×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
28日
11:00起床。かなりやばい。咽喉、咳、熱の三拍子で身体中が痛い。さっそくMさんからいただいた風邪予防薬を飲む。食後はパブロンで身体は戦争中。当然気分は悪いけれど、少しは動ける。外出するからお風呂には入るけど、頭は洗えない(汗)
15:00、自宅を出発。いくつか寄るところもあり、尾久駅に15:30到着。電車に乗ろうとしたら高崎線が不通!次の宇都宮線に乗車します。
15:55、浦和駅に到着。電車で書いた年賀ハガキを投函後、1日に数本という浦14という、県立文書館の正面で降ろしてくださるバスに乗車(ちなみに終バス)。16:00発車、16:07に到着。文書館に到着すると、時間が短縮されているという。すでにターゲットは決まってたので、申請を行い、同時進行で撮影申請と複写申請を行います。届いた時点で撮影申請と複写申請を出し、これまた急いで撮影と複写を行いました。
16:50、同館を辞去し、17:00のバスに乗車。17:13の上野行きに乗車して17:30には尾久駅に到着。ここから明治通りを疾走して薬局で「サヤカ鉄キャンデー」を購入。ココ、処方箋薬局なのですが、この製品がお気に入りで、岡山&京都弾丸旅行でかなり助けていただきました。
17:50、荒川郵便局でコピー。実は最近「5円コピー」というのがありまして、費用対効果で考えると自宅でコピーするより安いということが判明。最近よく利用しています。宣伝が薄いせいか、利用者が少ないのでたすかります。
18:20、荒川区立南千住図書館へ。南千住の千葉灸治院の場所が判明したのでその番地の確認を。この時点で身体に危険のシグナルが!!!
19:00、図書館を辞去後、どこかに寄ったようですが忘却の彼方です。とにかく自宅に着きました。
その後、熱でボケボケながら眠ることも出来ずに「JIN」を鑑賞。終了後、とにかく横臥しないと、ということで横臥しました。
29日
2:00、メールで起きる。結局眠れず、本当に意識がなくなったのは6:00。11:00起床。昨日との症状が少し違う。身体の上部より腹部にダメージが。それでもお風呂には入れて、大事を取って安静にして、ようやく14:00に出発。いくつか用事をこなし、日暮里駅から新橋駅へ。新橋駅からゆりかもめなんですが、乗り換え時間がかかり過ぎる…健康なら走るのですが、上りですので無理…。そしてなんと、1本乗り過ごし、15:12に乗車。なんかこの路線。やけにグルグル回ります。なぜか怒りとめまいが起きてきます。ようやく着いたのが15:30?駅からダッシュして、なんとなく場所は学習してましたので最短距離(つまり斜めに突っ切る)でズンズン進み、回りは魑魅魍魎の世界でしたが、トランクが邪魔、元気なら八双飛びなのですが、それも叶わず、2段蹴りで道を作り、ズンズン進みます。なぜなのか、東京ビッグサイトに来たこと自体はじめてなのに、やけに進軍コースにブレはありません。エスカレーターを駆け下り(歩くなと言われたので駈けたら起こられなかった)、ブースに入る。ここで「も、よ、れ、ら」の文字が、目的は「の」、一番近い文字へ向かうとは行が!次の瞬間、「ぺ、ぴ、ぽ、ぱ」!!!ナメテんのか(怒)こういうことを言ったら人間性を疑われてしまいますが、この行軍中、魑魅魍魎が目に入るたびに「殴りたい!」という衝動に駆られてしまいました。病気の為せる業なのでしょう。

15:40、ようやく目的のブースに到着。すでに撤退済み。残り香さえありません。係員に撤退者は撤退挨拶を済まして帰るのかどうかを聞いてみましたが、係員は知ってて当然、というような雰囲気でした。
基本的に係員は同類の方か、あるいは入場者を「敵」と看做しているかに二分されます。会場にいても仕方がないのと、絵画的に頭がバーストしそうだったのでエスカレーターで上に登りましたが、そのさなかに拍手が!どうやら16:00でこの「コミケ」なるものが終了するため、合図の拍手だったようです。
とにかく疲れたので1本赤玉広場で喫煙後、まずはゆりかもめ方面へ、ゾンビが群がるが如くの絵図に恐怖を感じ船の方へ!さきほど出船したようなので客はあまりいません。しかし、道路の向こうにあるバス乗り場も思ったほどの混み様ではなかったので、並んでみると、なんと浜松町へ直行バスが!これはよいと、乗車すると、たった12分で浜松町駅へ!
こんな感じで帰りにツタヤへ寄った後、帰宅。そのまま横臥。なにかしようとあがくも、頭が回転せず、仕方がなく23:00に睡眠導入剤×2でターボかけて、0:30には睡眠しておりました。
よろしければクリックご御力お願いします

11:00起床。かなりやばい。咽喉、咳、熱の三拍子で身体中が痛い。さっそくMさんからいただいた風邪予防薬を飲む。食後はパブロンで身体は戦争中。当然気分は悪いけれど、少しは動ける。外出するからお風呂には入るけど、頭は洗えない(汗)
15:00、自宅を出発。いくつか寄るところもあり、尾久駅に15:30到着。電車に乗ろうとしたら高崎線が不通!次の宇都宮線に乗車します。
15:55、浦和駅に到着。電車で書いた年賀ハガキを投函後、1日に数本という浦14という、県立文書館の正面で降ろしてくださるバスに乗車(ちなみに終バス)。16:00発車、16:07に到着。文書館に到着すると、時間が短縮されているという。すでにターゲットは決まってたので、申請を行い、同時進行で撮影申請と複写申請を行います。届いた時点で撮影申請と複写申請を出し、これまた急いで撮影と複写を行いました。
16:50、同館を辞去し、17:00のバスに乗車。17:13の上野行きに乗車して17:30には尾久駅に到着。ここから明治通りを疾走して薬局で「サヤカ鉄キャンデー」を購入。ココ、処方箋薬局なのですが、この製品がお気に入りで、岡山&京都弾丸旅行でかなり助けていただきました。
17:50、荒川郵便局でコピー。実は最近「5円コピー」というのがありまして、費用対効果で考えると自宅でコピーするより安いということが判明。最近よく利用しています。宣伝が薄いせいか、利用者が少ないのでたすかります。
18:20、荒川区立南千住図書館へ。南千住の千葉灸治院の場所が判明したのでその番地の確認を。この時点で身体に危険のシグナルが!!!
19:00、図書館を辞去後、どこかに寄ったようですが忘却の彼方です。とにかく自宅に着きました。
その後、熱でボケボケながら眠ることも出来ずに「JIN」を鑑賞。終了後、とにかく横臥しないと、ということで横臥しました。
29日
2:00、メールで起きる。結局眠れず、本当に意識がなくなったのは6:00。11:00起床。昨日との症状が少し違う。身体の上部より腹部にダメージが。それでもお風呂には入れて、大事を取って安静にして、ようやく14:00に出発。いくつか用事をこなし、日暮里駅から新橋駅へ。新橋駅からゆりかもめなんですが、乗り換え時間がかかり過ぎる…健康なら走るのですが、上りですので無理…。そしてなんと、1本乗り過ごし、15:12に乗車。なんかこの路線。やけにグルグル回ります。なぜか怒りとめまいが起きてきます。ようやく着いたのが15:30?駅からダッシュして、なんとなく場所は学習してましたので最短距離(つまり斜めに突っ切る)でズンズン進み、回りは魑魅魍魎の世界でしたが、トランクが邪魔、元気なら八双飛びなのですが、それも叶わず、2段蹴りで道を作り、ズンズン進みます。なぜなのか、東京ビッグサイトに来たこと自体はじめてなのに、やけに進軍コースにブレはありません。エスカレーターを駆け下り(歩くなと言われたので駈けたら起こられなかった)、ブースに入る。ここで「も、よ、れ、ら」の文字が、目的は「の」、一番近い文字へ向かうとは行が!次の瞬間、「ぺ、ぴ、ぽ、ぱ」!!!ナメテんのか(怒)こういうことを言ったら人間性を疑われてしまいますが、この行軍中、魑魅魍魎が目に入るたびに「殴りたい!」という衝動に駆られてしまいました。病気の為せる業なのでしょう。
15:40、ようやく目的のブースに到着。すでに撤退済み。残り香さえありません。係員に撤退者は撤退挨拶を済まして帰るのかどうかを聞いてみましたが、係員は知ってて当然、というような雰囲気でした。
基本的に係員は同類の方か、あるいは入場者を「敵」と看做しているかに二分されます。会場にいても仕方がないのと、絵画的に頭がバーストしそうだったのでエスカレーターで上に登りましたが、そのさなかに拍手が!どうやら16:00でこの「コミケ」なるものが終了するため、合図の拍手だったようです。
とにかく疲れたので1本赤玉広場で喫煙後、まずはゆりかもめ方面へ、ゾンビが群がるが如くの絵図に恐怖を感じ船の方へ!さきほど出船したようなので客はあまりいません。しかし、道路の向こうにあるバス乗り場も思ったほどの混み様ではなかったので、並んでみると、なんと浜松町へ直行バスが!これはよいと、乗車すると、たった12分で浜松町駅へ!
こんな感じで帰りにツタヤへ寄った後、帰宅。そのまま横臥。なにかしようとあがくも、頭が回転せず、仕方がなく23:00に睡眠導入剤×2でターボかけて、0:30には睡眠しておりました。
よろしければクリックご御力お願いします
PR
平成23辛卯年元日、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
正直言って、今年、というより、今月はかなりハードな内容がてんこ盛りです。
旅程では、
4日、名古屋蓬左文庫、間に合えば岐阜県歴史資料館。
5日、京都智恩院、府立総合資料館、法務局。
6日、横浜で山口菊次郎関連調査。
このようになっております。菊次郎は本年刊行予定の「千葉の名灸」に反映され、蓬左文庫関連は1月30日に講演する伊東甲子太郎に反映されます。
ということで、「千葉の名灸」の叩き台も1月末付近に出版社へ持ち込み、どのようなページ数にするかを検討し、初夏までには刊行にこじ着けたいと思います。
なお、本日は
試衛館稲荷初詣です。

12:00~16:00まで稲荷の手前に設けてある柵を開放し、稲荷の拝殿で拝むことが出来ます。ご利益としまして、
○地鎮
○火伏
○安全
等が挙げられます。そのため、解る範囲だけでも安政大地震(1855)、関東大震災(1923)、東京大空襲(1945)、いずれもこの番地のみ被害がりませんでした(空中写真を見ると、隣の番地なんかは被害を受けていたりします)
ただ、呪詛には効きません。それはさいたま市にあるクネクネ大明神(通称?)に効果があるとか?ソチラには私は用がありませんので、今年1年、みなさま、無事に過ごせる世の中であって欲しいと願っております。
以上、
あさくらゆう
よろしければクリックご御力お願いします

本年もよろしくお願い申し上げます。
正直言って、今年、というより、今月はかなりハードな内容がてんこ盛りです。
旅程では、
4日、名古屋蓬左文庫、間に合えば岐阜県歴史資料館。
5日、京都智恩院、府立総合資料館、法務局。
6日、横浜で山口菊次郎関連調査。
このようになっております。菊次郎は本年刊行予定の「千葉の名灸」に反映され、蓬左文庫関連は1月30日に講演する伊東甲子太郎に反映されます。
ということで、「千葉の名灸」の叩き台も1月末付近に出版社へ持ち込み、どのようなページ数にするかを検討し、初夏までには刊行にこじ着けたいと思います。
なお、本日は
試衛館稲荷初詣です。
12:00~16:00まで稲荷の手前に設けてある柵を開放し、稲荷の拝殿で拝むことが出来ます。ご利益としまして、
○地鎮
○火伏
○安全
等が挙げられます。そのため、解る範囲だけでも安政大地震(1855)、関東大震災(1923)、東京大空襲(1945)、いずれもこの番地のみ被害がりませんでした(空中写真を見ると、隣の番地なんかは被害を受けていたりします)
ただ、呪詛には効きません。それはさいたま市にあるクネクネ大明神(通称?)に効果があるとか?ソチラには私は用がありませんので、今年1年、みなさま、無事に過ごせる世の中であって欲しいと願っております。
以上、
あさくらゆう
よろしければクリックご御力お願いします
前略、いつも拙ブログをご愛読賜り誠に感謝申上げます。
昨年、忍者ブログよりこのFCブログに移行いたしました。当時、忍者ブログではサイバーテロ対策が不十分で、解決の見込みなしと判断したからでした。
先日、忍者ブログの忍者バリアなるものが開発されており、これを使用することにより多くのサイバーテロ対策になることが判明しました。なので、作業面で安易な忍者ブログへ復帰することにいたしました。
FCブログも個人的には周知性もよく、便利な面はあるのですが、どうも作成画面を立ち上げる時間のロスや、過去ログの編集画面への道程にけっこうな時間を費やすことも多いことがあり(ISDNという環境なので仕方ありませんが)、どうしてもストレスフルになりやすいことがあります。
26日より年末までは双方のブログに同記事を掲載し、来年1月まではFCブログにはリンクURLのみを掲載し、2月以降は新規記事を停止いたします。
皆さまにはご不便をお掛けいたしますが、どうかよろしくお願い申し上げます。
あさくらゆう

よろしければクリックご御力お願いします

昨年、忍者ブログよりこのFCブログに移行いたしました。当時、忍者ブログではサイバーテロ対策が不十分で、解決の見込みなしと判断したからでした。
先日、忍者ブログの忍者バリアなるものが開発されており、これを使用することにより多くのサイバーテロ対策になることが判明しました。なので、作業面で安易な忍者ブログへ復帰することにいたしました。
FCブログも個人的には周知性もよく、便利な面はあるのですが、どうも作成画面を立ち上げる時間のロスや、過去ログの編集画面への道程にけっこうな時間を費やすことも多いことがあり(ISDNという環境なので仕方ありませんが)、どうしてもストレスフルになりやすいことがあります。
26日より年末までは双方のブログに同記事を掲載し、来年1月まではFCブログにはリンクURLのみを掲載し、2月以降は新規記事を停止いたします。
皆さまにはご不便をお掛けいたしますが、どうかよろしくお願い申し上げます。
あさくらゆう
よろしければクリックご御力お願いします
最近、大正期に一世風靡し、客死したピアニスト、久野久を調べています。
この人を調べてるうちにいろいろな思いを感じます。
体にハンデがあり、一時はあきらめかけた音楽を一生懸命、独学で努力することによって克服して東京音楽大学を卒業して見事、ピアニストとして講師、そして助教授へと進みます。
ここまでは久の絶頂期でしょう。
しかし、彼女に不幸が訪れます。大正4年に起きた交通事故です。いまと違い、夜は人が少なくなります。久は交通事故により、頭や肋骨等、かなりの重傷を負い、それだけでなく、轢かれてから一晩も放置されたのです。久は精神的にも、そして後遺症にも悩まされました。それを人一倍の努力によって克服しました。
ところが、大正5年、ここで転機が起きます。小倉末の帰国です。小倉末は義姉の独人マリア・ニッチェによって、欧州を知る教師によって教育されました。そのため、日本人には類稀なる感性を培い、日本人が克服できなかった西洋音楽の音感を備わった人材として育ちました。この末は明治44年に東京音大に入学します。このころ、末は久を姉として慕ってた風が見えます。その後、事情により退学し、翌年にマリアとともに、マリアの母国、ベルリンへ行き、ピアノ修行を行います。もともとマリアの素養によって基礎ができていた末にとって、マリアの擁護もあり、技術は飛躍的に向上しました。この小倉末が帰国後、音大講師に招聘されたのです。
この時点では久野が上であり、小倉は下の地位にありました。ここに運命を分ける出来事が起きます。同年11月16日に催された御前演奏です。演奏前までは久野の絶賛記事が多かったようです。ところが当日になると様子が変わります。演奏は第1部と2部に分かれ、1部が久で2部が末でした。1部の演奏は普通に終わり、2部で、末の狂想曲を聴いた皇后が末にシューマンをリクエストしたのです。この時点で小倉末の演奏は卓越してたということを内外に知らしめた形となり、翌年に末は2階級特進して教授となります。つまり久を追い越したのです。
こうなれば久の立場はありません。また、このころになると西洋音楽に精通した人材も出始めており、すると、久の独特な奏法には欠点があり、修復不可能なほどだったようで、このころになると久から徐々に人も離れていきます。
このあたりから後遺症によってノイローゼも加味され、それが渡欧に繋がったようです。周りからは奏法そのものに問題があり、小倉末の場合とは環境が違うことは知悉していながらも送り出したのは、体のいい左遷だったのかもしれません。このあたりに音楽界の冷酷さを感じます。
体にハンデがあり、かつ交通事故の後遺症を抱え、ついには教授というブランドを持っていた久に与えられたのははっきりとした現実でした。
いままで日本では言わなかったことを久は現実として知ることになります。このショックはいかばかりだったでしょう。
けっきょくノイローゼを起こし、ついにウィーンのホテルで墜落死します。
私の共通点は独自の方法で歴史を追っていたことにあります。史学も学ばずに嫌がらせを受けたことによる意地と、元探偵という前歴によって発見した事柄は多いと思っています。
そのため、嫌がらせも受けましたし、それに負けないため戦ったこともあります。
それでも幸せだったのは私心のない教育関係の人に支持され、たくさん基礎を教えていただいたことです。思えば生意気だった私によく接してくださった教育関係の各位にはほんとうに感謝しております。これがなかったら裸の王様です。
特に言えることは、この新選組研究業界?とでもいいましょうか?いわゆる新発見ネタです。
なんでもかんでも「新発見」と述べる方がいます。以前、調査していたことがあり、ブログに載せたら、「私の新発見を載せましたね!」と言われたことがあります。う~ん……。なぜかというと、新発見といえば新発見なのでしょうが、果たしてその発見は世論が興味を持つ内容なのか?ということなのです。もちろん、これがこの意見を述べた方に連れていかれて見せていただいたものでしたら別ですが、まったく自分での発見です。一応、軽い発言が許されないものなら傍証も取ります。いくら発見と思っても、傍証がなければ単なる「可能性」です。正直言って、その可能性の部類であればいくつも持ち合わせています。そのため、最近アップアップになっているのですが。
話が難しかったので例を述べます。
「路上に白い石が落ちている。この道は土方歳三が通った道だ。土方もこの石を見たに違いない!これは新発見だ!」
こう聴いてどう思うでしょう?受け答えに困りますよね。説明はいらないでしょう。
要は新選組を研究する人は新発見ネタが好きだということです。私もそういった気風がありますが、これなんかはいろいろ支えてくださる方がいるおかげで、相談できるので、助かります。
もし、このブログを読んで、そういった思いがある方に自身が裸の王様と気づけばよし、気づかなければ……ですね。
もちろん、私も含めて自戒する意味も込めて記載します。
*2008年12月17日の記事を加筆修正

よろしければクリックご御力お願いします

この人を調べてるうちにいろいろな思いを感じます。
体にハンデがあり、一時はあきらめかけた音楽を一生懸命、独学で努力することによって克服して東京音楽大学を卒業して見事、ピアニストとして講師、そして助教授へと進みます。
ここまでは久の絶頂期でしょう。
しかし、彼女に不幸が訪れます。大正4年に起きた交通事故です。いまと違い、夜は人が少なくなります。久は交通事故により、頭や肋骨等、かなりの重傷を負い、それだけでなく、轢かれてから一晩も放置されたのです。久は精神的にも、そして後遺症にも悩まされました。それを人一倍の努力によって克服しました。
ところが、大正5年、ここで転機が起きます。小倉末の帰国です。小倉末は義姉の独人マリア・ニッチェによって、欧州を知る教師によって教育されました。そのため、日本人には類稀なる感性を培い、日本人が克服できなかった西洋音楽の音感を備わった人材として育ちました。この末は明治44年に東京音大に入学します。このころ、末は久を姉として慕ってた風が見えます。その後、事情により退学し、翌年にマリアとともに、マリアの母国、ベルリンへ行き、ピアノ修行を行います。もともとマリアの素養によって基礎ができていた末にとって、マリアの擁護もあり、技術は飛躍的に向上しました。この小倉末が帰国後、音大講師に招聘されたのです。
この時点では久野が上であり、小倉は下の地位にありました。ここに運命を分ける出来事が起きます。同年11月16日に催された御前演奏です。演奏前までは久野の絶賛記事が多かったようです。ところが当日になると様子が変わります。演奏は第1部と2部に分かれ、1部が久で2部が末でした。1部の演奏は普通に終わり、2部で、末の狂想曲を聴いた皇后が末にシューマンをリクエストしたのです。この時点で小倉末の演奏は卓越してたということを内外に知らしめた形となり、翌年に末は2階級特進して教授となります。つまり久を追い越したのです。
こうなれば久の立場はありません。また、このころになると西洋音楽に精通した人材も出始めており、すると、久の独特な奏法には欠点があり、修復不可能なほどだったようで、このころになると久から徐々に人も離れていきます。
このあたりから後遺症によってノイローゼも加味され、それが渡欧に繋がったようです。周りからは奏法そのものに問題があり、小倉末の場合とは環境が違うことは知悉していながらも送り出したのは、体のいい左遷だったのかもしれません。このあたりに音楽界の冷酷さを感じます。
体にハンデがあり、かつ交通事故の後遺症を抱え、ついには教授というブランドを持っていた久に与えられたのははっきりとした現実でした。
いままで日本では言わなかったことを久は現実として知ることになります。このショックはいかばかりだったでしょう。
けっきょくノイローゼを起こし、ついにウィーンのホテルで墜落死します。
私の共通点は独自の方法で歴史を追っていたことにあります。史学も学ばずに嫌がらせを受けたことによる意地と、元探偵という前歴によって発見した事柄は多いと思っています。
そのため、嫌がらせも受けましたし、それに負けないため戦ったこともあります。
それでも幸せだったのは私心のない教育関係の人に支持され、たくさん基礎を教えていただいたことです。思えば生意気だった私によく接してくださった教育関係の各位にはほんとうに感謝しております。これがなかったら裸の王様です。
特に言えることは、この新選組研究業界?とでもいいましょうか?いわゆる新発見ネタです。
なんでもかんでも「新発見」と述べる方がいます。以前、調査していたことがあり、ブログに載せたら、「私の新発見を載せましたね!」と言われたことがあります。う~ん……。なぜかというと、新発見といえば新発見なのでしょうが、果たしてその発見は世論が興味を持つ内容なのか?ということなのです。もちろん、これがこの意見を述べた方に連れていかれて見せていただいたものでしたら別ですが、まったく自分での発見です。一応、軽い発言が許されないものなら傍証も取ります。いくら発見と思っても、傍証がなければ単なる「可能性」です。正直言って、その可能性の部類であればいくつも持ち合わせています。そのため、最近アップアップになっているのですが。
話が難しかったので例を述べます。
「路上に白い石が落ちている。この道は土方歳三が通った道だ。土方もこの石を見たに違いない!これは新発見だ!」
こう聴いてどう思うでしょう?受け答えに困りますよね。説明はいらないでしょう。
要は新選組を研究する人は新発見ネタが好きだということです。私もそういった気風がありますが、これなんかはいろいろ支えてくださる方がいるおかげで、相談できるので、助かります。
もし、このブログを読んで、そういった思いがある方に自身が裸の王様と気づけばよし、気づかなければ……ですね。
もちろん、私も含めて自戒する意味も込めて記載します。
*2008年12月17日の記事を加筆修正
よろしければクリックご御力お願いします
恒例の結果発表です。
HPのTOPからは968名の訪問者がお越しいただきました。
リンク元ですが、
1.…51.0% ブックマーク
2.…18.0% Yahoo検索
3.… 7.8% 古い戸籍の掲示板
4.… 7.6% google検索
5.… 3.8% 古い戸籍の知識箱
でした。姉妹HPよりの来訪者が増えたことが確認できます。
キーワードですが、
1.…31.5% あさくらゆう
2.…23.5% 歴史企画研究
3.… 5.3% 沖田総司
4.… 1.6% 大京町
4.… 1.6% 千駄ヶ谷
6.… 1.0% 沖田総司逝去の地
私個人以外はすべて沖田総司関連となっています。
ブログは総閲覧者数5568名でした。とある事件が影を落とし、耳目を集めたことと、沖田総司逝去の地関連について、多くの注目を集めました。
リンク元ですが、
1.…34.4% ブックマーク
2.…19.5% 歴史企画研究TOP
3.…11.0% Yahoo検索
4.… 8.7% google検索
5.… 5.1% ブログ村
常連さんの数の状況が戻ったといえますが、例の事件の関係で検索率が高くなっています。検索効果で5位には「ブログ村」が入っています。また「ブログランキング」等ご協力をいただき大変感謝しております。ありがとうございます。
キーワードですが、
1.…15.5% あさくらゆう
2.…14.4% 無二無三
3.… 3.6% 小倉末子
4.… 3.4% 久野久(子)
5.… 3.0% 歴史企画研究
です。キーワードの範囲が新選組を差し置いて、女性ピアニスト2名となっているところが面白いと思います。新選組関連に興味のある方は「あさくらゆう」で検索するのでしょう。9月は小倉さんの命日だったので、1日のみの特集記事を組みましたが、その関係で、いつも上位にいた久野さんと順位が逆転しています。個人的には小倉さんの弾いたピアノ曲の録音盤が出てくることを祈るのみです。
よろしければクリックご御力お願いします

HPのTOPからは968名の訪問者がお越しいただきました。
リンク元ですが、
1.…51.0% ブックマーク
2.…18.0% Yahoo検索
3.… 7.8% 古い戸籍の掲示板
4.… 7.6% google検索
5.… 3.8% 古い戸籍の知識箱
でした。姉妹HPよりの来訪者が増えたことが確認できます。
キーワードですが、
1.…31.5% あさくらゆう
2.…23.5% 歴史企画研究
3.… 5.3% 沖田総司
4.… 1.6% 大京町
4.… 1.6% 千駄ヶ谷
6.… 1.0% 沖田総司逝去の地
私個人以外はすべて沖田総司関連となっています。
ブログは総閲覧者数5568名でした。とある事件が影を落とし、耳目を集めたことと、沖田総司逝去の地関連について、多くの注目を集めました。
リンク元ですが、
1.…34.4% ブックマーク
2.…19.5% 歴史企画研究TOP
3.…11.0% Yahoo検索
4.… 8.7% google検索
5.… 5.1% ブログ村
常連さんの数の状況が戻ったといえますが、例の事件の関係で検索率が高くなっています。検索効果で5位には「ブログ村」が入っています。また「ブログランキング」等ご協力をいただき大変感謝しております。ありがとうございます。
キーワードですが、
1.…15.5% あさくらゆう
2.…14.4% 無二無三
3.… 3.6% 小倉末子
4.… 3.4% 久野久(子)
5.… 3.0% 歴史企画研究
です。キーワードの範囲が新選組を差し置いて、女性ピアニスト2名となっているところが面白いと思います。新選組関連に興味のある方は「あさくらゆう」で検索するのでしょう。9月は小倉さんの命日だったので、1日のみの特集記事を組みましたが、その関係で、いつも上位にいた久野さんと順位が逆転しています。個人的には小倉さんの弾いたピアノ曲の録音盤が出てくることを祈るのみです。
よろしければクリックご御力お願いします

