
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謹啓、
本日、朝刊各紙に川崎尚之助に関する記事が掲載されたことと思います。
発見の経緯は東京都公文書館の往復文書です。川崎尚之助の死去の説明に根津親徳が呼び出されたことによります。
この場合、往復文書ですから東京府にあるなら相手先である開拓使~現在の北海道にもあるだろうと北海道立文書館で検索しました。すると40件(私文書含む)がHITした訳です。
その後、11月15日、実際に札幌へ文書の調査をした際、その膨大な量から全部を取得できませんでしたがある程度の取得が出来ました。
そして帰宅してから文書を翻訳し、共同通信にその話を伝えたところ、この記事に至りました。
今回の発表の成果として、まず川崎尚之助の消息が明治3年10月から同8年3月20日の死去までの足取りがすべて判明したことです。これにより、妻の八重との交際が東京謹慎以降、完全に途絶した状態が如実に解ることとなったのです。
川崎は結局、取引を主導した米座省三という人物に騙されたのです。米座が借金を埋めるため、事故の起きている広東米の手形を収穫予定の大豆との先物交換取引で纏め上げ、その手形を貰えると思った川崎は予定の手形が入手出来ず、なおかつ張本人の米座は逃亡。米座の借金の返済がなければ渡さないという事態に陥ったのです。
川崎はこの手形を取り戻すための訴訟を起こしますが、斗南藩はこの取引を川崎と柴太一郎の独断と断罪し、関与を否定しました。当然、大豆取引も成立せずに今度は逆に川崎と柴が訴えられます。
その間、逃亡中の米座が東京で逮捕され、ようやく手形は川崎の手に入手されます。しかし古米となり、相場も下落して大損害が起きました。ここでも訴訟が起りました。
結論として3名は今でいう詐欺罪として立件され、米座は拘禁、柴、川崎は保護観察状態に置かれます。のちに川崎が独自に行ったと供述し、今回の事件の中心人物となります。
しかし、体調を崩した川崎は明治7年に函館へ連行される途中に重病に陥り、安静を余儀なくされます。
その川崎が函館に行かずに東京へ戻ったのが明治8年2月5日。かなり重症の肺炎だったようで同月7日に東京医学校病院に入院します。
そして同年3月20日、病院で川崎は死去しました。
事件については中心人物となっていた川崎が死去したことで相手側の訴えは国に移行しましたが取りあわれずに終焉。柴は禁固百日、米座は禁固2年の判決を受けました。
いま述べた内容は40点の文書のほか、デュース、ブラッキストン関係の公文書も併せた内容となっております。もしご覧になられるのでしたら北海道立文書館に問い合わせの上閲覧されることをお勧めします。基本的に原本ですので、コピー等は一部を除き出来ませんので、郵送等は不可能です。
この成果の概要は新島八重を歩く(光人社)で執筆を予定しておりますので、発売予定の2012年5月までお待ちください。お待ちできないようでしたら北海道立文書館で閲覧が可能ですのでどうかご確認ください。ただし活字文書ではありませんので、その点だけはご留意いただきますよう、お願い申上げます。

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本日、朝刊各紙に川崎尚之助に関する記事が掲載されたことと思います。
発見の経緯は東京都公文書館の往復文書です。川崎尚之助の死去の説明に根津親徳が呼び出されたことによります。
この場合、往復文書ですから東京府にあるなら相手先である開拓使~現在の北海道にもあるだろうと北海道立文書館で検索しました。すると40件(私文書含む)がHITした訳です。
その後、11月15日、実際に札幌へ文書の調査をした際、その膨大な量から全部を取得できませんでしたがある程度の取得が出来ました。
そして帰宅してから文書を翻訳し、共同通信にその話を伝えたところ、この記事に至りました。
今回の発表の成果として、まず川崎尚之助の消息が明治3年10月から同8年3月20日の死去までの足取りがすべて判明したことです。これにより、妻の八重との交際が東京謹慎以降、完全に途絶した状態が如実に解ることとなったのです。
川崎は結局、取引を主導した米座省三という人物に騙されたのです。米座が借金を埋めるため、事故の起きている広東米の手形を収穫予定の大豆との先物交換取引で纏め上げ、その手形を貰えると思った川崎は予定の手形が入手出来ず、なおかつ張本人の米座は逃亡。米座の借金の返済がなければ渡さないという事態に陥ったのです。
川崎はこの手形を取り戻すための訴訟を起こしますが、斗南藩はこの取引を川崎と柴太一郎の独断と断罪し、関与を否定しました。当然、大豆取引も成立せずに今度は逆に川崎と柴が訴えられます。
その間、逃亡中の米座が東京で逮捕され、ようやく手形は川崎の手に入手されます。しかし古米となり、相場も下落して大損害が起きました。ここでも訴訟が起りました。
結論として3名は今でいう詐欺罪として立件され、米座は拘禁、柴、川崎は保護観察状態に置かれます。のちに川崎が独自に行ったと供述し、今回の事件の中心人物となります。
しかし、体調を崩した川崎は明治7年に函館へ連行される途中に重病に陥り、安静を余儀なくされます。
その川崎が函館に行かずに東京へ戻ったのが明治8年2月5日。かなり重症の肺炎だったようで同月7日に東京医学校病院に入院します。
そして同年3月20日、病院で川崎は死去しました。
事件については中心人物となっていた川崎が死去したことで相手側の訴えは国に移行しましたが取りあわれずに終焉。柴は禁固百日、米座は禁固2年の判決を受けました。
いま述べた内容は40点の文書のほか、デュース、ブラッキストン関係の公文書も併せた内容となっております。もしご覧になられるのでしたら北海道立文書館に問い合わせの上閲覧されることをお勧めします。基本的に原本ですので、コピー等は一部を除き出来ませんので、郵送等は不可能です。
この成果の概要は新島八重を歩く(光人社)で執筆を予定しておりますので、発売予定の2012年5月までお待ちください。お待ちできないようでしたら北海道立文書館で閲覧が可能ですのでどうかご確認ください。ただし活字文書ではありませんので、その点だけはご留意いただきますよう、お願い申上げます。
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