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11日
0:00を回ってから田崎公司氏の論文、
「会津ヤーヤー一揆再考」(史学雑誌)
「明治初年の直轄地支配~小田付民政局を事例として」(大阪商業大学論集)
「会津戦争による地域状況」(同上)
以上を読破。専門的ながら、私の頭でも理解できるよう、図解もあり助かります。
ただ、断片的であり、民政局自体が設置して1年未満で解消されてしまうことから、その全容を掴むのは困難なのかもしれません。特に人事の異動は激しく、実際にどれだけ勤務したのかが把握しづらい状況です。
まだ面白いものはあるのですが、重複を避けたかったのと、民衆史に入り過ぎても違う方向に進んでしますので、この程度で。残念だったのが、2004年に出した新選組の論文で、外郭と想像の域を出なかった感がありました。もちろん菊りんや糞尿男に理解は出来ない内容でしょうが。
また、田崎論文に思ったのが、「会津戦争~」の冒頭に「怨念史学」や「観光史学」の名称があったことです。この名称を最初に見たのがネットを覗きアカデミックなところで田中悟氏でしたが、2004年以前からこの名称が学術界に浸透していたことを示唆しているような気がします。もちろん、論文自体は「~ではない」という出発点から始まるのですが、やはり田崎氏の出自が福島県と、御国自慢のところがあり、星亮一氏の名前を散見させているのが特徴でもありました。
5:30、ようやく就寝。
14:30、起床。
15:30、急に発熱。お腹が原因と思います。やはり難病だけあって強敵です。
16:00、清河神社例大祭、および川崎家ご子孫より除籍謄本を賜りました。ご謙遜されておりましたが、興味深い項目がいくつも散らばられており、確認作業に役立ちます。本当にありがとうございます。
18:30、図書館で返却&貸出しを。そして予約を。一応都内図書館に所蔵されており、新刊でないものをセレクトしております。
このあたりから雨が降り始め、コンビニから帰る段には本降りに。クリーニング店に寄るのは辞めて帰宅。解熱剤を飲んでも熱感があり、抗生物質で対処。
21:00、手紙類の処理。本日、清河神社からも例大祭の案内が来ましたので出席の返事を書きます。5月の旅程も考える必要が出てきました。それと出版社へ連絡。「新島八重を歩く」が少し遅れそうです。前が支えてるので、後が出ない道理です。原稿は問題なさそうです。
こうして夜は更けていきます。

よろしければクリックご御力お願いします

0:00を回ってから田崎公司氏の論文、
「会津ヤーヤー一揆再考」(史学雑誌)
「明治初年の直轄地支配~小田付民政局を事例として」(大阪商業大学論集)
「会津戦争による地域状況」(同上)
以上を読破。専門的ながら、私の頭でも理解できるよう、図解もあり助かります。
ただ、断片的であり、民政局自体が設置して1年未満で解消されてしまうことから、その全容を掴むのは困難なのかもしれません。特に人事の異動は激しく、実際にどれだけ勤務したのかが把握しづらい状況です。
まだ面白いものはあるのですが、重複を避けたかったのと、民衆史に入り過ぎても違う方向に進んでしますので、この程度で。残念だったのが、2004年に出した新選組の論文で、外郭と想像の域を出なかった感がありました。もちろん菊りんや糞尿男に理解は出来ない内容でしょうが。
また、田崎論文に思ったのが、「会津戦争~」の冒頭に「怨念史学」や「観光史学」の名称があったことです。この名称を最初に見たのがネットを覗きアカデミックなところで田中悟氏でしたが、2004年以前からこの名称が学術界に浸透していたことを示唆しているような気がします。もちろん、論文自体は「~ではない」という出発点から始まるのですが、やはり田崎氏の出自が福島県と、御国自慢のところがあり、星亮一氏の名前を散見させているのが特徴でもありました。
5:30、ようやく就寝。
14:30、起床。
15:30、急に発熱。お腹が原因と思います。やはり難病だけあって強敵です。
16:00、清河神社例大祭、および川崎家ご子孫より除籍謄本を賜りました。ご謙遜されておりましたが、興味深い項目がいくつも散らばられており、確認作業に役立ちます。本当にありがとうございます。
18:30、図書館で返却&貸出しを。そして予約を。一応都内図書館に所蔵されており、新刊でないものをセレクトしております。
このあたりから雨が降り始め、コンビニから帰る段には本降りに。クリーニング店に寄るのは辞めて帰宅。解熱剤を飲んでも熱感があり、抗生物質で対処。
21:00、手紙類の処理。本日、清河神社からも例大祭の案内が来ましたので出席の返事を書きます。5月の旅程も考える必要が出てきました。それと出版社へ連絡。「新島八重を歩く」が少し遅れそうです。前が支えてるので、後が出ない道理です。原稿は問題なさそうです。
こうして夜は更けていきます。
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9日
7:00、起床。きょうは区の無料検診があるので食事抜き。
10:00、検診するも、問診で却下に!難病持ちはいけないようです。というか、今どき胃の検査でバリウムもいかがなものか…。ちなみに肺と大腸は違うところで検査を受けるので、結果的に無料検診は無駄足に。
11:00、帰宅。具合悪く、就寝。
14:30、起床。ダルさが抜けず。
16:00、「相棒」鑑賞。あまり覚えていない回だったので良かったです。このあたりで新島博物館より年報が届きました。流人帳を2度に分けて掲載されています。資料集として助かります。
17:00、電話。編集協力の話。ある程度のプロットを固めるよう懇請。
19:00、一応方向性が決まります。この後、幾度か連絡。
10日
先日の竹内さんの電話で坪井為春が気になり、ネットで調べる。どうやら墓所は谷中霊園にあるそうだ。
なので、当時の住所がわからないかと、調べてみると本郷区にありそうだ。ということで、戸籍コレクションを確認すると、坪井為春はありませんでしたが、その長男(戸籍上)、坪井次郎の除籍謄本がありました。文久2年7月5日に生まれ、明治36年7月13日に京都で死去しています。
ちなみに為春の妻も「母」の表示で、継母扱いにはなってませんでした。坪井やなは天保4年3月10日に生まれており、鹿児島県士族村井艱脩妹とあります。
「人事興信録」では名前のみ記載があり鹿児島県士族とされていますが、為春が薩摩藩士扱いなのでそうなるのでしょう。
ついでに坪井本家を継承した坪井信良の記載もあり、妻(後妻)が「舊幕士荒井清兵衛長女」とありました。幕臣でこの時期、荒井清兵衛といえば、代官であり、荒井郁之助の父になる人物と同一でしょう。たぶん清兵衛を活かしたのには、「荒井郁之助姉」にすると「平民」になってしまうからだったからかもしれません。
身体が楽だったらそろそろ国会図書館にも行きたいので、見たい書籍を探り、そしてかねてより気になっている田崎公司氏の論文もチェックします。
5:30、ようやく睡魔がきて就寝。8日の筋肉痛と衰弱によりカブレでなかなか寝付けませんでした(汗)
13:30、起床。まぁまぁな状態。明日が雨の予報なので無理して国会図書館のみ行くことを決めます。
15:30、国会図書館に到着。本館2Fの検索機で書籍、雑誌の予約を済ませてから4Fの憲政資料室へ。ここには勝海舟文書があり、蕃書調所の人名録があります。さっそく閲覧申請して閲覧しますと、坪井芳州の記述がありました。芝に住居があり、出石藩士の加藤弘之(弘蔵)も坪井家に同居となっていました。山本覚馬が大木衷域の蘭学塾にいたと言いますが、坪井芳州の前名が多き忠益で、たぶん口述だったので名前間違いだったのでしょう。一説に、なにかの雑誌の記事に川崎尚之助がここで学んでいたとあるそうです。これなら医師と勘違いされても不思議ではありません。大鳥圭介が同期になりますが、会津で会ったのでしょうか?
憲政資料室を出て、仲井一信氏、斉藤祥男氏の著作を閲覧。意外に「坪井やな」等の出自が不明となっており、感嘆す。考えてみれば、坪井の謄本自体は壬申戸籍以外は本郷区なので昭和20年の空襲で原本が焼失していますので仕方ないのかもしれません。
交互に新館で田崎公司氏の論文が掲載されている大阪商業大学の論文集を閲覧。2編をコピーに。それと前より気になっていた史学雑誌の論文を閲覧。これも内容が濃いのでコピー申請。個人的には参考文献に挙げている佐藤公彦氏の論文が掲載されている雑誌はデジタル化するために製本中だとか。見れなかったので残念です。どうしても若松民政局の内容に納得いく知識を得たいので飢えています。それでも田崎論文でかなり詳細に理解ができそうで、計3点をコピー申請。
それと東京医事新誌を閲覧。斉藤氏の参考文献にあり、同書に活字化されていますが、原本に興味があり、マイクロフィッシュで閲覧&コピー。歯抜けが多いなか、残存していてくれて助かります。
こんなことをしているうちに、19:00になり閉館。コンビニ等に寄って20:40に帰宅。
21:00、「TVなんでも鑑定団」を鑑賞。やや面白し。
こうして夜は更けていきます。

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7:00、起床。きょうは区の無料検診があるので食事抜き。
10:00、検診するも、問診で却下に!難病持ちはいけないようです。というか、今どき胃の検査でバリウムもいかがなものか…。ちなみに肺と大腸は違うところで検査を受けるので、結果的に無料検診は無駄足に。
11:00、帰宅。具合悪く、就寝。
14:30、起床。ダルさが抜けず。
16:00、「相棒」鑑賞。あまり覚えていない回だったので良かったです。このあたりで新島博物館より年報が届きました。流人帳を2度に分けて掲載されています。資料集として助かります。
17:00、電話。編集協力の話。ある程度のプロットを固めるよう懇請。
19:00、一応方向性が決まります。この後、幾度か連絡。
10日
先日の竹内さんの電話で坪井為春が気になり、ネットで調べる。どうやら墓所は谷中霊園にあるそうだ。
なので、当時の住所がわからないかと、調べてみると本郷区にありそうだ。ということで、戸籍コレクションを確認すると、坪井為春はありませんでしたが、その長男(戸籍上)、坪井次郎の除籍謄本がありました。文久2年7月5日に生まれ、明治36年7月13日に京都で死去しています。
ちなみに為春の妻も「母」の表示で、継母扱いにはなってませんでした。坪井やなは天保4年3月10日に生まれており、鹿児島県士族村井艱脩妹とあります。
「人事興信録」では名前のみ記載があり鹿児島県士族とされていますが、為春が薩摩藩士扱いなのでそうなるのでしょう。
ついでに坪井本家を継承した坪井信良の記載もあり、妻(後妻)が「舊幕士荒井清兵衛長女」とありました。幕臣でこの時期、荒井清兵衛といえば、代官であり、荒井郁之助の父になる人物と同一でしょう。たぶん清兵衛を活かしたのには、「荒井郁之助姉」にすると「平民」になってしまうからだったからかもしれません。
身体が楽だったらそろそろ国会図書館にも行きたいので、見たい書籍を探り、そしてかねてより気になっている田崎公司氏の論文もチェックします。
5:30、ようやく睡魔がきて就寝。8日の筋肉痛と衰弱によりカブレでなかなか寝付けませんでした(汗)
13:30、起床。まぁまぁな状態。明日が雨の予報なので無理して国会図書館のみ行くことを決めます。
15:30、国会図書館に到着。本館2Fの検索機で書籍、雑誌の予約を済ませてから4Fの憲政資料室へ。ここには勝海舟文書があり、蕃書調所の人名録があります。さっそく閲覧申請して閲覧しますと、坪井芳州の記述がありました。芝に住居があり、出石藩士の加藤弘之(弘蔵)も坪井家に同居となっていました。山本覚馬が大木衷域の蘭学塾にいたと言いますが、坪井芳州の前名が多き忠益で、たぶん口述だったので名前間違いだったのでしょう。一説に、なにかの雑誌の記事に川崎尚之助がここで学んでいたとあるそうです。これなら医師と勘違いされても不思議ではありません。大鳥圭介が同期になりますが、会津で会ったのでしょうか?
憲政資料室を出て、仲井一信氏、斉藤祥男氏の著作を閲覧。意外に「坪井やな」等の出自が不明となっており、感嘆す。考えてみれば、坪井の謄本自体は壬申戸籍以外は本郷区なので昭和20年の空襲で原本が焼失していますので仕方ないのかもしれません。
交互に新館で田崎公司氏の論文が掲載されている大阪商業大学の論文集を閲覧。2編をコピーに。それと前より気になっていた史学雑誌の論文を閲覧。これも内容が濃いのでコピー申請。個人的には参考文献に挙げている佐藤公彦氏の論文が掲載されている雑誌はデジタル化するために製本中だとか。見れなかったので残念です。どうしても若松民政局の内容に納得いく知識を得たいので飢えています。それでも田崎論文でかなり詳細に理解ができそうで、計3点をコピー申請。
それと東京医事新誌を閲覧。斉藤氏の参考文献にあり、同書に活字化されていますが、原本に興味があり、マイクロフィッシュで閲覧&コピー。歯抜けが多いなか、残存していてくれて助かります。
こんなことをしているうちに、19:00になり閉館。コンビニ等に寄って20:40に帰宅。
21:00、「TVなんでも鑑定団」を鑑賞。やや面白し。
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8日
9:00、起床。11:30、出発。家を出るもバタバタし、そしてタイミング悪く、北千住駅を12:14の電車で移動。途中、曳舟で後発の電車の待ち合わせ…。「とうきょうスカイツリー」駅に到着したのは12:28(汗)旧業平橋駅です。
これがクセ者で、以前の出口はふさがれ、真逆の方に改札口が置かれ、あたかも桜とスカイツリーを見る観光客がごった返してもう大変。スカイツリー座なんかもありまして、Wコロンの木曾さんちゅう?なんかがビラ配りを。一斉風靡しても時期が過ぎるとコンなことが起きるのですね。
12:40、待ち合わせの場所に到着。すでに一行は居ず。私が呼びかけたメンバーのみおりまして、たぶん追いつけるだろうと、三囲神社で待機。

こうして一行が到着して合流しました。三囲神社は三井、三越の氏神で、ほか、隅田川に面している神社の特徴で、いくつも石碑があります。
この後、一行は弘福寺に参り、百合元昇三の墓碑を見学。境内寺務所には甘茶があり、皆で愉しみました。
そして隣接する長命寺へ。成島柳北の碑を見学しました。
ここから少し歩きます。長命寺の隣が桜餅発祥の地ということで、言問団子の店があるのですが、たぶん100mは列が出来ていたと思います。私には到底無理です(汗)でも桜の枝っぷりは最高で、目の保養になりました。

ここから歩いて白鬚神社に。岩瀬忠震の碑があります。ここで神主さまよりありがたいお話を聞き、一同関心。
そして、邸宅跡、木母寺、榎本武揚像と巡ります。イヤハヤ…歩きました。
で、鐘ヶ淵駅に参り、一行は浅草駅へ。神谷バーで懇親会を行いました。これも役員が懇意で4Fの座敷を使わせていただき、雑音なく酒席が盛り上がりました。
19:40、一同解散。再度東武電車で帰宅します。あまり知らなかったのですが浅草~北千住間の短行路線があるのですね。
21:00、帰宅。疲労困憊も困憊…(汗)気付いたら気絶するが如く就寝しました。

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これがクセ者で、以前の出口はふさがれ、真逆の方に改札口が置かれ、あたかも桜とスカイツリーを見る観光客がごった返してもう大変。スカイツリー座なんかもありまして、Wコロンの木曾さんちゅう?なんかがビラ配りを。一斉風靡しても時期が過ぎるとコンなことが起きるのですね。
12:40、待ち合わせの場所に到着。すでに一行は居ず。私が呼びかけたメンバーのみおりまして、たぶん追いつけるだろうと、三囲神社で待機。
こうして一行が到着して合流しました。三囲神社は三井、三越の氏神で、ほか、隅田川に面している神社の特徴で、いくつも石碑があります。
この後、一行は弘福寺に参り、百合元昇三の墓碑を見学。境内寺務所には甘茶があり、皆で愉しみました。
そして隣接する長命寺へ。成島柳北の碑を見学しました。
ここから少し歩きます。長命寺の隣が桜餅発祥の地ということで、言問団子の店があるのですが、たぶん100mは列が出来ていたと思います。私には到底無理です(汗)でも桜の枝っぷりは最高で、目の保養になりました。
ここから歩いて白鬚神社に。岩瀬忠震の碑があります。ここで神主さまよりありがたいお話を聞き、一同関心。
そして、邸宅跡、木母寺、榎本武揚像と巡ります。イヤハヤ…歩きました。
で、鐘ヶ淵駅に参り、一行は浅草駅へ。神谷バーで懇親会を行いました。これも役員が懇意で4Fの座敷を使わせていただき、雑音なく酒席が盛り上がりました。
19:40、一同解散。再度東武電車で帰宅します。あまり知らなかったのですが浅草~北千住間の短行路線があるのですね。
21:00、帰宅。疲労困憊も困憊…(汗)気付いたら気絶するが如く就寝しました。
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7日
2:00、眠れないので執筆を。
3:00、15枚書いたところで中断。20枚が予定なので順調か。マニアックにならず、単純明快に。
3:30、ようやく就寝。
12:00、起床。
16:00、台東区立中央図書館で調査。前にも書きましたが、ここは第一次東大出版会の図書が開架で置かれています。大橋慎に興味を抱き読書。
17:30、某所より連絡があり、18:00以降に連絡するよう依頼する。
18:00、某所より連絡。連絡を取りたい方がいるので連絡先を教えてよいかとの事。了承する。
18:05、そしたらすぐに電話が。しかしスクーターで移動中のため電話に出れず。1時間後にかけ直すと留守電にありましたので、それならと、足を伸ばしてうな万へ。
聞くところによると、うなぎ価格の上昇は目算が立たない状態だそうで、言葉の通り「うなぎ昇り」だそうです。確かに天井が見えないなかで営業するのもつらいものです。店も悪くない、仕入先も悪くない。モノがないのです。たぶん乱獲が原因だとか。たしかに取り過ぎてましたよね。めちゃくちゃ安い値段のときもありましたし…。深刻な問題です。ちなみに私は鴨蕎麦をいただきます。
食事中、画家さんもお見えになり、うな万店主と雑談。
19:30、同志社の竹内力雄さんより電話。教示をいただきたいとのことでしたので、答えられる範囲でお答えしました。さすが地元京都だけあって、しっかり調査されていました。こうして実証学を重視される方と話すと気分が良くなります。同志社講師には知人もいますが、共通の意識が竹内さんと合致し、30分以上話したような気がします。
20:30、同所を辞去。ケーズデンキへ。親がどうしても地デジが欲しいと懇願するので見に行きました。ちなみに私は未だにアナログです(汗)だってソンなにテレビに依存してないので…。一応チラシで見たのはブルーレイ内臓でしたがハードはなし。だったらハードのみのTVが欲しいと言ったら、予算に近い額のTVがあり、これに決めました。本当は親のTV自体にガタはキテないのですが、いま持っているビデオの液晶画面に不具合が出て、それだけの理由で買い替えです。なので私の部屋にある29インチのTV(昭和製)を引き取っていただき、親のTVを私の方にチェンジする予定です。でも32インチ……。ギリギリなんですよね(汗)重いし…。
21:30、帰宅。友人と電話で笑い話で盛り上がり、明日の準備を少し。
22:30、BS時代劇が「陽だまりの糞」と判明。糞尿男が関わる作品は質が劣化していると判断するので視聴拒否。絶対に登場人物には新選組を出さないで欲しい。汚染されます。
0:30、就寝。

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2:00、眠れないので執筆を。
3:00、15枚書いたところで中断。20枚が予定なので順調か。マニアックにならず、単純明快に。
3:30、ようやく就寝。
12:00、起床。
16:00、台東区立中央図書館で調査。前にも書きましたが、ここは第一次東大出版会の図書が開架で置かれています。大橋慎に興味を抱き読書。
17:30、某所より連絡があり、18:00以降に連絡するよう依頼する。
18:00、某所より連絡。連絡を取りたい方がいるので連絡先を教えてよいかとの事。了承する。
18:05、そしたらすぐに電話が。しかしスクーターで移動中のため電話に出れず。1時間後にかけ直すと留守電にありましたので、それならと、足を伸ばしてうな万へ。
聞くところによると、うなぎ価格の上昇は目算が立たない状態だそうで、言葉の通り「うなぎ昇り」だそうです。確かに天井が見えないなかで営業するのもつらいものです。店も悪くない、仕入先も悪くない。モノがないのです。たぶん乱獲が原因だとか。たしかに取り過ぎてましたよね。めちゃくちゃ安い値段のときもありましたし…。深刻な問題です。ちなみに私は鴨蕎麦をいただきます。
食事中、画家さんもお見えになり、うな万店主と雑談。
19:30、同志社の竹内力雄さんより電話。教示をいただきたいとのことでしたので、答えられる範囲でお答えしました。さすが地元京都だけあって、しっかり調査されていました。こうして実証学を重視される方と話すと気分が良くなります。同志社講師には知人もいますが、共通の意識が竹内さんと合致し、30分以上話したような気がします。
20:30、同所を辞去。ケーズデンキへ。親がどうしても地デジが欲しいと懇願するので見に行きました。ちなみに私は未だにアナログです(汗)だってソンなにテレビに依存してないので…。一応チラシで見たのはブルーレイ内臓でしたがハードはなし。だったらハードのみのTVが欲しいと言ったら、予算に近い額のTVがあり、これに決めました。本当は親のTV自体にガタはキテないのですが、いま持っているビデオの液晶画面に不具合が出て、それだけの理由で買い替えです。なので私の部屋にある29インチのTV(昭和製)を引き取っていただき、親のTVを私の方にチェンジする予定です。でも32インチ……。ギリギリなんですよね(汗)重いし…。
21:30、帰宅。友人と電話で笑い話で盛り上がり、明日の準備を少し。
22:30、BS時代劇が「陽だまりの糞」と判明。糞尿男が関わる作品は質が劣化していると判断するので視聴拒否。絶対に登場人物には新選組を出さないで欲しい。汚染されます。
0:30、就寝。
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6日
おかげさまでまた歳を取りました。人生五十年と申しますが、まだ到達していませんので、それまでは確実に生を受けたい所存です。呪いにも負けませんよ!
閑話休題、
13:00、起床。正確には11:00には意識がるも、目も開けられない具合の悪さ。12:00ころにようやく目が開けられるくらいになり、背中の痛みに耐えて立ち上がります。
食後、薬を飲んで30分後くらいに楽になりました(汗)

そして見ると、荷物が。友人から素敵なアレンジメントをいただきました。ありがとうございます。こうして1年を感じます。
で、こんな誕生日ですが、調査に赴く体調ではとてもなく、安静にすること暫し。
17:00、誕生日の特典がありますのでクリーニング店に行き、帰りがけに買い物をして帰宅。
18:00、根性を出して図書館へ行こうと思いましたが心が折れて断念。買い物後、自身で誕生日のケーキを購入し帰宅。そのまま横臥。
19:00、知人より流山のニュースをことを聞かれる。自称地元の幕末史家が「アソコは違う」と言った説を傍証をもとに違うと説明。幕末当時、寺地に商家がある訳がありません。平成まで鴻池の流山支配人の子孫が住んでいた、というだけでソコを鴻池の居宅と決め付けたようですが、あくまでも寺地ですから、その地には庫裏があったと思われます。
この後、体調不良により就寝。
23:00、起床。
夜は更けていきます。

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閑話休題、
13:00、起床。正確には11:00には意識がるも、目も開けられない具合の悪さ。12:00ころにようやく目が開けられるくらいになり、背中の痛みに耐えて立ち上がります。
食後、薬を飲んで30分後くらいに楽になりました(汗)
そして見ると、荷物が。友人から素敵なアレンジメントをいただきました。ありがとうございます。こうして1年を感じます。
で、こんな誕生日ですが、調査に赴く体調ではとてもなく、安静にすること暫し。
17:00、誕生日の特典がありますのでクリーニング店に行き、帰りがけに買い物をして帰宅。
18:00、根性を出して図書館へ行こうと思いましたが心が折れて断念。買い物後、自身で誕生日のケーキを購入し帰宅。そのまま横臥。
19:00、知人より流山のニュースをことを聞かれる。自称地元の幕末史家が「アソコは違う」と言った説を傍証をもとに違うと説明。幕末当時、寺地に商家がある訳がありません。平成まで鴻池の流山支配人の子孫が住んでいた、というだけでソコを鴻池の居宅と決め付けたようですが、あくまでも寺地ですから、その地には庫裏があったと思われます。
この後、体調不良により就寝。
23:00、起床。
夜は更けていきます。
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