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「慶応四年新撰組近藤勇始末」、「慶応四年新撰組隊士伝」著者、あさくらゆうが書いているブログです。 *なお、画像の無断使用、本来の意図と関係ない部分をツギハギして論争に使用することを固くお断り申し上げます。
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天候の悪いなか、本日の講演に足を運んでいただき、誠にありがとうございました。おかげさまを持ちまして、無事、講演を終了させていただきました。感謝に尽きません。
 特に今回の参加者のなかには、岡山在住の方から「話を聞いといて!」と言われ、お越しいただいた方もおり、間接的に岡山で話題になってることを聞くことができました。
 それと先週の「沖田家ツアー」の参加者さま、Aさまを筆頭に数名お越しいただき、嬉しい限りです。こういう人の繋がりはとても大事だと思います。涙、涙です。
 また、いつも聴講に訪れていただいておりますMさんも嬉しいひとりです。この方が本気だして、話せば、下手な新選組研究家も叶わないことでしょう。このMさんの姿勢を見習っていただきたいものです。
 講演のあと、雑談にも華が咲き、各種盛り上がりました。なかにはタブーな話もありましたが、そのあたりは忘れてください……(汗)
 
 ともあれ、ついに記念写真も撮らずに終ってしまったことが残念です。しかし、こんなマイナーな、しかもディープな話を90分するのかと、振り返ったら、構成を考えるのも難儀だったのも本当で、前段階から入りました。とにかく体をほぐして聴いていただきたかったためです。それでも発見談という、感想的なものにも真剣にメモを取られており、「口が早すぎてメモが間に合わない(怒)」と言われるケースも!ある意味、嬉しいクレームですね。聴いている方は本当に熱心でした。正直、嬉しさでこみあげました。
 
 この講演会の機会を設けていただきました日野新選組同好会会長さま一同と、宣伝をいただきました日野市観光協会さまに御礼申し上げます。
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 取材当時の現場
 こちらが山陽新聞のWEBニュースで、記事です。
 足掛け8ケ月でしたが、地元で発表されたのが非常に感激です。
 実は7月と10月~特に10月の岡山訪問の目的のひとつは新聞社の取材がありました。ともかく、地元に埋もれている人物の発掘が重要と思っていましたから、岡山市在住の長倉さん、杉原さん、安富さん等、多くの方たちの協力があって記事化されたことに感謝を述べたいと思います。
 ちなみに、リアルみたいで恐縮ですが、16日(日)に、日野市高幡不動駅近くの池田屋講演する予定となっております。機会がございましたらご来場いただけたら幸いです。

 本日は細々としたことがあり、移動してました。
 まずは銀座で花の手配……と思ったらいつもの花屋はいない……仕方なくプランタンで手配。これで1時間ロス。
 ここから衆議院憲政記念館へ行きました。実は敷地内に、中へ入ったのははじめてでしたが、なんとなく長老っぽいネコちゃんの出迎えがほのぼのとしてました(笑)

 で、中は……。凄いです。中でも
○戊午の密勅
○浪士文久報国記事(池田屋の部分)
○討幕の密勅
○錦の御旗
○榎本武揚の服(箱館戦争当時か?)
○和宮着用の小袖
等々、飽きはきません。もう一回行きたいですね。レストランも料理は美味です。やはり国の機関に入ってるから安めの設定です。
 また、尾崎行雄コーナーにも触れときます。行雄の父、行正が安岡亮太郎こと安岡良亮の部下だったのには驚きました。すると、もしかすれば、近藤勇の斬首の場にいた可能性がありますね。目からうろこです。
 その後JICCフォトサロンに行って希望のものを探します。残念ながらありません。ここで30分のロスで、国立国会図書館へ。
 若干の収穫があり、さきほど帰宅。
 気がつけば、今年はようやく戊辰から140年だということに気づいてか、後半にこういった特別展が多くなってますね。間に合えば今度は明治神宮の展示も観たいと思っています。
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8月12日、新選組のふるさと歴史館で、講演会が催されました。
題名は「芹澤鴨と水戸天狗党佐原騒動について」です。
 ギリギリ時間がありましたので、前日に予約をし、歴史館で展示されてる史料とともに、楽しみに聴講いたしました。
 時間は午後1時~2時30分だったのですが、北海道行の荷物の整理がなかなかつかず、2日間で睡眠2時間という状況が、頭の回転を鈍らせつつ、ようやく着いたのは13:45でした。
 受付を済ませ、2Fの講座室に入ると館長が講座のレジメを持っておりましたので、いただこうと近寄りましたらレジメを抑えながら睨みます。
 なんでだろう?と思いつつ「フン!!」というような素振りでようやくレジメをくれ、一番前の席で聴講いたしました。
 講師は酒井右二氏といい、千葉県立佐原高校の教諭だそうです。聞くところによると、宮地さん関係で、佐原と天狗党について、急ピッチで調べたそうです。
 今回、面白かったのは、天狗党浪士佐原騒動一件留書についてで、下村継次の暴力行為について、新出部があることでした。
 万延元年(1860)秋に集まった通称玉造組(講演では天狗党と呼んでいるがこちらが正しい)は、横浜での攘夷決行を行うための資金が必要で、各地から献金を募っておりました。翌年1月にはついに代官領の佐原まで参り、1000両の献金を要請します。しかし、集まったのは半分にも満たず、その怒りが下村の鉄扇暴行へと繋がります。
 いまのご時世からすれば、強盗行為ですが、当時からすれば、維新草莽期の行動となるのでしょうか?
 しかし、この代官領での強奪行為が幕府を刺激し、ついには水戸藩を経由して一斉捕縛へと繋がるわけです。
 講演は文書についてのことが中心で、簡潔にまとめられておりますが、もう少し水戸藩の維新の原動力となった基盤や玉造組結成にいたるまでの経緯が濃ければ嬉しかったと思います。
 講演は予定より早く14:10くらいで終了し、酒井氏と少し話したあと、下の展示物を拝見し、その足で井上源三郎資料館へ訪れました。
 訪れたのには理由がありました。
 もしかしたらあるかと期待していた士族復帰の歎願書についてです。
 館長にお話ししたところ、「ありません」とのこと。残念でした。
 でも、史実を辿ると、ほんとうは井上家は明治33年に士族に編入される予定があったのですが、事情があり、不許可になってしまいました。
 いずれなにかの形で発表したいとは思っておりますが、こういう事実があったことをお知らせいたしました。
 この際、たまたま谷享司さまがお越しになり、3人で雑談をし、谷さまからは旅行の餞別をいただきました。ありがとうございます。
 と、いうことで15:45分、日野を後にいたし、北へと向かいました。
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最近は山本圭一、鈴香事件に次いで、天皇メモ問題が浮上しています。
 天皇が靖国参拝を拒否している理由として1888年4月に語られたことを当時の宮内庁長官がメモしたといいます。
 個人的に単純に疑問なのですが、あのメモって本当に天皇の言葉をメモしたものなのか?ということです。
 メモというのは、自分が聞いたことの要点を忘れないように残して置くものだとは思います。しかし、そのメモに「天皇の御言葉」と書かれていた訳でもなく、私の記憶でも天皇が個人を指して誹謗したことはないのではないかと思います。
 一説には確かに傍証のようなものがいくつかはあるようですが、「個人を指しての中傷」を一番嫌がった天皇が言ったということに直感的疑問が浮かびました。
 そして考えてるうちに、疑問が多く浮かび、そのひとつは、何故、その時期に天皇は靖国問題を語ったのか?そして辻褄の合わない文章。
 メモによる「靖国には行かない」と言われたA級戦犯合祀が触れられた時期と1988年の時期は一致もせず、「松岡、白取(鳥)」が含まれたのを、いかにも1988年に知ったような記述も見える。
 そうすると、このメモの意味に矛盾が生ずる訳となるのです。
 病状が悪化したことによる「うわ言」という可能性もないではないですが、あまりにタイミングがよく出されたことも疑問のひとつとして浮かび上がります。
 小泉総理がコメントした「靖国参拝」論も、その疑問についての確信を持っているからだと思いますし、とにもかくにも退任までの時期までは頑張っていただきたいと願っています。
 公式発言こそが天皇の意思であり、そう願いたいと思っています。
 個人的には既に極刑を受け、私利私欲に走ってもいないA級戦犯がなぜ、いまになっても罪の十字架を背負わなければならないのか?
 個人的に「清河八郎」を著したA級戦犯とされた、大川周明の顕彰会の方を知る私としては、個人的に、死者に鞭打つ行為は納得できません。
 ただ、今次大戦で亡くなられた方に対する責任の一端は彼らにあるのですから、遺族の気持ちは察して余りありません。
 刑執行より58年、もう許すことはできないものなのでしょうか?
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今週は連休があるので、いくつかやれることができて、本当に嬉しい限りです。
 本当は最初、京都に行く計画を建てていたのですが、直前になって、16日午前中と、17日夕方に予定が入ってしまい、今回は断念。親しくさせていただいている京都新選組同好会のパレードは一度拝見してみたいと思っておりましたが、来年に順延することとなりました。
 それで午前中の用事を済ませると、ついTVを見たのが運のツキ、この前見損ないました「戦国自衛隊」がやってることで、ついつい観てしまいました。観ている作業の合間に官軍の公式記録である「山道軍記」の活字化作業を行いました。
 どうも新選組や旧幕府軍ばかりが特化されていて、官軍の記録が重要視されていないような気もしたので、おかげでイメージがどんどん膨らんでまいりました。
 記録というのは一方ばかりを見ていると、傍観がいつのまにか主観に変わり、その人の思い入れまでもが真実と思えてきます。しかし、歴史の事実を傍観者の立場で書くにはどうしても、官軍の記録と対峙させなければ本当の事実はみえないかと思います。
 特に新選組研究について、研究家と称した各作家が「思い入れ」で書いていることが多いので、いったん活字化したものでも、信用せず、原本で当たっております。そのおかげで面白い出来事もちらほらと発見できることがあります。
 その後、前、後編があまりにも長いのと、「山道軍記」の活字化が終了したのを受けて、小島資料館に出かけました。私の近所から電車は「乗り換えなし」というのが助かります。
 16:15ころ、到着しましたが、訪問者は1名。このあたりにブームの終焉がうかがえます。その後、1名が入れ替わりのように入って閉館ですが、その間、今年刊行予定の「幕末史研究」についてお互い意見を交換いたしました。どうやら今回は「慶応4年特集」となりそうです。
 特に清水隆さんや、新しく寄稿してくださった方等、ボリュームはかなりあり、新選組研究者、およびマニアには期待のものと思えます。
 そして、19:00、地元の駅に着いて、ひさびさにクッパがいただきたかったので、牛角ダイニング(ひとりでも入れる牛角というようなところ)で食事をして、帰宅。そのまま寝てしまいました。
 そして今日は官軍記の活字化作業を行いました。これが苦戦しています。
 みなさまが目にしている「官軍記」なるものは、実は「揖斐川町史史料編」に活字化されたものだということはご存知でしょうか。
 最近では「続新選組史料集」と「新撰組五兵衛新田始末」にその掲載を見つけることができます。
 これらのうち、「五兵衛~」は4月1日の分については下記①から引用されています。4月2日以降は、「活字化版」(続~は活字化版のみ)です。
 実は官軍記はいくつものパターンで構成されており、
1、原本(3冊構成~市田靖氏蔵)

2、写本(活字化のもと~市田靖氏蔵)

3、活字化版(揖斐川町史史料編)
とがあります。
 1はリアルタイムといえる内容で、その状況には信憑性が高い。またこの原本が改写された際、本来の意味と違った内容となった部分もあり、非常に重要です。
 2は大正期以降、改写されたもので、楷書化したものです。ただし全部の改写はされず、途中で終っております。なお、活字化版にされなかった記述もあり、これもまた貴重な内容です。
 3は改写版をまた読みやすくするために、一部修正が施されています。しかし、一部の記述では、意味が変わってしまったものもあり、単なる参考文献とすれば、問題はありませんが、引用には危険をともないます。
 一応、わかりやすい参考例として、1箇所に傍線を入れてみました。現在、もし手元にお持ちの官軍記活字化版があれば確認していただければと思います。
 これは祖式金八郎と書いてあります。1,2ともに祖式金八郎となっております。
 しかし、3では弐釜八郎とされ、"ママ"と注釈が付いています。
 2の単なるインクミスが訳し間違えられ、「金」が「釜」になった訳です。
 基本的に思うのですが、「五兵衛~」は特に注釈がなく、不親切に思えるようですが、逆に読者に勘違いさせないという効果があります。逆に「続~」では注釈が入ることによって、とんでもないことが書かれることになります。「五兵衛~」の作家さまには「官軍記」の原本写真は見せたことはありますが、「続~」はありません。原本の確認を取った形跡が窺えないのでかなり危険だということになるでしょう。
 以前、ほかのブログにも書きましたが、こういう危険な史料集?が出回ると、史実が変わる可能性がありますのでどうか御気をつけください。
 と、いうことで、けっこう史料編が進んでまいりました。
 これからもなんとか頑張りたいとおもいます。
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