この記事へのコメント
津上さま、
いま掲げた表題のとおり、留学でしょうか?私はNoと採ります。小倉末子にしても、留学と書いてはいますが、いったん東京音大を退学した後の渡航ですから。「正式な留学」と「留学という呼称」とに翻弄される可能性があります。ただ、渡航にしても密航ではマリアを連れての帰国が不可能となります。やはり本家が絡んだのは間違いないでしょうが。
いま掲げた表題のとおり、留学でしょうか?私はNoと採ります。小倉末子にしても、留学と書いてはいますが、いったん東京音大を退学した後の渡航ですから。「正式な留学」と「留学という呼称」とに翻弄される可能性があります。ただ、渡航にしても密航ではマリアを連れての帰国が不可能となります。やはり本家が絡んだのは間違いないでしょうが。
今日、期待して手塚晃・国立教育会館編 『幕末明治海外渡航者総覧』(1992)を調べてみたのですが、小倉庄太郎の名前を見出すことはできませんでした。ひょっとして密航?でしょうか?
メーカーとは直接交渉のことでしょう。
期待しております。ただ、保証がなくとも大垣にとっては宝ですから、真贋抜きで公表後、大垣にも伝えられたらと思います。
期待しております。ただ、保証がなくとも大垣にとっては宝ですから、真贋抜きで公表後、大垣にも伝えられたらと思います。
伝聞では明治15年から22年とのこと、ありがとうございます。留学生に関する研究書をあたってみようと思います。
ピアノについてはメーカーに確認中で、その返事が来てから公表する予定です。
ピアノについてはメーカーに確認中で、その返事が来てから公表する予定です。
michaelaさま、
もしよかったら観れる機会がございましたら大垣へ紹介する機会がございます。メールがわかれば差し上げたいと思っています。ちなみに貴ブログであげた一部の方たちとは交流があります。
津上智実さま、
小倉庄太郎ですが、正直言って傍証が取れていません。通説では明治15年にドイツへ渡り、22年に帰国しています(マリアとの結婚も22年)。ただ、明示したものでは花筵倉庫会社の開業に差異があります。
余談ですが、津上さまが大垣で問合せしてたとき、偶然大垣の問合せ先の部屋におりまして、その件の話は傍から聞知しておりました(偶然聞こえていただけで、情報漏えいではないですが)。
ちなみに東京都にも、岐阜県にも当該記録は見つかっておりませんが、岐阜県に提出が必要な書類ですので、滅失してなければ公文書が存在するはずなのですが。
もしよかったら観れる機会がございましたら大垣へ紹介する機会がございます。メールがわかれば差し上げたいと思っています。ちなみに貴ブログであげた一部の方たちとは交流があります。
津上智実さま、
小倉庄太郎ですが、正直言って傍証が取れていません。通説では明治15年にドイツへ渡り、22年に帰国しています(マリアとの結婚も22年)。ただ、明示したものでは花筵倉庫会社の開業に差異があります。
余談ですが、津上さまが大垣で問合せしてたとき、偶然大垣の問合せ先の部屋におりまして、その件の話は傍から聞知しておりました(偶然聞こえていただけで、情報漏えいではないですが)。
ちなみに東京都にも、岐阜県にも当該記録は見つかっておりませんが、岐阜県に提出が必要な書類ですので、滅失してなければ公文書が存在するはずなのですが。
小倉家について詳しく書いて下さってありがとうございます。小倉末子の音楽的な背景を理解するために、兄庄太郎の洋行の詳細を知りたく思っております。いつ、どのような身分で、どこに行き、いつ帰国したのか、お教え頂けると大変助かります。
私のブログへのコメント、ありがとうございました。こちらの記事、とても興味深く読ませていただきました。母のピアノエピソードからいろいろな繋がりが出てきています。
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